生成AIの急速な普及に伴い、イラスト描画、ストーリー執筆、楽曲制作など、これまで人間にしかできないと考えられていたクリエイティブ領域にAIが活用されるようになってきています。
本稿では、生成AIの台頭により一層重要になるアーティストの役割とは何か、AIとアーティストはどのように共創できるのか、およびこれらの潮流を踏まえたビジネスの変化について考察します。
アーティスト(人間)にしかできないことは何か?
そもそもアーティストの活動とは、構想(Input)と創作(Process)を経て作品(Output)を生成する活動であると言えます。構想は、自身の価値観をもとに独自の視点で問題を発見・定義し、問題に対する自身の主張を確立する行為を指します。創作は、表現したいことが構想出来た際に、これを絵、音楽、舞踊など何らかの表現方法に落とし込む作業を指します。
一方で生成AIは、入力されたプロンプト(Input)をもとに推論(Process)を行い、推論結果(Output)を出力します。
これらを比較してみると、まずInputは共通して人間が考える必要があります。また生成AIの場合、Processが高速かつ機械的であること、Outputはそれらしい結果が出力されるものの、アーティストの意図を完璧に表現した出力はできないことに特徴があります。
このことより、少なくとも以下の活動については、人間にしか発揮できない価値があると考えられます。
(1) 構想作業
(2) Processそのものに価値がある活動
(3) 生成AIの出力をブラッシュアップして作品に落とし込む活動
(3)については、今後生成AIの開発が進むにつれて、アーティストの意図を正確に汲み取った出力が実現される可能性が高いと思われます。一方(1)(2)については、今後どれだけ生成AIが進化しようとも、人間が普遍的に担うべき役割だと考えられます。以降では、(1)(2)における人間の役割について考察します。
構想作業における人間の価値
構想作業においては前述のとおり、どのような問題を定義するかが重要です。何を問題と捉え、どのような主張をするかといったアーティストの考えを起点として作品は作られます。そしてその考えは、環境、経験、生まれ持った遺伝子などにより形成される価値観に大きく依存します。これらの要素は個人に固有のものであり、全員が異なる歴史を歩んできたからこそ、独自のモノの見方や問題提起が可能なのです。
わかりやすいのが、作者自身の解釈や作品に込められたコンセプトが重視される現代アートです。現代アートの父と呼ばれる芸術家であるマルセル・デュシャンは、小便器に署名と年記を施しただけの「泉」という作品を通して、創造的行為は作者一人ではなく鑑賞者との対話を通して行われる、高潔で品性のあるものだけがアートではない、といった新しい解釈を世に問うたとされています。アートに対する彼の解釈は彼自身の課題認識に端を発するものであり、この構想は彼にしかできない行為であったと言えます。
一方で生成AIは、既存のデータをもとにパターンを学習することで生成タスクを行えるようになるため、全く新しい概念やモノゴトの捉え方を提起することは難しいでしょう。とにかく学習量を増やすことで精度を向上させていく現在のアプローチが続く限り、このような知的作業をAIが担うことは現実的ではありません。
創作作業における人間の価値
アートには、アーティストと作品が分離しておらず、創作プロセスそのものが作品となる領域があります。
たとえば茶道は、美味しい茶を点てるという結果ではなく、わびさびといった日本人的な精神性を有する人間同士が、その所作をもって空間を共創していくこと自体に価値があります。演劇では、演者がキャラクターの心情を独自に解釈し、それを指先の細やかな所作にまで表現することで観客は引き込まれます。いずれもProcessそのものに価値があり、Outputと不可分な活動です。
一方で生成AIに求められるのはあくまで質の高いOutputであり、生成までのProcessに価値はありません。これはどのようにOutputに至るかというストーリーを表現することこそ、人間の役割であると言い換えることが出来ます。
ここまでで、自身の価値観を形成し、問題を定義し、そこに至るストーリーを描くことがアーティストの役割である、と伝えてきました。
Part2では、生成AIとアーティストはどのように共創していけるのか、アート領域の変化を踏まえてビジネスではどのような変化が起こるのか、について考察します。
執筆者
KPMGコンサルティング
シニアコンサルタント 山口 大貴