事業リスクとしてのESGの把握と企業価値向上

本稿では、機関投資家におけるESGの位置づけを踏まえ、ESGと企業価値の関係や企業のリスク管理の観点からみたESGの活用について考察します。

本稿では、機関投資家におけるESGの位置づけを踏まえ、ESGと企業価値の関係や企業のリスク管理の観点からみたESGの活用について考察します。

2015年9月にGPIFが国連PRIに署名して以来、日本株運用の現場や企業と投資家との対話(エンゲージメント)において、にわかにESG(環境・社会・ガバナンス)にスポットライトが当たるようになってきました。2017年7月にGPIFが日本株の3つのESG指数を選定し、パッシブ運用を開始したこともESG投資に対する関心が高まる契機となっています。

しかしながらESGは決して新しい概念ではありません。欧米の主要な機関投資家の多くがESGをリスクファクターと捉え、ESG課題に対して備えのある企業を選別することで投資リスクの軽減に努めています。リスクファクターとしてのESGは、企業側からすれば、中長期的にフリーキャッシュフローの創出力を毀損する可能性のある事業リスク、となります。

本稿では、機関投資家におけるESGの位置づけを踏まえ、ESGと企業価値の関係や企業のリスク管理の観点からみたESGの活用について考察します。

なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りします。

ポイント

  • 機関投資家にとっての企業価値のベースはフリーキャッシュフローの割引現在価値である。現在は、事業環境のボラティリティの高まりによって、中長期的なフリーキャッシュフローの創出力が毀損するリスクが高まっている。
  • 機関投資家はリスク管理の観点からESGを捉え、フリーキャッシュフローの創出力を中長期的に毀損するリスクファクターを見極めることで、投資リスクの軽減に努めている。
  • リスク管理からみたESGは企業にとっての事業リスクである。ESGの観点から自社を取り巻くリスクを整理・共有することが、リスク管理強化の契機となり、また、資本コストの低減を通じて企業価値向上に寄与する。

I.企業価値の「持続性」とESG

1.ESGをめぐる国内株式市場の動き

2015年9月28日にGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がPRI(国連責任投資原則=Principles for Responsible Investment)に署名して以来、日本においてESG(Environment=環境・Social=社会・Governance=ガバナンス)を重視する機運が急速に高まってきています。

PRIは6つの原則を掲げており、その第1原則は「私たちは投資分析と意思決定のプロセスにESG課題を組み込みます」と謳っています。GPIFは2017年6月1日に制定した「スチュワードシップ活動原則」において、運用受託機関に対して「PRIへの署名を行うこと」を求めており、また、「重大なESG課題について積極的にエンゲージメントを行うこと」としています。

関連して、2017年5月29日付で改定された「『責任ある機関投資家』の諸原則《日本版スチュワードシップ・コード》」は指針3-2において機関投資家は「投資先企業の状況の把握を継続的に行うべき」としています。指針3-3においてどのような事項に着目するかは機関投資家が自ら判断すべきとしたうえで「把握する内容として、たとえば、投資先企業のガバナンス、企業戦略、業績、資本構造、事業におけるリスク・収益機会(社会・環境問題に関連するものを含む)およびそうしたリスク・収益機会への対応など、非財務面の事項を含む様々な事項」としています。

また、2017年7月3日には日本株に関して3つのESG指数をGPIFが選定し、同指数に連動したパッシブ運用を開始したというのも記憶に新しいところです。

2.企業価値が毀損するリスクの高まり

ESGは、文字どおり環境・社会・ガバナンスを表していますが、GPIFのような長期投資家がなぜESGに着目しているのでしょうか。ESGそれ自体は決して新しい概念ではありませんが、その機運の高まりを理解するためにはESGと企業価値の関係を整理することが重要です。

まず、機関投資家にとって「企業価値」とは何を指すのかについて整理する必要があります。伊藤レポートなどでも考察しているとおり、中長期的な観点から企業価値判断を行う機関投資家にとっての企業価値のベースは「フリーキャッシュフローの割引現在価値」となります。DCF法で見た企業価値はフリーキャッシュフローが持続的に成長するか、割引率である資本コストが低減しない限り高まらないということになります。

一方で、企業を取り巻く環境は近年大きく変化しています。技術の進歩や規制強化、突発的な危機(災害・金融・政変)の発生等といった事象が経営の舵取りを難しくしています。

これらの事象は投資の観点からすれば、フリーキャッシュフローの創出に対する不確実性が著しく高まっている、といえます。不確実性の高まりはリスクの高まりを意味します。DCF法に当てはめた場合、フリーキャッシュフローの予測精度が低くなるのに加えて、リスクの高まりに伴い割引率を高く設定する必要がある、ということです。割引率の上昇は企業価値をその分低位に評価することと同義です。つまり、不確実性が排除できなければ、資本コストの上昇を通じて企業価値が毀損する(過小評価される)可能性が高まる、ということになります(図表1参照)。

図表1:DCF法でみた「不確実性」

図表1:DCF法でみた「不確実性」

出典:筆者作成

3.機関投資家にとってのリスクファクターとしてのESG

多くの機関投資家がESGを投資判断プロセスに織り込むのは、まさに企業価値を毀損するリスクを排除することを目的としています。CFA Institute(Chartered Financial Analyst - 米国公認証券アナリスト協会)の調査によれば、投資家の63%がリスク管理としてESGを見ている、との回答がありました(図表2参照)。

