「野球は私の人生そのものです」――そう語るのは、チェコ代表として2023年WBCに出場し、主将としてチームを牽引したペテル・ジーマ選手。6歳で野球を始めて以来、30年間にわたり競技を続け、米国大学リーグでのプレー経験や金融トレーダーとしてのキャリアも築いてきました。本インタビューでは、ジーマ選手の野球人生の軌跡、チェコ野球の歴史と現在、そして未来への思いを余すことなく語っていただきました。野球への情熱と仲間との絆が織りなす、熱意にあふれたストーリーをぜひご覧ください。
KPMGジャパンは二刀流で社会にインパクトを与え続けるチェコ代表チームを応援しています(詳細はニュースリリースをご参照ください)。
今回は、KPMGチェコのプラハ事務所に来社いただき、インタビューを実施しました。ぜひ、以下のYouTubeリンクからご覧ください。
チェコ代表主将 ペテル・ジーマ選手 インタビュー(YouTube)
―ジーマ選手の野球のキャリアについてお聞かせください。
(ジーマ選手)私は30年間ずっと野球をしています。 6歳の頃に野球を始めて、現在も地元クラブ『イーグルス・プラハ』に所属しています。 11歳から年代別の代表チームに選出され、野球を通じて米国の大学へ進学することができました。
野球は私の生活そのものであり、仕事のキャリアも野球抜きには考えられません。私の人生にとって欠かせないものになっています。
―チェコ野球の歴史についてお聞かせください。
(ジーマ選手)チェコの野球には興味深い話がたくさんあります。
例えば、共産主義時代、国の支援対象スポーツから野球が外れそうになったことがありました。その危機的な状況のなか、当時の協会会長が立ち上がり、状況を一変させました。彼は地区委員会に、キューバのリーダーであるフィデル・カストロ氏 がキューバ野球リーグの開幕を祝う様子を報じた新聞記事を持参しました。
当時のチェコ野球協会会長が、キューバ野球リーグの開幕を祝うフィデル・カストロ氏の新聞記事を提示したところ、その記事を見た地元の政府関係者は、野球をスポーツとして認めるべきだと判断しました。つまり、政府からも野球が支援対象として認められ、発展のきっかけとなったのです。
―ご両親が2005年にヨーロッパのソフトボール殿堂入りをされたと伺いましたが、どのようなご貢献をされたのでしょうか?
(ジーマ選手)はい、両親は2005年にヨーロッパのソフトボール殿堂入りを果たしました。両親は人生をソフトボールに捧げ、常に情熱を持って取り組んでいました。また、両親ともに代表チームのキャプテンを務めたことは、私にとっても大きな誇りです。
―大学時代に米国で野球をプレーしたときの経験をお聞かせください。
(ジーマ選手)私は米大学野球リーグのNCAAディビジョン1でプレーしました。大学野球やプロ野球のドラフトという形であっても、常に米国でプレーすることが夢でしたので、大学進学を選びました。 大学ではスポーツだけでなく教育も受けられるので、自分にとって大きな収穫でした。
米国では金融の学位を取得し、チェコに戻りました。ドラフトにはかかりませんでした。ケガが多かったということもあり、スカウトも懸念していたのです。今振り返ると、自分なりに最大限の努力をしたと思います。目標を達成するために、できることはすべてやり尽くしました。
―2023年のWBCに出場した時の心境について教えてください。
(ジーマ選手)2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場できたことは、私たちにとってまさに夢のような出来事でした。
その目標は、当初は現実的とは言えないものでしたが、2022年のレーゲンスブルクでの予選から挑戦が始まりました。私たちは前評判ではあまり期待されていませんでした。初戦のスペイン戦では7対21という大差で敗れました。これはサッカーで言えば0対10のようなものです。しかし、敗者復活の代表決定戦ではスペインに3対1で雪辱を果たし、WBC初出場を決めました。私たちはWBC史上初のアマチュアチームとして、世界最高峰の選手たちに挑む歴史的な存在となったのです。私のキャリアの中でも最高の瞬間でした。
レーゲンスブルクでの勝利をきっかけに、チームは勢いに乗り、全員が準備に集中しました。私たちは並々ならぬ努力を重ね、3月の「世紀の試合」に備えました。試合の相手は中国で、当時の世界ランキングでは高くないチームでした。WBCでは1勝することが非常に重要で、それによって次のWBCの出場資格が得られます。私たちは団結し、全力を尽くし、後がないことを理解していました。 そしてついに中国に勝利し、大きな喜びと達成感を味わいました。この勝利は、代表チーム全体が一丸となった瞬間であり、チェコ野球界全体への感謝の気持ちが込められたものでした。
―ジーマ選手は2023年WBCでチェコ代表の主将としてWBCに臨みました。監督との絆について教えていただけますか?
