チェコ代表 パベル・ハディム監督が振り返る、この3年間。野球人口の拡大、若い世代の台頭、そして日本との交流がもたらした大きな変化。その背景には、「感謝を、グラウンドで示す」という強い想いがありました。本インタビューでは、その歩みと想いを語っていただいています。
KPMGジャパンは、チェコ野球協会との協働を通じて、「Work Hard, Play Hard.(全力で働き、全力で野球に取り組む)」という価値観を社会に発信しています。仕事と野球を両立し、どちらにも100%の情熱を注ぐチェコ代表チームの姿勢には、プロフェッショナルとしての成長や、人生の充実につながる要素があります。
KPMGジャパンは二刀流で社会にインパクトを与え続けるチェコ代表チームを応援しています。(詳細はニュースリリースをご参照ください)。
今回は、ハディム監督の職場である神経内科クリニックに赴き、インタビューを実施しました。ぜひ、以下のYouTubeリンクからご覧ください。
チェコ代表 パベル・ハディム監督 インタビュー(YouTube)
―前回のWBCから3年――チェコ国内での野球人気の上昇をどのように感じていますか?
(ハディム監督)この3年間で本当にたくさんのことが変化しましたが、なかでも大きい変化が3つあります。まず1つ目は、10歳以下の子どもたちの野球人口がほぼ2倍になったことです。
そして2つ目は、ファンの数が2倍から5倍に増えたことです。私たちを応援してくれる人が劇的に増えました。これは大きな変化です。国内でも海外でも、スタジアムを満員にできるようになりました。そして3つ目は、当時17〜18歳だった若い選手たちが、WBCを見て強烈なモチベーションを持ったことです。その結果、今回のチームの選手登録枠30人のうち11人が初選出の若手選手なのです。
この変化は、選手たちにとても大きな影響を与えました。「自分もWBCに参加できる」と感じられるようになったことは、信じられないほど大きな出来事です。私たちコーチ陣にとっても非常にプラスです。そしてもう1つ、企業から多くの支援を受けられるようになったことも大きな変化です。ファンだけでなく、海外企業からも支援を受けられるようになったのです。ここであらためて感謝をお伝えしたいです。
KPMGの皆さんにも支援していただき、おかげで私たちはWBCに向けて、宮崎市内で3週間の強化キャンプを行うことができました。世界の舞台で競争力を持つためにも、このサポートには心から感謝しています。
―近年、チェコと日本の野球交流が深まっていますが、こうした両国の関係強化をどのように見ていますか?
(ハディム監督)私自身、本当に感動しています。私は日本を心から尊敬していますし、今回のWBCでも日本のファンの皆さんに、そして私たちを支えてくれたすべての日本の方々に、「この3年間は決して無駄ではなかった」ことを証明したいと思っています。チェコ野球の歴史に大きく刻まれる出来事になりました。
侍ジャパンの栗山英樹監督が私たちのもとに来て、チェコ野球についての番組を撮影したこと。また、彼がプラハの“ビロード革命”の象徴的な場所を訪れ、そこで感銘を受けたこと。1989年、チェコの歴史を変えたこの「89」という数字は、日本野球界でも多くの監督が敬意を込めて使用する特別な背番号であり、その偶然も非常に象徴的でした。
日本語でいう「89(ヤキュウ)」と、革命の「1989年」が重なったことも含め、すべてが不思議な縁になりました。その後、日本大学選抜チームがチェコ最大の大会「プラハ・ベースボール・ウィーク」に参加してくれたことも、両国の関係構築に大きな役割を果たしました。私たちはよく冗談めかして、「チェコは日本野球の弟のような存在」と表現したりします。日本の野球関係者の皆さんが私たちを温かく受け入れ、支えてくれていると感じています。恩返しのためにも、進化した姿をグラウンドで見せたいと思っています。
―インタビューで栗山監督は、あなたを「初めて外国人の友達ができた気がします。もう一人の自分がいるみたい」と語っていました。この言葉をどう感じていますか?