図表2:投資判断においてESGを考慮する理由

リスクとリターンは裏表の関係にあり、ESGの機会の側面を捉えて投資判断を高度化する動きもみられますが、どちらかといえば、機関投資家は、企業がEとSに起因するリスクにどう対応しているか、ひいては、事業全体に及ぶ可能性のあるリスクに対してガバナンス面からどう対処するか、といったGの観点から企業価値の持続性を評価しようとしているといえます。ESG課題に対処できている企業に投資することで、ポートフォリオ全体の投資リスクを軽減し、中長期的なリスク調整後のリターンの改善を見込むというのがESGを重視する背景となっています。

II.事業リスクとしてのESGの把握

1.ESGの各論点

機関投資家が中長期的なフリーキャッシュフローの創出力を毀損するリスクファクターとしてESGを捉えている、というのは換言すれば、企業が抱える事業リスクをESGの切り口から評価しているということです。機関投資家がどのような切り口でリスクを捉えているのかを把握することは、企業としても自社の事業リスクを改めて整理し、長期運用を行う機関投資家と目線を合わせるうえで有効です。

どのようなファクターをリスクとして捉えるかは機関投資家によって様々ですが、一例としてSASB(Sustainability Accounting Standards Board - 米国サステナビリティ会計基準審議会)が発行している“Engagement Guide for Asset Owners & Asset Managers”(「アセットオーナー・アセットマネジャーのためのエンゲージメントガイド」)が参考になります。本ガイドは必ずしもESGファクターにのみ着目しているわけではありませんが、投資家が企業と対話するのにあたり、79の業種において財務パフォーマンスに影響しそうな事項について整理しています。

業種によって着眼点は異なりますが、たとえば下記に挙げる点について投資家は企業と対話すべきとしています。

機関投資家が企業と対話する際に重視すべきファクター(例)

Environment(環境)関連

  • 拡大生産責任に関する規制に対する対応方針
  • 水資源の活用が制限される地域における事業運営の状況
  • 化石燃料や排気量に対する規制強化への対応状況 等

Social(社会)関連

  • 労働組合との争議に起因する事業の中断リスクの最小化に向けた取組み
  • 顧客データ流出の防止措置およびデータが流出した際の対応方針
  • 商品のリコールが発生するリスクを回避するために取っている措置 等

Governance(ガバナンス)関連

  • 価格設定や入札において反競争的行為のリスクを軽減するために設けている措置
  • 主要な原材料の調達リスクを軽減するための対応方針
  • サービスの信頼性と品質を維持するために設けている措置 等

 

G(ガバナンス)に関連する事項はサプライチェーンや品質に関する事項も多く含まれており、取締役会の構成等といったいわゆるコーポレートガバナンスから連想される事項に限定されていないというのが特徴です。

2.ESGリスクを視覚化する

ESGリスクの整理に当たってはそのリスクがフリーキャッシュフローの創出力に及ぼす影響力を視覚化することが重要です。たとえば、機関投資家が認識するリスクの整理に当たっては持続的なフリーキャッシュフローの創出力への影響度合い(機関投資家の関心度合い)および発生頻度(対応の喫緊性)をリスクマップにプロットすることにより、機関投資家が認識するESGリスクを視覚化する、といった手法があります(図表3参照)。

図表3:ESGファクターのリスクマップ(例)

図表3:ESGファクターのリスクマップ(例)

出典:筆者作成

これらのリスクはすべてが定量化に馴染むわけではありません。よって定性判断によるところも多くなりますが、企業として対処すべきリスクを視覚化することでリスクへの対応力を高めていくのが狙いです。

ここで重要なのは、機関投資家が何か特殊なことを行っているということではなく、企業もリスクについて何かしらESGの要素を考慮して対応していることが多い、ということです。たとえば、上述のリスクマップを作成し、リスク管理に努めている企業も多いでしょう。また、海外に投資する際には、カントリーリスクや市場リスクに加えて、現地での環境や規制、商慣習などについても考慮している企業が多いと考えます。事業投資であれば、投資先企業のガバナンスについても精査しているはずです。つまり、ESGという言葉を使用するか否かは別として、企業は何かしらESGに関してリスク管理を行っている、ということです。

その意味で、機関投資家と企業とではリスク管理の観点でESGについて目線が合わせやすいはずです。機関投資家が指摘するリスクで企業の認識が十分でない点についてはそれを取り入れることでリスク管理をさらに高度化できる可能性もあります。一方で、機関投資家が重視するリスクは必ずしも事業運営や企業価値向上において対処すべきリスクについてすべてカバーしている訳ではありません。

機関投資家との対話を通じてESGの観点から自社を取り巻くリスクを改めて整理することが、企業のリスク管理を強化する契機となり、また、その取組みを対話の場で共有することで、投資家におけるリスク認識は低減し、企業価値向上に繋げることができるのです。

執筆者

KPMG ジャパン コーポレートガバナンスCoE
有限責任 あずさ監査法人
アドバイザリー本部 グローバル財務マネジメント
ディレクター 土屋 大輔