米中の対立が強まるなか、台湾総統選、米大統領選といった政治イベントを経て、中国の台湾侵攻(以下、「台湾有事」という)に係る情報収集とその対応策を考慮することは、政策レベルだけでなく、企業レベルでも、リスクマネジメント上、きわめて重要な要素となります。

「台湾有事は起きるのか?」「起きるとしたらそれはいつなのか?」「その時にビジネス上どのようなインパクトが想定されるか?」「事業上のリスクヘッジをどう行えばいいのか」。こうした問いは、すべてのステークホルダーにとってきわめて重要ですが、明確な答えを持ち合わせている人のほうが少ないのではないでしょうか。

ロシアのウクライナ侵攻は、台湾有事の可能性と軍事的対応を考慮する際の検討材料として捉えられていますが、世界および周辺国経済にどのような影響を与えたかという視点でも重要です。ウクライナと台湾を比較したときに、前者は世界有数の農産物輸出国として、後者は半導体ビジネスにおける中核的存在として、おのずと経済に与える影響シナリオも異なるものになります。

本稿では、まず、台湾を取り巻く政治的動向を簡単に整理します。次に、インバウンド需要における台湾有事の影響を例に、その推計アプローチ例をご紹介します。最後に、台湾有事に対するリスクマネジメント上の着眼点について触れます。

なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることを、あらかじめお断りいたします。

POINT1:台湾を取り巻く中国・米国の政治的動向

台湾では2024年1月に総統選挙が行われ、3期連続で同一政党が担うこととなったが、同時に行われた立法委員の選出は最大野党の中国国民党が奪還、第三政党の台湾民衆党の動向にも左右される構図にある。中国は台湾問題解決に向けた「習近平5項目」を掲げつつ、台湾統一に向けた強硬な姿勢をとっている。一方、米国は、台湾の政治的かつ経済的価値を見直すうえで、対中国戦略を捉えつつ、2024年11月に大統領選を控える。

POINT2:政治学的・地政学的有事が事業にもたらす影響の可視化

日本企業にとって、政治学的・地政学的有事がもたらす経済的影響をどう読むかは、自社の危機管理体制およびステークホルダーへの説明において重要な要素となるだろう。事業への影響に対する考え方や根拠(シナリオ)を整理し、想定されるインパクトを定量的に推計し、算定論拠を整えておく必要がある。

POINT3:台湾有事に対するリスクマネジメント上の着眼点

関連各国政府の情報収集とともに、政治学的・地政学的有事が自社事業モデルにもたらす影響シナリオとインパクトを定量的に推計し、継続的に解析することが、自社(自国)が備えるべき現実味のある最適な対応策の策定やリスクヘッジにつながる。

I 政治的動向(要約)

1.台湾の動向

2024年1月、台湾では総統と立法委員を選出する同時選挙が行われました。総統には与党・民主進歩党から立候補した現職副総統の頼清徳氏が選出された一方で、最大野党・中国国民党が立法院第1党の座を奪還しました。
ただ、民主進歩党・中国国民党とも立法院の過半数に達せず、第3政党の台湾民衆党の動向に左右される構図となりました。

2.中国の動向

中華人民共和国反外国制裁法、辛亥革命110周年記念大会における習近平国家主席の発言(台湾統一達成)、米国ペロシ下院議長台湾訪問への反発、反間諜法(通称「改正反スパイ法」)施行等、近年、中国は台湾統一に向けた強い姿勢を打ち出しています。

一方で、2019年の台湾問題解決に向けた「習近平5項目(下記)」では、「中国人は中国人を攻撃しない」が「武力使用の放棄を約束しない」とコメントしており、武力衝突や侵攻に至るかどうかは不透明であるとする意見もあります。

(1)平和統一の実現
(2)「一国二制度」の適用
(3)「1つの中国」堅持
(4)中台経済の融合
(5)同胞・統一意識の増進

3.米国の動向

米国から見た政治的価値(民主主義モデル・アジアにおける同盟国)、ならびに、経済的価値(半導体)の両面から、台湾が有する複合的な価値が見直されています。
一方で、「抑止論」という考え方も根強くあり、台湾海峡周辺での米軍の活動を抑止し、対外的関与を全体的に縮小したうえで、中国との対話・合意を模索する戦略論の転換を求める声もあります。

2024年大統領選の結果も台湾戦略を大きく左右すると考えられますが、「台湾は、米国の安全保障、経済安全保障の両面において東アジアにおけるパートナー」として位置づけられる基本路線に変わりはないと考えられます。

II 台湾有事影響の定量的推計手法例

1.定量的推計の意義

台湾有事をリスクとして認識する場合、日本企業にとっては、軍事的侵攻や衝突という事態もさることながら、自社への経済的影響をどう読むかという視点が重要となります。政治学的・地政学的リスクに対し、アンテナを張ったうえで、危機管理体制の構築を図る必要があるからです。

2.推計対象業界

日本政府観光局(JNTO)「訪日外客数(2023年12月および年間推計値)」によると、2020~2022年にかけて新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のインパクトが直撃した観光業界も、2023年には2019年以前の水準に回復を遂げました(図表1参照)。

しかし、こうした回復も台湾有事によってどう影響を受けるかは不透明な状況です。そこで、本稿ではインバウンド観光客の推移に対して、台湾有事の影響を推計したケースをご紹介します。

