事業会社によるスタートアップ企業のM&Aを取り巻く課題

スタートアップ企業の買収における事業会社の実務上の諸課題、国内ベンチャーキャピタルのEXITの実態と諸制度の改善の取組みや、スタートアップ企業の上場の意味と上場前後での投資家層の広がりについて解説します。

スタートアップ企業の買収における事業会社の諸課題や、国内ベンチャーキャピタルの実態と改善の取組み、スタートアップ企業の上場の意味と上場前後での投資家層の広がりについて解説します。

近年、オープンイノベーションの必要性が高まるなか、事業会社による国内スタートアップ企業とのM&Aや資本業務提携が急速に進んでいます。毎年相当数の出資があり、事業会社とスタートアップ企業の資本関係が構築されていく一方、その多くは事業会社からのマイノリティ出資であり、両者間での効果的なシナジーの創出に向けては、マジョリティ出資の広がりが期待されるところです。

本稿では、事業会社によるスタートアップ企業のM&A活性化の観点を切り口として、スタートアップ企業の買収における事業会社にとっての実務上の諸課題、国内ベンチャーキャピタル(以下、「VC」という)のEXITの実態と関連する諸制度における改善の取組み、さらに、スタートアップ企業にとっての上場の意味と上場前後での投資家層の広がりについて解説していきます。

なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りいたします。

POINT 1
事業会社による国内スタートアップ企業への投資案件数は10年前の25倍の水準

事業会社による国内のスタートアップ企業向け投資はオープンイノベーションの高まりを受けて、直近10年間で大幅に増加。シナジー創出の効率化に向け事業会社によるスタートアップ企業のM&Aを加速するには、事業会社自身の努力に加えて、スタートアップ企業を取り巻く環境の改善が必要。

POINT 2
事業会社側はM&Aに向けて企業文化、制度や人材面で課題

事業会社によるスタートアップ企業のM&Aを阻害する要因としては、企業文化や社内の制度の問題、M&A案件を推進できる人材の不足、スタートアップ企業に特有のバリュエーションの高さとそれに付随するのれんの問題等があり、特に企業文化や社内制度、人材不足に関しては、改善に向けた中長期目線での取組みが期待される。

POINT 3
多くのスタートアップ企業がIPOを志向

レイターステージにおける機関投資家からの資金供給が少ないなか、我が国ではスタートアップ企業がIPOを選択。非上場株式の流通プラットフォームが未整備であるため、IPOが創業者や投資家の投資利益の確定ニーズの受け皿となっている。

POINT 4
スタートアップ企業の資本政策を取り巻く環境は改善

スタートアップ企業にとっては、IPOの前後で株主となる投資家の性質が変わり、それが資金調達や経営戦略に相応の影響を及ぼす可能性がある。一方、投資家の多様性を高めるための制度改正や、公募増資に関する開示規制の緩和、また、グロースキャピタルをはじめとする新たな投資家層の出現により、スタートアップ企業にとっての環境は改善されつつあるといえよう。

お問合せ

I.事業会社の国内スタートアップ企業投資案件数とM&A活性化の期待

1.投資件数のトレンド

事業会社による国内スタートアップ企業への投資件数は、2012年の36件から2021年には915件に大幅に増加しています。内訳は、事業会社本体による投資が19件から602件へ、コーポレート・ベンチャー・キャピタル(以下、「CVC」という)を経由した投資が17件から313件へ増加というものです(図表1参照)。

図表1 事業会社による国内スタートアップ企業投資案件数の推移

事業会社によるスタートアップ企業のM&Aを取り巻く課題_1

出所:レコフM&AデータベースよりKPMG作成

大きな変化をもたらしたのは、オープンイノベーションの浸透に他ならないでしょう。2000年代以降、特に米国のテクノロジー業界においては、プロダクトやサービスのライフサイクルが短期化するなかで、企業経営に対する投資家からの厳しい要請に対応するため、オープンイノベーションによる事業展開が必須とされてきました。国内の事業会社でも、こうした海外企業と同様の成長を目指す観点で、スタートアップへの投資が進んできたと言えるはずです。

