「メタバース」は2021年に大きく注目を集め、現在も着実に進化・成長しています。複数あるメタバースプラットフォーム上で他者と交流し、創作活動を楽しむ個人ユーザーが増えており、今後ますますメタバースの利用者が増加し、経済活動としても多様化することが予想されます。企業や自治体においては、メタバースに既存顧客や見込み顧客が存在することを踏まえて、事業戦略やデジタルトランスフォーメーション(DX)戦略の1つとしてメタバースを活用することが重要になります。実際に先進的な企業や自治体がメタバース上でのビジネス展開にチャレンジするケースが増えています。
本稿では、メタバースの特性を踏まえたビジネス展開におけるポイントについて解説します。
なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りいたします。
POINT1:顧客接点としての活用・顧客経験価値向上 個人向けのコンシューマーメタバースでは、メタバースを顧客との新たなタッチポイントとして捉え、メタバースの特性を活かした対面接客や商品・サービスの魅力アピールを行うことにより、顧客経験価値を向上させることができる。 POINT2:産業用や研修用コンテンツへの活用 ビジネス向けのインダストリアル/オフィスメタバースでは、メタバースでの自由な表現により、現実では再現が難しい産業用や研修用のコンテンツを作成し、効果的な共同作業やスキル伝承を行うことができる。 |
I メタバースの概要
「メタバース」とは、現時点で明確な定義は確立されていないものの、内閣府によるメタバース上のコンテンツ等をめぐる新たな法的課題への対応に関する官民連携会議では、「ネットワークを通じてアクセスでき、ユーザー間のコミュニケーションが可能な仮想空間のうち、特に自己投射性・没入感、リアルタイム性、オープン性(誰もが参加できること)等の特徴を備えるもの」と定義されています。
メタバースはその用途により、個人向けの「コンシューマーメタバース」、ビジネス向けの「インダストリアル/オフィスメタバース」に区分できます。さらに、コンシューマーメタバースには、メタバース上でユーザーの分身として表示されるキャラクターであるアバターを通じたユーザー同士のコミュニケーションが中心の「ソーシャル系」と、多人数でプレイできるオンラインゲームから発展した「ゲーム系」、NFT(非代替性トークン)や暗号資産を活用した体験を中心とする「Web3.0系」といった種類があります。
現在はこれら複数の種類のメタバースに該当するプラットフォームもあり、今後「オープンメタバース」として、プラットフォーム同士がつながることによりその境目は曖昧になっていくことが予想されます。
デバイス面では、VR(仮想現実)ゴーグルを頭に被るイメージが強いですが必ずしもそうではなく、スマートフォンやPCから入ることのできるプラットフォームも数多くあります。VRゴーグルを用いることでより没入感のある体験を得ることができ、一方、スマートフォンやPCでは手軽にアクセスすることができるといったメリットがあります。最近は各プラットフォームでマルチデバイス対応が進んでいます。
II メタバースの特性
メタバースでは設計次第で物理的な制約から解放させることも、現実世界と同じ制約を課すことも可能です。重力を例にとると、アバターが手に持っていたリンゴを離したときに、リンゴを空中に浮遊するようにも、地面に落ちるようにも設計できます。さらには、月面にいるかのようにリンゴがゆっくりと落ちたり、リンゴが空に舞い上がったりするように作ることもできます。
ほかにも、物体の表面が触れあったときに、すり抜けて重なるのかそれとも衝突するのかを物体一つひとつに設定することが可能です。これによりアバターが移動する範囲を決めたり、アバターが物体を掴めるようにしたりすることができます。
空間表現を個々のユーザーごとに見せ方を分けるか、同じメタバース空間内にいるユーザー同士で共有するかも決められます。空間に1つだけ置いてあるアイテムを、複製されたように全員が手に取ることも1人だけが手に取ることもできます。ほかには、空間に設置したスクリーンで、それぞれのユーザーが異なる動画を見ることも、全員で同じ動画を見ることも可能です。
これらの物理的な制約を適切にコントロールすることにより、現実空間では難しい体験価値をユーザーに提供することが可能になります。さらに、物理的な肉体は動かずともメタバース空間でさまざまな場所に瞬時に移動できることは時間の制約をも緩和しているといえます。
2.現実世界と異なるコミュニケーションが取れる
メタバースでは、ユーザーはアバターの姿で存在し、現実世界とは異なるコミュニケーションを取ることができます。アバターは現実世界の本人の姿に近づけて作成することもできますが、現実の見た目とは異なるありたい姿や好きな姿を選択・創作するユーザーが多いです。
現実世界とは異なり、アバターはその人の肉体ではなく心や人格にリンクしているという意識があるからか、より内面にフォーカスしたコミュニケーションが取られる傾向があります。アバターを介することで距離感を詰めることが容易になり、親密さが増すといわれています。また、現実世界では難しい、匿名性を担保しながらの対面コミュニケーションも可能になります。
