バックキャスティングアプローチを用いた、製造業における中期経営計画と業績管理PDCA ~中長期的目指す姿実現に向けてのバックキャスト型業績管理の在り方~
製造業における企業価値向上に向けたバックキャスト型中期経営計画と業績管理PDCAについて解説します。
製造業における企業価値向上に向けたバックキャスト型中期経営計画と業績管理PDCAについて解説します。
昨今の製造業を取り巻く事業環境としては、海外展開の拡大による経営の複雑性の増大、サプライチェーンの再編成、デジタル技術の加速的な進展、サステナビリティ・ ESGへの配慮・取組み強化の期待、また人的資源向上など、絶え間ない変化への対応が求められています。企業の持続可能性に重大な影響を与える不確実性が高まっているなか、企業の価値を継続的に向上させるためには、中長期視点での「経営の指針」「企業としての目指す姿」の明確化が欠かせません。
2021年のコーポレートガバナンス・コード改訂を皮切りに、2024年には東京証券取引所や経済産業省などから企業価値向上に向けた取組みの強化が要請されています。中長期的な企業価値の向上・創造、目指す姿とひも付いた成長シナリオの明示、透明性・エンゲージメント促進などの要請は、中長期的視点でのバックキャスティングのアプローチを用いた中期経営計画の考え方と整合し、このアプローチを採用する企業が製造業はじめ日本企業でも多く見られるようになってきています。
本稿では、製造業におけるバックキャスティングのアプローチを用いた中期経営計画にスポットを当て、企業価値向上に向けたバックキャスト型中期経営計画を軸とした業績管理PDCAのポイントについて解説します。なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りいたします。
POINT1:企業価値向上・PBR向上に向けて、長期ビジョン・目指す姿のバックキャスティング方式の中期経営計画の考え方を取り入れることが有用 企業価値向上・PBR向上にむけて、中長期的な目指す姿とそれを実現する戦略シナリオ・成長シナリオの明確化が求められており、企業の経営環境への対応としても特定の中計期間にとらわれない、中長期と短期の両視点での中期経営計画の考え方が有用。 POINT2:バックキャスティングの基となる中長期的な目指す姿の明確化にあたっては、企業価値向上の視点からの事業ポートフォリオに関する基本方針の策定が重要 事業ポートフォリオに関する基本方針とは、事業の現状と将来の位置付けの可視化、経営資源配分方針、事業ポートフォリオ入替方針の3つが肝。 POINT3:バックキャスト型業績管理PDCAの構築 バックキャスト型中期経営計画を軸とし、企業価値向上に資する業績管理PDCA構築のためには、バックキャスティングによりセットされた中計目標をブレイクダウンしたトップダウン型の事業別目標設定とコミットメント、事業の戦略シナリオをKPIに落とし込んだ事業別KPIセット(ROIC・事業特性KPI・戦略KPI)の設定・モニタリング、年度での予算制度と連動した仕組みの3つが重要。 |
ハイライト
I 中長期的な企業価値向上に向けた中期経営計画の在り方
2024年、東京証券取引所は「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を公表し、プライム・スタンダード両市場の上場企業に対する企業価値向上に向けた取組みについて、より一層の強化を求めることを要請しています。それに続いて東京証券取引所より公表された、「投資者の視点を踏まえた『資本コストや株価を意識した経営』のポイントと事例」、において、ROIC目標の達成を中長期的に目指す姿とひも付けて成長シナリオを示すことが期待されている点が、「投資者が企業に期待する取組みの検討・開示」にて挙げられています。
また、企業価値向上の1つの指標として、PBRの安定的な1を超える水準の実現への取組みが進んでいます。PBRとは、分解するとROE(ROIC)×PER(PriceEarnings Ratio:株価収益率)であり、PBRの向上で、PERという「成長期待」の視点と「ROE・ROIC向上」の視点の両面からのアプローチが重要と考えています。
さらに、2024年5月経済産業省製造産業局の「 製造業を巡る現状と課題 今後の政策の方向性」によれば、製造業における伝統的な日本的経営の問題点として、企業の経営戦略・事業戦略である中期経営計画が「3年」などの固定的な時間軸にとらわれがちで、その時間軸のみでは抜本的取組みに着手しにくく、変化の速いビジネス環境にも対応しにくい側面もあることが指摘されています。
