スタートアップ企業の海外展開に関する考察について
日本国内のスタートアップ企業は、海外のユニコーン企業のように設立当初から海外展開を見据えて事業展開を行っている企業はまだ少ないのが現状です。日本のスタートアップ環境の海外展開に関する現状を分析し、海外の環境との比較を通じて、日本のスタートアップ企業が世界と伍していくための課題を考察します。
本稿では、日本のスタートアップ環境の海外展開に関する現状を分析し、海外のスタートアップ環境との比較を通じて、日本のスタートアップ企業が世界と伍していくための課題を考察します。
2022年11月、日本政府は2027年にスタートアップへの投資額を10兆円規模にまで増やしてスタートアップ企業を10万社、ユニコーン企業(評価額が10億ドルを超える未上場のスタートアップ企業のこと)を100社創出することを掲げた「スタートアップ育成5か年計画1」を公表しました。また、経済産業省や日本貿易振興機構(JETRO)、東京都などの自治体からも、スタートアップ企業の海外展開を支援する施策が打ち出されています。海外マーケットで収益を上げることのできるスタートアップ企業を増やすことが、日本の競争力強化につながるからです。
しかしながら、日本国内のスタートアップ企業は国内マーケットのみでの事業展開を考えている企業が依然として多く、海外のユニコーン企業のように設立当初から海外展開を見据えて事業展開を行っている企業はまだ少ないのが現状です。
本稿では、日本のスタートアップ環境の海外展開に関する現状を分析し、海外のスタートアップ環境との比較を通じて、日本のスタートアップ企業が世界と伍していくための課題を考察します。
なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りいたします。
POINT 1 日本のスタートアップ企業の創出と競争力強化
2022年11月に日本政府が公表した「スタートアップ5か年計画」において、2027年に向け日本国内のスタートアップを10万社創出する目標が掲げられた。また、グローバル市場に果敢に挑戦するスタートアップ企業を生み出していくことも謳われている。
POINT 2 世界的に悪化するスタートアップ環境
2022年以降、ウクライナ紛争や米国の政策金利の上昇、エネルギー価格の高騰などから、VC投資が減少し、IPO社数も前年の半数になるなど、スタートアップ企業を取り巻く環境は世界的に悪化している。
POINT 3 日本のスタートアップ企業が海外展開するために必要な支援
日本のスタートアップ企業が海外展開するには、事業面では世界で活躍できる事業分野への集中的な支援や海外アクセラレーターの活用、資金面では国内VCの投資規模と海外VCの投資受入れの拡大、人材面では人材流動化や大企業の人材活用、グローバルの知見や技術的知見を持った支援人材やキャピタリストの育成、海外からの優秀な人材の積極的な受入れといった支援が必要。
ハイライト
I.ユニコーン企業数、上位IPO企業の国際比較
1.日本と海外におけるユニコーン企業数の比較分析
2022年以降のスタートアップ企業を取り巻く環境は、ウクライナ紛争や米国の政策金利の上昇、エネルギー価格の高騰などの要因により大きく悪化しました。スタートアップ企業に対するベンチャーキャピタル(Venture Capital 以下、「VC」という)投資も大きく減少し、多くのグローバルテクノロジー企業が従業員数の削減やオフィススペースの縮小などのコスト削減策に取り組んでいます。そのため、スタートアップ企業のなかには手元資金を温存するとともに、ダウンラウンド(前回の増資時の評価額を下回っている状態のこと)での資金調達を避けるために、新たな資金調達を延期する動きも見られました(図表1~2参照)。
図表1 国別ユニコーン企業数(2023年6月時点)
図表2 国別ユニコーン企業数(2022年7月時点)
一方、日本ではスタートアップ企業の資金調達額が前年比で増加するなど、堅調な動きを示しました。
2.日本と海外における上位IPOの比較分析
世界のIPO市場は、この厳しい事業環境を受けて2022年のIPO社数が前年のほぼ半数になるなど停滞しています。
また、ランキングの構成にも大きな変動が見られます。2022年のIPOランキングは、トップ10に米国の企業がCorebridge Financial Inc.の1社のみとなる一方で、中国やアラブ首長国連邦からは複数社がランクインしました。
それに対して、2022年の日本のIPO社数は前年と比べると34社減の91社となりましたが、これは2020年までと同水準であり、堅調な推移と言えます。しかしながら、株式市況の低迷を受けて、上場時の資金調達を抑制するケースやダウンラウンドによるIPOが増加するなどの特徴が見られました。また、上場予定会社の一部では上場申請を延期する傾向も見られたと言われています(図表3~4参照)。
図表3 2022年のIPO上位10件(Global )
上場日 | 会社名 | 国名 | 業種 | 市場 | 上場時調達額(億ドル) |
---|---|---|---|---|---|
2022/1/14 | LG Energy Solution Ltd. | South Korea | Auto/truck | Korea Exchange-KOSPI | 108 |
