金融機関が提供していた金融サービスが分解され、非金融企業の事業サービスに組み込めるようなかたちで提供する動きが世界的に進んでいます。日本国内においても銀行が非金融の事業会社にBanking as a Serviceとして金融サービスを提供し、事業会社がそれらを利用したサービスを構築する例が登場しています。
本稿では、金融サービスを自社の事業に組み込むエンベデッド・ファイナンス(Embedded Finance)について、事業会社の視点から解説します。
1.エンベデッド・ファイナンス(Embedded Finance)とは
従来から顧客が商品やサービスを購入する際に、資金の調達方法としてローンやリース、決済手段としてクレジットカード、高額な商品・サービスに対しては保険などの金融サービスを提供することで、モノ・サービスの購入における不安などの心理的障壁を解消してきました。一方で、モノ・サービスの購入と金融サービスの契約が分離されていることで購入時の手続きが煩雑になるなど、顧客体験の向上には制約がありました。
エンベデッド・ファイナンス(Embedded Finance)によって、顧客はモノ・サービスの購入と支払い、ローン、保険等の金融サービスが一体化された環境を利用することで新たな顧客体験を得られ、きめ細かい価値を享受することが可能になります。事業会社は金融サービスを通じて顧客との接点を維持し、主要な事業との相乗効果が得られ、また、金融サービスによる新たな収益の獲得も期待できます。
【従来のサービスとエンベデッド・ファイナンスを活用したサービスの提供例】
出所:KPMG作成
エンベデッド・ファイナンスでは、「(1)金融機関の金融機能を直接利用する形態」と「(2)金融機関が提携するイネーブラーの金融プラットフォームを利用する形態」の2つのパターンが存在します。いずれも顧客に対する金融サービスの提供主体は事業会社であり、金融機関やイネーブラーは裏側で金融機能や金融プラットフォームを提供しています。
【エンベデッド・ファイナンスにおける主要な登場人物】
金融機関 | イネーブラー | 事業会社 | |
---|---|---|---|
役割 | 金融サービスにかかわる認可、免許等を有し、イネーブラーや事業会社へ提供する | 金融機関から金融機能の提供を受けたうえで、独自に金融サービスを組成し、事業会社へ提供する | 金融機関やイネーブラーが提供する金融サービスを用いて、自社のモノ・サービスと一体で提供する |
主な業種 | 銀行、保険会社、信販会社、資金移動業者など | FinTech企業など | 小売業、流通業、通信業、旅行業、IT業、不動産業など |
欧州では決済サービス指令(Payment Service Directive 2:PSD2)に基づき金融サービスの開放が進み、米国では金融機関がテクノロジー企業との協業を進めたことで、デジタルバンク、企業間決済、暗号資産、投資など複数の金融サービスを提供し1億人以上の顧客を持つイネーブラー企業も登場してきています。
日本でもエンベデッド・ファイナンスが徐々に広がり始めています。その背景には、事業会社のデジタルトランスフォーメーションの取組みが進んできたこと、銀行法の改正により金融機関にAPIの開放が努力義務として課されたこと、顧客目線を重視した利便性の高い金融プラットフォームを提供するイネーブラーが台頭してきたことが挙げられ、事業会社の商品・サービスと金融サービスを組み合わせた新しいサービスを検討できる環境が整備されつつあります。
2.エンベデッド・ファイナンスの期待効果
事業会社はエンベデッド・ファイナンスを導入することで、モノ・サービスを提供する際の顧客体験を向上させ、顧客との接点の維持により信頼を獲得し、自社の主要な事業と金融事業の収益向上に結び付けることが期待できます。
(1)優れた顧客体験の提供
従来、同一のモノやサービスを比較するため、購入に際しては価格が重視され、価格の安い他社への流出にも繋がっていました。そのため、一部の事業会社は商品保証等を付加することで差別化を図ってきましたが、画一的な条件であることが多く、充実した保証を望む顧客に対して十分な満足を得られるまでには至れなかったと言えます。
また、住宅やクルマなどの高額商品の購入の際に、顧客の多くは資金調達が必要になりますが、顧客が個別に金融機関等の審査を受ける、または複数の書類を作成するなど、煩雑な手続きが購買意欲の低下に繋がっていました。エンベデッド・ファイナンスを用いたサービスでは、顧客の煩雑な手続きを1つにまとめて提供し、利便性を向上させることで顧客の購買意欲を維持し、金融サービスの付加価値による他社との差別化で購入意欲の向上が期待できます。
【モノ・サービス購入での例】
出所:「エンベデッド・ファイナンスの衝撃: すべての企業は金融サービス企業になる」(東洋経済新報社 城田 真琴著)を基にKPMG作成
(2)顧客接点の獲得
顧客にとって商品・サービスの購入は一過性のイベントとして捉えられる場合が多いと考えられます。そのため、事業会社は顧客と継続的な関係を構築し、定期的に購入してもらえる優良な顧客を育成すべく、割引等の金銭的なインセンティブを与えることで再購入の機会を創出する等、さまざまな施策に取り組んできました。
金融サービスはこの視点で、事業会社にとって顧客との関係を中長期で継続・維持する新たな手段となり得ます。金融サービスは契約期間が中長期にわたることが多く、一定の利用頻度も見込まれるため、定期的な顧客接点が獲得できます。銀行口座は生活資金等の管理のために月に複数回利用することが想定され、株式会社ジェーシービーの調査では、クレジットカードは平均月6.8回利用されていることから、金融サービスが顧客との継続的かつ頻繁な接点を持つことができます※。
※「クレジットカードに関する総合調査 2022年度版調査結果レポート 」(株式会社ジェーシービー)