【図表1:2023年月別訪日外客数(対2019年比)】

台湾有事影響の定量的推計手法に関する考察_図表1

出所:日本政府観光局(JNTO)「訪日外客数(2023年12月および年間推計値)」「2023年11月・12月国・地域別/目的別訪日外客数(暫定値)(対2019年比)」を基にKPMGにて作成

3.シナリオ

「台湾有事は起きるのか?」「起きるとしたらそれはいつなのか?」「その確率は?」。こうした問いに正確に答えることは不可能です。しかし、ステークホルダーへの説明において、台湾有事の事業への影響に対する考え方や根拠を整理しておくことは重要だと考えます。

(1)台湾総統はおおむね2期8年で交代しており、頼清徳の任期が終わる2032年に情勢が変化する可能性があります。

(2)習近平は2023年から3期目に入っており、仮に4期まで務めるとして、任期満了の2033年の直前、一線を退く前に台湾進攻でレガシー獲得を狙う可能性があります。

(3)米国シンクタンク戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International Studies,CSIS)が2022年に専門家を対象に行った調査レポート※1 によると、中国が今後15年以内に台湾統一を達成するための具体的な期限を設定したと考えているのは、回答者の約10%です。

4.インパクト

シナリオができたら、「その時にビジネス上どのようなインパクトが想定されるか?」という問いに対する論拠を整えます。このケースでは、国別インバウンド顧客数×平均消費単価で収益額を推計してみました。そこで、(1)東アジア地域(中国・韓国・台湾)の観光客だけが日本に渡航しないシナリオ、(2)すべての訪日外客が日本への渡航をキャンセルするシナリオという2つのシナリオを基に、ストレス係数やディスカウントレート等の調整を行い、台湾有事が事業に与えるインパクトを推計しました(図表2参照)。

仮定や不確定要素が多いため、シナリオの策定とインパクトの推計にはどうしても幅が出てしまうのはやむを得ませんが、「台湾有事はどのように自社の事業に影響をもたらすか」を考えることこそが、リスクマネジメントの第一歩になります。

【図表2:台湾有事シナリオ別インパクト】

台湾有事影響の定量的推計手法に関する考察_図表2

出所:KPMG作成

III 「台湾有事」リスクマネジメント上の着眼点

1.考慮すべき事項

本稿では、台湾有事が訪日外客数に与える影響を定量的に推計した事例を示しましたが、当然のことながら、企業のビジネスモデルによって考慮すべき事項は異なります。
たとえば、台湾から半導体を調達する企業と台湾への食品輸出を生業とする企業とでは、異なるシナリオやインパクトを検討する必要があるのは言うまでもありません。

2.政府発信情報

「令和5年版防衛白書」によると、わが国の国防予算は昨年来大きく増額されています(図表3参照)。

このことから、政府としても危機管理意識を強く持っている事項の1つであることは疑いがありません。
また、米国では、国家情報長官室(ODNI)が世界の脅威を分析した「Annual Threat Assesment of the U.S.Intelligence Community」において、台湾有事の時期を2027年と予想しています。

【図表3:防衛関係費(当初予算)の推移】

台湾有事影響の定量的推計手法に関する考察_図表3

出所:防衛省「令和5年版防衛白書」図表II-4-3-2を基にKPMGにて作成

3.着眼点~これからの「リスク」

従来の企業価値評価の世界では、こうした地政学リスクを詳細に分析し、ディスカウントレートやストレスファクターとして織り込むケースは少なかったように思われます。
企業としては、国家レベルのインテリジェンスを備え、事態の進捗に臨機応変に対応できることが望ましいのでしょうが、一企業レベルでそこまで整備することは容易ではありません。

しかし、関連各国・地域の政府動向を注視しつつ、自社事業モデルへの影響を推計し、そのシナリオとインパクトを常に更新し続けることで、危機管理対策や対応方針、体制整備は進んでいくと考えます。
また、官の視点に立った場合、今後の政策立案過程においても、台湾有事の影響を定量的に推計し、最適な政策や法案の策定を検討していくことが必要になると考えられます。

たとえば、半導体を中心としたインフラ投資促進策、GX推進に向けたスタートアップ育成施策、地方創生拠点整備、インバウンド訪日顧客の増加を見据えた観光におけるMaaS整備、オーバーツーリズム対応等、影響を受ける政策は多岐にわたります。

このように地政学リスクは、自社・自国にとってどのようなインパクトがあるかを定量的に解析してはじめて、対応策やリスクヘッジ策の検討が現実味を帯びてくるのです。

「台湾有事は起きるのか?」、「起きるとしたらそれはいつなのか?」、「その時にビジネス上どのようなインパクトが想定されるか?」、「事業上のリスクヘッジをどう行えばいいのか?」。こうした問いに明確な「考え方」を持ち合わせている事業主体が、今後、増えていくことを期待します。

※1 Surveying the Experts: China’s Approach to Taiwan | ChinaPower Project (csis.org) ,ChinaPower, アンケート調査期間:2022年8月10日~9月8日

※図表1参考データ 日本政府観光局(JNTO)
訪日外客数(2023年12月および年間推計値)
2023年11月 国・地域別/目的別訪日外客数(暫定値)(対2019年比)
2023年12月 国・地域別/目的別訪日外客数(暫定値)(対2019年比)

※図表3参考データ 防衛省「令和5年版防衛白書

執筆者

KPMGジャパン
ガバメント・パブリックセクター
ディレクター 林 哲也

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