2.M&A活性化の期待

一方、事業会社本体によるスタートアップ投資における取得比率をみると、ここ数年ではマイノリティ投資が全体の約85%、マジョリティ投資が約15%という状況です。マジョリティ取得の件数は2012年の5件から、2021年には93件まで増加していますが、これは日本企業による広義のM&Aに含まれるマジョリティ投資(1,961件:2021年)の4.7%にとどまります。スタートアップ企業とのシナジーの創出をより効率的に行う意味では、出資先へのガバナンスを効かせることができるM&A (マジョリティ取得)の増加が望ましいと言えるのではないでしょうか(図表2参照)。

図表2 事業会社本体による国内スタートアップ投資案件の内訳推移

事業会社によるスタートアップ企業のM&Aを取り巻く課題_2

出所:レコフM&AデータベースよりKPMG作成

また、スタートアップ企業のM&Aは、事業会社の成長を加速させるだけでなく、投資家にとっての資金回収の機会を増やすことにもつながります。スタートアップの創業者やVC等の投資家にとっては、EXITの可能性が広がり、業界全体で見たリスクマネーの循環が促進されると言えるでしょう。

さらに、スタートアップ企業のM&Aにより、起業とEXITを経験した人材が生み出され、シリアルアントレプレナーやエンジェル投資家、起業経験のあるベンチャーキャピタリストとなって、次なる成長企業を生み出すというような好循環が導かれるでしょう。

他方、事業会社によるスタートアップ企業のM&Aが活性化していくには、事業会社自身が直面する課題と向き合い、それらを克服していくことに加え、スタートアップ企業を取り巻く環境が整備されていく必要もあるものと考えられます。

事業会社側からは、企業文化や社内制度、M&A人材の不足などに加え、スタートアップ企業のバリュエーションの高さや、のれんの減損懸念といった課題が挙げられるでしょう。一方、スタートアップ企業側は、VCの要請も踏まえて多くはIPOを目指す傾向にあり、事業会社も含めた第三者からのマジョリティ出資に応じにくいこともポイントでしょう。

II.事業会社側から見た課題と対応

1.企業の文化や社内制度

日本的な企業文化や社内制度がM&Aの投資検討における課題となることがあります。投資の失敗が許されにくい風潮や社内政治的な要因で投資に消極的になってしまう傾向があること、意思決定プロセスが複雑で時間を要し、投資担当者の負担が重くなりやすいなどといったことが挙げられます。また、スタートアップ企業のM&AはCVCと連動した大きなコーポレートディベロップメントの枠組みのなかで行われるべきであるものの、両者の連動が不十分であるという指摘も見られます。事業会社においては自社の経営戦略全体を踏まえつつ、組織のカルチャー変革も含めた大きな枠組みでスタートアップ投資の制度設計を行うことが必要でしょう。

2.人材の不足

現状では事業会社各社がM&Aの文脈で十分なスタッフを揃えているとは言い難いでしょう。自社での育成に加え、金融機関やM&Aアドバイザリーファーム等からのインフローがあると想定されるものの、専門的な人材の育成には時間を要することもあり、中長期で改善していくべき課題でしょう。なおこの点はCVCにおいてより顕著であり、いわゆる目利きのできる人材の育成が課題となっています。欧米では人材の流動性が 高く、自身も起業を経験したのちにVCに入ってくるというフローがあるのに対し、日本では事業を経験した人材が乏しいとされています。一部のCVCでは、欧米で活躍しているキャピタリストを日本に招聘し一緒に案件に取り組むことで経験値を高めようという取組みも見られます。

