ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法

旬刊経理情報(中央経済社発行)2022年10月1日特大号(No.1656)に ESG視点の事業ポートフォリオに関するKPMGの解説記事が掲載されました。

旬刊経理情報(中央経済社発行)2022年10月1日特大号(No.1656)に ESG視点の事業ポートフォリオに関するKPMGの解説記事が掲載されました。

本記事は、「旬刊経理情報 2022年10月1日特大号」(通巻No. 1656)に掲載したものです。発行元である中央経済社の許可を得て、あずさ監査法人がウェブサイトに掲載しているものですので、他への転載・転用はご遠慮ください。

第I章 低いリターン、進まぬ事業の切り出し… 事業ポートフォリオ見直しがESG視点で求められる背景

【この章のエッセンス】

  • 日本企業のリターンが欧米企業と比較して低位で推移している要因の1つとして、事業の新陳代謝が進んでいないことが挙げられる。この状況に対応するためには、企業は自社の事業ポートフォリオを定期的に評価するしくみを構築し、その組換えに本気で取り組む必要がある。
  • 事業ポートフォリオはサステナビリティの観点からみても最適化されていることが求められ、事業ポートフォリオ評価にESGの視点を織り込むのはもはや必須である。

サステナビリティ経営と日本企業の実態

昨今、ESGや脱炭素といったキーワードを見かけない日がないほど、企業は本格的にサステナビリティ経営(ESG経営ともいう)に取り組むことが求められている。サステナビリティ経営は一言で表すと、「短期的な利益のみを追求するのではなく、環境や社会の持続可能性(サステナビリティ)への配慮を通じて事業の持続的な成長を実現し、中長期的な企業価値の向上を図る経営」といえる。

日本ではESG情報開示への対応に焦点が当たりがちで、その情報開示の拡充と合わせてサステナビリティ経営を標榜する企業も多い。しかし、情報開示はあくまでもステークホルダーへの説明責任を果たすための取組みの1つに過ぎない。最終的に中長期的な企業価値の向上が実現できなければ、本当の意味でサステナビリティ経営ができているとはいえないであろう。すなわち、サステナビリティ経営は、「企業の持続的な成長」と「中長期的な企業価値向上」を同時に実現できて初めて成り立つのである。

「中長期的な企業価値の向上」は資本コストを上回るリターンを持続的に上げることである。日本においては、2014年に「伊藤レポート」1が公表されて以降、資本コストを意識した経営に対する考え方が浸透してきたとみることもできる。しかしながら、日本企業のROEは依然として欧米企業と比較して低位で推移しているのが現実である(図表1)。

図表1 日本企業と欧米企業のROE推移

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_1

(*) 日本はTOPIX500、米国S&P500、欧州は Bloomberg Europe 500より金融セクター銘柄を除いて集計されている。
(出所) 経済産業省、第1回 サステナブルな企業価値創造のための長期経営・長期投資に資する対話研究会「事務局説明資料」(2021年5月)をもとにKPMGが作成


このような状況下、経済産業省は日本企業のリターンが低位にとどまる要因として事業の新陳代謝の遅れがあるのではないかといった問題意識のもと、2020年7月に「事業再編実務指針~事業ポートフォリオと組織の変革に向けて~」(以下、「事業再編ガイドライン」という)を公表した。同ガイドラインでは、日本の国内上場企業による合併、買収、事業取得は近年増加傾向にある一方で、事業売却や子会社の売却には消極的(図表2)であることや、グローバル企業との比較において複数の事業セグメントを有する企業の比率が高くなっており事業の切出しが進んでいないことを指摘している。

1経済産業省「『持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築』プロジェクト 最終報告書(伊藤レポート)」2014年8月

図表2 上場企業の事業再編の推移

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_2

(注)「事業の買収」及び「事業・子会社の売却」の件数については、案件ごとの公表日を基準にカウントしている。
(出典) レコフデータベースを基に経済産業省において作成。
(出所) 経済産業省、「事業再編実務指針~事業ポートフォリオと組織の変革に向けて~」【参考資料1.1.1:上場企業の事業再編の推移】

事業ポートフォリオ評価の必要性

こうした状況に対し、事業再編ガイドラインでは、企業が持続的な成長を実現していくためには、自社の競争優位性が発揮される成長分野に経営資源を集中させ、価値創出への貢献が明らかでない事業については切出しを決断、実行することが不可避であると述べている。そのためには、自社の事業ポートフォリオを定期的に見直すしくみを構築し、これを適切に運用することが必要であると言及している。その評価の視点の1つとして「各事業について、資本コストを上回る資本収益性があるか(新規事業については、その見込みがあるか)、成長性の評価が適切に行われているか」を重視することを求めている。また、経営者が自社の事業ポートフォリオの組換えに本気で取り組むうえで、取締役会の役割として事業ポートフォリオに関する基本方針の決定と監督、見直しを行う必要があると提言している。

事業再編ガイドラインで取り上げられた問題意識は、2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでも言及されている。具体的には、第5章「株主との対話」の原則5 - 2、および、補充原則5 - 2(1)において、経営戦略策定の前提として事業ポートフォリオの考え方が織り込まれ、その方針は取締役会で決定されるものであると明記されている。

事業ポートフォリオ評価とESG

事業再編ガイドラインは資本効率や成長性について言及するのに加えて、事業ポートフォリオ評価においてESGの視点を考慮することの重要性についても明記している。「事業ポートフォリオがサステナビリティ(ESG要素を含む中長期的な持続可能性)の観点から適切なものになっているか」も合わせて考慮することを経営者ひいては取締役会に求めている。

