KPMGジャパンは社会にインパクトを与え続けるチェコ代表チームを応援しています(詳細はニュースリリースをご参照ください)。

このたび、チェコ代表・マレク・フルプ選手が読売ジャイアンツでの挑戦、日米野球の違い、そして父との思い出などについて、ジャイアンツタウンスタジアム(以下、「ジャイアンツタウン」)でインタビューを実施しました。彼の活躍はチェコの若手選手に夢を与えています。ファンへの感謝も語ってくれましたので、ぜひ、以下のYouTubeリンクからご覧ください。

チェコ代表 マレク・フルプ選手 インタビュー

チェコ代表 マレク・フルプ選手 インタビュー(YouTube)

(インタビュアー:あずさ監査法人 斉藤佳輔)

 

―今日はインタビューのお時間をいただき、ありがとうございます。フルプ選手にお会いすることをとても楽しみにしていました。

(フルプ選手)はい、僕も楽しみにしていました。

 

―最初に、東京での生活についてお伺いいたします。東京での生活を楽しめていますか?

(フルプ選手)はい、とても充実しています。昨年の9月に来日しました。来日してから日本の魅力を探求しているところです。日本食は僕にとってナンバーワンで、食べ歩きもしています。海鮮料理、寿司、ラーメンなど、日本食が大好きです。

 

―1番好きな日本食は何ですか? 和牛ですか?

(フルプ選手)和牛も大好きですが、お寿司が一番です。特に好きなのがサーモンです。世界のお寿司のなかでも、日本のお寿司はとても美味しいです。毎日でも食べられるくらいです。

 

―チームメンバーや監督との関係はいかがですか?

(フルプ選手)はい、とても順調です。チームのなかで温かく受け入れられていると感じています。英語を話せないチームメイトもいますが、それでもお互いにコミュニケーションを取ろうと努力しています。チームメイトも英語を話そうとしますし、僕も日本語に挑戦しています。でも、日本語は本当に難しいですね。一生懸命勉強していますが、幸いにも通訳の方々がそばにいてくれて、とても助けられています。通訳の方々のおかげでチームメイトやコーチ、さらにはフィールドでもスムーズにコミュニケーションを取ることができています。

 

―このジャイアンツタウンですが、とても美しいスタジアムですね。ジャイアンツタウンの環境・雰囲気はいかがですか?

(フルプ選手)はい、すごく気に入っています。ここは最高のスタジアムの1つだと思います。このような素晴らしいスタジアムでプレーできることは、恵まれていることだと感じます。シーズンの試合の半分をジャイアンツタウンでプレーできることは本当に素晴らしいことです。

ファンの皆さんはたくさんのエネルギーを与えてくれますし、スタジアムの雰囲気も本当に最高です。ここでプレーする最初のシーズンで、とても楽しいです。だから、こんなにも素晴らしい球場でプレーする機会をいただけたことを心から嬉しく思っています。

 

―3月に東京ドームで行われた1軍のオープン戦に出場されていましたが、そのときの東京ドームの雰囲気はいかがでしたか?

(フルプ選手)はい、素晴らしかったです。本当に夢のようでした。2年前のWBCで東京ドームでプレーした経験はありましたが、あの時は観客が僕を応援していたわけではなく、侍ジャパンを応援していました。でも今回は、ジャイアンツのファンが僕のために応援してくれていました。それが、1軍に上がるための大きなモチベーションになっていて、毎日、1軍でプレーすることをイメージしながら過ごしています。きっと楽しいでしょうね。東京ドームでプレーすることを想像するだけでワクワクします。あれだけ多くのファンの前でプレーできるなんて、本当に興奮しますね。

 

―6月の2軍戦の試合でサヨナラホームランを放ちましたね。2021年のU23ヨーロッパ選手権フランス戦で放ったサヨナラホームラン以来でしょうか。サヨナラホームランを放った時の気持ちを聞かせてください。

(フルプ選手)最高でした。あの瞬間は今でも覚えています。キャリアのなかで、サヨナラホームランを打つ機会なんて、そう多くはありません。なので、本当に素晴らしい瞬間でした。今、自分は本当に良いプレーができていると感じます。これは自分にとって素晴らしいスタート地点だと感じています。これからもっと状態が上がってくると思います。あの瞬間は忘れられません。

 

―その時チームメイトがフルプ選手を囲んで桑田監督とも握手をしましたね。桑田監督は日本の野球界のレジェンドです。そして、桑田監督の背番号は73番です。それはチェコ代表チームのフルプ選手の背番号と同じですよね。

(フルプ選手)はい、そうです。

 

―米国と日本の両方でプレーされていますが、ピッチャーの違いは感じますか?