一方、ワールドワイドのベストプラクティス企業では、マネジメントが中長期的な技術革新・トレンド等も踏まえ、自社ポートフォリオの目指す姿を明確化し、中長期的な視点での成長シナリオ・戦略を意識しながら、短期的視点での中期経営計画を策定する特徴があるとされています。
昨今、変化のスピードの速い、不確実性の高い事業環境を背景に、製造業企業での外部公表ベースの中期経営計画・中期目標はその半分以上が未達成な状況なのではないでしょうか。
企業価値向上・PBR向上、「資本コストや株価を意識した経営」へのシフトの視点、また、日本的経営の問題点を解消していく方向性として、中長期の目指す姿を明確にしたうえで、その実現に向けて、中長期的視点での戦略・成長シナリオに基づいたバックキャスティングのアプローチを用いた中期経営計画の考え方を取り入れるべきです。また、そのようなバックキャスティング方式での中期経営計画を軸とした業績管理PDCAの仕組みの構築が、企業価値向上の重要な1つの要素と考えています。
II 長期ビジョン・目指す姿実現に向けた、バックキャスティング方式での中期経営計画とはバックキャスティング方式での中期経営計画とは
バックキャスティング方式での中期経営計画とは、長期ビジョン・目指す姿からバックキャストして中期経営計画を描いていく手法であり、以下の1~3にて策定されます(図表1参照)。
1. 中長期的な目指す姿の明確化:
2030年や2035年等をターゲットとした長期ビジョンや目指す姿、いわゆる目指す未来像を描く。目指す姿の明確化にあたっては、中長期的に目指す事業ポートフォリオの姿を描き、その実現に向けた戦略策定の基礎となる、事業ポートフォリオに関する基本方針の策定が重要となる。
2. 目指す姿実現に向けた段階的ステージと各時点でのあるべき姿のバックキャスト:
その未来から逆算して、1の実現に向けた企業・事業の戦略を立て、実現シナリオとして、実現の段階的ステージと、ステージごとのあるべき姿・目標(短期目標、中期目標)をバックキャスティングして定義する。事業戦略の策定にあたっては、事業資源強化について精査し、事業戦略として具現化していく。
3. 中期経営計画202Xの策定:
バックキャスティングして描かれたSTAGE1のあるべき姿の実現に向け、事業構想の数値計画(定量的・定性的中期目標を設定)を策定し、「中期経営計画202X」として経営層との戦略対話を通じて最終化、実現性を担保する。
図表1 バックキャスティングのアプローチを用いた中期経営計画とは
III バックキャスト型中期経営計画を軸とした業績管理PDCA
バックキャスト型中期経営計画を軸として、企業価値向上に資する業績管理のPDCAを構築するにあたっては、1.トップダウンでの目標設定、2.事業の戦略シナリオをKPIに落とし込んだKPIセット(ROIC・事業特性KPI・戦略KPI)の設定・モニタリング、3.予算制度との連動の仕組み、の3つがポイントとなります。
1.トップダウンでの目標設定
バックキャスト型中期経営計画の目標は、中長期的な目標からバックキャストされた「中期経営計画202X」における全社目標を達成するための、各セグメント・事業レベルでの目標にブレイクダウンされるトップダウン型での設定が望ましいと考えます。
ここで、トップダウン型の事業レベルでの中期経営計画の目標設定について考えてみたいと思います。ステップとして、中長期的全社目標実現に向けて策定した会社全体・事業ごとの戦略シナリオと、ステージ単位での全社目標数値感を基礎に、トップマネジメント(コーポレート)と事業マネジメントが、中計方針としてトップマネジメント会議にて各事業に振り分けられる目標レベル感を目安として事前協議・合意(各事業マネジメントのコミットメント)し、それを各事業に中計方針(数値目安)として提示のうえ各事業目標KPIを設定します。このコンセプトにより、全社での中長期目標実現に向けて、バックキャスティングのアプローチに基づいた事業レベルでの目標数値感がトップダウンで展開されることとなります。
なお、この場合、目安として事業本部等、ある一定レベルの階層までの目標数値感は設定されることとなりますが、一方で現場部門からのボトムアップベースでの目標数値感と乖離が生じる可能性もあり、この乖離部分の取り扱いは各社にて検討が必要となります。当乖離は事業本部等、ある一定レベルの階層のマネジメントの裁量としてとどめておき、目標見直し等のタイミングで調整を行っていく形も考えられます。
2.事業別KPIセットのモニタリング
2点目のポイントは、事業レベルのKPIの体系として、事業の戦略シナリオをKPIに落とし込んだKPIセット(ROIC・事業特性KPI・戦略KPI)のモニタリングの仕組みの構築です。
図表2 事業の戦略シナリオをKPIに落とし込んだKPIセット(イメージ)
