グローバル企業の知的財産・無形資産の獲得・活用が活発化しています。成長戦略を考える上で不可欠の要素である知財・無形資産を、長期的かつ持続的に成長原資を生み出していく自社の「稼ぐ力」にどう結びつけたらよいのか。志賀国際特許事務所の上席副所長 松沼 泰史氏と、統括部長 及川 周氏をお迎えし、意見を交わしました。
【インタビュイー】
弁理士法人 志賀国際特許事務所
上席副所長/弁理士 松沼 泰史 氏
統括部長/弁理士 及川 周 氏
KPMGコンサルティング
執行役員 パートナー 木村 みさ
マネジャー 中川 祐
シニアコンサルタント/弁理士 松本 尚人
【対談サポート】
KPMGコンサルティング
シニアコンサルタント 冨田 響一朗
シニアコンサルタント 谷萩 光
左からKPMG 木村、冨田、志賀国際特許事務所 及川氏、松沼氏、KPMG 中川、松本、谷萩
なぜ今、知財・無形資産戦略なのか
木村:企業が稼ぐ力を向上させるための1つの重要な要素として、「知的財産と経営戦略の統合」があるという認識が着実に広がってきています。一方で、事業者間、あるいは同一企業の部門間では温度差もあるようですね。
松沼氏:知財・無形資産といっても、一般的には知的財産権のイメージが強く、知財は本質的に専門性・特殊性の高い分野だけに、なぜそれが経営の視点で重要なのか、共通認識が必ずしも十分にできあがっていないのかもしれません。
KPMG 木村
木村:日本は他の先進国と比べて知財・無形資産に対する投資規模が相対的に小さく、競争優位性の獲得につなげられてないため、「PBR1倍割れ」に象徴されるように、企業価値の伸び悩みに繋がっています。知財経営の実践を通じたビジネス創出力の引上げ余地が大きいとも考えられます。
松沼氏:国が指針(知財・無形資産ガバナンスガイドライン)を公表したこともあり、最近は経営層の方々と話していると、知財経営についての理解が浸透してきていると実感します。ただ、自社においてどのように推進するか、その具体的な道筋を描く方法が分からないというのが、現状多くの企業に共通している課題ではないでしょうか。
中川:知財経営の推進という観点では、まずは知財・無形資産が企業の「稼ぐ力」にどのように貢献しているのかを可視化することが重要です。現在保有する知財・無形資産を正確に把握することで、現状を軸にシナジーを追求するための打ち手と、将来実現したい価値創造ストーリーに不足する知財・無形資産が何であるかを明らかにすることができるからです。
今後、成長投資が加速するなかで、コアとなる知財・無形資産を見出し、強化するための知財戦略を立てることが第一歩になります。
志賀国際特許事務所 松沼氏
知財戦略と経営戦略の統合
松本:知財・無形資産を戦略に組み込む上では、2つの点を意識する必要があります。1つは個々の知財・無形資産と事業戦略をどう統合するか。もう1つは、全社的な経営戦略とどう結びつけるかです。個々の知財・無形資産と事業戦略との統合については、事業のキャッシュフロー創出に貢献する知財の獲得と活用といった取組みが、一定程度、企業間で拡大していますが、全社的な経営戦略との統合については、事業ポートフォリオ戦略やキャッシュアロケーションとの連動においてまだまだ改善の余地が大きいようです。
及川氏:事業戦略との統合の方が比較的、取組みが拡大してきているという意見に同感です。私が知財にかかわりはじめた20年以上前を振り返ると、お客様と話をしていても「目の前の特許権をいかに広くとるか」という会話がほとんどだったように感じます。近年はより具体的に、各事業・サービスでどのように収益を実現するかを意識しつつ、知財の権限範囲をいかに広げていくのか、戦略面から話し合う土壌ができてきました。ただ、その先にある、経営と知財をどう結びつけるかという点については、今も多くの事業者にとって悩みの種となっているようです。
志賀国際特許事務所 及川氏
木村:特許の「量(件数)」を重視する詰め込み型アプローチを脱し、経営戦略と有機的に結びついた「質」の高い知財が求められる時代になってきていると言えますね。