コーポレートガバナンス・コードは2021年6月の改訂にてサステナビリティの観点を大幅に拡充するとともに、明示的にサステナビリティと事業ポートフォリオの組換えについて言及している点についても触れておく必要があるだろう。

まず、第2章「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」の補充原則2 - 3(1)では、サステナビリティをめぐる課題について例示するとともに、その課題への対応は「リスクの減少のみならず収益機会にもつながる重要な経営課題であると認識し、中長期的な企業価値の向上の観点から、これらの課題に積極的・能動的に取り組むよう検討を深めるべき」としている。

第4章「取締役会等の責務」の補充原則4 - 2(2)では「取締役会は、中長期的な企業価値向上の観点から、自社のサステナビリティを巡る取組みについて基本的な方針を策定すべきである」と述べるのに加えて、「経営資源の配分や、事業ポートフォリオに関する戦略の実行が、持続的な成長に資するように、実効的に監督を行うべき」と規定している。

つまり、コーポレートガバナンス・コードは、上場企業に対して企業価値向上とサステナビリティを明確に関連づけて対応するように求めるのと同時に、その手段として経営資源の配分、つまり、事業ポートフォリオの組換えにも取締役会が十分に監督を利かせる形で対応することを求めている。

自社にとって重要なサステナビリティ課題に対応し、持続的な成長を実現するための戦略を立案するうえで、ESG視点を織り込んだ自社の事業ポートフォリオの評価は避けて通れない。次章では、このようなESG視点を織り込んだ事業ポートフォリオ評価の実践に向けて、その評価手法とその実務上の留意点について考察する。

土屋大輔

KPMGサステナブルバリューサービス・ジャパン/有限責任あずさ監査法人 サステナブルバリュー統轄事業部/サステナビリティトランスフォーメーション マネージング・ディレクター

あずさ監査法人

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第II章 いかにリスクを特定し、反映するか 事業ポートフォリオ評価にESG評価を組み込む方法

【この章のエッセンス】

  • 事業ポートフォリオを正しく評価するためには、財務・事業に加えてESGの評価軸を設ける必要がある。
  • ESG評価軸の設定において最も重要なのは、企業価値の持続性を最も毀損し得るESGリスクを特定することである。
  •  ESGリスクは中長期で発現するため、足元の意思決定として先送りされるケースがある。事業の方向性を早期に見極め、さまざまなシナリオプランニングを可能とするために、炭素税考慮後ROIC等を事業ポートフォリオ評価に使用するのが重要である。

    

一般的な事業ポートフォリオ評価の手法

(1)事業ポートフォリオ評価の代表的な型

事業ポートフォリオの評価方法には決まった型が存在するわけではないが、代表的なものとして、市場重視型、ポジショニング重視型、ライフサイクル・株主価値重視型の3つのアプローチがある(図表3)。

図表3 事業ポートフォリオ評価の代表的な3つの型

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_3

(出所)KPMGにて作成

1つ目の「市場重視型」は通称BCGマトリックスと呼ばれるもので、「市場成長率」(縦軸)と「相対シェア(自社を除く最大シェアを持つ企業との対比で算出されたシェア)」(横軸)を評価軸とする。

2つ目の「ポジショニング重視型」は、通称GEマトリックスと呼ばれており、「業界の魅力度」(縦軸)と「競争上の地位」(横軸)を評価軸として、9象限のマトリックスで評価する。評価軸は、「業界の魅力度」であれば市場規模・成長性に加え、業界内の競争状態、参入障壁、製品の代替可能性、サプライヤーの交渉力、顧客の交渉力のようにマイケル・ポーターが提唱するファイブフォースを使用するケースが多い。また、「競争上の地位」であれば、市場シェア、業績推移(売上・利益等)、減損の発生率といった定量指標のほかに、自社の競争優位性といった定性情報を加味する。「業界の魅力度」、「競争上の地位」のいずれも、複数の定量・定性指標を点数化して組み合わせた多面評価を行う。

3つ目の「ライフサイクル・株主価値重視型」は、事業のライフサイクルと資本コストの概念を織り込んだ評価手法であり、「成長率」(縦軸)と「ROIC(投下資本利益率)、もしくはROIC Spread、EVA®(経済付加価値)」(横軸)を評価軸として4象限のマトリックスで評価する。


(2)事業ポートフォリオ評価を行ううえでの留意点

事業ポートフォリオ評価の代表的な手法として、3つのアプローチを挙げたが、「市場重視型」は、評価基準が明確で誰がみてもわかりやすいことが特徴である。また、「ポジショニング重視型」は、多面的な観点から評価ができることがメリットであるが、評価に恣意性が入りやすい点やその評価結果に至った理由を明確に説明することが難しい点がデメリットである。また、いずれのアプローチも各事業が資本コストを上回るリターンを上げているか否かを評価できないため、資本コスト割れの事業に経営資源を投入する事態が起こり得る。つまり、事業ポートフォリオ評価によって実現しようとしている企業価値向上の視点が抜け落ちるため、これらのアプローチ単独で評価することには限界がある。

一方で、「ライフサイクル・株主価値重視型」は、評価軸にROICやROIC Spread、EVA® を用いるため、資本コストに対するリターンを評価することが可能である。ただし、もう一方の評価軸に売上高成長率等の指標を置いた場合、事業性が十分に考慮されず、将来の成長ポテンシャルが期待できる事業に十分な投資がされないことも起こり得る。