(ジーマ選手)パベル・ハジム監督はチェコ野球界における重要な人物であり、U-15、U-18、U-23の各世代の代表チームで、長年にわたり私を指導してくれました。
3年前、マイク・グリフィン前監督の後任として代表監督に就任しました。マイク前監督は米国人ですが、正確にはカナダ出身で、10年間チェコ代表チームを率いてきたプロフェッショナルです。野球を職業としていたマイク氏の後を継いだのが、医師でもあるハジム監督です。彼はチェコ第2の都市ブルノで医師として働いていました。
2021年、私はヨーロッパ選手権を最後に、引退を決意していました。前監督のもとでプレーしていましたが、引退後に最初にかかってきた電話はハジム監督からでした。彼は電話口で「戻ってきてほしい」と言ってくれました。「2つの合宿に参加して、その結果を見て判断しよう」と提案してくれました。私はその提案を受け入れ、復帰を決めました。
ハジム監督の申し出を断らなかったことは、今でも良い決断だったと思っています。 チームに戻った後、2人で独自のプログラムを用意することにしました。まずハジム監督が戦略を考え、私の役割はその新しい戦略を選手たちに浸透させることでした 。チームとして良い化学反応を生み出すために努力し、成果につながったと思っています。現在もその戦略は受け継がれており、チェコ代表チームは2023年のWBCにおいて、世界に挑む実力を示しました。
―2023年のWBC本戦や2022年の予選がチェコ野球にとってターニングポイントだったと思いますか?
はい、私にとって特に2022年の予選は大きな転機となりました。私たちはついに、重要な試合で接戦を制することができたのです。
これまで、こうした接戦で勝利することはあまりありませんでした。2年に1回開催されるヨーロッパ選手権では、ほぼ毎回4位か5位に終わり、あと1勝が足りなかったのです。もう1試合勝てていれば、メダルを獲得できたはずでした。
まるで何かに呪われているような感覚でした。しかし、それはスポーツ心理学とも関係していると思います。スポーツ心理学では、勝利への恐れを克服すること、そして敗北を受け入れる力が求められます。私たちは「勝つことを恐れない」ことを意識し、その結果、WBC予選でそれを成し遂げることができました。壁を乗り越え、自分たちの持つ力で世界のトップチームに立ち向かえることを証明したのです。今までの取組みが意義あるものであり、選手を適切に育成できていることが確認できました。
例えば、U-12の代表チーム、つまりジュニアチームが先日ヨーロッパで優勝しました。さらに、2日前にはU-15チームが銀メダルを獲得しています。そして、9月からはU-23のヨーロッパ選手権が始まりますが、ここでもメダル獲得を目指しています。最近オランダやイタリアといったヨーロッパの強豪チームと対戦する機会が増えてきました。これまでは親善試合でしか対戦できなかった各国のチームが、今私たちに声をかけてくれています。ぜひチェコ代表チームと試合をしたいと招待してくるのです。
つまり、チェコ代表チームの進化ぶりを知りたいということです。これは、私たちの取組みが国際的にも評価されている証であり、非常に喜ばしいことです。
―ジーマ選手にとって特別なチームメイトがいればエピソードをお聞かせください。
(ジーマ選手)それは間違いなく、トマーシュ・ドゥフェクです。トマーシュと私はイーグルスで30年間プレーしており、2人の父親も代表チームで一緒にプレーしていました。母親たちもイーグルスや代表チームでともにプレーしており、まさに家族ぐるみの付き合いでした。私たちは一緒に成長し、親たちの試合を観に行っては、ボールパーソンとなってバットを回収したりしていました。野球を通じて、私たちは非常に強い絆を築いてきました。そして大学でも一緒にプレーしました。