及川氏:そうですね。また、企業や担当者によって「質」の定義が異なるというところもポイントです。従来、特許事務所に求められる「質」というと、「審判において無効とされにくい強度」や「確保できる権利範囲の広さ」といったイメージが強かったかもしれません。しかし今、知財において求められる「質」というのは、そうした単純な尺度にとどまらず、経営や事業戦略に貢献できるかという「質」についてもきちんと見ていく必要があると強く感じています。
中川:かつては経営層と知財部門が分断され、それぞれ独立して進めてきた議論が統合されていく。それによって、その企業ならではの価値創造ストーリーが明確化し、企業にとって真に必要な「質」の高い知財が創出されるようになるというわけですね。ただ現状は、経営層を含めた部門間のコミュニケーションを活性化させるための環境整備から考える必要がありそうです。
部門間連携の重要性
松沼氏:おっしゃる通りだと思います。仮に現時点で知財を活用しきれていないのであれば、知財に関する現場の業務と、権利を管理する業務、そして経営側において戦略を立案する作業が、互いに遠く隔てられているところに課題があるのかもしれません。
及川氏:たとえば単年度ごとに予算を機械的にあてがい続けていると、年度末が押し迫ったタイミングで特許取得が必要な重要案件が出てきても「予算が厳しい」といった理由で調整に入るケースも生じ得ます。本来であれば経営目線で自社にどのような知財・無形資産が必要かを特定したうえで、5年、10年といったより長い目で優先順位をつけながら計画を立てることが望ましいですが、現実としては難しく、今後の課題かと考えます。
松本:事業会社に勤務していた経験からすると、まさに経営層と知財部門の連携こそ重要だと感じます。知財部門が経営側に積極的に提言していく主体性を育むとともに、経営との議論に資する視座・視点を得るためには、経営企画部門や事業部門とのローテーションによる人材交流の促進も1つの手段です。
松沼氏:知財の領域は、かつて部門全体が組織の片隅に位置する“職人集団”のように見られ、人材の流動性も低い状況が続いていました。最近は経営を含む他部門との人材交流が活発化し、その範囲も拡大しつつあるようです。一部では、知財の専門人材が、経営企画部門に参入して知財の視点を持った経営企画を進めている事例や、役員になって経営層に参画するような事例など、先進的な事例も見られるようになってきました。こうした事例が増えて、経営の視点を持った方が知財・無形資産をマネジメントし、あるいは、知財・無形資産の視点を持った方が知財経営を実践することに期待しています。
木村:経営と知財の両面に精通した人材を確保できれば、企業が抱える課題に対して、より迅速で的確な対応が期待できますね。
知財を可視化する効果的な取組み
中川:知財部門が向き合っているのは、企業の研究開発における先端的な技術であることが多いです。そのため知財部門から見ると、研究開発の成果が将来的にどのように経営戦略と結びつくか、ビジネスにどのように寄与するのか可視化しづらく、また自社の経営戦略と結びつかないと思える技術や研究であっても、権利化していかないといけないジレンマを抱えています。
KPMG 中川
及川氏:部門間や企業間の比較を可能にしたり、時系列での変化を可視化したりする手段として、KPI(重要業績評価指標)を設定する動きも少しずつ拡大してきています。ただ、企業の方針によって、KPIの立て方や定義は異なることに留意が必要です。
松沼氏:自社が目指す方向性と、そのために必要な知財について仮説を立て、そこから逆算してKPIを設定することが大切だと考えています。KPIを作ることが目的化してしまうと、特許明細書の作成件数や出願件数といった数的なノルマにとどまり、真に価値のある知財を生み出しにくくなるからです。
KPMG 松本
