日本企業のリスキリング熱が高まっています。政府も人への投資につながる重要施策であるとして、2024年度から、5年間で1兆円を「リスキリング」に投じる支援が始まりました。しかしながら、多くの企業がリスキリングの目的をはき違え、誤った運用になっているケースが散見されます。リスキリングとは、企業が生き残りをかけて人材を事業戦略に適応させる「組織的な教育」です。会社は何を目指し、社員に何を学ばせるのか、経営戦略と結び付け明確に説明できなければなりません。また、リスキリングは社員に直接働きかけて、すぐに達成できるものでもありません。

そこで、KPMGではリスキリングを比較的取り組みやすいコーポレート部門から着手することを推奨しています。

本稿では、リスキリングを「技術革新やビジネスモデルの変化を背景に、社員にこれまでとは異なる業務を行うスキルを獲得させる企業の生き残りの手段」と定義し、人的資本経営の推進に資するリスキリングの考え方、今後の成果を上げる進め方について解説します。

なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りいたします。

POINT1

スキルは成果を出すために知識を活用できる能力である。リスキリングは企業が生き残りをかけて人材を事業戦略に適応させる「組織的な教育」であり、人的資本経営を進める要素の1つとして、個人や組織を活性化させる重要な施策である。

POINT2

コーポレート部門はこれまで、オペレーション業務に多くの人員・工数を配置してきたが、これからはデジタルテクノロジーを活用して経営の意思決定サポート業務などの高付加価値業務に人員・工数をシフトする必要がある。

POINT3

リスキリングの成果を上げる方法として、「制度化・仕組み化」と「社員個人への動機付け」がある。特に、リスキリング後の実務経験が積める環境を与えること、人事部が社員の生産性を高めるための部署としての能力を高めること、事業部の人材開発機能を強化することが重要である。

I リスキリングとは

1.リスキリングは企業が持続的な成長を遂げる「組織的教育」

リスキリングは、企業が生き残りをかけて、今いる人材を事業戦略に適応させる「組織的な教育」です。すなわち、リスキリングは企業が変化に対応するために、人材に新しいスキルを獲得させ、組織の戦略を遂行する手段と言えます。したがって、企業の事業戦略によってリスキリングすべき人材や具体的な内容は変わり、社員がリスキリングするための時間や費用は企業が負担します。

リスキリングの対象は、仕事の変化に対応しなければならない社員です。特に、会社に強制されないと自らのスキルをアップデートできなくなった社員が主な対象となります。リスキリングするタイミングは、仕事のスタイルが確立し、成功体験に固執し始めてきた頃です。

2.スキルは成果を上げるために知識を活用できる能力

「スキル」とは、成果を出すために知識を活用できる能力を言います。つまり、知識を使いこなす考え方や行動の仕方とも言えます。スキルを身に付けるということは、知識をどのようなタイミングで活用すれば最も効果が上がるかの勘所を経験を通じて習得することです。人はスキルを磨くことで、質の高い成果を出せるようになり、パフォーマンスが向上します(図表1参照)。

【図表1:スキルが知識を活用する“考え方・行動の仕方”】

人的資本を高める日本企業のリスキリング戦略_図表1

出所:KPMG作成

3.欧米と日本のリスキリングの相違

リスキリングが海外で注目されたのは、「テクノロジーの進展にともなう技術的失業の対応策」と言われています。転職市場が整備され職務が明確な欧米では、将来のキャリアを考えた労働力の移動が比較的容易ですが、そうではない日本では、企業間、産業間の労働移動をうながすことは時期尚早と言えます。したがって、日本のリスキリングは、社内または企業グループ内の労働移動をうながすために企業が社員に投資するのが現実的です。欧米と日本の労働慣習の違いにより、リスキリングの考え方やアプローチも違って然るべきです。

4.人的資本経営には「個人と組織の活性化」が不可欠

雇用する人材の能力を、利益を生む「資本」と捉え、能力や意欲を刺激して会社の価値創造につなげる経営手法が「人的資本経営」です。図表2に示すとおり、企業は外部環境の変化に加え、内部環境の変化にも直面しています。リスキリングは人的資本経営を進める戦略的要素の1つとして、個人や組織を活性化させる重点的な施策です。

また、スキルをアップデートした社員が、新たな環境で多様な人材との対話や意見交換を通じて新たな発想や学びを得ることでやりがいを感じながら、組織全体の対話が行き交うカルチャーを醸成することも人的資本経営の取組みとしては重要です。企業には今のリスキリング施策が「個人や組織の活性化につながっているか」を検証しながら進めることが求められます。