私たちは非常に似た道を歩み、成功も失敗もともに経験してきました。私は、チームスピリットやチームとしてのプレースタイルが、個人の成果や準備と同じくらい重要だと考えています。
チームが勝てない場合や、チームに良い文化や連帯感がない場合、私は悔しさを感じます。たとえ自分のプレーがうまくいかなかったとしても、チームがうまく機能していることが重要なのです。それが私にとっての喜びであり、30年間続けてこられた理由でもあります。自分の周りに良い仲間がいると感じられることが、私にとって大きなエネルギーになります。すべての休暇を野球に捧げることも、仲間のおかげで家族に理解してもらえるようになります。仲間はモチベーションと喜びをもたらし、それが原動力になっているのです。
―金融トレーダーのキャリアについて。仕事をしながら野球をすることの難しさについて教えてください。
(ジーマ選手)野球でも他のどんな職業でも、最大の課題はタイムマネジメントだと思います。タイムマネジメントは本当に重要です。金曜日に試合がある日は、仕事が終わったらすぐに準備に入ります。
地方のブルノやオストラヴァに移動する場合は、午後1時にはオフィスを出て準備を始めます。その間に計画を立て、できる限り効率的に行動します。スポーツ選手としてのキャリアには限りがありますが、仕事はいつでも続けられます。だからこそ、可能な限りスポーツを犠牲にしたくないです。トレーダーとして、金融の専門家としても、私は挑戦が好きです。
言い訳するのが嫌いなので、問題があればそれを乗り越えるために最善を尽くします。いつも全力を尽くして、物事がうまくいくよう努力しています。また、代表チームに長く所属していることから得られるエネルギーも大きいです。
人生のほとんどを代表チームに捧げてきたので、私にとっての活力になっています。まるで報酬をもらっているようなものです。というのも、チームメイトたちが野球を心から愛し、最大限の集中力と情熱を持って取り組んでいるからです。選手もコーチも、スポーツに全力で向き合っているのが伝わってきます。集中力と駆引きが求められる環境であり、とても良い雰囲気です。
さらに、日本をはじめ、最近ではメキシコや米国など、ワクワクするような場所に行くチャンスもあります。遠征先では世界のトップ選手たちと対戦する経験ができます。どの試合も非常に良いフィードバックがあり、次のトレーニングに向けてのモチベーションをもらっています。世界のトップに追いつくには、まだまだ道のりは長いです。
―金融トレーダーを志したきっかけを教えてください。
(ジーマ選手)実は、大学時代、「この分野に進学する」という明確なモチベーションはありませんでした。
金融業界に興味を持ったのは大学3年生になってからです。 数学が得意で好きだったので、金融を専攻しました。
特に印象に残っている授業の1つが、ポートフォリオ・マネジメントです。15人ほどの少人数のクラスで、学校基金の実資金10万ドルが提供されました。その資金を使って、教授の指導のもと、地元のブローカーと連携しながら株式や債券に投資を行いました。その結果、約半年間で25%という驚くべき利回りを達成しました。もちろん、当時は上昇相場だったこともあり、運にも恵まれていたと思います。当時はブルーマーケット上昇相場が非常に強かったため、その恩恵を受けたということもあります。得られた利益のうち一部は学校の基金に戻し、将来の学生の奨学金として充てられました。この経験を通じて、私は投資というものに初めて触れました。投資は単なる理論ではなく、人々の生活に実際の影響を与えるものだと気づいたのです。この体験が、私が投資に興味を持つきっかけとなりました。
その後、私はトレーディングの道へ進みました。非常に興味深い世界です。トレーディングは決して簡単ではありませんが、挑戦しがいのある分野だと感じています。
―仕事と野球を両立させるためのアドバイスはありますか?
