「大企業こそ、デジタル経営に本気で取り組まなければならない」。コロナ禍以降、こうした意見は多く聞かれるようになりました。実際に、各社で取り組みは進んでおり、一部にはトランスフォーム(変革)の道筋が立った、という企業もあると言います。

では、そんな企業はどのような軌跡でそれを達成したのか? そして、その先にどんな未来を描いているのか? そこにある「揺るぎない企業の根幹」とはどのようなものなのか? 三井物産株式会社デジタル総合戦略部の真野雄司氏と、KPMG Ignition Tokyo 茶谷公之が語り合った対談の内容をお伝えします。

全社に向けたDX基本教育をいかに実践したか?

真野氏、茶谷

(三井物産株式会社 執行役員 デジタル総合戦略部長 真野雄司氏(左)、株式会社KPMG Ignition Tokyo 代表取締役社長兼CEO、KPMGジャパンCDO茶谷公之(右))※記事中の所属・役職などは、記事公開当時のものです。

茶谷             :KPMG Ignition Tokyoも6割が海外出身のメンバーなのですが、私は、日本でビジネスに携わる以上、日本語のスキルも重要だと思っています。英語化を推進する会社は多いですが、それを超えて多言語化を目指そうかと内部で議論しているところです。

当然、インターネットやコンピューターの世界は英語が分かれば物凄くアドバンテージになりますが、ビジネスニーズを聞く時に、どうしても日本語ができないと二次情報になってしまい、本当にクライアントなり同僚がやりたいと思っていることが直接理解できない、というのはもったいないことだと考えています。そういう意味では、前回お示しいただいた(前編参照のこと)bの人材は通訳のような役割を担うのかもしれませんね。とはいえ、本当はaとcがタッグを組めるようになれば、bの人材はもう少しプロダクト寄りになれるようにも思います(下図、「DX人材戦略」参照のこと)。

真野             :そうですね、おっしゃる通りだと思います。

実は、aの領域から青い矢印が右側に出ているのは要するに全社のDX基本教育による底上げを意味しています。そのため、今スキル研修として「基礎1」というコースを設けているところです。これは手作りで4時間のコースになるのですが、最初に社長以下全ての役職員に、「これは社長から新入社員まで全員が取り組むものです。全員が修了して試験も受ける必要があります」と宣言し、3ヵ月以内に全員必修としました。そうしたら、8月31日の締め切りまでに、会長から新入社員の約5,500人の100%が研修を受けてくれました!

茶谷             :それは凄いことです。“抵抗”はなかったのでしょうか?

真野             :ありました(笑)。ただ、これまた稚拙な手段なのですが、各ユニットごと、例えば事業本部だったら事業本部、コーポレートも部署ごとに、何%が修了したかをリアルタイムで毎日イントラネットに表示していったのです。これで「やっていないとマズいのでは?」という意識を掻き立てたり、競争心をくすぐったりしていきました。同時に、会長や社長をはじめ、経営幹部が率先して取り組んでくれたので、社員達は「やらざるを得ない」と思ったのだと想像します。

今後は同じ研修を関係会社へ、そして、英語版を海外子会社などに展開していくことになっています。最終的には、三井物産に関わる45,000人全員が履修するように、と計画しています。

添付資料

出典:三井物産株式会社ウェブサイト~三井物産のDX

茶谷             :大規模な取り組みですね。そのカリキュラムの選択は内部で行なっているのでしょうか?

真野             :最初の「基礎1」だけは内部で作りました。それというのも、やはり三井物産のDX総合戦略とは何か、を伝えるためだからです。また、そもそも今の環境でなぜデジタルが重要か、実際に今のデジタルに関する技術とはどのようなものが挙げられるのか、プロジェクトを推進するプロセスはどのようなものか、といったことをなるべく分かりやすくまとめる必要があったからです。

それを終えた上で、各ツールや技術など追求したいことがあれば、「基礎2」として、オンライン学習プラットフォーム「Udemy™」を活用して自分で次のステップに進めるようにしています。

茶谷             :教材の企画・制作はそれなりにリソースやスキルが必要だと思います。新たにチームを作られたのでしょうか?

