米中の緊張関係やウクライナ情勢など不安定な国際環境下で、地政学・経済安全保障リスクへの対応は重要な経営課題となっています。

今回は、現代中国政治が専門である東京女子大学特別客員教授の高原明生氏(東京大学名誉教授)、中国ビジネス法務に携わる長島・大野・常松法律事務所パートナー弁護士の鹿はせる氏、地政学と企業課題に詳しいQuartet Partners共同代表の稲田誠士氏(ユーラシア・グループ前日本代表)を迎え、特にその動向に注目が集まる中国に焦点を当てた地政学リスクについて議論しました。

前編である本稿は、中国の外交政策、中国での現地化における法務上の課題、米国大統領選挙後の情勢を見据え、安全保障と経済発展のバランスを取るうえで日本企業が押さえるべきポイントについて掘り下げます。

【インタビュイー】

東京女子大学 特別客員教授 高原 明生 氏
長島・大野・常松法律事務所 弁護士 鹿 はせる 氏
Quartet Partners合同会社 共同代表 稲田 誠士 氏
KPMGコンサルティング 
執行役員 パートナー 足立 桂輔
シニアマネジャー 新堀 光城
マネジャー 白石 透冴

写真_全員

左から Quartet Partners 稲田氏、KPMG 足立、白石、長島・大野・常松法律事務所 鹿氏、KPMG 新堀、東京女子大学 高原氏

競争と協力のジレンマに陥る中国の外交政策

足立:昨今、中国と他国の立場が緊張・対立する場面が目立つようになり、中国ビジネスのあり方を模索している日本企業が多いように見受けられます。高原さんは現代中国政治がご専門ですが、中国外交の現状をどう見られていますか。

高原氏:対中ビジネスについて語る前に、まずは全体の状況を俯瞰する意味で、中国外交の構造について説明します。中国外交には基本的に4つの側面があります。

1つ目は、大国外交。主な対象は米国とロシアです。中国共産党にとって最優先事項は自らの安全保障ですから、やはり大国との関係は大事です。経済面でも大国外交は重要であり、EUとの外交もこれに当たります。

2つ目は周辺外交。近隣外交という意味ですね。もともと日本は大国外交の一角を占めていましたが、近年降格されて周辺外交の対象となっています。

3つ目がグローバルサウスを対象とした外交。4つ目にマルチの外交、主に国連外交です。中国が最も重視しているのは対米関係です。米国との外交を安定させることは、安全保障や経済にとってだけでなく、実は内政の安定にとっても重要だからです。ただ、現状は米国との戦略的競争が激しさを増し、それによってロシアとの関係の重要性が高まっています。一方で、最近不調な経済のためにも、米国や欧州、日本との関係も安定させたいとも考えており、ジレンマに陥っているのが中国外交の今の状況です。

ジレンマは日中関係においても存在します。日中関係には、経済交流をかすがいとした強靭な面と、安全保障や歴史問題にまつわる脆弱な面との二面性があります。近年では中国が海洋戦略を一層強化していることなどに伴い、日中関係の脆弱な面が前面に出てしまっています。他方、経済や文化交流など以前からの協力関係は保たれており、またそれを強化する意思もあるため、対日政策はちぐはぐになっています。

足立:日本企業もそうした二面性が日中関係の常であることを念頭に置く必要がありますね。

高原氏:日本企業にとっては、ちぐはぐな環境のなかで生きる道を探っていかなければならない状況が続くと思います。日中関係の一面だけを見ていると判断を間違えますので、複眼的に見ていく必要があるでしょう。中国は大きく多様な国であり、経済社会がダイナミックに発展しています。

昨日の常識が今日は通用しないこともあるので、さまざまな事象を総合的に検討することを習慣化する、結論に飛びつかない、多くの意見を聞いて賢い判断をするという心づもりが大切です。

写真_KPMG_足立

KPMG 足立

写真_東京女子大学_高原教授

東京女子大学 高原氏

現地化における法務上の課題

足立:日本企業は中長期的なトレンドとして中国での現地化を志向してきました。直近の情勢を踏まえると、現地化をより一層進めなければならないという論調もあるなか、法務上の課題はどう考えるべきでしょうか。

鹿氏:法務に関しては、日系企業の現地化自体は相当進んでいると実感します。たとえば、中国で日系企業向けの法律セミナーを開くと、現地法人の法務部長は現地の方が目立ちます。近年では、2000年代初頭の進出の波と、2010年代中盤以降の撤退の波が一旦は落ち着き、特に大企業においては、ある程度安定した現地拠点があることを前提に、何を現地に任せて何を本社でコントロールすべきかをより強く意識しているように思います。

現地化を進めるにあたっての課題は、大きく分けて3つあります。

1つ目はガバナンスです。現地法人の割合が増えると、本社はコントロールが困難になります。日系企業の現地トップは基本的に本社からの出向ですが、言語の問題もあり、欧米企業と比較すると日本語を話せる現地スタッフへの依存度が高いように感じます。現地スタッフの忠誠心は高いですが、個人に対する信頼によってビジネス判断や現地法対応を行うことにはリスクがあり不祥事の温床になっています。特に、中国の法律・規制は複雑化しており、近年の国家間の対立などもあるため、本社に影響が及ぶような重要な事項は現地任せにしないよう留意する必要があります。

