厳格化された「ネットゼロ目標」の定義 ネットゼロ目標の独自解釈が招くグリーンウォッシュに留意
本稿では、ネットゼロ目標の定義を改めて説明し、企業担当者が環境主張 をする際に注意すべき点について解説します。
本稿では、ネットゼロ目標の定義を改めて説明し、企業担当者が環境主張 をする際に注意すべき点について解説します。
2020年に日本政府がカーボンニュートラルを宣言して以降、上場する大手企業を中心にカーボンニュートラルやネットゼロの目標を掲げる企業が急速に増加しました。しかし、各社各様の解釈に基づく環境主張が乱立するようになった結果、各社の脱炭素化の主張が、世界が目指す1.5℃目標と整合したものであるか、あるいはグリーンウォッシュ( 見せかけの環境配慮)であるか等、内容を精査しなければ判断が難しいケースが散見されるようになりました。また、地域によっては、自社の環境主張を投資家に対して伝える場合の開示基準、さらには環境主張を費者(BtoC)に伝える場合の基準がそれぞれ新たに導入検討されており、一企業がネットゼロ等の環境主張を行う際に考慮しなくてはならない論点が増え複雑化しました。自社独自の解釈に基づくネットゼロ定義を採用し対外的に発信し続けると、グリーンウォッシュとみなされ、レピュテーションリスクが高まる可能性があります。
本稿では、ネットゼロ目標の定義を改めて説明し、企業担当者が環境主張をする際に注意すべき点について解説します。
なお、本稿では事業会社の企業単位でのネットゼロ主張に焦点を当て、製品単位でのネットゼロ主張については論点が異なる部分もあるため触れないものとします。
Point
国連やSBTiが定義した「ネットゼロ目標」は、ある一時点での状態(排出が正味でゼロ)のみを表す「カーボンニュートラル」とは異なり、パスウェイとして定義される。
1.5℃の排出経路(パスウェイ)と整合した短・中・長期での削減数値を掲げて排出削減を進め、長期での数値を達成してもなお残る残余排出量に関して炭素除去により中立化する。
企業がネットゼロへと至る過程で、削減目標に炭素クレジットや削減貢献量を充当することは原則として認められない。SBTiは残余排出量についてのみ、吸収・除去クレジットに限り活用を許容している。
グリーンウォッシュ規制のなかでも、炭素クレジットの位置づけについて要件を定めているケースがあり、規制対応という側面からもネットゼロ目標の達成手段が適切であるかが問われるようになる。 |
Ⅰ.パリ協定が定めた長期 ビジョンとしての「カーボンニュートラル」
2015 年にCOP21で採択されたパリ協定によって、世界が脱炭素社会の実現を目指す流れが構築されました。「低炭素」がキーワードであった京都議定書時代とは異なり、あらゆる主体、あらゆる企業に脱炭素化が求められるようになっています。パリ協定では長期ビジョンとして、工業化以前に比べ、地球温暖化による世界の平均気温の上昇幅を2℃より十分低く保つため、世界全体の温室効果ガス(GHG)の排出量を早期に増加から減少へと転じ、今世紀後半には排出と吸収を均衡化させること( カーボンニュートラルの実現)が明記されています。2℃目標だけではなく、努力目標としての1.5℃の追求も併記されました。2050 年頃( 1.5℃目標)または2070年頃( 2℃目標)までに、人間活動による排出を実質ゼロとすることが世界の共通ゴールとなったのです。
その後、2019 年に国連およびCOP25議長国チリの主導により気候野心同盟(Climate Ambition Alliance)が発足し、世界各国・地域や非国家主体( 企業や投資家、自治体、NPO等)による2050 年までの排出実質ゼロの表明が急増しました。
日本も2020年10月、菅 義偉首相( 当時)が2050 年カーボンニュートラル宣言を打ち出し、1.5℃目標へと舵を切りました。こうした国内外の流れを受け、日本でも大企業を中心に、自社の排出量を2050年までに実質ゼロにする目標の公表が相次ぎ、近年は中小規模の事業者の間でも、同様の動きが拡大しています。
Ⅱ.「ネットゼロ目標」の定義の厳格化
企業等の非国家主体による2050 年までの排出実質ゼロの表明が増加するにつれ、実効性を伴わないグリーンウォッシュの宣言が、徐々に問題視されるようになりました。