真野             :まず、我々のデジタル総合戦略部の中に、DX人材開発室という室をちょうど1年前に立ち上げました。本来であれば教材開発も含めて人事総務部の範疇なのだと思いますが、人事がこうした領域に精通しているかというとそういうわけではないので、教材開発はDX人材開発室が行ない、実際の運営は人事総務部のリソースで対応し、認定制度の評価プロセスも、人事総務部や経営企画部と連携しつつもDX人材開発室が主として担う、という流れになっています。 

茶谷             :なるほど、やはり他社の人材育成の方法というのは参考になりますね。

せっかくなので、我々KPMG Ignition Tokyoの人材の育成も、ちょっとご紹介しましょう。そもそもKPMGジャパンには監査・税務・アドバイザリーという3つのビジネスがあり、これに対して我々はセキュアコンピューティングやナレッジプロセッシング、インテリジェントエージェント、サイエンティフィックビジュアライゼーション、スマートトランザクション、エッジコンピューティング&IoTと6つのピラーが対応しています。

それぞれにデータサイエンティストやエンジニアなどのプロフェッショナル人材が在籍しているのですが、そのピラーの垣根を超えて横軸の「ギルド」という集団を形成しています。例えば、データAIギルドとかソフトウェアエンジニアリングギルド、あるいはUXギルド、といった形です。

ギルドリーダー達は、ギルドに入っている同じエクスパティーズの人達の育成の責任を担っていて、「こういうプロジェクトをやってこの人をこう育てよう」あるいは、「こういうカンファレンスに出てもらってこういうことを学んでもらおう」と、計画してもらい、そこに予算を付けるようにしています。昨年から始め、今年中には本格的にテイクオフするのですが、デジタルネイティブに近い人材をよりワールドクラスに持っていくというのが目標で、模索している最中です。

真野             :なるほど。我々もまさに模索しているところです。もともとデジタル総合戦略部が発足したのが2019年10月ですが、それ以前はITを担うIT推進部とDXを担う経営企画部内のデジタルトランスフォーメーションチームが分かれていたため、当時考えていたことは、「IT推進部とデジタルトランスフォーメーションチームとが分かれているより一緒であるべきだ。そうでなければ構想を実装まで進められない」ということでした。そして、更に各部署に小さく振り分けられていた個別システムの管理等の役割をデジタル総合戦略部に全て集約していったのが2020年4月1日からです。

そういった意味からすると、デジタル庁の発想の先取りですね。三井物産の中に分散していたものを全てここに、デジタルであろうがITであろうが全て集約しよう、という組織になっています。この組織には、「フロント」と呼ばれるDX1〜3室があり、それとは別に「COE(center of excellence)」と呼ばれる機能別の室が8つあります。

このフロントであるDX1〜3室は、各事業本部やその傘下の関係会社と面で対応する部隊という立ち位置で、事業本部側のニーズを全部吸収し、「AIを使いたい」とか、「こういう新しい事業を起こしたい」「関係会社のERPがうまく動かない」「ITの投資や人材をどうすればいいか?」といったよろず相談を全て引き受ける役割を担います。そして、個別相談の内容を踏まえて、必要となるCOEの室(つまり機能軸の人達)と連携して、最適なチームを構成して対応をしていく、というフローになっています。

この流れはさきほどおっしゃったギルドに少し似ているように感じました。例えば、COEの中でもデジタルテクノロジー戦略室はAIをマスターで学んだ人材などが集まっていますし、データドリブン経営戦略室はデータを専門に扱っている部隊です。また、コーポレートDX第1室と第2室は、それぞれERPなど約定系の基幹システムと、人事やサステナビリティといった非財務系のシステムやデータを扱う専門家が集まっています。ほかにも、デジタルインフラ室ではまさにネットワークやサイバーセキュリティに対する専門家が集まり、さらに、ユーザーエクスペリエンス改革室にはUI/UXの専門家を集めています。これらは各室に分かれてはいますが、具体的な案件に関しては、室の枠を超えて、フロント各室と融通無碍に連携して目的の達成に尽力します。また、これらの他、ニューヨーク、ロンドン、シンガポール、上海、サンパウロの5ヵ所にデジタル総合戦略部の“出店”があり、総勢200名ぐらいの規模になっています。

茶谷             :相当な規模ですね!