2つ目は知的財産および営業秘密管理です。日本企業は伝統的に技術を非常に大事にしてきましたし、米中対立以降、先端技術の輸出入管理が強まったことで、さらにセンシティブな問題となっています。最近は、知財・営業秘密絡みの重要事件が頻発しており、企業からの相談も増えている印象です。複数の法分野を跨ぐ検討が必要で、知財法はもちろんですが、営業秘密の流出に関しては不正競争防止法・刑法、技術の強制ライセンスや標準必須特許のFRAND条件に関しては競争法に基づく分析が重要です。クロスボーダー案件は、さらに複数国の法制度・実務が交差し難易度が高くなります。

3つ目は、イグジット(撤退)の問題です。「撤退」という言葉には若干ネガティブな響きがありますが、企業のライフサイクルとして、イグジットを視野に入れるのは当然です。特に、地政学リスクが強調される昨今では、いかにクリーンイグジットができるか。特に現地で作った合弁契約は、進出一辺倒のときに作成されたものが多く、イグジット条項がワーク(機能)しないものも少なくありません。

長島・大野・常松法律事務所_鹿氏

長島・大野・常松法律事務所 鹿氏

合弁企業は中国で2020年に成立した外商投資法、2024年に成立した会社法に基づき、定款や組織構成等の改正を求められることがありますが、これは合弁契約自体を見直すきっかけと考えても良いと思います。

また、同様に重要なのはイグジット後の対応です。撤退後も中国との付き合いが続くことも多く、たとえば売却の場合であれば、中国の買い主あるいは合弁解消後の現地パートナーに対してライセンス契約などを通じて、技術的なサポートをどのように継続するかも課題になっています。

今後の米中関係

足立:ここまで日中関係を軸に見てきましたが、中国と他国との関係性にも目を向けたいと思います。中国が最重視する米国との関係はどうでしょうか。2024年11月の米国大統領選挙を控え、世界中が米中関係の動向に注目しています。

新堀:米中対立の発端の1つは、中国製品への関税率引上げや投資規制の強化など、トランプ政権時代の対中政策の先鋭化です。バイデン政権下においても基本的な政策方針が引き継がれ、先端半導体などの輸出だけでなく対中投資規制も強化されています。

また、脱炭素などのサステナビリティ政策を重視していますが、中国はEVやグリーン技術など関連分野においても競争力があり、米国は警戒をしています。たとえば、IRA(インフレ削減法)に基づくEV向けの補助金では、中国などの懸念国事業体から調達している場合に制約を設けるなど、サステナビリティ分野においても対中政策の側面があります。

米国大統領選挙後の政権運営に注目が集まっていますが、民主党候補と共和党候補のどちらが当選しても対中政策が緩和することは期待し難く、方向性は大きく変わらないのではないでしょうか。トランプ氏は公約などで米国への輸入製品に対し原則10%の一律関税、中国製品に対しては60%の関税を課すなどの意向を示しています。

一方で、現政権でも2024年5月、中国製EVやソーラーパネル、鉄鋼などへの関税を引き上げると発表するなど、トランプ氏の公約の一部を前倒しで実現している動きも見られます。

高原氏:米中の戦略的競争関係は変わらず、安全保障面では中国への圧力は強まっています。おっしゃるとおり、どちらが当選しても米国の対中政策の基本は変わらないでしょう。

中国の対米政策には、米国との競争関係において強硬姿勢を見せると同時に、少しでも関係を安定させ発展させられる面があればその方向に持っていきたいという矛盾した狙いがあります。安全保障面でも経済面でも米国に追いついていないという自覚があるので、そういう矛盾したアプローチを取らざるを得ない状況です。

米国との戦略的競争にとらわれ、世界のあらゆる事象を「対米競争」というレンズを通して見てしまう。だが技術を導入したい、投資も欲しい。ときに微笑み外交で迫っていく。米国に対しても、ちぐはぐな対応を中国側としては続けることになるでしょう。

新堀:近年の中国では、国家安全、特に政治の安全を重視する政策が目立つように思われます。日本を含む外資系企業は反スパイ法の執行への懸念などから、追加投資に足踏みしているケースもうかがえます。中国は安全保障と経済発展のバランスをどう考えているのでしょうか。

高原氏:特に米中競争が激化して以来、習近平氏は安全保障重視を強調しています。いわゆる中国データ統制三法(サイバーセキュリティ法、データセキュリティ法、個人情報保護法)を導入したほか、反スパイ法を改訂・強化し、実際に日本人を含む外国人社員を拘束するなど外資系企業を悩ませています。