【図表1:メタバースの区分】
メタバースの区分 | 個人向けの 「コンシューマーメタバース」 |
ビジネス向けの 「インダストリアル/オフィスメタバース」 |
|||
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ソーシャル系 | ゲーム系 | Web3.0系 | インダストリアル系 | オフィス系 | |
特徴 | アバターを通じたユーザー同士のコミュニケーションが中心 |
多人数でプレイできるオンラインゲームが発展し、メタバースの特徴を多く持つもの | NFT(非代替性トークン)や暗号資産を活用した体験が中心 | 産業領域における製造や物流のシミュレーションや遠隔作業 | 職場環境におけるコミュニケーションやコラボレーション |
出所:KPMG作成
III メタバースの特性を踏まえたビジネス展開
個人向けのコンシューマーメタバースでのビジネス展開を検討する際には、メタバースを顧客との新しいタッチポイントとして捉えるとよいでしょう。タッチポイントは、「リアルチャネル」(店舗・訪問・コンタクトセンターなど)と「デジタルチャネル」(ウェブサイト・モバイルアプリ・チャット・メール・SNSなど)に分けられ、それぞれの特性を活かした役割を与えることが顧客経験価値の向上につながります。
メタバースにはリアルチャネルとデジタルチャネルの両方の側面があり、さらに既存のチャネルにはない独自の特性もあるため、これらを踏まえた検討が必要になります。
たとえば、個人顧客の声を聴いて寄り添い、嗜好やニーズに合った商品・サービスを提供するビジネスを想定するとどのようなポイントがあるでしょうか。先ほどメタバースの特性として挙げた(1)物理的な制約をコントロールできることと、(2)現実世界と異なるコミュニケーションが取れることに着目して解説します。
(1)物理的な制約をコントロールできる特性を踏まえたビジネス上のポイント
メタバースでは、営業担当者が顧客と物理的に会うことなく、仮想空間で「対面」して接客することが可能です。実店舗や顧客先に出向いて顧客としっかり相対して会話することはデジタル時代でも、むしろデジタル時代だからこそ強調されるリアルチャネルの強みですが、物理的な制約を受けてしまいます。
これから人口減少が進む日本ではほぼすべての地域で居住者数が減っていくため、これまでのように顧客がいるエリアを網羅するようにフロントオフィスを構えることが採算面で困難になっていくと予想されます。メタバースの店舗であれば、物理的な場所という制約を気にせず比較的安価に設立でき、世界中のどこにいる顧客とも対面で接客することができます。
さらに、スペースや建物構造の制約を考える必要がないため、店舗デザインの自由度も高く、顧客との対話を最大限有益にするためのデザインに注力できます。カウンターや応接室のような造りである必要はなく、サバンナでも宇宙空間でも構わないのです。それぞれの顧客にとって心地の良い空間を選択してもらうのも一案です。
場所を問わない対面接客としてはウェブ会議がありますが、メタバースにはウェブ会議にはない強みがあります。ウェブ会議は顧客が商品・サービスを認知して興味を持った後に詳しく知ってもらう段階では有効ですが、認知したり興味を持ったりするきっかけにはなりません。
一方で、メタバースでは、楽しそうなのでふらっと立ち寄るような店舗を構築し、購買活動の初期フェーズである認知や興味の段階にも活用することができます。もう1つ、ウェブ会議では平面の枠に映る相手と話しますが、メタバースは3D空間で相手と会っている感覚で話すことができます。
ただし、どれだけこの感覚を持てるかは使用するデバイスに大きく依存します。現在の技術でも視覚と聴覚については、ハイエンドなVRゴーグルと体の動きをトラッキングする機器を装着することで、相手と同じ空間にいる感覚を味わうことができますが、そのような先進的なデバイスが広く普及しているわけではありません。今後デバイスがさらに進歩し軽量化して普及することで、メタバース接客のメリットがさらに注目されると考えられます。
また、現実では表現できない方法で商品・サービスの魅力をアピールすることもできます。たとえば、デザインやパーツのカスタマイズが可能な商品の場合、さまざまな組み合わせを購入前に試すことや、形のないサービスを3Dモデルのアニメーションやゲームを通じて顧客にわかりやすく説明することなどが考えられます。
メタバース空間において、デバイスが振動することでユーザーが実際のモノに触れているような触覚を実現するハプティクス技術や、VRゴーグルなどを必要とせずに空中に立体映像を浮かべるホログラム技術などの革新が進めば、このような表現のバリエーションや質がさらに高まることが期待されます。
(2)現実世界と異なるコミュニケーションが取れる特性を踏まえたビジネス上のポイント