たとえば、2050 年に向けた長期でのカーボンニュートラル目標を打ち出してはいるものの、短中期的には、2030 年およびそれ以前の中間目標を定めておらず、脱炭素化に向けた取組みの実態が乏しい企業が、典型的な事例として挙げられす。
また、排出削減に取り組んではいても、自社の事業範囲内( スコープ1,2)に限られ、バリューチェーン全体( スコープ3を含む)を対象とはしていない企業も散見されます。ポートフォリオのリスクマネジメントの観点から、バリューチェーン全体での脱炭素化を重視する投資家の視点からは、そのような企業の宣言は信頼性の乏しい目標と言わざるを得ません。さらに、排出削減の手段に関しても、積極的に自社の取組みを強化し、可能な限り排出量を最小化していこうという企業もあれば、削減の大部分を炭素クレジットや削減貢献量等に依存することを前提としている企業も見られました。
企業各社の独自の解釈に基づいたグリーンウォッシュの宣言が増えてしまうと、世界が目指す1.5℃目標の実現がいっそう困難なものとなってしまいます。そうした傾向に歯止めをかけるべく、いち早く交通整理に乗り出したのがSBTi(ScienceBased Targets initiative )でした。企業による目標設定のグローバルスタンダードとなっているSBTiは、2021年10月に『SBTi Corporate Net-Zero Standard 』を公表し、ネットゼロ目標の定義を明確に規定しました1。このネットゼロスタンダードは、見せかけではない真のネットゼロ目標が満たすべき条件を、科学的根拠に基づき示したものであり、具体的には少なくとも以下の3点を満たさなければネットゼロ目標とは見なされません。
①短期のSBT(Near-term SBT):
5~10 年後を目標年とし、1.5℃の排出経路( パスウェイ)に沿った排出削減目標を設定する( 図表1参照)
②長期のSBT(Long-term SBT):
1.5℃シナリオに沿って削減を進め、遅くとも2 0 5 0 年までに排出量( スコープ1,2,3 )を残余レベルまで削減する目標を設定する( セクター横断パスウェイの場合は少なくとも90%以上削減)
③残余排出量の中立化(Neutralization):
長期のSBTを達成した時点でなお残る残余排出量(Residual Emissions )に関して、大気中からの永続的な炭素除去・貯蔵によって均衡化させる
つまり、短~中~長期を通じて1.5℃の排出経路に沿ってバリューチェーンの排出削減を進めることで累積の排出量を最小限に抑え、遅くとも2050 年までに90%以上削減したうえで、相当量の炭素除去をもって残余排出量を中立化する、これがネットゼロ目標に求められる必要条件です。ただし、短期のSBT( ① )および長期のSBT( ②)の達成には、炭素クレジットの活用は一切認められません。残余排出量の中立化( ③)には、吸収・除去に関する炭素クレジットの活用も許容されますが、排出削減に関するクレジットは活用できません。
こうしたSBTiによるネットゼロスタンダードの導入に伴い、仮に長期的に自社の排出を実質ゼロにする宣言を打ち出していても、2030 年頃に向けた1.5℃水準の中間目標を設定していない、あるいはスコープ3 を削減対象としていないといった場合や、目標の達成において炭素クレジットや削減貢献量の活用を前提としている場合は、ネットゼロ目標とは見なされないことに注意が必要です。なお、本原稿の執筆時点( 2024 年9月)で、SBTiはネットゼロガイダンスの改訂に着手しています。上記の定義から分かるように、ネットゼロ目標とは、カーボンニュートラルのようなある一時点( 2050 年等)における条件ではなく、現在から2050 年までのパスウェイ全体に係る条件によって規定される概念です。ネットゼロ目標を主張するならば、パスウェイ全体を通じて累積の排出量が1.5℃の炭素予算に収まるよう、厳格な条件を満たさなくてはなりません。目標設定や環境主張に当たり、グリーンウォッシュと見なされるリスクを回避するうえで、こうした概念の相違(一時点 or パスウェイ) をしっかりと認識しておく必要があります。
図表1 SBTiが定義したネットゼロ目標