このように、いずれのアプローチも一長一短があり、財務と事業性のバランスを考慮しながら自社の実態や評価の目的に即した評価軸を設定することが肝要である。たとえば、「ライフサイクル・株主価値重視型」の評価結果をベースにしつつ、「市場重視型」を併用して事業性の観点から評価を補完する等の工夫が考えられる。

ESG評価もこの3つのアプローチのいずれかに評価軸として組み込むことになる。

ESG評価の実施方法

ESG評価を事業ポートフォリオ評価に組み込む方法には、大きく分けて2つのアプローチがある。1つ目は「ESGの全体像を捉えて評価する方法」、2つ目は「特定のESGテーマに限定して評価する方法」である。

ESGの全体像を捉えて評価する方法

ESGの全体像を捉えて評価する方法は、気候変動や水資源、人権等、各事業にとって重要性の高いESGリスクを特定し、それらを総合ESGリスク指標として事業ポートフォリオ評価に活用するアプローチである。このアプローチは「ビジネス・マテリアリティの特定」、「ESGリスクの分類」、「事業ポートフォリオ評価の評価軸へのESGリスクの反映」の3つのステップで実施する。


(1)ビジネス・マテリアリティの特定

1.ESGリスクの棚卸
最初のステップが、ビジネス・マテリアリティの特定である。ビジネス・マテリアリティとは、自社の事業の持続可能性に重大な影響を及ぼすESGリスクのことを指す。重要性の高いESGリスクは業種によってその傾向が大まかに分かれることが多い。そこで、それぞれの事業に関連性の高い業界においてどのようなESGリスクがあるのかを棚卸し、そこから各事業の特性等を踏まえながら、ビジネス・マテリアリティを絞り込む。

ビジネス・マテリアリティを特定する代表的な手法は、ESG基準およびESG規範が定義する評価テーマや評価ウエイト(重要性)を参考にしながら、事業ポートフォリオ評価に資する重要なESG指標を抽出する、というものである。ESG基準として代表的なのは、FTSE、MSCI、S&P Global(DJSI)、Sustainalytics等のESG格付機関は、業種ごとに評価すべきESGリスクを設定しているのに加えて業種ごとにその重みづけを変えて格付評価を実施している。

ESG規範として機関投資家の認知度が高いのは、SASB Standardsとして発行されている"Engagement Guide"や業種別メトリックスである。たとえば、"Engagement Guide for Asset Owners & Asset Managers"は、77のセクターごとに機関投資家と企業が対話すべき内容について詳述している。

また、ESG基準やESG規範に加えて、ESGインシデントも参考にすることが有用である。これは、ESGテーマごとに過去に発生した企業の不祥事や事故の件数を業種別に集計し、データベース化したものである。業種別に人権侵害や法令違反等の発生件数の傾向が異なるため、業種ごとに顕在化したリスクの傾向をみることができる。


2.ESGリスクの網羅性・妥当性
これらを参考に各事業のビジネス・マテリアリティを特定していくのだが、留意すべき事項がある。

まず、これらは業種別に大まかな傾向を掴むためには参考になるが、事業が複数の業種を跨ぐ特性を有する場合、必ずしも当該事業固有のリスクの網羅性が担保できないという点である。したがって、棚卸したESGリスクのうち、どのESGリスクが当該事業にとって最も重要なものか、過不足はないか検証する必要がある。

次に、ESGリスクのうち、G(ガバナンス)については、コーポレート・ガバナンスやビジネス倫理等、グループ全体で取り組むべき項目が多く、事業ごとの評価には適していない場合が多い。テーマによっては評価項目からあらかじめ除外する必要がある。

最後に、ESGの議論は、その時々で重要テーマが変遷する点にも留意しなければならない。直近では気候変動対応が最も注目されているが、2021年以降は人権リスクの議論が急浮上してきており、次は、生物多様性への配慮に注目が高まるといわれている2。このように、各事業にどのようなテーマが影響するのか、絶えず意識しておく必要がある。

22021年からTNFD(TaskForce on Nature- related Financial Disclosures、 自然関連財務情報開示タスクフォース)が始動しており、自然資本のリスク情報開示の標準化が進められている。


(2)ESGリスクの分類

1.ESGリスクの指数化
ビジネス・マテリアリティが特定できたら、次に、そのリスクの大きさに応じて各事業を高・中・低等の区分に分類する。具体的には、ビジネス・マテリアリティとして特定したESGリスクごとに評価基準(閾値)を設け、リスクが高い場合は3点、中は2点、低は1点のように指数化する。指数化にはさまざまな方法があり、本稿では詳細に取り上げないが、ESGの各項目は「打ち消し合う関係」にはないため、リスクは加算して評価するのが望ましい(たとえば、気候変動リスクに対応できていているからといって人権リスクが低減されるということは通常想定しにくい)。

2.リスク量に応じた分類
ESGリスクを指数化した後に、各事業のESGリスク量に応じて、「トランジション・リスク」、「持続化リスク」、「ビジネス・アズ・ユージュアル」に分類する。「トランジション・リスク」に分類される事業は ESGリスクが高く、ビジネスモデルを転換できなければ事業が成り立たなくなるおそれがある事業である。「持続化リスク」に分類される事業のESGリスクは中程度であり、ビジネスモデルの大転換までは要しないもののESGリスクをコントロールしリターンを持続化するために相応の投資が必要な事業である。最後に、ESGリスクが低く、現状を継続しても問題がない事業は「ビジネス・アズ・ユージュアル」に分類される。
 

(3)マッピング

1.事業ポートフォリオ評価軸へのESGリスクの反映
図表4はこの指数化したESGリスクとROIC Spreadを評価軸として事業ポートフォリオをマッピングしたものである。