2022/9/28 | Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG | Germany | Auto/truck | Frankfurt Stock Exchange-Prime | 87 |
2022/4/4 | Dubai Electricity and Water Authority (DEWA) | United Arab Emirates | Utility & energy | Dubai Financial Market | 61 |
2022/4/21 | CNOOC Ltd | China | Oil & Gas | Shanghai Stock Exchange | 51 |
2022/5/12 | Life Insurance Corp. of India | India | Insurance | Bombay Stock Exchange | 27 |
2022/8/25 | China Tourism Group Duty Free Corp Ltd | China | Retail & Whsle | Hong Kong Exchange-Main Board | 21 |
2022/5/31 | Borouge plc | United Arab Emirates | Chemicals | Abu Dhabi Securities Exchange | 20 |
2022/11/24 | Americana Restaurants International PLC | United Arab Emirates | Dining & lodging | Abu Dhabi Securities Exchange Saudi Stock Exchange | 18 |
2022/9/14 | Corebridge Financial Inc. | United States | Insurance | NewYork Stock Exchange-NYSE | 17 |
2022/8/9 | Shanghai United Imaging Healthcare Co. Ltd. | China | Health care | Sci-Tech Innovation Board (STAR Market) | 16 |
図表4 2022年のIPO上位10件(日本)
上場日 | 会社名 | 業種 | 市場 | 上場時時価総額(億円) | 上場時調達額(億円) |
---|---|---|---|---|---|
2022/12/14 | 大栄環境 | サービス業 | プライム | 1,625 | 433 |
2022/6/8 | ANYCOLOR | 情報・通信業 | グロース | 1,442 | 24 |
2022/10/12 | ソシオネクスト | 電気機器 | プライム | 1,291 | 668 |
2022/12/14 | スカイマーク | 空運業 | グロース | 767 | 325 |
2022/6/28 | M&A総合研究所 | サービス業 | グロース | 465 | 55 |
2022/8/2 | 日本ビジネスシステムズ | 情報・通信業 | スタンダード | 441 | 37 |
2022/11/15 | ベースフード | 食料品 | グロース | 361 | 51 |
2022/11/22 | ティムス | 医薬品 | グロース | 335 | 25 |
2022/9/22 | FPパートナー | 保険業 | グロース | 316 | 78 |
2022/12/23 | GENOVA | サービス業 | グロース | 297 | 55 |
出典:公表されている株価情報に基づきKPMG作成
以上のように、日本と海外のスタートアップ企業を比較した場合、日本はユニコーン企業数が少なく、また、スタートアップではないIPO企業も含まれています。また、IPOした企業は相対的に規模の小さい状態でIPOしているという特徴も見られます。つまり、世界では新たなユニコーン企業の誕生スピードが鈍化しているにもかかわらず、日本と世界との間では依然として大きな差が生じているということです。
こうした現状で日本のスタートアップ企業が大きく成長していくためには、国内で圧倒的シェアを獲得するか、もしくは海外での事業展開を見据えてビジネスモデルを構築することが重要と考えられます。
II.スタートアップ企業の海外展開に向けた課題
日本にとって、スタートアップ企業の海外展開は重要な課題として認識されています。それは、スタートアップ企業が世界を牽引するようなユニコーン・メガコーン企業(評価額が100億ドルを超える未上場スタートアップ企業のこと)となるには、早くから海外展開して勝負していくことが、ほとんどの場合必須と考えられているからです。そのためには、海外ですでにあるビジネスモデルを輸入するような事業や、日本国内固有の社会課題を解決するような事業分野ではなく、世界の社会課題を解決するような事業分野が有望であり、このような分野に重点的に支援することが必要と考えられます。
図表5に、日本のスタートアップ企業が海外展開するために留意すべき課題を事業面、資金面、人材面から整理しました。