社外との連携は「車輪の再発明」を防ぐことになる

茶谷             :社内のデジタルドリブン経営の基礎を固めると同時に、三井物産では様々な会社とタッグを組んでいるとお聞きしました。ソニー系のグループ会社と組んでGAILABOと言う合弁企業も持たれているとか。積極的に多分野と提携されるにあたって、内部で取り組むか外部と手を結ぶか、どのように判断されているのでしょうか?

真野             :判断というより、両方の選択肢を持っています。

内部では、前半でもお伝えした通り、人材育成を進めることで会社全体のレベル向上をはかるようにしています。ただ、我々はやはり総合商社であるため、全てを自前で完結させるのは難しかったり、時間がかかり過ぎたり、ということは避けられません。

今のスピード感についていくためには、積極的に外部との連携を高めていった方がいい場合もあります。連携先には、GAILABOで組んでいるSONYやPreferred Networks、Andrew Ng氏による「AIを活用して新しい社会を築く」との構想の下に設立されたAI Fundなどもあります。

茶谷

こうして考えると、これからデジタル領域を推進していく上で最も必要なことは、中の人材育成に加えて、外のネットワークをどこまで拡大できるか、ということだと考えています。それをしなければ、下手をするとよく言われる「車輪の再発明」のように、見た目には一生懸命作っているけれども実はそれはもう別の誰かが作っていた、といった話になりかねません。

今、スタートアップ企業は山ほど出てきていて、SaaS企業も星の数ほどあります。それならば、彼らを知って、お互いの良さを活用した方が合理的でしょう。我々にとってはスピード感が出てくるので、今はとにかくネットワークは広げるように動いています。

一方で、我々が連携したいと考えた時、相手が組んでくれるかどうかは別の問題です。中の力を充実させておかなければ組んでくれない、ということにもなるでしょう。こうした理由で、両方が大事なのだと考えています。

社外の協力相手を見つける難しさ、社内を説得する難しさ

真野氏

茶谷             :外部の連携相手を探索する専任チームは存在するのでしょうか?

真野             :過去の経緯からお話すれば、2012年に「イノベーション推進制度」というものを作りました。当時もやはり、「総合商社はイノベーションから程遠い」というイメージがあったものですから、「だからこそやろう!」と考えたわけです。

当初はあまりうまくいかなかったのですが、その中で「イノベーションをやるためには、やはり様々な人、特に力がある人と組んでいかなければならない」と思い、2017年頃から活動を広げて行きました。

Preferred Networksに最初の投資をしたのがちょうど2017年のこと。2012年から活動を始め、5年経ってようやく「Preferred Networksという企業はどうやら非常におもしろいらしい」と気付きました。ただ、当時は総合商社の中には「AIって何だ?」という人がほとんどだったので、よく分からずに投資していた部分もあります。それ以降は少しずつ知見を積み上げて、ネットワークを広げていった、というのが最近の流れです。

茶谷             :投資判断をするにあたり、社内を説得するのは簡単なことではなかったと推察します。

真野             :そうですね、喧々諤々の議論がありました。三井物産という会社そのものは、どちらかと言えば重厚長大系、鉄鉱石や石油、発電所といったものへの知見や経験を持つ企業です。これまで、投資判断をする時には、例えば15年のプロジェクトライフを引っ張って、キャッシュフローを引いて、それを現在価値に引き直して、IRRは何%か? という計算を行なっていくのが当たり前の投資手法として考えられてきました。もちろん、いまだにそれが有効だというところもあります。