Ⅲ.国連もパスウェイでのネットゼロ定義を重視
グリーンウォッシュに当たる宣言の増加に懸念を抱いた国連も、企業等によるネットゼロ目標のあり方に関する基準の策定に乗り出しました。2022 年11月、COP27 (エジプト)において、グテーレス国連事務総長が招集したハイレベル専門家グループより、10 項目の基準から成る提言が発表されました² ³。このネットゼロ目標に関する提言書においても、ネットゼロ目標が満たすべき要件をパスウェイで定めてい ます。
バリューチェーン全体を対象に、1.5℃ の排出経路に沿った中間目標を5年ごとに設定し、最終的な残余排出量に関しては、大気中からの永続的な炭素除去によって中立化することを求めています。中間目標の達成に炭素クレジットは活用できないことも明記されており、前述のSBTiによるネットゼロの定義ともおおむね合致した内容となっています。さらに2023 年11月には、COP28(UAE )において、このネットゼロ提言書の内容を確実に推進していくための体制強化やサポートに関する決定も発表されました。
以上のように、ここ数年の間にネットゼロ目標の定義が厳格化され、かつては同義で使われることが多かったカーボンニュートラルとは、厳密に区別されるようになってきました。「2050 年までにカーボンニュートラル実現」を表明するだけでは、パリ協定の下で世界が目指す1.5℃目標と整合しているかどうかは不明瞭と見なされる恐れがあります。単に1時点(2050 年)について約束しているに過ぎず、極端な見方をすれば、2049 年までは排出量を増やし続けたとしても、最後の2050 年に炭素クレジット等を用いて相殺することで達成できてしまうからです。いうまでもなく、そのような取組みでは、累積の排出量が1.5℃の炭素予算を大幅に超過してしまい、パスウェイとしては極めて不十分です。
Ⅳ.SBTiにおける炭素クレジットの位置づけ
ここからは、今一度SBTiにおける炭素クレジットの位置づけについて整理したいと思います。SBTiは条件付きで炭素クレジットの活用を認めている部分が2つあります。
1 つめには、2050 年時点で自社のバリューチェーン内ではどうしても削減することができない排出量分( 残余排出量(Residual Emissions )、総排出量の10% 未満)については、吸収・除去のクレジットを活用し中立化することができるとしています。中立化(Neutralization )とは、残余排出量と同量のGHG排出量を大気中から除去し永続的に留める状態を指します。炭素クレジットの種類としては、吸収・除去に関する炭素クレジットのみ活用可となり、具体的な例としては適切な森林管理によるCO2 吸収量の増加や大気中のCO2 を直接吸収するDAC(Direct Air Capture ) と呼ばれる技術を活用し炭素貯留するプロジェクト等から創出されたクレジットが対象となります。この場合であってもオフセットという言葉は使用せず、中立化するという表現であり、残余排出量を購入した炭素クレジット量で引き算することはできません。なお、GHGプロトコルのなかでも、自社のGHG排出量と購入した炭素クレジット量を相殺( 引き算)して開示することは認めておらず、GHG排出量と炭素クレジット購入量はそれぞれ分けて開示するルールとなっている点に注意が必要 です。
SBTiがクレジット活用を認めている第2 の方法は、自社が関与するバリューチェーン外での排出量を緩和する活動(BVCM: Beyond Value Chain Mitigation )として企業が炭素クレジットを購入し、脱炭素社会への貢献として示す方法です。炭素クレジットには、未成熟な脱炭素関連のソリューションに対して資金供給する金融手段としての目的があり、SBTiは積極的にネットゼロ目標達成の手段とは分けてクレジット購入することを企業に対して推奨しています。
Ⅴ.グリーンウォッシュ規制に おけるネットゼロ目標と炭素クレジット