図表4 事業ポートフォリオの評価軸にESGリスクを反映する例

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_4

(出所)KPMGにて作成

D事業はROIC Spreadは高く経済性の観点からは優良事業であるが、ESG評価ではトランジション・リスクに分類されている。このような事業は何もしなければ中長期的に社会から排除されるリスクや代替品への置換えなどによって市場が縮小し座礁資産化するリスクが想定される。経営者としては、追加投資を行うことでESGリスクをどこまで低減が可能か、短期的にROIC Spreadの低下をどこまで許容するか、といった判断を迫られることになる。

2.事業性評価へのESGリスクの反映
事業性評価の評価項目にESGリスクを織り込む事業ポートフォリオの評価方法もある。これは、事業性評価の評価軸にESGリスクを織り込んで指数化することによって、ESGリスクが事業の位置づけに及ぼす影響を視覚化する方法である。

たとえば、事業性評価の代表的な評価軸である「産業魅力度」であれば、現状の見立てでは当面の間は成長が期待できる市場である一方、中長期的には脱炭素化に向けた投資が重荷になることが想定される場合は、ESGリスクが発現する影響を踏まえて評価を割り引く。「自社強度」であれば、ESGリスクへの対応が他社に比べて自社が劣る可能性があると判断した場合は、同様に評価を割り引く。

図表5はこの評価方法の例である。A事業はESGリスクの反映前は産業魅力度・自社強度ともに極めて高い評価にあり、非常に強固なポジショニングにある。一方で、ESGリスク反映後は産業魅力度・自社強度ともにポジショニングが大幅に悪化しているのがわかる。経営者としては、このようにポジショニングが悪化することが想定される当該事業についてどのように対処すべきか、事業戦略として検討していくことが必要になる。

図表5 事業ポートフォリオの事業性評価にESGリスクを反映する例

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_5

(出所)KPMGにて作成

特定のESGテーマに限定して評価する方法

ここまでで解説した「ESGの全体像を捉えて評価する方法」は、自社にとって重要と考えられるESGリスクを漏れなく評価に織り込むことができる一方で、指数化の過程で恣意性が入り込む余地が大きいことや最優先に対処すべきESGリスクが曖昧になってしまうといった課題点もある。

この課題点を踏まえ、ビジネス・マテリアリティのうち最も重要性の高い1つのESGリスクに絞ることで、よりシンプルに事業ポートフォリオにおけるESGリスクの影響を評価しようとするのがこの手法である。テーマを絞り込むことで評価の透明性が担保され、説得力や納得感のある評価をすることが可能になるというのもこの手法の特徴である。

GHG排出量が高い事業であれば気候変動リスク、自然資本への依存や影響が高い事業であれば生物多様性リスクといったようにビジネス・マテリアリティのなかでも特に重要なリスクを抽出するのが本手法において最重要である。一方で、昨今の情勢を踏まえると、どの企業もGHG排出によるリスクの評価は避けて通れないであろう。そこで、このセクションの最後にGHG排出リスクに特化した事業ポートフォリオ評価の方法に触れたい。具体的には、事業別のGHG排出量を評価軸として用いる方法や炭素税考慮後ROICを評価指標として用いる方法である。


(1)事業別のGHG排出量を評価軸として用いる方法

1つ目の「事業別のGHG排出量を評価軸として用いる方法」は、縦軸に企業価値軸(ROIC等)、横軸にGHG排出量を設定する。企業価値軸での評価が高くてもGHG排出量が多いといったように、将来において脱炭素化に向けた投資が重荷になる可能性のある事業を明らかにするアプローチである。なお、横軸のGHG排出量は、単純に排出量そのもので評価すると事業規模が大きいほど排出量が多くなることが想定されるため、売上高当たりの排出量(売上高原単位)を用いて炭素効率の高低を評価するのが望ましい。

図表6の例では、A事業はROICが比較的高くWACCを上回るリターンを創出している事業である一方で、売上高原単位のGHG排出量が多く炭素効率が低い。このような事業は事業規模を拡大するほど、他の事業と比較してGHG排出量も大幅に増加する可能性がある。よって、将来的に脱炭素化に向けた戦略を遂行しようとする場合に、A事業の炭素効率を改善するためにどれだけの投資が必要か、また、その投資を行った後でもリターンを維持することが可能であるかを見極められるかが検討のポイントとなる。

図表6 GHG排出量(売上高原単位)で評価する例

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_6

(出所)KPMGにて作成

なお、このアプローチは、相対的にみてどの事業のGHG排出リスクが高いかを評価することは可能だが、どの程度の炭素効率であればリスクが高いあるいは低いといえるのか、閾値の設定が難しい点に留意が必要である。また、GHG排出量の大小がどこまで企業価値に実際に影響する可能性があるのかについては何ら示唆を示していない。したがって、このアプローチに加えて、次に紹介する炭素税考慮後ROICを組み合わせることが望ましい。


(2)炭素税考慮後ROIC等の指標で定量化して評価する方法

2つ目の「炭素税考慮後ROIC等の指標で定量化して評価する方法」は、各事業のGHG排出量に炭素税価格を乗じて算出される金額をコストとして「炭素税負担を考慮したROIC」を事業ポートフォリオの評価指標とする方法である。具体的には、GHGの排出コストを費用としてROICの分子であるNOPAT(税引後営業利益)から減算し、「炭素税減算後NOPAT/投下資本」でROICを算出する。GHG排出量が多い事業ほど、NOPATの減少額が大きくなり、結果としてROICの低下幅も大きくなる。