3.バリュエーションとのれん

一般に、成長性の高いスタートアップ企業のM&Aでは、売手と買手の間で事業計画に対する評価に差異が生じやすく、双方のバリュエーションの目線感にも乖離が起こりやすいと言えるでしょう。実務では、事業計画に対する評価や価格目線のギャップを解消するための手法として、買収後の対象会社の業績に応じて譲渡代金を追加的に支払うアーンアウト条項や、買収対価を自社株で支払い売手に金銭的メリットが拡大する可能性を与える株式対価の手法が用いられることがあります。

また、スタートアップ企業は成長率の高さからバリュエーションも高くなりやすく、買収価格が時価純資産を大きく上回るケースも多いため、のれんの償却や減損リスクといった財務への影響が事業会社の株主の視点でも心配されやすいでしょう。これらについては、買収後の対象事業の業績推移やPMIの状況などについて、IR活動で積極的に発信していく取組みが見られます。償却負担を足し戻した利益項目(EBITDAや調整後営業利益)を示したり、減損が起こった場合の金額の最大値を示したりするケースもあります。

III.日本におけるベンチャー投資のEXIT:スタートアップ企業の多くがIPOを行う背景

1.VCのEXITの実態

前述の通り、事業会社によるスタートアップ投資は増加の傾向にあるものの、事業会社からスタートアップ企業へのマジョリティ投資が加速しにくい理由も散見されます。一方で、VC投資のEXITを見ると、IPOが全体の約 7割を占めており、そもそも多くのスタートアップ企業がIPOを目指しているという状況があります。この比率は、米国でIPOによるEXITが約1割であるのと対照的です(図表3、4参照)。

図表3 ベンチャーキャピタルの投資先企業のIPO及び M&Aの状況

事業会社によるスタートアップ企業のM&Aを取り巻く課題_3

図表4 米国・日本におけるステージ別のベンチャーキャピタル投資額(2019年)

事業会社によるスタートアップ企業のM&Aを取り巻く課題_4

2.資金の供給拡大とセカンダリー取引の円滑化

金融庁の金融審議会 市場制度ワーキング・グループでは、「国内スタートアップ企業への資金供給は増加しているものの、欧米と比べてその規模は小さい。スタートアップ企業に成長資金をしっかりと供給していくためには、機関投資家、特に非上場段階での成長を可能とする長期資金を提供できるアセットオーナーやエンジェル投資家による資金提供の拡大が必要」としています。この問題意識を起点に、スタートアップ企業・非上場企業への成長・事業再生資金の円滑な供給に向け、機関投資家による資金の供給拡大、非上場株式のセカンダリー取引の円滑化等の課題を指摘しています。

機関投資家による資金の供給拡大の観点では、年金基金等のアセットオーナーからのVC等への投資を拡大するために、専門人材の育成や運用ノウハウの共有等が有効であるとされています。年金基金等の投資家にとっては、十億円単位以上での投資ができるVCファンドが国内に少なく、そもそも投資の間尺に合わないということもありますので、これも踏まえて、国内VCにおいては、国内外の機関投資家からの資金調達拡大に向け、国際標準である公正価値で投資先のバリュエーションを行うことが推進されており、取組みの進展が期待されています。

また、米国のミューチュアルファンド等による上場前後を跨いだクロスオーバー投資のように、レイターステージのスタートアップ企業の資金需要を満たすとともに、上場前後での持続的な成長に資するような投資が行われやすくなるよう、日本でも非上場株式の投資信託への組み入れに関する制度の整備が必要であるとされています。

非上場株式の流通の観点でポイントになるのは、非上場株式のセカンダリー取引の円滑化により、創業者やVC等の売却ニーズが満たされるだけでなく、プライマリー取引にも波及して、スタートアップ企業が上場前に大きく成長できるという考え方です。2020年度の政府の規制改革推進会議において、非上場株式のセカンダリー取引の低迷が、いわゆるユニコーン企業輩出の大きな障害となっているとの指摘がなされ、非上場株式などの流通市場の見直しが規制改革事項として盛り込まれたことで、当審議会や日本証券業協会(以下、「日証協」という)で議論が進められています。