また、顧客と継続的かつ頻繁に接点を持つことで、ライフステージの変化、結婚や引っ越しなどのライフイベントを捉えて、機会に応じた商品やサービスを提案することが可能となります。たとえば、住宅購入を検討している顧客に対して住宅ローンや火災保険等の金融商品の紹介、家電や家具等の商品の紹介、引っ越しやハウスクリーニングといったサービスの紹介など顧客が必要とする商品・サービスと金融商品をまとめて提供することができます。
また、金銭信託など顧客のライフステージによって提供できる金融商品は多数あり、顧客の経済面を踏まえた自社の商品・サービスを提供することも可能になります。
【エンベデッド・ファイナンスによるライフステージへのアプローチ】
出所:KPMG作成
(3)事業収益の向上
従来、金融機関が得ていた金融事業収益の一部が事業会社に配分されることで、新しい収益が得られます。たとえば自社の顧客に住宅ローンや保険等の金融サービスを仲介することで、金融機関から手数料が得られるなど、金融サービス自体が新たな収益源になり得ます。
また、小売事業等では、自社で発行したクレジットカードを顧客が利用した場合、加盟店手数料としてクレジットカード会社に流出していた費用の流出を防ぐことができるとともに、顧客が他社で利用した場合、イシュイング手数料が得られるなど、費用削減と収益獲得を実現できます。
このように、自社が抱える多くの顧客への金融サービス提供により、一定規模の収益が期待できます。
【エンベデッド・ファイナンスの事業収益への効果】
出所:KPMG作成
3.エンベデッド・ファイナンスの導入論点
エンベデッド・ファイナンスの導入を進めるうえでは、金融事業の位置付けや戦略を明確化し顧客体験の向上を確実にすること、金融サービスに求められるセキュリティの実装や内部管理態勢を整備することが重要になります。
(1)金融事業の位置付けと全社的戦略の検討
従前からクレジットカードや銀行等の金融事業に参入した事業会社では、金融事業の利益が本業を上回るなど、グループ全体の収益向上に大きく貢献する例が登場しています。これらは参入当初から金融事業が本業を上回ることを目標としていたものではなく、本業と組み合わされた顧客のための金融事業であることが顧客を引き付ける要因となり、金融事業の拡大によってグループ全体の収益の向上に繋がったものです。これからエンベデッド・ファイナンスによる金融事業参入を考える事業会社においても、自社の主要な事業の長期的な将来像と金融事業の位置付けを定め、金融事業が自社の主要な事業と相乗効果が得られるように戦略を策定することが重要です。
また、金融事業の収益拡大には中長期的な目線が必要になる場合が多いため、金融事業の業績を管理するうえでKPIの設定は不可欠ですが、金融事業単体だけで考えず、自社の主要な事業への相乗効果等も考慮した目標を設定すること、目標達成に向けて定期的に分析・評価し、施策を見直すなど、改善を進めていくことが求められます。
(2)顧客体験と顧客生涯価値の向上
エンベデッド・ファイナンスを活用した顧客体験の向上には、顧客起点での商品・サービスの再構築が重要になります。新たに組み込む金融サービスのみならず、既存の自社商品・サービスの提供プロセスについても顧客起点で組織横断的な再編やデジタル化、先端テクノロジーの活用を行い、一貫性のある効率的な顧客体験を構築することが望まれます。
また、金融サービスは、顧客に対して中長期にわたりサービスを提供できること、サービスの利用開始時に厳格な本人確認等を行うため正確な顧客属性を把握できること、金融取引に関する新たなデータを取得できることから、中長期的に顧客の消費動向や志向等を分析し、顧客のライフイベントに対して志向に合った商品やサービスを提案することが可能になります。自社の主要なサービスと金融サービスを、顧客に対してどのようなタイミングでどのように提供していくか、どのように体験させるかなど、顧客生涯価値を検討し、提供することが求められます。
(3)エコシステムに対応するセキュリティ
エンベデッド・ファイナンスを導入することで、金融機関や協業先が提供するサービスプラットフォームやクラウドサービスを利用する機会が増え、さまざまな商品・サービスなどが相互に依存するエコシステムが形成されます。クラウドサービスの利用やAPI等を用いたシステム外部接続が増えることでサイバーセキュリティリスクが増加し、また、協業先等との情報の受け渡しも増えることで漏えい等の情報セキュリティリスクも増加します。
このため、内部の信用できる領域と外部の信用できない領域に境界を設け、情報資産を守る境界防御モデルのサイバーセキュリティ対策に加えて、社内外の曖昧な境界に対してもセキュリティを確保するために、ゼロトラストモデルのサイバーセキュリティ対策を講じる必要があります。加えて、自社のシステム障害が他社に影響を及ぼすことと他社のシステム障害が自社に影響を及ぼすことを考慮し、サプライチェーン全体を可視化したうえで想定すべきシステムリスクを洗い出し、インシデントレスポンス体制ならびに手順を整備するなどの態勢構築も必要です。
出所:KPMG作成
(4)内部管理態勢の高度化
金融事業の参入に際しては、取り扱う金融商品・サービスに応じたライセンス取得が必要になる場合があります。金融サービス事業者としての信頼性を担保するために、法令順守や顧客保護のためのコンプライアンス管理の実施、事務リスク、システムリスク、信用リスクなど、さまざまなリスク管理の実施、および業務等の適切性を検証するための内部監査の実施が求められます。
内部管理態勢は、規則や規程等のルールの整備だけではなく、コンプライアンス部門、リスク管理部門、内部監査部門等を設置しそれぞれの役割、責任を定義したうえで、実効性のある運営体制の構築を進め、PDCAを回して段階的に高度化を進める必要があります。
出所:KPMG作成
4.まとめ
執筆者
KPMGコンサルティング
アソシエイトパートナー 江波戸 晃
マネジャー 吉村 昭宏