炭素税は、環境税の一種であり、使用する化石燃料のCO2の排出量に応じて課税することで排出量の抑制を促す政策である。日本においては現時点で「地球温暖化対策税」が導入されており、CO2排出量1トン当たり289円の税率が石油石炭税に上乗せされている3が、たとえばスウェーデンは1トン当たり130USドル、フィンランドは59~85USドル(いずれも2022年4月1日時点)4となっている等、大きな差が生じている。世界の脱炭素化の潮流を踏まえ、環境省は2021年から日本における炭素税の本格導入に向けた検討を開始しており、近い将来に一定の炭素税が日本企業にも課される可能性は高いと推察される。なお、IEAでは2030年時点で日本を含む主要先進国において1トン当たり120ドルの炭素税が課されると予測している5

事業ポートフォリオ評価において炭素税の影響を先んじて織り込むことは、自社の抱える事業が将来の炭素税負担の影響を吸収し、かつ、十分にROIC Spreadを上げることができるかを評価することに尽きる。仮に炭素税考慮後ROICがWACCを下回るような事業がある場合、当該事業は脱炭素の動きが加速するなかで一挙にリターンが悪化し、グループ全体の企業価値を毀損する要因となりかねないことを意味する。

図表7は縦軸に炭素税考慮後ROIC、横軸にGHG排出量(売上高原単位)を設定し事業ポートフォリオ評価を実施した結果である。A事業の炭素税考慮後ROICはWACCを下回っており、企業価値を毀損しているのがわかる。A事業は投下資本も大きく、多くの設備を有した事業であると推察できる。A事業の炭素効率を改善し、炭素税考慮後ROICがWACCを上回るようにビジネスモデルを転換するためには多額の設備投資を要する可能性がある。A事業にさらに投資を続けるのか、それとも縮小や連結グループから切り離すのが企業価値向上に資するのか、このような事業ポートフォリオの評価結果を踏まえながら企業は今後の事業ポートフォリオ戦略を熟慮しなければならない。

3環境省、地球温暖化対策のための税の導入
4世界銀行、State and Trends of Carbon Pricing 2022、 p.26、 FIGURE 6
5IEA(国際エネルギー機関)、"World Energy Outlook 2021"。1.5℃シナリオ下の炭素価格予想。なお、2040年は1トン当たり170ドル、 2050年は1トン当たり200ドルと予想されている。なお、炭素税価格は、ICP(インターナル・カーボン・プライシング)を導入している企業であれば、ICPで設定している価格を用いて炭素税考慮後ROICを算出することも可能である。

図表7 炭素税考慮後ROICで評価する例

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_7

(出所)KPMGにて作成

ESG評価を踏まえた事業の切出しにおける留意点

ここまでさまざまな切り口を用いたESG評価手法を紹介したが、いずれの手法を用いるにせよ、最後に重要になるのは評価結果を踏まえて戦略的な投資と事業の切出しに関する意思決定につなげることである。
事業の切出しに関しては、従来の 評価方法であれば、資本収益性が低く、事業性の観点でも評価が低い事業について、再構築・撤退候補事業として一定期間モニタリングし、改善の見込みがない場合は撤退を判断するのが一般的な流れである。また、財務評価や事業性評価に加え、自社のビジョンとの整合性や他事業とのシナジーの有無を定性的に加味し、たとえ一定の収益貢献をしている事業であっても自社の目指す方向性と異なる場合は、戦略的に売却候補とすることもある。

ESG評価を考慮した事業ポートフォリオ評価においても基本的な考え方は変わらないが、いくつか留意すべき点がある。


(1)時間軸を考慮した意思決定

まず、時間軸の違いを考慮した意思決定である。たとえば、GHG排出等のリスクは実際に影響を受けるのが5~10年以上先の将来になる。一般的な中期経営計画の時間軸(3~5年)を超えることもあり、現在は一定の収益貢献をしているもののGHG排出リスクの影響が大きい事業の場合、撤退の判断が先延ばしになることが考えられる。

このような先送りを避けるためにも、炭素税考慮後ROICのように当該事業の方向性を早期に見極めるための客観的な評価軸が必要である。そのうえで、リスク低減に向けて脱炭素に向けた投資をどの時点で行うのか、必要な投資額はいくらか、投資効果としてROICは維持できるか、あるいは連結グループから切り出したほうがよいのか等を検証する必要がある。


(2)適切な売却先の選定

次に、適切な売却先の選定である。これは、買い手が当該事業のベストオーナーとして成長させることが見込める相手かどうかという視点に加え、ESGリスクに対応するための資本力や技術力、資本市場からの情報開示要求に耐えられる体制等を備えているか、という点にも留意が必要である。

たとえば、GHG排出量の大きい事業の売却先として、気候変動リスクの開示要求の圧力が小さい非上場企業を選定した場合、「庭先だけの脱炭素」6との批判を受けるリスクがある。これは、事業の売却後も買い手企業と売り手企業のGHG排出量の総量は変わらない、言い換えると、売り手企業は自分の庭先だけをきれいに掃除して、集めたゴミを他の家(買い手企業)の前に捨てることと同じことであることの例えである。M&Aの領域ではレスポンシブル・エグジット(responsible exit)というキーワードがあるが、売却する事業・子会社のESG対応力について、売り手側の責任を問う考え方が今後浸透してくる可能性もあり、留意が必要である。