現在、多くの上場大手企業は、各国・地域単位で制度化されたサステナビリティ開示基準に沿う形で、自社の環境取組みや進捗状況について対投資家に公表する準備を進めています。他方で、国・地域によっては対消費者(BtoC)への環境に関するコミュニケーションについても、対投資家向け基準とは別に基準を設け、制度化する動きがあります( 図表2参照)。消費者向けの環境コミュニケーションに関する基準( グリーンウォッシュ規制)は、見せかけだけの環境配慮を消費者に伝えること( グリーンウォッシュ)を防ぐ目的で導入されており、企業がネットゼロ目標達成と公表するために必要な要件やクレジット活用の可否についてまでも言及しているケースがあります。
例として、EUで議論されているグリーンウォッシュ規制の1 つであるグリーンクレーム指令の欧州議会案4 では、企業の残余排出量についてEU炭素除去認証枠組(EU Carbon Removals Certification Framework )が認める炭素クレジット、または同等の要件を有する高品質な炭素クレジットを利用可とする案が示されています。EUのグリーンクレーム指令は本原稿を執筆している2024 年9月時点では案の段階であり、今後三者協議( 欧州委員会、EU理事会、欧州議会)での交渉を経て最終化される予定です。
EUのグリーンクレーム指令が最終的にどのような要件で合意されるかは分かりませんが、1つ言えることは、特にBtoC ビジネスを行う企業の担当者は、自社のネットゼロ目標の定義がSBTi等のグローバルスタンダードと整合しているかだけではなく、今後は国・地域が定めるグリーンウォッシュ規制におけるネットゼロ定義や許容される環境主張との整合性についても考慮し、自社の環境取組みについて適切に情報を消費者へ伝えることが必要となることです。また、グリーンウォッシュ規制の内容や厳格さにはバラつきがあるなかで、グローバルにビジネス展開する企業は地域単位での環境に関するマーケティング活動をどのようにマネジメントするか、各国法令に対応しつつも企業として一貫したメッセージをどのように発信するか、環境に関するコミュニケーションのあり方を見つめ直す必要があると考えます。
図表2 企業の環境主張と開示・コミュニケーション基準の関係
Ⅵ .さいごに
本稿では、企業による2050 年までの排出実質ゼロ表明に伴い、実効性を伴わないグリーンウォッシュに当たる宣言の増加が招いたネットゼロ定義の厳格化について述べてきました。国連やSBTiが定める基準に基づいてネットゼロ目標を主張するには、1.5℃シナリオに沿ってパスウェイ全体で要件を満たす必要があります。
ネットゼロ目標や炭素クレジットの活用可否等に関して、独自解釈で戦略や目標を設定していると、外部のステークホルダーからグリーンウォッシュを疑われ、レピュテーションリスクにつながる恐れがあります。
国際基準が示す定義や要件を正しく理解した上で、意欲的なネットゼロ目標とその実現に向けた蓋然性を高める気候移行計画を策定し、実効性の高い取組みを進めていくことが期待されます。
1 SBTi (2021年10月)「SBTi Corporate Net-Zero Standard」
https://sciencebasedtargets.org/ resources/files/Net-Zero-Standard.pdf
2 UN(2022年11月)「 Integrity Matters: Net Zero Commitments by Businesses, Financial Institutions, Cities and Regions」
https://www.un.org/sites/un2.un.org/ files/high-levelexpertgroupupdate7.pdf
3 JCLP(2023年2月)プレスリリース「 国 連ハイレベル専門家グループの提言の日本語訳を公表」
https://japan-clp.jp/archives/13066
4 欧州議会(2024年3月)プレスリリース https://www.europarl.europa.eu/ news/en/press-room/20240308IPR 19001/parliament-wants-to-improve-consumer-protection-against-misleading-claims
執筆者
KPMGあずさサステナビリティ アシュアランス事業部
池原 庸介/シニアマネジャー
鳥井 綾子/シニアマネジャー