日本社会は今、労働人口の減少による産業力低下の危機に直面し、あらゆる場面でDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進し、テクノロジーの力で課題を解消する必要に迫られています。そうした中で、コロナ禍は、DXを後押しする大きな力になっている、との見方もあります。

実際に、リモートワークやオンライン会議など、テクノロジーを用いる場面は“珍しいこと”ではなくなりました。しかし、こうした業務風景は未だ「以前のやり方を忘れるほど自然なこととして受け入れられてはいない」との指摘も少なくありません。

では、デジタルやテクノロジーは今後、どのようにして社会に“慣れ親しんだ”存在になっていくのでしょうか? 本稿では、KPMG Ignition Tokyoの茶谷公之が、東京大学大学院工学系研究科 森川博之教授と対談した内容をお伝えします。

進化する大学と学生

茶谷、森川教授

(株式会社KPMG Ignition Tokyo 代表取締役社長兼CEO、KPMGジャパンCDO茶谷公之(左)、東京大学大学院工学系研究科教授 森川博之氏(右))※記事中の所属・役職などは、記事公開当時のものです。

茶谷: 森川先生には2019年に初めてお目にかかって以来、勉強会等にお誘いいただいています。今日は改めてアカデミックな視点から、IoTやAIなどのテクノロジーが社会に及ぼす影響とはどういうものなのか、また、コロナ禍によって変わったことがあるのか、といったテーマでお話しできればと思います。

最初に、私は大学という学びの場から卒業して30数年経っているので、最近の変化についてお聞きしたいと思います。特に、電気工学科出身の私からすると、電気工学の勉強がどのように変化しているのか、とても気になっています。やはり教える内容は大きく変わっているのでしょうか?

森川: 電気回路や電磁気といった基礎的科目は変わっていません。しかし、当然ながらインターネットや画像・音声処理といったメディア系の分野、最近では機械学習といった新しい領域についても教えていく必要が出ています。コアの学問は変わらず、先端の知識が新たに追加されている、というわけです。

茶谷: そうなると、今の学生さん達は以前よりたくさん勉強しなければならないですね。

森川: そうなります。しかも教授陣は非常に真面目なので、知っている知識をすべて教えようと、とにかく講義を詰め込むことになります。(笑)

茶谷: 4年なり6年という短期間で詰め込むとなると、大変そうですね。

森川:  そうですね。一方で、学生たちもとても真面目で、昔のように「ギリギリで卒業する学生」がかなり珍しい存在になっています。私たちの世代だとギリギリで卒業するというのは普通のことでしたし、「とにかく卒業できればいい」とすら思っていたくらいなので、随分変わったと感じますね。

茶谷: なるほど。就職先にも変化は生じていますか?

森川: 変わりましたよ! 昨年度の東大電気電子情報系学科の卒業生達の就職先で一番多かったのは、クラウドコンピューティングサービスを提供する会社です。一方、「電気系の学生なら就職先はここだろう」と考えられてきたエスタブリッシュな企業に入社する数は少なくなりました。あとはスタートアップ企業への就職やITベンチャーを選ぶ学生も一定数います。

茶谷: そうした学生達はエンジニアやサイエンティストとしてキャリアをスタートさせるものなのでしょうか?

森川: そうとは限らないようです。これは昔も見られたことではありますが、意欲のある学生は事業部門を選び、将来的には起業を目指す、というケースもあります。

技術への視点もコロナ禍で変化している

茶谷: 学生の就職先に変化が起きているのは、GAFAに代表されるテクノロジーを基礎とした企業が今後の社会の主流になる、という現実を感じさせるものですね。

コロナ禍によって生活様式に大きな変化が起こり、DXもその変化に乗じてさらに推進されている状況です。そうした意味では、アカデミックの世界でも何か変化が起こっているのでしょうか?

森川: コロナ禍でどう変わったか、はとても重要な視点です。私は、最も大きな影響は、「我々の感覚、社会観や世界観が変わったこと」なのだと捉えています。

配達ロボットはその好例です。米国のスタートアップであるスターシップテクノロジーズ社などが実用化を加速させていますが、これについてコロナ禍以前の私は、「こんなのはおもちゃだし、自動運転がメインの技術であり、それを簡単にしたバージョンだろう」と考えていたフシがありました。

森川教授

しかし、この見方はガラッと変わりました。今や「自動運転は大切だけど、実は配達ロボのような小型の自律移動型ロボットも非常に重要なのではないか!?」という感覚が芽生えています。

バーチャル空間で自転車レースに参加できる「Zwift(ズイフト)」についても同じです。以前なら、「自転車をバーチャル空間で走らせてもなぁ」とポジティブには思っていませんでしたが、これも今では感覚が変わりました。

このような「感覚が変わる」という事実は、世の中に大きなインパクトを与えることになるのだと私は思っています。ですから、今この時代を100年先の歴史家達が見ると、「2020年〜2021年は非常に大きなターニングポイントだった」とみなすでしょうし、今現在、我々はそうした時代に足を一歩踏み入れているのかもしれない、と感じています。