6日本経済新聞、2022年1月10日付け、「売れば完了、庭先だけ脱炭素


(3)事業の切出しに関する複数シナリオの検討

最後に、事業の切出しに関する複数シナリオの検討である。

特に炭素負荷が高く、かつ事業規模が大きい場合には、買い手候補がなかなかみつからないことも想定される。そのため、競合他社とのJV設立等によって事業を移管し、JVパートナーとの脱炭素化に向けた設備投資や技術開発の共有、設備やサプライチェーンの統廃合による効率化等、単独の買い手への売却以外の選択肢も検討しておくことが望ましい。単純な事業売却と比べると難度は高いが、選択肢の1つとして検討しておくことで、柔軟な経営判断を可能となるようにあらかじめオプションを1つでも多く持っておくことが重要である。

第III章 時間軸、定量化の難しさをどう考える?  M&AにおけるESGDDへの取り組み方

【この章のエッセンス】

  • M&A局面において財務・税務・法務DDに加えてESGDDを実施することに対する課題意識およびそのニーズが高まってきている。
  • ESGDDの主たる目的は、被買収企業の持続可能性に関するESGリスクを検出し、それらに適切に対処することで、M&A後の自社のビジネスモデルの持続可能性を維持・高めることにある。
  •  ESGのテーマは多岐にわたり対応状況も企業によって異なる。ESGDDのスコーピング(対象範囲の決定)やその実施方法については丁寧な設計が必要となる。

事業ポートフォリオの拡充とESGDDの必要性

(1)事業ポートフォリオの強化・拡充

ESGを組み入れた事業ポートフォリオ評価の結果、より事業の選択と集中が進み、切出し対象となる事業領域が増えることが予想される。一方で、事業ポートフォリオ評価の結果として持続的な成長と中長期的な企業価値向上に向けて今後強化すべき事業領域や自社に足りない新規領域を特定し、果断な投資判断を行うことも期待される。このような事業領域に対しては、M&Aを活用することで早期にポートフォリオの強化・拡充を行うことが考えられる。

事業ポートフォリオ評価は前述のとおり、どちらかといえば現有の事業について財務・事業・ESGの視点から評価し、「見える化」することに力点が置かれている。一方で、投資時、すなわちM&A実行時においてもESGを考慮し投資意思決定を行うことが求められるようになってきている。つまり、M&A時に財務・税務・法務についてデューデリジェンス(DD)を行うように、ESGについてもDDを行うことの重要性が増してきている。


(2)ESGDDが求められる背景

ESGデューデリジェンス(ESGDD)の詳細については後述するが、そもそもESGDDが求められるようになった背景についても触れておきたい。

まず、ESG投資の盛り上がりに合わせて、機関投資家はより体系的に投資先企業のESGの管理体制について精査するようになってきている。また、本稿の冒頭に触れたとおりコーポレートガバナンス・コードの改訂によってサステナビリティに対する取締役会の責務の増大と合わせて、上場企業は機関投資家をはじめとする投資家/株主やその他ステークホルダーに対して自社のESGの取組みについてアカウンタビリティをより高いレベルで果たすことが求められるようになっている。

これはM&Aの局面でも同様である。たとえば、M&Aの被買収企業がネットゼロに向けた対策をまったく採っていない場合、買収企業は想定を超える炭素リスクを抱え込む可能性がある。また、被買収企業が是正することが極めて困難と考えらえる人権侵害に加担していた場合、買収企業はM&Aによって人権リスクを負い、買収後にその事実が判明することによってサプライチェーンから締め出されるリスクがある。企業はM&A実行後もこのようなリスクがないこと、あるいはそのリスクを低減できることを確認し、かつ、それについて投資家をはじめとするステークホルダーに説明責任を果たしていかなくてはならない。

つまり、企業はM&A実行後も持続可能であることが求められる。また、M&A実行後もESGリスクが適切に管理され、投資家やステークホルダーからの評価を維持する必要がある。ESGDDはそれを担保するための取組みである(図表8)。


図表8 ESGDDが求められる背景

企業がM&AのDDにおいてESGを精査することは、エクイティ投資家が企業価値評価においてESG評価をすることと同義である

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_8

(出所)KPMGにて作成

ESGDDの目的

ESGDDの主たる目的は、被買収企業の持続可能性に関するESGリスクを検出し、それらに適切に対処することで、M&A後も自社のビジネスモデルの持続可能性を維持・高めることにある。

M&A局面におけるDDである以上、検出したESGリスクの程度の度合いによって、買収を断念するということもあり得る。また、ESGリスクの内容によっては買収条件に織り込むべきものや買収後のESG PMIとして対応するということも考え得る。

つまり、DDを通じて検出されたリスクが最終的に「呑めるリスクであるのか」を判断するという点では他のDDと変わらない。ただ、事業ポートフォリオ評価の考察でも述べたとおり、ESGは時間軸が中長期のものも多く、買収価額や買収の条件にどこまで織り込むべきか判断が難しい項目が多いのも事実である。

なお、ESGにはリスクの側面のみならず機会の側面もあるといわれる。ただ、機会面の多くは事業シナジーの検討とともにビジネスDDで検討されることが多い。機会面がビジネスDDでカバーされているのであれば、ESGDDはリスクの側面に着目して実施するのが無難である。

ESGDDの実施手順

ESGDDの実施手順は、「評価テーマの特定」と「ESGリスクの評価」によって行われる。


(1)評価テーマの特定

ESGはそのテーマが広範囲にわたり、また、業種によって評価すべきポイントが異なる。よって、評価テーマの特定(すなわちDDスコープの決定)が、財務・税務・法務に代表される従来のDDと比較してより重要となる。