(ハディム監督)もう……今ここで涙が出そうです。本当に胸が熱くなります。少し言わせていただけるなら、私も栗山監督を友人と呼びたい。
栗山監督は私にとって“導いてくれる方”でもあります。私たちが日本やチェコで野球の話をしていたとき、驚くほど多くの共通点、共通の哲学がありました。栗山監督は私に大きな影響を与えてくれましたし、私たちが取り組んできたことに、さらに自信を持って取り組むことができるようになりました。
栗山監督の選手への接し方、つまり選手を尊重する姿勢、選手に自由にプレーさせる指導方針は、チェコでもヨーロッパのスポーツ界でも稀かもしれません。練習では最大限に厳しく向き合いながら、試合では選手たちを全面的に信頼し、トレーニングを通じて培われた自己判断力と、積み重ねてきた経験に委ねるのです。私は、選手への信頼は必ず返ってくるものだと思っていますし、栗山監督のおかげで、私の中でそれがより一層確かなものになりました。
私を友人と呼んでくれるなんて、光栄です。私もそのように感じていました。ただ、自分からはとても「友人」と呼ぶ勇気はありませんでした。私にとって彼は“導いてくれる人”であり、勝者であり、世界最高の監督だと思っていましたから。だからこそ、本当に光栄です。本当に誇らしく感じています。そして、どうか栗山監督によろしくお伝えください。
2026年の本大会で再会を果たしたハディム監督と栗山英樹氏。チェコ野球協会提供
―チェコ代表チームは常に敬意を払い、支えてくれたスタッフや選手の家族にも感謝を伝えてきました。その姿勢は日本でも多くの人に影響を与え、栗山監督にも深く響いたと聞いています。日本の野球ファンについてどのように感じていますか?
(ハディム監督)日本の野球ファンは世界一です。これは議論の余地がありません。外から見ていてそう感じます。
選手にとっても監督にとっても、4万5,000人もの観客が応援し、声を上げ、最高の雰囲気を作ってくれる――これはまさに“最高”の体験です。その中にいるとゾーンと呼ばれる領域に入り、ほかのことは何も気にならなくなる。それほど素晴らしいんです。だから日本のファンには心から感謝しています。
過剰な期待や注目が、選手を必要以上に緊張させてしまうこともあります。それは避けられません。だからこそ、私たちコーチやスタッフには、どんなストレスにも向き合い、乗り越えられる環境を整える役割があります。ヨーロッパでは、例えばホッケーやサッカーといった人気スポーツで結果が出ないと、たった1日で、ヒーローから厳しい非難の対象に転落してしまうことさえあります。日本では、そこまで極端なことは起こらないと信じています。とはいえ、プレッシャーや期待が、選手にとって非常に大きな負担になることもあるでしょう。それは避けられない側面でもあります。だからこそ、私たちは選手の心を整え、最高のパフォーマンスを発揮できるよう支えていく必要があります。
そして本題に戻りますが――日本のファンがつくり出すあの雰囲気は、私にとってまさに夢そのものです。チェコ代表の練習でも東京ドームの観客音声を流すこともあります。本番で4万5,000人の歓声に過度に気持ちを乱されないよう、身体にその感覚を覚えさせているのです。
チェコ野球協会提供
―1989年の民主化前(ビロード革命前)は、国内でどのような野球の普及活動をされていましたか?
(ハディム監督)これは難しい質問ですね。私は1971年生まれで、私のクラブ「ドラチ・ブルノ」は1972年創設です。
1989年の革命のとき、私はまだ18歳で成人したばかりでした。当時の印象としては、野球は“制限されたスポーツ”、“資本主義的なスポーツ”として扱われ、ほとんど支援はありませんでした。もしキューバのフィデル・カストロが野球を愛していなかったら、もしキューバ人が野球道具を運んで来なければ――おそらく道具すら入手できなかったと思います。それほど、野球は“隅に追いやられた存在”でした。
私たちの連盟会長イゴル・クラトヒヴィルさんや、年上の選手たちはその状況をとても強く実感していました。私たちは国境を越えて遠征することもできませんでした。今ではそれを覚えている人はほとんどいません。私自身が初めて国外に出て野球をしたのは、1990年にオーストリアのウィーンへ行った時だったと思います。それほどまでに、多くの制限がありました。自由な世界に生きる人には想像しづらいかもしれませんが、当時は実際にそのような状況でした。
―革命後、代表チームも成長し、1995年のプラハ・ベースボール・ウィークでは歴史的な優勝を果たしました。90年代の代表チームの成長をどのように見ていましたか?