【図表2:人的資本経営の概念とリスキリング】

人的資本を高める日本企業のリスキリング戦略_図表2

出所:出典:経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書」を基にKPMGが作成

II コーポレート部門から始めるリスキリング

1.CxOをサポートできるコーポレート部門

コーポレート部門とは、経営企画、経理財務、人事、情報システムなどの各機能を備えた組織機能の総称です。企業経営に必要とされる「資金」「資産」「人材」「情報」などの経営資源を管理・統括する機能を持ち、企業の成長や変革に関する意思決定において、これらの経営資源を差配する重要な役割を担います。近年では、コーポレート部門が事業部門の抱える課題解決を支援しなければならないケースも増えてきています。経営変革や事業課題の解決を支援できる付加価値の高い業務へのシフトが求められるなか、コーポレート部門のメンバーにも従来とは異なる能力が必要とされています。

こうした背景から、コーポレート部門からリスキリングを始め、コーポレート部門内にリスキリングのノウハウを蓄積してから、事業部に向けたリスキリングを進めることが効果的と考えられます。

2.コーポレート部門に必要となる人材像

従来のコーポレート部門は、バックオフィス部門またはスタッフ部門として、オペレーション業務に多くの人員・工数を配置してきました。これからは、デジタルテクノロジーを活用してオペレーション業務の効率化を実現し、プロセスやデータの管理統制業務や経営の意思決定サポート業務などの高付加価値業務に人員・工数をシフトする必要があります。目指すべき組織人員構成は図表3に示す逆三角形です。

【図表3:これからのコーポレート部門の期待役割と人員配置】

人的資本を高める日本企業のリスキリング戦略_図表3

出所:KPMG作成

III リスキリングの進め方

1.日本企業のリスキリングが進まない5つの要因

コーポレート部門のみならず、全社員を対象にした日本企業のリスキリング運営の実態に目を向けると、能力開発研修と同義で扱っていたり、多様な分野のeラーニングの受講を推奨したりと、知識の習得にとどまっている状況が多く見られます。リスキリングが進まない主な要因には、以下の5つが挙げられます。

(1)企業としてリスキリングに取り組む目的が明確になっていない
(2)リスキリングが「知識」の習得で終わっている
(3)学んだ先の仕事を見せていない(スキル取得後の異動配置が不明)
(4)社員のキャリア意識が乏しい
(5)社員が自発的に学ぶ意欲が低い

前述したとおり、リスキリングは企業が持続的成長を遂げるために社員を戦略的に育成させる手段で、企業が主体となって進めるものです。そのため、リスキリングに取り組む目的を、事業戦略に基づいてストーリーとして説明できなければ、社員は納得して学ぼうとしないでしょう。

また、リスキリングした社員に対して、学んだスキルを生かすポジションを組織が用意できていない状況も散見されます。学んだことで、たとえば希望のポジションに就けるといった人事面での優遇がなければ、社員の不信を招きかねません。そうした事態を避けるには、社員教育と人事制度とを一体的に運用するのが効果的です。

また、日本企業で働く日本人の多くが、自身のキャリアについて主体的に考えていないようにも見受けられます。この傾向は、特に40歳以上のベテラン・シニア人材で顕著です。これは、高度経済成長期から続いた日本の労働慣行や人事制度に根差す根幹的な要因が大きいと考えられます。

これまでは、特定の会社に定年まで働き続ける終身雇用、職務範囲を明確に定めないゼネラリスト(総合職)中心の雇用慣行、年功要素を残した昇格運用などにより、社員は長期的な観点から自身のキャリアを考える必要がありませんでした。民間のある調査では「会社から自律的なキャリア形成を求められることにストレスや息苦しさを感じる」という声も散見されます。

2.リスキリングの成果を上げる取組み

リスキリングの成果を上げる方法は、「(A)組織に働きかける制度・機能アプローチ」と「(B)人材に働きかける内発的動機付けアプローチ」の2つに大別できます。前者は制度化や仕組み化で、後者は社員個人に向けた動機付けで働きかけるというものです(図表4参照)。

【図表4:リスキリングの成果を上げるアプローチ】

人的資本を高める日本企業のリスキリング戦略_図表4

出所:KPMG作成

(1)組織に働きかける制度・機能アプローチ

「(A)組織に働きかける制度・機能アプローチ」には、「(A-1)異動・配置の制度を活用する」と「(A-2)組織の役割・機能を強化する」の2つの方法があります。

A-1は、異動や配置の制度を活用して、社員が主体的にリスキリング後の実務経験が積める環境を獲得できるようにするというものです。たとえば、社内FA制度や社内公募制度を活用して、リスキリングした後の実践環境を社員に提供するなどが挙げられます。ただし、日本人には異動や配置に関するためらいや否定的な見方が根強く残っています。そのため、ネガティブイメージの払拭も重要なことです。これには、成功のロールモデルを見せることによって、心理的抵抗を下げることが有効です。