ESGDDの評価テーマの特定は既存事業を強化するためのM&Aと、新規領域への進出のためのM&Aとでアプローチは異なる。

既存事業を強化するためのM&Aでは、自社の既存事業における重要なESGリスクをベースにESGDDの評価テーマを決定する必要がある。既存事業における重要なESGリスクは事業ポートフォリオ評価時に特定するビジネス・マテリアリティと同じである。前述した事業ポートフォリオ評価プロセスが構築されていれば、すでにビジネス・マテリアリティは特定されているはずであり、買収時のESGDDはそのビジネス・マテリアリティをベースに被買収企業のESGリスクを棚卸することが求められる。

一方で、新規領域への進出を企図したM&Aにおいては、当該新規領域において重要と考えられるビジネス・マテリアリティを新たに特定し、それをベースにESGDDを実施する必要がある。たとえば、化学セクターと医薬セクターでは重視すべきESGリスクは大きく異なる。化学セクターであれば気候変動は避けては通れないが、医薬セクターの場合、気候変動リスクは相対的に低い。むしろ、患者の健康や製品の安全性がより重要であり、そちらにフォーカスしたESGDDが必要になる。


(2)ESGリスクの評価方法

ESGDDはいまだ黎明期にあり、確立された評価方法は存在しない。KPMGでは図表9で示した評価フレームワークをもとにESGDDを行っている。このフレームワークは、広くエクイティマーケットにおける機関投資家やESG格付機関が活用している手法をベースにM&Aにおける他のDDの経験則等も踏まえ、KPMGが独自のESGDDフレームワークとして構築したものである。

図表9 ESGリスク評価のフレームワーク

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_9

(出所)KPMGにて作成

KPMGのESGDDのフレームワークは被買収企業における(A)各ESGテーマに関する対応方針の有無から(D)の進捗を評価するKPIの設定状況までを体系的にカバーするのに加えて、(E)各テーマに付随する法令違反等の有無を検出することを目的としている。

1.(A)各ESGテーマに関する対応方針
まず、ESGの各テーマについて組織を挙げて体系的に対処するためには、(A)各ESGテーマに関する対応方針がなくてはならない。方針は施策の拠り所となるものであり、方針の有無やその内容によって(C)施策の中身も変わってくる。

2.(B)ガバナンス体制
次に、その方針に基づき施策をモニタリングする(B)ガバナンス体制の有無である。ベストプラクティスとしては、取締役会が方針に基づき定期的に施策の進捗状況についてモニタリングすることが求められる。また、各テーマについて所管する役員が任命されているかもガバナンス体制を評価するうえでは重要である。

3.(C)施策
(C)施策は、各テーマの方針に基づき実施する個々の取組みを指す。個々の取組みがカバーする範囲や内容が(A)方針に照らして十分か、また、一般的にその業種・業界で求められるESGリスクを網羅できているかが検証のポイントとなる。

4.(D)KPI
(D)はKPIの有無である。KPIが設定されていれば(C)の施策のPDCAの進捗状況を客観的に判断することができ、(B)ガバナンスも利かせやすくなる。KPIが不在である場合には、(C)施策それ自体が有効に機能していない可能性があり、注意が必要である。

5.事例
ESGDDのフレームワークの(A)~(D)について事例をみてみよう。たとえば、気候変動であれば、(A)ネットゼロに向けた方針がある、(B)取締役会にてネットゼロに向けた取組みについて定期的にモニタリングしている、(C)スコープ1・2のGHG排出量は最低でも算出し、また、その低減に向けて具体的な施策を設けている、(D)スコープ1・2の削減目標やそのための投資額等の数値目標や計画が設定されている、となる。(C)および(D)を検証する一環として、炭素税の導入による影響や物理リスクによる影響等についても試算する。

人権であれば、(A)独立した人権方針が設定されている、(B)取締役会において人権DDの結果や内部通報制度の運用状況について定期的に報告されている、(C)従業員向け人権DDおよびサプライヤー向け人権DDの実施や研修制度、内部通報制度が構築されている、(D)人権DDの実施対象範囲や、研修の実施回数や従業員・サプライヤーのカバー範囲について数値目標が設定されている、といった一連の取組みが体系的に実施されているかを評価する。

6.(E)法令違反
(E)法令違反については、法務DDとの調整が必要となることが多い。ESGDDとしてもESGの各テーマに係る法令違反について確認はするものの、法令違反は法務DDでもカバーすることが一般的である。ここはお見合いが生じないようにESGDDと法務DDとの間で事前に協議しておくのが望ましい。


(3)ESGDD実施時の留意点

DDでは、被買収企業への直接のアクセスは禁止されており、売り主に必要情報のリクエストを行い、データルーム等を通じて情報の開示を受けることが一般的である。また、先に述べたようにESGは、そのテーマ範囲が非常に広範であることから、売り主・被買収企業もどのような情報の開示準備をすればよいのか判断が難しいことも想定される。これらの結果、DDの過程で買収企業が期待する質・量の情報の開示が受けられない可能性がある。これに対応するためには基本合意や意向表明書にESGDDを実施する旨、およびESGDDでの主な調査テーマ(たとえば、気候変動、労働安全衛生・人権、企業行動規範/腐敗防止など)をあらかじめ記載し、売り主・被買収企業に対し十分な準備を促すといった工夫が有用と考えられる。特にオークションプロセスにおいては、追加のDDの対応を売り主に受け入れてもらえないケースもあるため、留意する必要がある。