(ジーマ選手)その鍵は、やはりタイムマネジメントです。優先順位を明確にし、その週の最重要課題を把握して、柔軟に調整できるものは調整する。常にやるべきことを把握しておくことが大切です。
私は楽観的に考えるようにしています。あまり深刻に捉えすぎず、やるべきことを理解して、それに取り組む――とはいえ、私はかなり自然体な人間です。人生を楽しみたいと思っています。30年も野球を続けてきたなかで、自分の体が何を必要としているかはよく分かっています。大量の反復練習よりも、メンタル面が落ち着いていることの方が重要だと感じています。軽いストレッチやリラクゼーションを通じて、精神的に良好な状態を保つことが大切です。イメージトレーニングやメンタルトレーニングも取り入れています。
今、私が所属しているチームは、20~25歳くらいの若い選手が中心です。私は36歳になりますが、それでも若手に負けないプレーを見せたいと思っています。この年齢でも彼らと肩を並べてプレーできることを証明したいのです。ビジネスの世界でも、そうした競争心を持つことが私のモットーです。
―平日1日のタイムスケジュールについて教えてください。(特に試合がある金曜日のスケジュールについて)
(ジーマ選手)金曜日はいつも少し緊張感が高まる日です。今でもその緊張感を感じます。その緊張感をどうコントロールするかが、金曜日の試合における課題です。
企業で働いていた頃の金曜日のスケジュールは、今思えばかなりユニークでした。まず、試合がホームかアウェイかでスケジュールが大きく変わります。例えば、5時半には職場を出発し、イーグルスの球場へ向かいます。6時には球場に到着し、簡単なウォームアップを終えた後、6時20分からチームの準備運動を開始し、7時から試合が始まります。仕事で何が起ころうと、それを忘れて試合に集中するというルーチンを持っていました。球場に着いた瞬間から、意識は100%試合に向いていました。目の前の3時間の試合だけを考えるようにしていたのです。最初は難しく感じましたが、毎週金曜日に繰り返すことで体が慣れてきて、プレーの質も以前より向上しました。
地方のオストラヴァやブルノで試合がある場合、金曜日のスケジュールは完全に異なります。その場合は木曜日の夜遅くまで働き、必要な準備を整えてから移動します。たまに車を運転することもありますが、それはチームメイトと一緒に移動する時です。バンを運転することもあります。
―多忙でも野球を続けている理由について教えてください。
(ジーマ選手)野球への愛情と情熱こそが、私を前に進ませてくれる原動力です。このスポーツを心から楽しんでいます。 ただ、野球は非常にタフで、キャリアの中で多くの困難に直面してきました。肘、肩、指の手術を4回ほど経験し、生活のリズムにも影響が出ましたが、それでも野球を続けています。日々忙しく、移動も多い生活ですが、試合が始まるとすべての努力が報われる気がします。
プレーする瞬間は今でも楽しく、自分がどこまでやれるのか挑戦し続けることが好きです。自分の能力を試すだけでなく、仲間たちの様子を観察し、互いに励まし合うことも大切にしています。 お互いに刺激を与え合える関係がとても好きです。ここが、私の居場所なのです。
米国などで引退間近のスポーツ選手のインタビューを聞くことがあります。彼らはキャリアの終わりが近づくと、「もう頭の中が別のところにあり、家族のことや新しい人生の方向性を考えてしまう」と語ります。試合中でさえ、気持ちが別の場所に向いているのです。でも、私は今のところそういった感覚はありません。それは、2023年のWBCでの経験が大きかったからです。WBCは、長年の積み重ねの結晶でした。
「今までどんなイベントに参加したの?」と友人に聞かれることがありますが、私はこう答えます。「どこにも行ったことはないよ。」 というのも毎週末試合があり、チームを離れることができなかったからです。私は必要とされている——いや、自分の思い込みかもしれません。それでも、2023年に成功を掴みました。東京で実現したのです。
現在、私たちと日本の球界との関係も見えてきています。日本やアジアの野球界とのつながりが深まり、そこから得られるエネルギーは非常に大きなものです。これまで築いてきた関係が、私に大きな勇気を与えてくれています。そして、それは私たちの今後への期待にもつながっています。今、チェコ野球にとって過去最高の時代が訪れていると感じています。若い選手たちが育ち、準備も整っています。彼らにはプレーする目的があり、トレーニングする理由があります。そして、目の前の扉は西(米国)にも東(アジア)にも開かれています。挑戦するなら、今がそのチャンスです。
―仕事と野球を両立させるコツを指導者として若手選手に教えていますか?