(フルプ選手)はい、確かに違いがあります。日本のピッチャーは、米国のピッチャーよりもずっと頭を使って投げていると感じます。一方で、米国のピッチャーは、パワーで打者を圧倒するのが好きですね。スライダーや速いストレートをガンガン投げてきて、彼らにとってはコントロールよりもパワーが優先されます。

でも日本では、ピッチャーは三振を狙うというよりも自分の持ち味を活かして、どうにかして打者をアウトにしようとします。それぞれの得意なスタイルに応じて、最も効果的な方法で勝負してくるんです。だから、コントロールを重視したり、変化球を多く使ったりします。速球は米国ほど多くなくて、少し違ったタイプの野球かなと感じます。

でも、僕自身はうまく適応できてきていると感じています。まだ自分が目指しているレベルには達していませんが、少しずつ良くなってきています。日本のピッチャーのことも、少しずつ理解できるようになってきました。

バットを構えるフルプ選手

―チェコ代表のパベル・ハジム監督から、米国の野球はパワー重視であり、一方で日本はより戦略的で繊細だと聞いたことがあります。これが日本と米国の野球の大きな違いなんですね。

 

インタビューにこたえるフルプ選手

―フルプ選手ご自身の強みを教えてください。

(フルプ選手)自分の強みは、どんな場面でも対応できることだと思っています。自分のことを“5ツールプレイヤー”だと考えていて、走ることもできるし、守備もできるし、率も残せる。だから、常にチームに貢献できると思っています。

特定の1つの分野だけが得意な選手もいますが、そういう選手は、その得意な部分がその日にうまくいかないと、チームに貢献するのが難しくなることもあります。でも僕は毎日「どうすればチームに貢献できるか」を見つけられることが強みだと思っています。

例えば、打撃の調子が良くない日は、走塁や守備で貢献することに集中します。なので、「自分が一番得意なことが何か」と聞かれると、特定の1つとは言えないけれど、いろんな形でチームに貢献できることだと思っています。もし1つ選ぶとしたら、調子が良いときは、バッティングが強みだと言えるかと思います。

―日本のファンはフルプ選手の活躍を知っています。2023年のWBCでフルプ選手は世界最高峰の投手の一人である佐々木朗希投手と対戦しました。102マイルの速球に対して109マイルの打球速度でレフト戦に運びました。あの瞬間は東京ドームが静まり返りましたね。

 

―フルプ選手はお父さんのヴラジミールさんと二人三脚でキャリアを積まれてきました。ヴラジミールさんについてお聞かせください。お父さんも毎日フルプ選手のプレーをご覧になっているのですか?

(フルプ選手)父はすべての試合を追おうとしてくれています。少なくとも毎試合の僕の成績をチェックしてくれているんです。

僕が試合に出場すると、少なくとも成績は必ず見てくれていて、時には、僕のプレーに何か問題があると感じたらアドバイスをくれることもあります。

父は僕のことをよく知っているのでそれがすごく支えになっています。父は朝早く起きて僕の試合を観て、そのあとチェコで自分が監督を務めるチームのグラウンドに出かけます。父にとってはいつも野球が中心なんです。

 

―米国でプレーされている時は「父のアドバイスがいつの時も自分にとって一番だ」と言っていました。お父さんのアドバイスは今でもフルプ選手にとって一番ですか?

