Part3では、地政学・経済安全保障リスクへの事前の備えに関して(個別リスク対応ではなく)、共通基盤となるリスク管理の体制面・取組み面から、施策上のポイントを紹介します。
なお、本稿はKPMG Insight7月号所収の記事を、3回に分けて掲載するものです。全文のPDFは各回にリンクがありますが、目次からもそれぞれの回をご覧いただけます。
目次
Part1
地政学・経済安全保障リスクの考え方
・経営の基軸の1つとなった地政学
・地政学と経済安全保障リスクの意味
・地政学を巡る基本的視座
リスク顕在時の企業の対応方法/パターン
・リスク顕在化時の事業判断パターン
・リスク顕在化時の事業判断の特徴
Part2
地政学・経済安全保障リスクの概要
・安全保障貿易規制・制裁
・情報セキュリティ
・人権/役職員等の安全
・サプライチェーン
Part3
地政学・経済安全保障リスクに対する事前の備え
・地政学・経済安全保障リスク管理体制
・危機シナリオ分析と対応策
・インテリジェンス機能
各国で進むサプライチェーン・技術開発の強化政策を受けて
まとめ
地政学・経済安全保障リスクに対する事前の備え
地政学・経済安全保障リスク管理体制
地政学・経済安全保障リスクにおいても、他のリスク同様に、自社に想定される各リスク(リスクカテゴリとその具体的なリスクシナリオ)、各リスクの主管部門・連携部門を整理し、リスク低減策の策定・展開についての責任を明確化することが重要です(リスク項目、リスク主管部門、連携部門については、Part2掲載の図表1をご参照ください)。
体制強化の方法例としては、(1)従来のリスク主管部門を維持したまま、主要な関係部門のメンバーで構成する委員会を設置し、情報の連携を強化するケース(委員会設置型)、(2)地政学・経済安全保障リスクに関する統括部門を設置し、日常的に各リスク主管部門のハブ機能を持たせるケース(統括部門設置型)が挙げられます(図表2参照)。
【図表2:地政学・経済安全保障リスク管理体制の比較】
視点 | 委員会設置型 | 統括部門設置型 |
---|---|---|
委員会/統括部門の主な機能 | 情報連携 | 施策の策定・展開(ハブ機能) |
機動性 | 低 | 高 |
必要リソース・負担 | 小 | 大 |
設置に適する企業例 | 右記程度に至らないものの、一定のリスク・要連携業務を有する | 高リスク業種( 規制対象品目の輸出や重要技術の取扱いが多い/重要インフラ業種等)に属し、日常的に連携すべき業務が多い |
統括部門の設置は、委員会の活用よりもリソース確保等の負担が大きいため、まずは委員会を活用しながら、必要に応じて統括部門の設置を検討することが現実的と思われます。統括部門の設置が適するケースとしては、たとえば、高リスク業種(規制対象品目の輸出や重要技術の取扱いが多い/重要インフラ業種等)に属し、日常的に連携すべき業務が多く、常時、各部門の担当者をアサインすることが効率的である場合等です。
統括部門を設置する場合、各リスク主管部門と円滑な施策の連携ができる体制とするためには、統括部門の専任者の他に、関連する主要なリスク主管部門を兼任し、部門間の橋渡しをする担当者を設置することが考えられます(設計例について図表3を参照)。また、経営陣、特に地政学・経済安全保障リスクを管掌するCROやCLOは、平時においても種々の関連リスクを踏まえた施策展開を推進する司令塔としての役割を担うことが期待されます。
【図表3:経済安全保障リスク体制の設計例】
危機シナリオ分析と対応策
平時においては、過去の紛争時における企業への影響等を参考に、自社のビジネス・サプライチェーンに対応した危機シナリオを事前に複数検討し、事業継続計画(以下、「BCP」という)の作成や危機対応マニュアル等の文書化を進め、関係部署間と認識共有をしておくことが望まれます。
危機シナリオの検討において、たとえば役職員の安全、安全保障貿易・制裁、投資規制、情報セキュリティ、サプライチェーン、役職員や委託先従業員の人権といった視点から、自社ビジネスではどのようなケース・影響があり得るのかを特定・分析し、関連する統制の有無・課題、主管部門・担当者などを整理します(検討対象のリスク項目と主管部門については図表1を参照)。
この危機シナリオの検討を踏まえて、BCPを作成するとともに、統制上の不備・脆弱性の改善に向けたアクションプランも併せて検討します。これらの危機シナリオ・BCPの策定において、特にサプライチェーンへの影響に関する検討は重要です。