(ハディム監督)あの時代は本当に大きな転換期でした。それまでチェコで野球人口は1,000人ほどでしたが、すぐに2,500〜3,000人に増え、その後も競技人口は増え続けて、現在では1万人が野球をプレーしています。私は1990〜2000年の間、チェコ代表としてプレーしていました。
1995年、私たちは初めてプラハ・ベースボール・ウィークで優勝しました。現在この大会は50周年を迎えています。当時、初優勝は本当に大きな出来事でした。それ以降も、チェコ代表が優勝できたのはわずか4回だけでした。
そして次の大きな節目は1996年です。私たちはヨーロッパのカテゴリーでBグループからAグループへ昇格しました。その後、実に30年間、メダルから遠ざかっていましたが、昨年、オランダ・ロッテルダムで、ついにヨーロッパ選手権でメダルを獲得することができました。Aグループに昇格したこと、そして8回ベスト5に入ったことは、私たちが確実に欧州の強豪の一角に近づいている証だと思います。これはチェコ野球にとって大きな飛躍でした。
革命当時、国内にはジュニア(U18)とシニア(大人)しかカテゴリーがありませんでした。でもその後、U15、U12が加わり、2000年以降はU8〜U12など多くの年代が整備され、今では20歳以下だけでも10カテゴリーがあり、育成の土台がしっかりと築かれています。
―あなたは若手育成に多大な努力を注いでこられました。2013年のリトルリーグ ワールドシリーズに出場し、2014年のU21ワールドカップでは5位、2017年のU23欧州選手権では銀メダルを獲得しました。若い選手をどのように支え、成長を見守ってきましたか?
(ハディム監督)まさに今お話に出た2010年からの10年間がその期間です。実はその前から、同じ子どもたちを指導してきました。例えば、マルティン・チェルヴェンカ、ヤン・トメックといった選手たちは、その10年前にはU12欧州選手権で一緒にプレーしていました。つまり、大きな成功を収めた選手たちは、幼い頃から同じ育成の流れの中で成長してきたのです。最初の10年は「選手層を広げること」、そしてその後の10年は「ジュニア世代での成功をつくること」に力を入れてきました。そして今、私が男子代表を率いて5年になりますが、彼ら全員の成長を見守り続けています。
こうした成功した年代のチームからは、必ず誰かがシニア代表のメンバーに入ります。それを見ると、“無駄な努力など一つもなかった”と実感できますし、すべてに意味があったのだと感じます。そして同時に、選手たちからも感謝の気持ちが伝わってきます。これは“化学反応”なのです。私は彼らからエネルギーをもらい、選手たちは自分たちの成長を支えてくれた指導者に感謝を感じて、それを示す。そういう関係なんです。
―多くの人は、あなたの最大の強みの1つが、長年ともに活動してきた選手たちとの“強い一体感”だと考えています。それがあなたの指導スタイルの核となっているように見えます。なぜチームの結束がそれほど重要だと考えるようになったのか、経験や信念を教えてください。
(ハディム監督)難しい質問ですね。もちろん、私が考えているのは、個人競技とチーム競技の大きな違いは、“チームは個々の力の単なる足し算ではない”ということです。
WBCのような大舞台、国際大会、遠征で何度も実感してきましたが、個々の能力が劣っているときの唯一の勝ち方は、“力を掛け合わせること”です。単純に合計するのではなく、仲間によって力が倍増する状態をつくること。私は神経内科医でもあるので、脳がどう動くのかよく考えますが、野球は“失敗のスポーツ”です。だからこそ、仲間のつながりが最も生きる競技だと感じます。打撃に関して言えば、10回のうち成功するのは3回。つまり7回は失敗します。その7回の失敗を、1人でベンチで抱え込んだらどうなるか。誰も声をかけてくれず、「大丈夫、次はお前の番だ」と言ってもらえなければ、体内ではコルチゾール(ストレスホルモン)が増え、プレッシャーはどんどん蓄積します。その状態で3時間も試合を戦うことになるのです。これでは心が燃え尽きてしまいます。だからこそ、選手が安心できる“安全の輪”をつくり、誰もが尊重され、自分を表現できる環境を整える必要があるんです。スポーツ選手にとって、それは欠かせない土台です。
そして、代表チームの中には普段のリーグより良いパフォーマンスを見せる選手もいます。これは、チームの結束が間違いなく力になっている証拠でもあります。もちろん、いつもうまくいくわけではありません。どの監督も、選手をいい状態に導こうと努力します。
私が最も重視しているのは、選手が落ち着いて、集中できる環境をつくることです。いつも完璧にできるわけではありませんが、栗山監督とも話しました。彼もまた、大谷翔平という大スターにかかる“日本中・世界中の期待”を和らげ、少しでも心を軽くさせようと努力していたと。ホームランも奪三振も勝利も求められるなかで、笑顔の裏には大きな重圧があります。私たち指導者の役割は、その重荷を一時的にでも降ろしてあげて、本来の力を発揮できるようにすることです。
―長年、神経内科医としての本業と監督業を両立されており、その歩みは強い責任感と情熱によって支えられています。そのバランスをどのように保っているのでしょうか?