(ジーマ選手)野球について話すと、若い世代との間に世代間のギャップを感じることがあります。 年齢差はだんだん大きくなってきており、私は若手選手を励ますよう心がけています。特に彼らが失敗したときには、耳を傾け、対話することを大切にしています。最終的には、それぞれが自分自身で答えを見つけなければなりません。自分のやりたいこと、情熱を注げるものを見つけることが大切です。時には、目標を達成するために、例えば学業など、何かを犠牲にしなければならないこともあります。
チームメイトの多くは学生ですが、中には就職した選手たちもいます。学生から社会人への移行は、最初はストレスを感じやすい時期です。ある時、自分がどれだけ野球に時間を費やしているかに気づき、戸惑うことがあります。それは、野球に費やしている時間の多さを実感すると同時に、どれだけの犠牲が必要かを理解する段階でもあります。
そこで私は、自分の経験を共有し、その道が決して簡単ではないことを伝えるようにしています。
―チェコ野球の「現在地」についてどうお考えですか?
(ジーマ選手)現在のチェコ野球の状況についてですが、今まさに最高の位置にいると感じています。米国でプレーしている選手もいれば、アジアで活躍している選手もいます。チェコの若手選手たちは、今やヨーロッパ野球の先頭を走っている存在です。アジアの球界とも非常に興味深いパートナーシップを築いており、素晴らしい立ち位置にいます。そのポジションを維持し、向上させるための素晴らしい育成環境が整ってきています。
―チェコ野球の「未来」についてどうお考えですか?
(ジーマ選手)チェコ野球の未来は非常に興味深く、可能性に満ちていると思います。そのためには、継続的な努力が欠かせません。特に若手選手の育成に力を入れ、野球人口やコミュニティの拡大を図っていく必要があります。
また、ビジネス面での成功も重要です。スポンサーや大きなパートナーの協力を得ることが求められます。より大きなスポンサーの支援を受けることで、将来的にはさらに大きな可能性へと進んでいけるでしょう。将来的には、完全なアマチュア・リーグから、プロフェッショナル化する可能性もあります。まずは、現在アマチュアとしてクラブが運営されている状況から改善する必要があります。
現時点で国内クラブのほとんどのコーチがボランティアで活動しています。しかし、数年以内にクラブに対してプロフェッショナルな運営管理やコーチングを提供できるようになれば、プロフェッショナル・リーグへの道が開けると信じています。
―2026年のWBCでの目標を教えてください
(ジーマ選手)おそらく私はWBCに関わることになると思いますし、ぜひ関わりたいと考えています。2026年の大会では、アシスタントコーチとして参加する可能性があり、それはとても嬉しいことです。
私の役割は、選手や他のコーチをサポートすることです。これまでの現役選手としての立場から、今後はコーチとしての役割へと移行していくことになります。コーチとしては、焦点は自分自身ではなく、チーム全体に向けられるようになります。本格的に強いチーム文化を築くために、全力を尽くすつもりです。
再び「世紀の試合」が私たちを待ち受けています。厳しいグループに属しており、日本、台湾、オーストラリア、韓国と対戦することになります。野球の強豪国が集まるなか、チェコを除けば世界ランキングで最も低いオーストラリアでも8位に位置しています。つまり、私たちは本当に全力を尽くさなければなりません。 特に初戦では、最大限の力を発揮する必要があります。それは決して容易なことではないと感じています。
―日本の野球ファンに一言お願いします
(ジーマ選手)もちろんです。私たちは東京での試合を心から楽しみにしています。
前回の大会では、日本の野球ファンの皆さんから本当に素晴らしいサポートをいただきました。これまでに築いてきた関係も、私たちにとって非常に特別なものです。 日本、そして東京では、まるで自分たちのホームのように感じています。皆さんに私たちのプレーをお見せできることを楽しみにしています。
ぜひ、私たちの試合を楽しみにしていてください。きっと素晴らしいゲームをお届けします。
(注)このインタビューは2025年7月に実施されたものです。