魔の川、死の谷、ダーウィンの海。技術経営における関門をどう乗り越えるか

魔の川、死の谷、ダーウィンの海。技術経営における関門をどう乗り越えるか

最近、いわゆる「テック企業」がなくなるという言説を、よく耳にするようになりました。これは言うまでもないことですが、すべての分野のあらゆる企業が「テック企業」となるため、「テック企業」という言葉自体が死語になるというものです。つまり、テクノロジーを会社の中心に取り込むということが、ごく普通のことになることを意味しています。

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近年では、先端的なテクノロジーなしでは、新たなプロダクトやサービスの開発に至らないことも多く、最先端の研究をしている大学発のスタートアップなどに注目が集まっています。その多くは、大学での研究成果をもとに事業化をしようとする試みで、日本復活の起爆剤として、各方面から大きな期待を集めています。

「技術経営」における3つの関門

また、サイエンスやテクノロジーを拠り所として、ビジネスや産業の構築を目指す経営手法である「技術経営」も注目されるようになりました。「技術経営」の理論では、「魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの海」という3つの関門がしばしば重要視されます。

まず「魔の川」とは、基礎研究から製品開発へと移行する際の評価であり、製品開発フェーズへの関門とも言えます。次に「死の谷」とは、製品開発のフェーズへと進んだ施策が、事業化フェーズに進むための関門のこと。そして、「ダーウィンの海」とは、「魔の川」、「死の谷」という関門を通過した施策が、市場において顧客の洗礼を受け、淘汰されることなく存在し続ける関門を指します。

一方、あらゆる企業が「テック企業」となり、多くの分野の製品やサービスがテクノロジーによるソフトウェア基盤で構成されるようになると、より迅速に顧客ニーズに応えることが可能な「アジャイル型開発」へと企業は舵を切るようになり、「計画、設計、実装、テスト」の繰り返しにより進化させていくアプローチがメインストリームになっていきます。

すると、これまで「技術経営」において重要視されてきた「魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの海」の境界線が曖昧となり、製品やサービスを顧客に届け、評価を受け、その後も存在し続けるという3つの関門に、同時に遭遇する状態になります。そのため、「技術経営」における新たな視点が必要ではないかと思っています。

ビジネスへジャンプする際の落とし穴

現在のような、デジタル中心で人工知能やデータサイエンスがビジネスの推進役となっている状況を考慮しつつ、「技術経営」の理論を、別の視点から考えてみましょう。

現在の「テック企業」、そして将来のすべての企業にとって、ビジネス成立のための重要な要素は、サイエンスとエンジニアリングだと考えています。しかしながら、サイエンスが成立していても、なかなかビジネスの成立に至らないことも多くなっているように思います。

よく見聞きすることですが、サイエンス的合理性が証明できると、即座にビジネスに繋がるという誤解があるように思います。

サイエンスとは、ある意味、ある限定された条件のもとで方程式が成り立つ状態と言うことができます。一般にサイエンスの成果の1つとして、いわゆる学術論文というものがあります。

これは、理論サイエンス分野の場合、これまで証明されていなかったサイエンス的事実や論理的関係性を証明するものですが、多くの場合、一般解としての証明よりも、ある条件下で成立する事実や論理性の証明になっています。つまり、その条件を緩和した場合やより広い状況を想定した場合、その証明が正しいということは保証されていないことになります。

例えば、オンラインショップに訪れる顧客のプロファイルを、実際よりも限定してビジネスケースを作成するようなものですので、実世界に完全に適合していない可能性が高くなります。顧客プロファイルには含まれていない、多様で重要な要素が購買行動を決めているといった事象が起こってくることになります。

ビジネスは人間である顧客を対象にして行う活動ですので、数の世界で言えば、取り扱いやすい有理数だけではなく、無理数や虚数といった複雑で難解な数を取り扱うことも必要になってきます。

実世界では、入力する数が存在しないケースも出てきます。そういったときに破綻しないようなシステム構築がビジネスとしては求められます。そういった部分は通常論文では取り扱わない領域であり、これがサイエンスからビジネスにジャンプしようとするときの落とし穴になるわけです。

エンジニアリングの海を渡り切るために

実は、サイエンスとビジネスの間には、エンジニアリングという大きな海があります。大きくて広く、そしてときには荒れたエンジアリングの海を渡り切らないと、サイエンスからビジネスには到達できません。

エンジニアリングは、さまざまなケースを想定して安全性を維持し性能を確保します。いわば、エンジニアリングは実世界の多様性への耐性をビジネスに与える役割と言えると思います。

エンジニアリングでは、正しい操作である正常系での動作にとどまらず、エラーが出る操作の異常系での安全動作も実現しなくてはならず、エンジニアリングにかかわる人たちの腕の見せどころです。昨今、特に注目度を増している自動運転の分野でいえば、想定しない状況でも致命的な事故に至ることを避けるといった安全性への追求といった領域で、エンジニアリングの真価が問われます。

この広くて大きなエンジニアリングの海を渡り切るということは、サイエンスから出発しているスタートアップ企業にとっては、弱点となる1つかもしれません。

エンジニアリングの海を渡り切るには、さまざまな技術分野でのエキスパートによる支援が必要になります。こういった一連のプロセスを、起業して間もないスタートアップ企業の経営資源で対応していくのは容易ではないため、多くのエキスパートを抱えるパートナー企業との協業が必須となるはずです。

スタートアップ企業においては、サイエンスからビジネスへの船頭役となるエンジニアリングを軽視することなく、それを実現するための鍵となる人材を積極的に求めていくことが重要となります。

旧来、日本企業、特に大企業においては、エンジニアリング人材は流動化して来なかった印象があります。その非流動化もかなり変化してきているので、さまざまな領域のエンジニアリング人材が、新たな事業や産業の発展に関与し貢献していくことを期待しています。

また、エンジニアリング人材の流動化に加えて、大企業とスタートアップ企業との協業も加速しており、その成果にも注目しています。前述のとおり、スタートアップ企業は、エンジニアリングの海を渡るために大企業の力を必要としており、大企業も先端的なサイエンスを有するスタートアップ企業の類稀なる先進性を正しく理解しています。

「テック企業」が消滅する時代においては、「エンジニアリング人材の流動化」と「スタートアップ企業と大企業の協業」が、今後の日本の発展、そして日本企業が世界で戦うために、欠かすことのできない要素になるものと考えています。

サイエンスとエンジニアリングとビジネスをしっかりと繋げる、新たな構造への変革が進んでいます。その変革をさらに加速させ、より多くの日本の優れたサイエンスが、ビジネスの岸へ辿り着くようになることを願っています。

 

この記事は、「2020年5月12日掲載 Forbes JAPAN Online」に掲載されたものです。この記事の掲載については、Forbes Japanの許諾を得ています。無断での複写・転載は禁じます。

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