メタバースでは自由にアバターを選択することで、顧客が望むコミュニケーションを実現することが可能です。顧客が安心感を得るために実際の顔を見て対話したい場合は、アバターの頭部に自身の顔の映像を映すことや、事前に立体的にスキャンしたCGの顔を映す方法があります。逆に顧客が顔を出さないで対話したい場合には、現実の見た目とは異なるアバターを使用することができます。
現実世界で顔を出さないようにするには音声やチャットのみでやり取りするか、対面なら顔を覆うといった方法になり、スムーズな対面コミュニケーションとはいきません。一方、メタバースではアバターでの会話が自然な世界・文化であるため、匿名性を担保しつつ対面でコミュニケーションすることに向いています。
また、営業担当者が柔らかい雰囲気のアバターを使用することにより、人と話すことが苦手で対面接客を避けてきた顧客との新たな接点づくりにつなげることができます。営業担当者のアバターを顧客に選択してもらうのも一案です。
さらに、顧客と営業担当者との新しいかたちの関係を構築することも可能です。前述のとおり、メタバースは購買活動の初期フェーズである認知や興味の段階から活用することができますが、この段階から営業担当者が参加し、顧客から親近感や信頼を獲得したうえで販売や勧誘に進むことにより、成約率の向上や顧客関係の強化につなげることができます。たとえば、顧客と営業担当者が商品・サービスをテーマとしたゲームを一緒に体験して関係性を醸成する方法が考えられます。
また、これはもう少し先の話になりますが、AI(人工知能)アバターに営業担当者の役割を担わせることも考えられます。メタバースの店舗は設立後の運営も実店舗に比べて低コストですが、営業担当者のリソースについては同じく必要になります。
店舗を24時間オープンできたとしても、営業担当者の夜間シフトの問題は残ります。そこで、商品・サービスや接客作法を学習したAIアバターを配置することで、顧客の取りこぼしを防ぐことが可能になります。AIアバターは情報検索能力が高く、顧客の欲しい情報を提供する点では人間を上回る水準を期待できます。
一方で、きめ細やかなコミュニケーションはまだ人間と同じようにはいきませんが、現実世界でAIロボットが人間の代わりに接客するよりも、最初からアバターがベースであるメタバースでアバターの中身にAIが入って接客する方が心理的な障壁は低いと考えられます。
現在、AIアバターの研究・開発が進められており、成熟度が上がってきています。まずは部分的・補助的な役割から始め、徐々に活躍の領域を拡大させるアプローチが有効だと思われます。
2.インダストリアル/オフィスメタバースのユースケース
ビジネス向けとしては、メタバース空間の産業利用や研修利用が挙げられます。すでに取り組んでいる企業や大学もあり、有効性が証明されつつある取組みで、ここからはインダストリアル/オフィスメタバースの特性に沿ってポイントを解説します。
(1)物理的な制約をコントロールできる特性を踏まえたビジネス上のポイント
メタバースでの自由な表現により、現実では再現が難しい産業用や研修用のコンテンツを作成することが可能です。
産業利用については、メタバースという言葉が浸透する前から製造業を中心にデジタルシミュレーション技術が発達してきましたが、テクノロジーの進化によりここ数年で実現可能な範囲が飛躍的に広がり、メタバースの定義と重なる部分が大きくなってきています。個別の製品やデバイスのデジタルモデルを作成して特定の条件下でシミュレーションを行っていたところから、設備やプラント、さらには都市全体までをもデジタル空間で再現して現実空間のデータをリアルタイムで反映することにより、広い範囲での異常検知や安全確保、効率化や最適化が可能になります。
さらに、そのデジタル空間に人間が入りコミュニケーションを取りながら共同作業できるようにして現実空間とのデータ連携を高めれば、物理的制約から解放されたデジタル空間でオペレーションの大部分を実行することが可能になります。インダストリアルメタバースは、メタバースのなかでも実利を得られやすい領域であり、ここで実用化され磨かれた技術がコンシューマーメタバースにも活用されると予想されます。
研修の例としては、災害や犯罪、事故などの対応を、社員にメタバース上で疑似体験させることで、緊急事態へのレジリエンス強化が見込めます。ほかにも、ゲーム要素を含めた体験型の研修コンテンツを作成することで、退屈になりがちな研修の効果を高めることも考えられます。
また、全国、さらには世界各国・地域の社員が異動の負担なく、同じ水準の研修を受講することが可能になります。物理的に同じ場所で行う必要があったワークショップ形式などの集合研修をメタバース上で行うこともできます。
(2)現実世界と異なるコミュニケーションが取れる特性を踏まえたビジネス上のポイント
メタバースでは講師と生徒間の心理的障壁が低くなり、生徒が講師に積極的に質問するなど講師から能動的に学ぶことが期待できます。また、メタバース内で多数の生徒がスキルの高い営業担当者の接客実演や技術者のオペレーション実演を間近で見てスキルを伝承することも可能です。
【図表2:メタバースの特性を踏まえたビジネス展開】
IV さいごに
執筆者
KPMGコンサルティング
マネジャー 水口 拓哉