A-2には、「(ア)人事部門の組織的な能力を高める」と「(イ)事業部の人材開発機能を強化する」の2つが考えられます。A-2(ア)では、多様な労働力を想定した雇用形態の整備や人材のアセット化を進めることが目的の手法です。たとえば、人材ポートフォリオを活用して人材の需給ギャップを可視化するなどが挙げられます(図表5参照)。

【図表5:人材ポートフォリオの活用例】

人的資本を高める日本企業のリスキリング戦略_図表5

出所:KPMG作成

一方、A-2(イ)は事業部門における人材の課題を解決する機能強化が目的の手法となります。前述した人材ポートフォリオを活用するためには、今まで以上に人事部門が各事業部門と連携を深める必要があります。それには、事業部が今後必要とする人材の獲得やリスキリングを含む人材開発といった人事課題の解決には、事業部内の人事のプロと言えるHRBP(HRビジネスパートナー)が必要です。

(2)人材に働きかける内発的動機付けアプローチ

「(B)人材に働きかける内発的動機付けアプローチ」にも、「(B-1)社員のキャリア意識を高める」と「(B-2)リーダーを通じて動機付ける」の2つの方法があります。

B-1は社員に自律的なキャリア意識を植え付けることで、B-2はリーダーを通じて社員にリスキリングへの動機付けを行います。日本企業の多くは、これまでの雇用慣行から自律的キャリア形成が根付いていません。そのため、社員に自律的なキャリア意識を植え付けるには、以下の5つのステップが効果的です。

【ステップ1】自律的キャリアが求められる背景を理解する

【ステップ2】過去にやってきた業務を振り返り、スキルをリスト化する

【ステップ3】これまで経験した仕事が生かせそうな環境のオプションを考える

【ステップ4】当面のキャリアゴールの設定と計画を立てる

【ステップ5】リスキリング後の就労環境について話し合う

一方、B-2には多種多様な方法があります。ここではその1つを紹介します。一般的に、リスキリングに対して、どのような感情を抱くかは意味付けによって決まります。たとえば、改革の類いのプロジェクトが発表されると、社員にはポジティブあるいはネガティブといった感情が生じます。しかし、ポジティブ・ネガティブの感情は、目の前にあるプロジェクトそのもので決まるのではなく、その意味付けを行うことでそれに見合った感情が生じるのです。

シニア社員の多くは、リスキリングという言葉にネガティブな感情を抱きがちですが、これはリスキリング自体が悪いのではなく、その意味付けが悪いからです。このような場合、相手がリスキリングにどのような意味付けをしているのかを推察し、リーダーがポジティブな意味付けを与えると効果的です。

3.制度としてのリスキリングの効果検証と改善

リスキリングを形骸化させないためには、リスキリングの仕組みが有効に機能し、想定していた成果が得られているかを継続的に確認し、改善し続ける必要があります。また、リスキリングの仕組みは一度築き上げればそれで終わりというものでもありません。定量的・定性的に評価し、その有効性を確認しながら、修正・調整していくことが重要です。

加えて、リスキリングの効果性を定点観測する仕組みを、経営全体のサイクルのなかに組み入れることも忘れてはいけません。リスキリング戦略を立て、モニタリング結果を踏まえて戦略や施策を作り直すという一連のサイクルを丁寧に回し、社員にも公開することで形骸化させないようにすることが重要です。

リスキリング施策は、すぐにできるものと中長期的に検討を重ねるものがありますが、リスキリングの取組みが満足のいく成果が出ていないからといって、早く成果を出そうと焦るのは禁物です。リスキリングが進まない、または成果が出ていない原因が社員自身やリーダーにあるのか、組織にあるのか。状況を多角的に捉えて課題を明確にし、対応することが重要です。

IV さいごに

リスキリングの最終ゴールは、学びが組織のカルチャーとして根付くことです。社員が学ぶ楽しさを実感し、学ぶことが社内の文化となり、社員一人ひとりが将来会社が発展した姿を思い描きながらスキルを最新かつ必要なものへと更新できるようになることです。それには、経営トップ自らがリスキリングした姿を見せることが効果的です。

人は学ぶことによって成長し、多くの気付きを得ることができると、成果が上がります。それが自信となり、他者との質の高い会話を通じてこれまでの認識を改め、制約を取り払うことで視野が広がります。その結果、よい友人や仲間ができるという好循環が機能し始めます。そうなると、自発的に学ぶようになります。このようなウェルビーイングな状況を創ることが、目指すべきリスキリングなのです。

KPMGコンサルティングでは、『人的資本を高める日本企業のリスキリング戦略』を刊行しました。本書では、KPMGコンサルティングが人事、経理財務といったコーポレート部門の変革に向けたアドバイザリーを提供するなかで得られた知見を基に、日本企業が持続可能な成長を遂げるための人材戦略の柱であるリスキリングについて、経理財務部門と人事部門を中心に事例とともに解説しています。

<図表2の参考データ>
経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書

執筆者

KPMGコンサルティング
プリンシパル 油布 顕史

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