茶谷: 確かにそうですね。物理的にモノを送ったり動かしたり、ということをしなくてもよくなったことが増えた実感があります。

今回はオンライン会議の機能を使って対談し、今まさに画像は送り合っていますが、それがある意味で「共有空間」を送り合っている、と感じるようになりました。空間そのものを送り合う時代になってきていて、それが技術的に可能であるだけでなく、「不思議なことだと感じない人達」が増えてきている、というのは大きな変化です。

最近は会議だけでなく、オンラインで懇親会をすることも珍しくなくなっており、お弁当やオードブルのフードデリバリーを利用して同じ物を食べながら歓談することで、あたかも同じ「場」を共有している感覚を醸成できるようにもなっています。

物理的距離があるというリモートのデメリットをオフセットするようなサービスがどんどん生まれてきていることも興味深いものです。そうした意味でも2020年から2021年にかけては大きな変革期だったと言われる時がくるのでしょう。

森川: 本当にそうだと思います。このコロナ禍を通じて、勉強をさせてもらった、という思いです。

急激な変化が社会を変えた例は過去にもある

茶谷

森川: 勉強という意味では、ジョン・ケリー氏の著書『黒死病-ペストの中世史(訳:野中邦子/中央公論新社)』によると、およそ700年前の黒死病の流行がグーテンベルクの活版印刷技術という技術革新に繋がった、とのことです。

もう少し詳しく説明すると、まず、当時のヨーロッパでは黒死病によって人口の3分の1が亡くなり、労働人口が減少したことで賃金上昇が起こりました。そのあおりは造本作業という労働集約型のプロセスに対しても及び、以前のように本を作るとコストがぐっと高くなってしまう、という問題が出てきたそうです。

そこで、グーテンベルクが活版印刷機を発明した、とジョン・ケリー氏は述べています。「黒死病がなければ今まで通りの価格で本が作れていたため、活版印刷機のニーズもなかったかもしれない」との指摘には「なるほど」と納得させられます。

同時に、英語も黒死病がなければ今のように使われていなかったかもしれない、との指摘もあります。当時、英語は労働者階級の言葉であり、国を動かすような上流階級はフランス語を使うのが基本とされていました。しかし、黒死病による人口減で労働者階級の社会的な地位が相対的に上がり、その結果、英語が表舞台に出るようになった、ということです。

このような流れを現代に当てはめると、コロナ禍という事象をきっかけに、いくつか“ホップ”し、それがデジタルと相まって今後を拓いていくのではないか、と見ています。

茶谷: なるほど。今、森川先生のゼミの卒業生の方々を含めて、リモートワークが可能かどうかということが就職先を選ぶ基準のひとつになっていると想像します。おそらくそれがある種のワークスタイルの近代化の象徴であったり、モダナイズされているかどうかの指標になっているのだと考えられるでしょう。

不可能な業種もたくさんありますが、そうした設備なりインフラなりに十分投資ができているかどうかを注視する学生が多くなっているという“ホップ”が、企業に何らかの変化を促す可能性はあると感じます。

 

不確実性を高める要因は無数にある

茶谷: 企業の社会貢献の度合いやアクションの内容が、学生が就職先を選ぶ際の選定基準になっている、というのも“ホップ”のひとつと言えるかもしれません。

森川: そうですよね。これからはビジネスをする上では難しい時代ですね。様々な物事が変わっていくことは確かですし、そうした状況ではロードマップを引くことも簡単ではありません。このような時代において、どう変化に追従しながら対応していくか? 経営者達は考えなければいけません。既に、「何をすればいいのか分からない」という声が聞こえてきそうです。

茶谷: そうですね。常に探索して、ピボットしながら前に進むというアプローチの仕方になるだろう、と思っています。そうした意味では、「決め打ちせずに、いつでも向きを変えられるようにしておく」というのが最も重要なのだろうと考えます。

森川教授、茶谷

森川: それは重要でしょうね。私はいつもこうしたテーマを話す時、「将来は分からない」と明確にお伝えするようにしています。世の中には様々な論が出ていますが、それはその人の考えであって、「実は誰も分かっていない状態だよ」ということです。そのように思った方がいいのだと考えています。

中編に続く

対談者プロフィール

森川教授

森川 博之
東京大学大学院工学系研究科教授

1987年東京大学工学部電子工学科卒業。1992年同大学院博士課程修了。博士(工学)。
2006年東京大学大学院教授。2002~2007年NICTモバイルネットワークグループリーダ兼務。
モノのインターネット/M2M/ビッグデータ、センサネットワーク、無線通信システム、情報社会デザインなどの研究に従事。電子情報通信学会論文賞(3回)、情報処理学会論文賞、情報通信学会論文賞、ドコモモバイルサイエンス賞、総務大臣表彰、志田林三郎賞、情報通信功績賞、大川出版賞など受賞。OECDデジタル経済政策委員会(CDEP)副議長、Beyond 5G新経営戦略センター長、新世代IoT/M2Mコンソーシアム会長、5G利活用型社会デザイン推進コンソーシアム座長、スマートレジリエンスネットワーク代表幹事、情報社会
デザイン協会代表幹事、総務省情報通信審議会部会長等。著書に「データ・ドリブン・エコノミー(ダイヤモンド社)」「5G 次世代移動通信規格の可能性(岩波新書)」など。

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