(フルプ選手)はい、今でもそうです。僕が調子を崩しているとき、父の言葉に救われることがよくあります。僕はよく物事を分析しすぎたり、考えすぎたりしてしまうことがあるんです。そんな時、父がそれに気づいて「そんなに気にしすぎなくていいよ」って言ってくれます。父はずっと僕を見てきてくれたので、父のアドバイスは本当に助けになります。

 

―お父さんとの最高の思い出について教えてください。例えば、2019年のヨーロッパ選手権の時のことですが。フルプ選手は3番打者で、お父さんは監督でしたね。

(フルプ選手)それはいい質問ですね。父と僕には素晴らしい瞬間がいくつもあります。その1つは、父が監督で僕が選手で出場した2019年のヨーロッパ選手権で優勝したことです。

もう1つは、父の現役最後の試合かもしれません。当時、僕は16歳でキャッチャーをしていて、父はピッチャーでした。僕たちはチームメイトとして一緒にプレーすることができて、父は僕に投げて現役生活を終えたんです。本当に素晴らしい瞬間でした。

でも、もっと考えれば、他にも良い思い出がたくさんあると思います。ただ、この2つは特に記憶に残っている父との思い出です。

 

―とても良いエピソードですね。

 

父ヴラジミールさんとのツーショット

2019年チェコで開催されたU23ヨーロッパ選手権優勝時の父ヴラジミールさんとのツーショット

―フルプ選手の米国でのキャリアについてお伺いいたします。米国では非常に多くの挑戦や困難があったと思います。例えば、ケガやCOVID-19、そして大学の移籍、ノースカロライナ州立大学からノースグリーンビル大学へと転校し、困難も多かったと思います。そのなかで最も大変だった経験について教えてください。

(フルプ選手)そうですね、米国で一番大変だったのは、とにかく「どうやって野球を続けるか」を常に考え続けなければならなかったことです。

おっしゃるとおり、いろんな困難がありました。まず、米国での最初の年に手のケガをしてしまいました。その翌年はCOVID-19の影響でシーズンが中止になり、その後、奨学金も打ち切られてしまいました。それでもプロを目指したかったので、どうにかして野球を続ける道を探さなければなりませんでした。

そのために学校を転校しなければならなかったのですが、当時のルールでは、転校するには下のディビジョン(1部リーグから2部リーグ)に行く必要がありました。僕自身は良いプレーができていたのですが、下のディビジョンの選手にはプロのスカウトの目に留まる機会が少なかったので、それもまた大きな壁でした。

大学卒業後にプレーを続ける道を見つけるのも大変で、最終的には米国の独立リーグのチームにたどり着きました。そこでもたくさん努力しましたし、1シーズン半プレーしました。

でも、すごく楽しかったですし、この道のりだったからこそ、今こうしてここにいられると思っています。だから、この旅路で本当に良かったと思っています。

 

―フルプ選手が米国でプレーされていた頃、ノースカロライナ州立大学からノースグリーンビル大学へ移籍しました。NCAAディビジョン1からディビジョン2への移籍について、当時はトランスファーポータル制度がありませんでした。米大学野球リーグ、NCAAディビジョン1からディビジョン2への移籍についてお聞かせください。(1部リーグから2部リーグへの移籍について)

(フルプ選手)今ではトランスファーポータル制度があって、選手は自由に移籍できるようになっています。でも僕のときはそれができなくて、ディビジョン1からディビジョン2に移るしかありませんでした(1部リーグから2部リーグ)。

もしディビジョン1から別のディビジョン1の大学に移籍しようとすると、1年間プレーできなくなるルールがあったんです。なんとしてでもそれは避けたいと思っていました。僕が米国に渡った時にはすでに19歳になっていました。というのも、チェコでの教育がもう1年多いからです。その時すでに年齢が高めと見られていました。だから、さらに1年待ってからプレーをするという選択肢は取れませんでした。

野球で成長するためには毎日プレーすることが一番大事です。でも僕はケガやCOVID-19でシーズンを通してプレーできるようになったのが21歳の時です。だから、選手としての成長は少し遅れてしまったかなと思っています。

それでも僕は決して諦めませんでした。諦めなかった結果が今に繋がっていると思っています。

 

―フルプ選手はノースグリーンビル大学のスター選手として知られていました。そこでMLBのスカウトにアピールされていたと思います。そして2023年のWBCで結果を残し、遂にジャイアンツでプレーする機会を手にしました。数々の挑戦を乗り越えましたが、今ではジャイアンツでプレーしており、ジャイアンツの一員です。そして、フルプ選手はチェコの野球少年にたくさんの夢を与えています。チェコでは今、野球の人気が高まってきています。チェコで野球をする若い世代の選手たち、そして子どもたちに伝えたいことはありますか?