図表2のように、トップダウンでの事業別の目標KPI(ここではROIC)を第1指標(最上位)KPIとして、そのROIC目標達成の中計期間での事業戦略シナリオを、第2指標:事業特性指標、第3指標:戦略KPIに落とし込み、第1~第3の全KPIの目標をすべて達成したら、中計期間のROIC目標が達成されるという体系となります。
第3指標である戦略KPIは、中計期間の終了年度までの達成したい目標を設定し、目標達成のための戦略を明確にしたうえで、当該戦略をベースに必要かつ十分なコミットメント指標をセットし、戦略の遂行局面を考慮して、年度ごとに設定すべき定量目標を明らかにしていくことで、戦略に基づく目標達成のシナリオがKPIで見える化されることとなります。
このようなKPIセットを中計におけるKPI目標とし、主要指標の達成度を測定し、予実差の分析を行うとともに、その結果に基づく改善点を次期中計の戦略・資源配分・施策に反映していきます。特に、戦略KPIは中期経営計画の数値目標達成に重要な戦略の進捗を測定するため、優先度の高いものをKPIとして採用しますが、製造業はたとえば以下のような視点から、適切に戦略KPIを組み込めているか留意が必要です。
例)戦略的KPIの適切なセットの確認の視点・利益拡大(単価の値上げまたは数量増加による売上拡大、歩留率の削減や品質向上に基づく原価削減)や資産効率向上(売上債権・仕入債務、棚卸資産、固定資産の管理、投資の抑制や投資進捗率による管理)の視点等での戦略遂行上、重要かつ適切なKPIをセットできているか
- 中長期/非財務視点でのR&D、ESGなど、進捗で評価すべき重要戦略:KPIとしてマイルストン目標を設定できているか
- モノ売りからコト売りへの転換(ソリューション型ビジネス)等、事業戦略上、新しいビジネスモデルへの方向性が想定される場合、それぞれのビジネスモデルに合致した、変革の進捗・実現を評価できる適切なKPIをセットできているか(ストック型収益モデルにおけるストック収益比率、LTV顧客生涯価値等の顧客関係性KPI)
事業別のKPIセットの設定にあたっては、事業部門企画が、各現場部門およびコーポレート経営管理部との対話を通じ、目標達成に適切なものを設定します。このほか、それらKPIセットの目標を現場でのアクションプラン・目標管理制度と連携させ、各人の目標達成のモチベーションアップにつなげていくことや、コミットメントに基づく業績評価制度との連動の仕組みづくりも必要です。
図表3 バックキャスト型中長期目標からの中計目標ブレークダウンと予算との連動
3. 予算制度との連動
バックキャスト型中期経営計画を軸にした事業業績管理として、中計期間内の各年度での目標は、各ステージの中計目標数値が戦略シナリオに応じてブレイクダウンされることとなります。
そして各年度でのKPIセットの目標数値は、各年度の予算編成方針にて、各事業の年度予算の目安として提示され、その目安に基づいて当初予算化され、その意味で予算制度との連動を図ります。
このような体系の中で、年度での業績管理・予算管理としては、主要指標の年度目標に対する達成度を測定し、予実差の分析を行うとともに、分析結果に基づく改善点を次年度の戦略・資源配分・施策に反映していきます。
また、年度終了時には、中計目標に対する達成度を測るため、その年度実績を踏まえた、中計最終年度の着地見込も作成し、重要な市場前提の変動等事業環境の変化とあわせて、中計目標の見直し要否の検討につなげていくこととなります。
IV さいごに
DXの活用による業績管理高度化~バックキャスト型業績管理×データドリブン経営~
バックキャスト型業績管理において、マネジメントが求める経営情報は前述のとおり結果指標のみでなく、質の高い予測・見通し情報と考えています。グループ経営管理基盤として自社データだけでなく、外部データの各種統計データやIoTによる自動収集される顧客データ・製造工程での各種データなども、グローバル経営情報DB・DWHに取り込み、それらビックデータからDXを活用し、「着地見込み」や「未来の期間の重要KPI予測値」をロジカルに、かつ効率的・タイムリーに生成し、シミュレーション機能も活用しながら、次のアクションプランの検討・意思決定に資する経営管理情報が提供できる仕組み作りも今後の潮流と考えています。
さらに、予算・実績管理システムやBIツール上にAI機能を組込み、ビッグデータを活用した初期シナリオ結果の提供や、それに対するAIからの示唆、更には会話型(オープンQ&A)の将来予測の提供などの事例が出始めており、このような将来の潮流としてのDX活用が製造業の中期経営計画の精度・信頼性の向上や、業績管理における信頼性の高い予測分析・高度化にもつながっていくことを期待しています。
図表4 近い将来の経営管理システム利用イメージ
執筆者
KPMGジャパン製造セクター
有限責任 あずさ監査法人
ディレクター 程原 真幾