ただ、例えばPreferred Networks社に投資する際、15年間のキャッシュフローなど引けるわけがないですよね。極めて不確実なものに投資するにはどうしたらいいか、こちらが考える必要があるわけです。そこで、それが可能な制度を社内に作ると共に新しい事業環境の分析などをしました。ただ、それをもってもやはり判断しかねる部分があるので、最後は当時の経営企画部長や経営幹部らが「エイヤー!」も含めて決断したものです。

茶谷             :そこまでは逡巡されたことでしょうね。

真野             :もちろんです。「そんな訳の分からないものに投資をしていいのか!?」という反対意見もありました。確かに、バークシャー・ハサウェイ社のウォーレン・バフェット氏が示すように「理解できるものにしか投資はしない」という考え方は王道なのだと思います。ただ、理解できるまで待っていたら遅過ぎる、という考えも出てきていますし、どこかでこれまでの縛りを飛び越えなければなりません。もちろん、それまでには様々な分析や情報収集も行ないますが、最後には飛ばないといけないーー。2017年頃には、その「飛ぶタイミング」を見極めることができていたのだと思います。

茶谷             :そこから4年経って、思っていた到達地点に着地したと感じられますか? 

真野             :まだちょうど始まったばかり、という印象です。今もまだ新しい有力な企業はどんどん出てこようとしていますので、それを待っているわけにはいかない、我々にとって有効な機会があれば投資はしていく、という判断になるでしょう。また、連携しているパートナーの皆さんと新しい事業を作っていくことも進めていくと思います。

他方、社内における投資判断について、「IRRを見たり、NPV法を用いたり、という従来通りの計算だけでは通用しなくなっている。これからはLTV(Life Time Value)やCAC(Customer Acquisition Cost)などの考え方を取り入れるべきである」ということを喧伝する必要もあるでしょう。また、これまでの事業投資や資源投資は、ほぼ100%「当たらなくてはならない」という考えで行なってきましたが、そうではないという意識を浸透させる必要もあると考えています。投資判断の基準を変えていく、ということです。

茶谷             :それは難しそうですね。

真野             :難しいです。これはもう染み付いたもので、総合商社にはMBAの考え方を背負っている人が多いので、なかなか変えられないのだと想像もしています。

以前、「そうか、なるほどな」と思ったことがあったのですが、ベンチャー達は何をやっているのかと尋ねた時、少しベンチャーの人には失礼な表現に聞こえるかもしれませんが「シンプルな思考を物凄いスピードで矢継ぎ早にやり続けているのがベンチャーだ」と言った人がいました。そのスピード感についていけないのが今の大企業だ、と言うのです。

それを別のベンチャーキャピタリストとの会話の中で話題にした際、「もし大企業がベンチャーと同じスピードで同じ考え方で挑んだら勝てると思うか?」と尋ねたことがありました。その人の見解は、「勝てます」とのこと。「資本力が違うから、本当にベンチャーと同じことができるなら、強いに決まっていますよ」と言われて、「ああそうか!」と膝を打ちました。要はそこまでコミットできるかどうか、なのでしょうね。

後編に続く

対談者プロフィール

真野氏

真野 雄司
三井物産株式会社
執行役員 デジタル総合戦略部長

1986年三井物産入社、日本と米国で化学品営業に従事、その後経営企画部に異動し、2008年全社情報戦略タスクフォースを組成してリーダーを務め、2009年初代情報戦略企画室長。その後、化学品事業開発部長、米州本部CAOを務めた後に、2016年IR部長。2019年4月執行役員となり、同年6月IT推進部長。経営戦略におけるDXとITの統合を提唱し、10月統合により設立されたデジタル総合戦略部長。更にその後、全社に分散していたDX/IT関連組織を全て統合して大規模な組織改編を実施、2020年4月に現在のデジタル総合戦略部を組成。「DX総合戦略」を策定し、三井物産グループ全体のデジタルトランスフォーメーション、データドリブン経営やDX人材戦略を推進。

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