(フルプ選手)はい、もちろんです。このインタビューを見てくれているすべての人に伝えたいのは、チェコにも素晴らしい選手がいるということです。実際、今の17歳、18歳、19歳の選手たちは、僕がその年齢だった頃よりもずっとレベルが高いと思います。米国の高校に在籍している選手もいます。

彼らにとって重要なのは、“諦めない”ことです。チェコはまだ“野球の国”としては認識されていないのでプロのチームやスカウトにとっては、それが評価に影響することもあります。もし僕が米国人やドミニカ人だったら、もう少し早い時期にチャンスを貰えたかも知れません。

チェコ出身の選手が米国のディビジョン2(2部リーグ)でプレーをして、周囲から認めてもらうのは簡単ではありません。チェコの野球の背景や実績がまだ十分に知られていないからです。でも、僕は米国で結果を残すことができたし、今は日本でプレーするチャンスを貰えました。

だから、僕の存在がチェコの若い選手たちにとってのモチベーションになってほしいし、世界中のチームには、必ずしも野球の実績が高くない国の選手でも可能性があることを信じてほしいと思っています。

 

―MLBのスーパースターであるジャンカルロ・スタントン選手がチェコを訪れた時、フルプ選手はスタントン選手からアドバイスを受けましたね。スタントン選手がチェコを訪れた時のエピソードを聞かせてください。でも、今ではフルプ選手自身がチェコの野球少年にとってのスーパースターですね。フルプ選手自身が大きな夢を与えているかと思います。

(フルプ選手)ジャンカルロ・スタントン選手がチェコに来たときは非常に興奮する状況でした。たしか僕が11歳くらいだったと思います。僕にとっては素晴らしい瞬間でした。実際に目の前でメジャーリーガーの選手たちを見られたことが特に印象的でした。チェコ出身の僕にとって、プロ野球選手を生で見るのは初めてだったんです。

チェコにはプロ選手がいませんから。テレビで彼を見られたのも素晴らしかったし、スタントン選手と話すチャンスがあってアドバイスをもらえたのは本当に貴重な体験でした。

 

―ジャイアンツでの目標について教えてください。

(フルプ選手)僕のキャリアで大きく成長できたのは、2022年だったと思います。

その年に個人的な目標を立てるのをやめてチームに集中するようになったんです。それが結果が出始めた瞬間でした。

僕はディビジョン2の年間最優秀選手に選ばれましたし、チームも優勝しました。サマーリーグでもプレーして、そこでまた優勝しました。秋にはWBCの予選に出場して、WBCの出場権を獲得することができました。間違いなく、僕にとって最も成功した年でした。

それは、自分にこう言い聞かせたからです。

「自分にプレッシャーをかけるのはやめよう。チームの勝利のために集中しよう」と。

だから今の僕の目標はチームの勝利のためにできることをやることです。それが結果的に自分自身の成長にもつながると信じています。

でも自分ではコントロールできないこともあります。例えば、「自分が1軍で40本のホームランを打ちたい」と思ってもそれは自分で決められることではありません。だから僕の目標は、毎日一生懸命練習し、毎日チームの勝利に貢献すること。それが僕の集中していることです。

 

インタビューにこたえるフルプ選手

―最後に日本の野球ファンに一言お願いします。

(フルプ選手)はい、もちろんです。僕のことを応援し続けてくれて、本当にありがとうございます。オンラインでファンの方々のメッセージを読んだり、実際にここでプレーしたりしているときにも、たくさんの声援を感じます。

僕は日本出身ではないのに、こんなに応援してもらえるのは本当に嬉しいし、僕にとって大きな意味があります。だから、まずはその感謝を伝えたいです。

そして、来年のWBCにもぜひ僕たちの応援に来ていただけたらと思います。チェコ代表チームはとても魅力的だと思います。応援してもらえたら本当に嬉しく思います。

 

―フルプ選手、今日は貴重なお話ありがとうございました。今後のご活躍を楽しみにしています。

(フルプ選手)ありがとうございました。

 

 

(注)このインタビューは2025年6月に実施されたものです。