本連載は、2025年4月より日刊自動車新聞に連載された記事の転載となります。以下の文章は原則連載時のままとし、場合によって若干の補足を加えて掲載しています。
生成AI(人工知能)と大規模言語モデル(LLM)の進化は、対話型アシスタントの域を超え、汎用(ジェネラル)モデル→業務特化(ドメインスペシフィック)モデル→企業専用(エンタープライズ・プライベート)モデルへと高度化を続けています。そして、自動車業界においても、開発・生産・販売・アフターサービスまで、バリューチェーン全体で活用が広がりつつあり、競争環境は大きな転換期に差しかかっているといえます。
国内メーカーも、設計検討支援や品質保証、顧客対応などで社内LLMの実証を進めていて、現在は部門単位の試行から全社横断的な展開への移行期にあります。設計領域では、CAE(コンピューター支援エンジニアリング)解析データと過去の不具合事例を統合し、設計変更の影響を即時に提示する仕組みが整備されつつあります。一方で、海外の一部メーカーはすでに企業専用LLMを全社規模で導入し、データ活用のスピードとスケールで先行しており、国際競争の様相は一段と厳しさを増しています。
海外の先進メーカーは、独自開発したLLMを車載OS(オペレーティングシステム)や生産オペレーション、顧客接点に統合し、「LLM+車載データ+サービス」の垂直統合モデルを構築しています。さらに、一部では都市インフラやエネルギー管理まで含めたモビリティOS構想を進め、エコシステム全体の競争を加速させています。これは単なる車両性能の競争から、データとソフトウェアを核とした総合的価値提供の競争へと重心が移っている状況といえます。
LLMの進化は特に以下3つの方向で、自動車産業のあり方に大きな変化をもたらす可能性があると考えます。
1つ目はマルチモーダル化であり、言語・画像・音声・センサーデータなど複数の情報を統合することで、運転支援や自動運転の判断精度を向上させることが可能となります。2つ目はリアルタイム適応で、走行環境やユーザーの状態を瞬時に解析し、制御や提案を最適化する仕組みが求められます。そして3つ目は分散型学習であり、各車両が個別に学習した結果をクラウドで集約することで、全車両の知能を同時に進化させることができます(図表1)。
【図表1】
出所:KPMG作成
こうした潮流のなかで、日本車メーカーが優位を保つには、製造品質や安全技術といった既存の強みに加え、ソフトウェアとデータ活用の力を掛け合わせた新たな競争軸を築くことが重要になります。
では生成AIやLLMを自動車産業にどのように実装していくのでしょうか。短期・中期・長期のロードマップから考察します。
短期的には、まず基盤づくりに力点が置かれます。設計や生産、販売、アフターサービスといった各部門に散在するデータを統合し、全社的に活用できる環境を整備することが最優先の課題です。この段階では、部門別に試験導入されたLLMを全社的な展開へと橋渡しする「準備と横展開」が中心となります。
中期になると、データ活用の範囲は社内を超えて広がります。企業専門のLLMを核に据え、サプライヤーや販売店、保険、MaaS(サービスとしてのモビリティ)事業者といった外部パートナーとも連携する「エコシステム型のデータ基盤」へと発展します。また、こうした仕組みを生かすためにはソフトウェアやAI人材の確保・育成が不可欠であり、企業戦略としての人材投資が本格化するフェーズだといえます。
長期に目を移すと、LLMはもはや内部効率化のための道具ではなく、新たな収益源の中核となります。具体的には、国際的なルール形成や標準化への関与を通じて、規制や安全基準に影響力を発揮しつつ、モビリティサービスの新事業を創出する方向へ進むでしょう。LLMを基点とした新たなビジネスモデルが立ち上がり、収益構造そのものを再定義するのがこの段階です(図表2)。
【図表2】
出所:KPMG作成
LLMは、単なる効率化のためのツールにとどまらず、自動車産業の設計思想・競争構造・収益モデルを再定義する「産業OS」へと進化しつつあります。日本メーカーが今後も世界市場で存在感を保ち、さらに伸ばしていくためには、ものづくりの強みを土台に、データとソフトウェアを中核とした経営への転換を迅速に進めることが不可欠です。その実行力こそが、次の10年の国際的地位を左右するといえるでしょう。
日刊自動車新聞 2025年9月1日掲載(一部加筆・修正しています)。この記事の掲載については、日刊自動車新聞社の許諾を得ています。無断での複写・転載は禁じます。
執筆者
KPMGコンサルティング
パートナー 胡原 浩