松本:経営の目線から知財・無形資産投資のROI(投資収益率)をどう考えるかは、ここ数年にわたって考え続けているテーマです。たとえば、工場の新設やM&Aといった一般的な投資であれば、一定程度の不確実性はあるにせよ、グループ全体の利益にどれくらい影響を与えるか、ある程度は予測できる評価の枠組みが存在しています。一方、知財・無形資産への投資については、キャッシュフローを得るまでの時間的なギャップが大きく、不確実性も高いので、マネジメントが難しい側面があります。不確実性が高いからこそ、「限られた予算の中でできるだけよい権利を取る」という狭義のROIを超え、リソースをいかに戦略的に配分し、また権利のポートフォリオをどのように育てていくかを考え、知財と経営の距離を縮めていくことが重要です。
松沼氏:株主などステークホルダーへの対外開示についても同じことが言えます。統合報告書には、知財にフォーカスした数ページの章立てが独立して設けられているものの、それが全体の経営戦略とどのように関連づけられているかについて記載が見当たらないことがよくあります。一つひとつのブロックを磨き上げるのはもちろん、全体の絵を描くことができれば、KPIの説得力が増し、取組みを効果的に可視化できるでしょう。
木村:可視化は、多くの企業において特に改善の余地が大きい部分かもしれません。もちろん知財は機微性が高い領域であり、すべてをオープンにすることは難しいですが、知財に関する情報が知財部門内にとどまり、他部門に十分な共有や発信ができていないといったケースも少なくありません。その結果、保有している権利を活用しきれないまま長期間放置され、いつの間にか権利が失効し、国内外の他社にその恩恵が移ってしまうといった事態も起こり得ます。こうした結末を回避し、戦略的に知財を活用するためにも、知財情報の適切な可視化を推進することが有効だと考えられます。
松沼:おっしゃるとおり、知財・無形資産は機微性の高い領域であるため、せっかく価値創造に向けて知財・無形資産戦略を進められる具体的なKPIを設定しても、すべてを開示してしまうと競業他社に状況が把握されてしまう一方、開示に消極的になると投資家への説得力に欠けてしまうというジレンマがあります。社内的に推進できる、ガバナンスを利かせられる具体的なKPIを設定しつつ、このKPIと連動し開示のバランスのとれた、投資家に対し説得力を有するKPIを考えることも重要かもしれません。
木村:また自分たちの日々の取組みが会社の価値にどう貢献しているのか見えにくい状況では、発明者としてのアイデンティティが論文発表の外部実績に偏ってしまう可能性もあります。社内でも正当に評価されているという安心感は、開発現場のモチベーション向上にもつながるはずです。
知財で求められる未来志向の視点
中川:製造業をはじめ、日本企業はもともと開発部門が研究を深く掘り下げていくことが得意ですが、数多の優れた技術のなかから事業に貢献する知財を見極めるには、専門家との連携を通じて客観的な視点を取り入れることも有効ではないでしょうか。
松沼氏:私たちのように外部の立場にいる者の強みは、言ってみれば個々の技術を上位概念化し、抽象化・一般化することにあります。こうした一般化や言語化のプロセスは、開発部門、知財部門、そして経営部門にとって、知財の横展開や価値創出の可能性に気がつく契機になるはずです。
私自身、いわゆる「就職氷河期世代」の一員として、社会が長らく自信を失っていた時代を経験してきました。今ようやく、その閉塞感から脱しつつあると感じています。再び自信に満ちた時代を迎えるために日々取り組まれている方々を、今後も知財を扱う者の1人としてお手伝いできればと思っています。
木村:知財を考えるうえで、忘れてはいけないのは未来志向の姿勢です。予定調和が重視されていた高度経済成長期が遠ざかり、今の私たちには、目の前の技術が30年後の世界でどのように活用されているかを予測する長期的な目線が求められています。外部の視点からより広い視野で権利取得をサポートする特許事務所と、キャッシュアロケーションを含め戦略・ガバナンス面で支援する私たちコンサルティングファームがタッグを組みながら、企業の持続的な成長に貢献するソリューションを提供していきたいという思いを改めて強くしました。本日はどうもありがとうございました。
左から KPMG 松本、木村、中川、志賀国際特許事務所 松沼氏、及川氏