図表5 日本のスタートアップ企業が海外展開するために留意すべき課題
留意点 | |
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事業面 |
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資金面 |
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人材面 |
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出所:KPMG作成
1.事業面
事業面では、進出する現地の商慣習および法規制環境を十分に把握する必要があります。特に新興国は、現地拠点を設けようとしても外資規制があったり、贈収賄を求められたりします。政治情勢や地政学上のリスクによって、販売や生産がストップしてしまうリスクも考えられるため、これらに備えた対応が必要となります。知的財産やノウハウの流出防止にも、十分な留意が必要です。これらの面では、海外展開に長けた投資家やアクセラレーターを活用することも有用となります。
2.資金面
海外展開する日本のスタートアップ企業は、資金調達において大きな課題に直面することが多いです。海外展開には多額の資金が必要ですが、そもそも日本国内のVCの投資規模は海外VCと比較して小さく、国内VCからの調達のみでは十分な成長資金を確保することは困難です。この点、海外VCからの投資受入によって多額の資金を確保するとともに、当該海外VCから支援を受けて海外展開を加速することが可能となります。そのためには、起業当初から海外展開を見据えた事業戦略を策定し、海外VCに対して積極的にアピールする必要があります。
3.人材面
人材面は、すでに海外展開をしているスタートアップ企業を見ても分かるとおり、人種や国籍を問わず、グローバルな経営チームの組成、人材の採用を行っていくことが重要です。海外での事業が一定規模以上になる段階では、それに応じた経営管理体制を構築する必要があり、現地の経営陣や従業員の確保を進めていくことになります。グローバルの知見やPh.Dなどの技術的知見を有したキャピタリストや支援人材が日本では不足していることも課題となっています。
有望なスタートアップ企業の海外展開を支援するため、事業面では全体に広く支援するだけでなく、世界で活躍できる事業分野への集中的な支援や海外アクセラレーターの活用、資金面では国内VCの投資規模と海外VCの投資受入れを拡大させていくことが重要となります。人材面では、人材流動化や大企業の人材の活用と併せて、グローバルの知見や技術的知見を持った支援人材およびキャピタリストの育成、海外からの優秀な人材の積極的な受入れも重要です。
III.海外展開を見据えた支援を行っている国・地域の特徴
1.スタートアップの海外展開を支援する3つの国・地域
グローバルのトップ企業を数多く有する米国シリコンバレーのように、ユニコーン企業を多く輩出するのは特定の都市に集中しています。これは、スタートアップ企業のイノベーションを支援するコミュニティが構築されているからです。大規模なVC投資、エンジェル投資家、アクセラレーター、キャピタリスト、大企業、アカデミア、そして起業や経営の経験を有する人材が豊富であり、かつこれらの人材が循環することで、スタートアップ企業の成長を支えているのです。ここでは、スタートアップ創出国として名高いインド、イスラエル、シンガポールの特徴を解説します。
(1)インド
インドは米国・中国に次いでユニコーン企業数が世界第3位の国家です。人口も中国を上回ると見られており、消費市場としても注目されています。インドは歴史的にいわゆるIT分野での受託事業が経済成長の一翼を担ってきました。その関係から、インド工科大学をはじめとしてテック系の優秀な人材が多く育成され、IT分野の研究も盛んに行われています。
欧米のテック系企業の経営陣にインド出身者がいることも珍しくないため、欧米企業との親和性は高く、海外資本による投資・M&Aを受けることで成長を享受しています。また、M&A市場がIPO市場に先行して発達したことから、エンジェル投資家も多く存在します(図表6参照)。
図表6 インド
(2)イスラエル
イスラエルは、世界有数のスタートアップ大国と言われています。人口は他国と比べて少ないものの、人口当たりのユニコーン企業数・スタートアップ投資額が世界一との調査結果が示されているほど、スタートアップ企業が数多く生まれています。特に、テルアビブ大学やテクニオン-イスラエル工科大学などのアカデミア、軍の諜報機関などの研究成果を利用したディープテック分野でのスタートアップ企業が多く輩出されています。
また、多くのグローバル企業の研究開発拠点が置かれ、研究開発支出も世界トップクラスです。これら研究開発成果を背景に、海外からの投資を多額に呼び込むことで成長を果たしています(図表7参照)。
図表7 イスラエル
(3)シンガポール
シンガポールは東南アジアのハブとして、世界中から人材と企業を誘致することで経済成長を果たしてきました。その特徴は、シンガポール政府主導でスタートアップや起業家に対して積極的に助成や事業化支援を行っていることが挙げられます。また、海外から投資ファンドやグローバル企業を誘致することで、スタートアップ企業の成長を支援しています。さらに、シンガポール国立大学では、インキュベーション施設や起業家支援プログラムを用いて、積極的にスタートアップ支援を行っています(図表8参照)。