紛争発生時には、製品・原材料の輸送手段・ルートの制限、各国制裁による取引制限、生産工場のオペレーションの停止、原材料の高騰などにより、サプライチェーンに多大な支障をきたすおそれがあります。そのため、地政学リスクの高い国・地域との取引に依存する原材料・部品を中心に、平時より、供給源の多角化、代替供給先の確保、製造設備への投資等の対応を具体化する必要があります。
加えて、策定したBCPや危機管理マニュアルが機能し得るものかを確認することも重要です。自社にとって重要な影響のある典型的なリスクシナリオをもとに、シミュレーション訓練を実施し、マニュアル所定の対応手順どおりに行動できるか、対応の不備がないか等を関係者間で確認し、必要に応じて、マニュアルを含む文書を改訂しておくことが有効です。
インテリジェンス機能
米国等では、企業における技術情報の窃取への対策(産業スパイ対策)が進んでいますが、日本政府はセキュリティクリアランス制度(国家の機密情報を取扱う者の適格性を審査する制度)の導入検討を含め、議論の途上にあります。日本企業においても、米国企業等と同様に、技術情報の漏えい・窃取等の事例は問題とされており、その対応策の一環としてインテリジェンス機関経験者(米国で言えばFBI出身者等)と連携したリスク対応が注目されています。特に、海外拠点では調査が難しいため、インテリジェンス機関経験者等の専門家と連携した社内外の動向把握等を実施することが有効となり得ます。
各国で進むサプライチェーン・技術開発の強化政策を受けて
近時、国内外において、経済安全保障の観点を踏まえたサプライチェーン・技術開発の強化に向けた政策策定に向けた動きが活発化しています。米国では、2021年6月、半導体等の重要な製品・物資や重要な産業のサプライチェーンを検証する報告書が公表され、2022年2月には国内製造業の活性化と重要製品のサプライチェーン強化に向けた計画が発表されました。
サプライチェーン強化のための官民協力体制の推進、同盟・友好国との協力強化等が打ち出されています。ドイツやフランス等の海外各国においても、経済安全保障の観点を踏まえて、重要物資の安定供給や重要技術の開発強化に向けた政策が策定されています。
日本においても、前述のとおり、戦略物資・エネルギーサプライチェーン対策本部の設置や、経済安全保障推進法の成立等の動きがみられます。同法では、(1)重要物資の安定供給の確保、(2)基幹インフラの安全確保、(3)先端技術の官民研究、(4)安全保障上機微な発明に関する特許の非公開に向けた取組みを促進します。
※(2)(4)についてはPart2 を参照ください。
重要物資の安定供給の確保に関しては、半導体など戦略的に重要性が増す物資(戦略物資)の調達を海外に依存するリスクを減らすため、国が半導体、レアアース(希土類)等の重要鉱物、蓄電池、医薬品等を「特定重要物資」に指定し、関連産業向けの財政支援を厚くします(安定供給確保支援法人等による助成等)。
また、先端技術の官民研究に関しては、今後、各国における開発競争が激化している先端技術(人工知能、量子等)について、官民で研究・開発する環境を整備、テーマごとの官民協議会の設置促進や、企業や大学への資金支援が行われる予定です(一方で、当該研究に従事する役職員等は守秘義務を課せられます)。
このような各国政府の政策的支援・規制を踏まえて、日本企業も地政学・経済安全保障の視点から、グローバルサプライチェーン・開発戦略の見直し、それらを支える管理体制の見直しを進めることが期待されます。
まとめ
ロシア・ウクライナ情勢から伝えられる非情かつ不合理な武力の行使を鑑みるに、誰もが心情的にも「正義」という言葉を強く意識をせざるを得ません。企業の社会性、社会そして世界に対する責任がますます強まる中で、日本企業は国家、そして政治に対する覚悟もまた求められています。それは決して「倫理」や「徳」にとどまることのない、まさに(国家による)「正義」と「正義」の衝突への関与でもあります。地政学、そして経済安全保障は「善良なグローバル企業市民」を是としてきた日本企業に対して、誰のためのビジネスなのか? 日本企業とは何か?という踏み絵を改めて迫るものとも言えます。
今回紹介したように、企業は地政学と経済安全保障からもたらされる個々のリスクに丁寧に対応しつつも、上記のような戦略思考の変化と、それらを継続的にまわすための組織・機能作りが求められています。
執筆者
KPMGコンサルティング
パートナー 足立 桂輔
シニアマネジャー 新堀 光城
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