また、ESGDDの対象となる被買収企業が非上場や中小企業である場合、ESGの視点で自社の取組状況を体系的に整理できていないケースが想定される。そのような場合、真正面からESGリスクへの取組状況を質問しても「ESGに対する方針はない、取締役会でモニタリングしていない」といった単純な回答にとどまってしまう可能性がある。しかしながら、非上場企業や中小企業であっても日々の業務のなかで何らかの形でESGの個々のテーマについて対応していることは多い。インタビュー等を活用して日々の業務のなかでどこまでカバーできているかを評価することが重要である。

ESGリスクへの対応方法

ESGDDを通じて特定されたESGリスクとその対応状況の評価結果を踏まえ、実際の買収手続においては図表10の手順で対応することが求められる。

図表10 ESGリスクへの対応フレームワーク

ESG視点を取り入れた事業ポートフォリオの再構築手法_10

(出所)KPMGにて作成

(A)ESGリスクが顕在化した場合のインパクトが非常に大きく、買収価格への反映や買収スキームの変更・SPA(Stock Purchase Agreement)契約条項での手当てでは許容可能な水準までリスクを軽減することが難しい場合、買収の中止の判断を行う。

(B)ESGリスクが顕在化した場合のインパクトや、リスクへ対応するためのキャッシュ・アウトの定量化が可能な場合、買収価格への反映を行う(たとえば、事業計画を通じた将来FCFへの反映やデットライク項目への反映)。

(C)上記(B)でESGリスクの定量化が困難な場合や、ESGリスクの特定のための正確な情報が被買収企業から十分に得られない場合、買収スキームの変更やSPA契約条項での手当てを行う(表明保証、特別損害賠償、クロージング・コンディションへの追加)。

(D)上記(B)・(C)により買収条件へ反映されなかったESGリスクは、買収後のPMIを通 じてリスクをコントロールするため、PMIプランニングに反映する。

※(B)と(C)の順番は前後することも想定される。

実際に想定されるケースをいくつか紹介したい。


(1)ケース1:気候変動

被買収企業では2030年度のGHG排出量の削減目標が設定され、当該目標を達成するための代替設備の投資計画が示唆されている一方で、被買収企業が作成する事業計画にその投資額が反映されていない。

⇒ ESGリスクへの対応のためのキャッシュ・アウトが反映されていないことになるため、追加の設備投資として事業計画に織り込むことが考えられる(図表10手順B)。通常、対象会社が作成する事業計画期間は3~5年程度であるため、より中長期で見込まれるESG対応投資が事業計画に適切に反映されていないといったケースは多く想定される。既存事業の強化が目的のM&Aであれば、対象会社のGHG排出量と削減目標から必要となる投資額をおおよそ類推することも可能であり、必要に応じて事業計画への反映ひいては買収価格に反映する必要がある。


(2)ケース2:サプライチェーン・紛争鉱物

製造工程にて紛争鉱物を使用している可能性があるにもかかわらず、サプライヤー向けに適切なアセスメントを実施していない。

⇒ 対象会社の潜在的なESGリスクを特定するための正確な情報が十分に得られないため、紛争鉱物の使用がないことの表明保証を求めるといった対応が考えられる(図表10手順C)。


(3)ケース3:人類

従業員の労働安全衛生の確保や人権尊重に関する独立した方針はなく、一般的な就業規則等の人事規程が存在するのみで、人権課題に対し十分な対応ができていない。

⇒ 何らかの人権リスクが将来に顕在化する可能性はあるものの、現時点で顕在化した場合のリスクの定量化や契約上で何らかの手当てを行うことは困難であるため、買収後のPMIで人権リスク管理体制を導入することで人権リスクをコントロールする(図表10手順D)。

ESGリスクはその性質上、顕在化が予想される時期が中長期であるものや顕在化したとしても定量化が困難であるものも多い。実際には、図表10の手順で示した(B)合理的な予測に基づく定量化や、(C)SPA契約条項の期間内での手当てが難しいものも多くなると推察される。

そうなると、必然的にESGリスクの多くは(D)ESG PMIで対応するケースが多くなるものと想定される。M&A実施後に自社のサステナビリティ経営に被買収企業の実務を統合させ、ESGリスクをグループ全体として適切に管理していく体制を早期に構築することが重要である。

おわりに

本稿では事業ポートフォリオ評価やM&A局面において、ESGリスクをどのように評価し対応していくかについて考察した。ESGそれ自体の評価がまだ黎明期にあり、今後も新しいテーマや評価の切り口が市場に出てくると想定される。

このようななか、企業として自社の現在地を正しく評価し、持続的な成長と中長期的な企業価値向上に向けて、事業ポートフォリオの組換えを通じて適切にリスクをコントロールし、かつ、リターンを上げていくことが求められる。おりしも2022年9月に経済産業省より「伊藤レポート3.0」および「価値協創ガイダンス2.0」が公表され、SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)の実践を通じた社会のサステナビリティの実現と事業変革を通じた稼ぐ力の向上の必要性が強調された。

その過程において、事業ポートフォリオ評価やESGDDの重要性は増すであろう。多くの企業が事業ポートフォリオ評価とESGDDに取り組むことで、これらの実務の今後のさらなる発展を期待したい。

執筆者

有限責任 あずさ監査法人 サステナビリティ・トランスフォーメーション事業部 
マネージング・ディレクター 土屋 大輔

有限責任 あずさ監査法人 ディールアドバイザリー事業部 
ディレクター 長倉 弘樹

有限責任 あずさ監査法人 サステナビリティ・トランスフォーメーション事業部 
マネジャー 加藤 拓也