図表8 シンガポール
シンガポールの国内市場自体は大きくないことから、起業当初から中国・インド・東南アジアを念頭に置いて事業展開を進めており、シンガポール国内に限らずスタートアップ企業が事業展開ハブとして利用されていると言えます。
2.スタートアップ関連税制
ここで税制面についても少し触れます。日本でも2023年度から適用される改正税制では、スタートアップ企業への投資や協業を促進するための税制上の措置が取られています。
(1)米国のエンジェル税制
まず、米国におけるスタートアップに関連するエンジェル税制について紹介します。起業家や従業員などの自社株式によるキャピタル・ゲインは1,000万$/年まで非課税、キャピタル・ゲインを用いたスタートアップへの再投資は上限金額なしに課税を繰り延べることができます。
(2)日本における税制改正
日本でも2023年度から、スタートアップへの投資を促進するために、エンジェル税制の見直しを実施しました。従来もスタートアップへの再投資には、キャピタル・ゲイン課税を繰り延べる措置は講じられていましたが、本改正により非課税とされたことから、エンジェル投資家によるスタートアップ企業への投資促進が期待されます。
ただし、たとえばシンガポールでは、損益取引を除くキャピタル・ゲインが非課税となるなど、税制面でさらに優遇措置が講じられている国や地域も存在しているという事実は認識しておく必要があります。
日本では、エンジェル税制の見直しと併せて、オープンイノベーション促進税制も2023年度の税制改正に含まれています(図表9参照)。これには新規出資型とM&A型の2種類があります。新規出資型は、事業会社のスタートアップ企業に対する投資の25%を所得控除するもので、大企業からスタートアップ企業への投資を後押しする制度となっています。M&A型は、スタートアップ企業のイグジットとしてM&Aを増やすことを目的にしたもので、事業会社がスタートアップ企業の議決権の過半数を取得した場合にはその取得価額の25%を所得控除することができます。
図表9 2023年度から導入された日本のスタートアップ関連税制の主要ポイント
内容 | |
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(1)エンジェル税制 | 保有する株式を売却して、初期のスタートアップに再投資する場合や自ら起業する場合における非課税措置を創設(上限20億円) |
(2)オープンイノベーション促進税制 | スタートアップの出口戦略の多様化の観点から、特にスタートアップの成長に資するものに限定し、事業会社がスタートアップをM&Aする時の発行済株式の取得に対しても所得控除25%を講じる |
(3)研究開発税制 | スタートアップとの共同研究等を促進するため、オープンイノベーション型における株主等に対する課税を繰り延べる特例措置を創設する |
(4)パーシャルスピンオフ税制 | 元親会社に一部(20%未満)持分を残すスピンオフにおいても、一定の要件を満たせば株主等に対する課税を繰り延べる特例措置を創設する |
(5)ストックオプション税制 | ディープテックなど事業化まで時間を要するスタートアップ等を後押しするため、一定の要件を満たしたストックオプションの権利行使期間を現行の10年から15 年に延長するとともに、保管委託の運用について、見直しを行う |
(6)国外転出時課税(出国税) | スタートアップの海外進出を促進するため株券を発行することなく担保の提供を可能とする等の所要の見直しを行う |
(7)暗号資産の期末時価課税 | 自己が発行し発行時から保有し続けている等の要件を満たす暗号資産については、期末時価評価課税の対象外 |
出典: 経済産業省「令和5年度( 2023年度)税制改正のポイント」をもとにKPMG作成
スタートアップ企業に対するM&Aの増加によって、事業拡大が加速したり、起業家がM&Aにより早期にイグジットすることで、連続起業家として新たに起業したり、エンジェル投資家やキャピタリストに転じるなどして、人材の循環が促進されることも期待されます。
IV.さいごに
日本のマーケットは米国などに比べて小さいため、日本のスタートアップ企業は事業規模や拡大スピードの点で伸びにくい環境にあると考えられます。しかし、今回取り上げたイスラエルやシンガポールでは、人口や国内マーケットの規模が日本より小さいながらも、自国の特性を活かし、もしくは作り出して、積極的に海外へ事業展開しています。それだけでなく、海外から資金と人材を呼び込むことで、世界有数のスタートアップ創出国となっています。
日本が抱えるさまざまな課題を解決し、日本のスタートアップ企業が海外展開するには、スタートアップ・エコシステム内の各プレーヤーが産官学で連携して支援する必要があるでしょう。今後、高い成長性を持った、世界と伍していくスタートアップが創出されていくことが期待されます。
1 内閣官房「スタートアップ5か年計画」2022年11月
執筆者
KPMGジャパン プライベートエンタープライズセクター
パートナー 阿部 博
テクニカル・ディレクター 浜口 基周