機関投資家による資金の供給が拡大し、非上場株式の流通が活発化されれば、スタートアップ企業の資金調達は多様化して、投資家にはIPO以外でのEXITの機会が増えることになるでしょう。それにより事業会社からのマジョリティ取得を受け入れるスタートアップ企業も増えてくるのではないでしょうか。

IV.スタートアップ企業にとってのIPOと新たな投資家層

レイターステージのスタートアップ企業を取り巻く状況からは、資金調達や株主のEXITの観点でも、IPOが選択肢の中心と見受けられますが、これはスタートアップ企業にとってはどのような意味を持つのでしょうか。

株式の上場は、知名度や信用度の向上、優秀な人材の確保、資金調達力の向上等が目的であり、スタートアップ企業にとってより一層の成長を目指すためのものに他ならないでしょう。こうしたメリットの獲得がある一方、上場後は市場からの評価が常に株価に反映されることになり、成長戦略の実施においても多様な投資家との対話の必要が出てきます。上場前に株主だったVCは、事業やファイナンスに理解があり会社を支える存在ですが、上場後はスタートアップ企業自身がIRの中で様々な投資家と向き合っていくことになります。

特に小型株として上場したスタートアップ企業は、IPO 後に追加的に公募増資を実施できていないケースも多く見られ、M&A等の成長投資に振り向ける資金余力が限定的となり成長を阻害されるケースがあるとされています。これにより一部では成長が鈍化する企業もあることから、IPO直後の期間がスタートアップ企業にとっての「第二の死の谷」と呼ばれることがあります。ここではスタートアップ企業自身の経営努力が必要とされるのはもちろん、制度の整備も期待されています。前章で触れた、クロスオーバー投資のための非上場株式の投資信託への組み入れや、現在日証協で議論されている、上場後の公募増資で資金使途をM&Aとする場合の開示規制の緩和等が挙げられます。

注目すべきは、ここ1~2年の傾向として、スタートアップ企業の成長フェーズごとに投資家層が多様性を増してきていることでしょう。未上場はVC、上場企業は上場機関投資家という既存の分類だけではなく、特にレイターステージとポストIPOにおける投資家の多様性が増しており、たとえば、アーリーVCによるフォローオンファンドの設立や、PEファンドやグロースキャピタル、上場機関投資家がプレIPOで投資をするといったように、投資家が多様化し資金提供が拡大しています。上場前後で株主構成が大きく変わる可能性のあるスタートアップ企業にとっては、こうした投資家から出資を仰ぐことができるようになるのは、望ましい展開でしょう(図表5参照)。

図表5 スタートアップ企業の成長イメージと各フェーズにおける投資家

事業会社によるスタートアップ企業のM&Aを取り巻く課題_5

この背景には、レイターステージにおける機関投資家からの資金供給が少ないなか、米国との比較において上場がしやすいと言われるわが国では、スタートアップ企業がIPOを選択してきたこと、また非上場株式の流通プラットフォームが未整備であるために、IPOが創業者や投資家の投資利益の確定ニーズの受け皿になってきたということがあるものと考えられます。

V.さいごに

本稿では、国内の事業会社によるオープンイノベーションの実現に向けたスタートアップ企業のM&Aを切り口に、買手となる事業会社側のM&A推進における課題や、売手となるVCとスタートアップ企業を取り巻く環境について述べてきました。今回取り上げた諸課題への取組みが、事業会社やスタートアップ企業にとってより良い方向に進展し、日本のスタートアップ企業を取り巻く環境の発展につながることを願っています。

執筆者

KPMGジャパン プライベートエンタープライズセクター
パートナー 阿部 博
シニアマネージャー 金岡 祐介(2024年11月退職)