(ハディム監督)まず必要なのは“時間管理”です。神経内科医、野球、そして私は3人の子どもの父でもあります。
この3つが私の人生の柱です。確かに24時間では足りないように見えるかもしれませんが……実は不思議なもので、野球のストレスは、診察室で患者さんと向き合うと、すっと消えていくんです。重い症状を抱えた患者さんもいますが、患者さんと向き合うと、悩みやストレスの重さの“尺度”が変わるんです。スポーツで起こるさまざまな問題も、深刻に捉えすぎなくなります。どれほど大事なことも、どれほど難題に思えることも、視点が変わるんです。
より寛容に物事を見られるようになりますし、人生は野球だけではないと実感できます。それは家族や子供たちが気づかせてくれることでもあります。子供たちはある年齢までは、私が2つの世界でプロとして活動していることを理解していませんでした。だから一方では時間を大量に使う仕事ですが、もう一方では相互にリラックスを与え、互いを高め合う関係でもあります。そして互いに良い作用をもたらしてくれます。
―WBCに向けた今の思い、目標、抱負を聞かせてください。そして日本の野球ファンへメッセージをお願いします。
(ハディム監督)このグループはご存じのとおりで、私は“死の組”と呼んでいます。プレミア12優勝の台湾も加わりました。前評判では私たちが最下位であることは、理解しています。
だからこそ、私たちには大きな目標が2つあります。1つ目は、この3年間を無駄にしなかったことを証明すること。日本からの支援を最大限に活かし、その恩をプレーで返すことです。2つ目は、自分たちが前評判が低いことを恥じないということです。
私たちは自分たちを誇りに持っています。なぜなら、その姿が、他国の代表チームに希望をもたらすかもしれないからです。チェコのように、マイナー競技から努力を積み重ねてきた国は、ヨーロッパにも多くあります。オーストリア、クロアチアなど、そうした国々に「努力すればこの舞台に届く」と示したいのです。国際野球の世界では、私たちをモデルケースとして見てくれている国もあります。
私は、野球のワールドカップにもサッカーのように40ヵ国が出場できる未来があっていいと思っています。そのためにも、世界中に野球が広がり、人気が高まることを願っています。そして日本のファンの皆さんへ、私たちは、この3年間で受けた支援に心から感謝しています。
私たちにとって、それは大きな転機であり、姿勢も考え方も変わりました。日本が私たちをパートナーのように受け入れてくれたこと。日本とチェコに架かったすべての橋。KPMGからの支援も含め、私たちは深く感謝しています。そして、私の願いはただ一つ――その感謝をグラウンドで見せることです。繰り返しますが、日本のファンは世界一の野球ファンです。
―あなたの人生にとって“野球”とは何ですか?
(ハディム監督)来ると思っていました、この質問が(笑)。実は少しメモしておきました。
私にとって野球とは…“人生の縮図”なのです。
野球での立ち振る舞いは、そのまま人生における立ち振る舞いになります。野球ではごまかしはききません。世界で最も美しいスポーツです。そこには必ず“人間性”が表れます。個人としても、チームとしても。
選手がグラウンドでどのように振る舞うかを見れば、その人がどんな人間なのかわかります。私はチェコ野球がこれからも、日本野球のように、勇気と敬意を持った姿勢を保ち続けられる存在でありたいと願っています。3年前に私たちが日本で見た、あの姿勢のように。
ありがたいことに、「家族と野球、どちらが大事か」と聞かれませんが、もし聞かれたら、こう答えるでしょう。“水と空気”だと。どちらが欠けても生きられない。私にとって野球はそういう存在ですが、もちろん家族が劣るわけではありません。
チェコ野球協会提供
―最後に、カメラに向かって日本の皆さんにひと言お願いできますか? “日本で会いましょう”のような感じで。
(ハディム監督)チェコ語で言えばいいですか? それとも日本語で? …では日本語で。「3月に日本でお会いできるのを楽しみにしています。日本の皆さん、本当にありがとうございます。」私の日本語はこれくらいです。
それでは、2月・3月に日本でお会いしましょう。ファンの皆さん、アリガトウゴザイマス!
(注)このインタビューは2026年1月に実施されたものです。