一方で、2024年4月のドイツのショルツ首相の訪中にも見られるように、経済交流をしっかりやっていきたいという思いは中国にも日米欧にもあります。どのあたりが最適解なのか状況によっても変わりますし、手探りでやっていくしかない。しかし日本企業から見ると、何が安全で何がリスクなのか判別がつきにくい。残念ながらこうした困った状況がしばらく続くのではないかと思います。

誰が勝者でも保護主義的な通商政策が続く

足立:米中関係が日本企業に及ぼす影響についてもうかがいます。押さえるべきポイントや取るべき対策について、どう考えればいいでしょうか。

稲田氏:11月の米国大統領選挙ではいずれの候補者が勝者になっても、通商政策においては保護主義的な傾向が続くでしょう。米国内の所得格差や社会的・政治的な分断が進むなか、有権者の支持をつなぎとめるために国内向けの政策に重点が置かれる流れは変わらないと思います。

戦後長らくグローバル化のリーダーだった米国が内向き思考になっていくなか、日本企業も大きな影響を受けますが過度に恐れる必要はありません。たとえば2019年に締結した日米貿易協定は日米双方にとってよくできたトレードディールだと言われており、基本的な枠組みが大きく変わる可能性は低いでしょう。もっとも、米国の「フレンドショアリング」のなかに日本企業が組み込まれるような実務的な対策が必要になると思います。

写真_Quartet Partners_稲田氏_KPMG_新堀

左から Quartet Partners 稲田氏、KPMG 新堀

また、トランプ氏が勝利した場合、日本企業への影響が大きいIRA(インフレ削減法)が撤廃されるとの予測もありますが、オバマ・ケアがトランプ政権時に議会の上下両院で共和党が多数を占めるなかでも存続したように主要イニシアチブは残るのではないかという見方が大勢を占めています。日本企業は「もしトラ」を意識しつつもセンセーショナルなヘッドラインに惑わされることなく、大統領選後の自社への影響を丹念に分析することが必要でしょう。

米中関係にフォーカスすると、米国の中国への対応は厳しさを増しています。米国の対中貿易赤字は約2800億ドルと日本とは桁違いの額であり、米国は中国に強く挑んでいくと思います。中国もしかり、米国への厳しく強い対応は今後予想されています。そのなかで日本の役割は政治的には選択の余地はありませんが、経済では日本にとって中国は大きなマーケットであることは変わりません。米国の厳しい対中経済政策とは適切な距離を保ちながら賢くバランスを取ることが必要です。

足立:ここまで日中関係、米中関係の視点から、中国ビジネスにおいて日本企業にはどのような選択肢があるのかを掘り下げてきました。短期的な対応を実施しつつも中長期的な視点を忘れないことが大切です。後編では、中国・欧州・グローバルサウスの関係性および日本企業が進むべき方向性について深掘りします。

※本稿は2024年5月27日に実施した座談会を編集したものです。記載している内容は6月末時点のものであること、およびKPMGコンサルティングの意見を代表するものではないことを予めお断りします。

<話者紹介>

東京女子大学 特別客員教授 高原 明生 氏
1981年東京大学法学部卒業、1983年サセックス大学開発問題研究所修士課程修了、1988年同大学博士号取得。
笹川平和財団研究員、在香港総領事館専門調査員、桜美林大学助教授、立教大学助教授、同大学教授、東京大学大学院教授等を経て、2024年4月より現職。東京大学名誉教授。
専門領域は、現代中国政治と東アジアの国際関係。

長島・大野・常松法律事務所 弁護士 鹿 はせる 氏
2008年東京大学法科大学院修了。2010年に長島・大野・常松法律事務所に入所。
企業法務一般に加え、米国、中国の法律事務所での執務経験を踏まえ、クロスボーダーのM&A取引・JV取引を多数取り扱い、投資・輸出入規制、個人情報・データの移転に関して幅広い知見を有している。

Quartet Partners合同会社 共同代表 稲田 誠士 氏
外務省および内閣官房、世界経済フォーラム等を経て、2023年末までユーラシア・グループ日本代表。
地政学およびサステナビリティ経営を中心に企業向けアドバイザリー業務に長年従事。2025年日本国際博覧会「テーマウィーク:アジェンダ2025」アドバイザー。

KPMGコンサルティング
執行役員 パートナー 
足立 桂輔
2008年よりKPMG中国に勤務。中国各地の日系クライアントに対し、さまざまな中国事業支援を提供。
2012年8月よりKPMG(東京)にて勤務。製造業を中心としたガバナンス、サステナビリティ、リスク管理、海外事業支援等の案件をリード。

シニアマネジャー 新堀 光城
弁護士。経済安全保障・地政学サービスチームリーダー。
国内外のリスク管理・規制対応・サステナビリティ施策のほか、中長期戦略策定に向けたビジネス環境分析支援等に従事。

マネジャー 白石 透冴
元日本経済新聞社パリ ジュネーブ支局長、エネルギー報道チームリーダー。
KPMGでは企業の経済安全保障リスク対応、有事コミュニケーションなどの危機対応支援を担当。

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