有事を読むシナリオプランニング~自動車業界を例に

経営戦略立案プロセスにおいては、マクロかつ中期的なシナリオプランニングを実施するための複合的な取組みが必要となります。不確実性が増し先の見通しが困難な状況にも、その変化に適応している企業は存在します。本稿では、昨今の有事にも動じないために、企業が備えておくべき対応力について考察します。

昨今の有事発生に動じないために、企業が備えておくべきインテリジェンス機能の実装とシナリオプランニングの重要性を考察します。

経営戦略立案プロセスにおける重要な所作は、過去・現在の正確な把握に加えた「将来に対する見立て」の実施であることは言うまでもありません。しかしながら、いわゆるCAGR(年平均成長率)に代表される業界特化の市場予測は、構造的な課題や技術革新に直面している企業においては、ともすればミスリードされる危険性を孕むため、将来予想はマクロかつ中期的な視座に立脚したシナリオプランニングを目的とする複合的な取組みである必要があります。

一方で、不確実性が増し、5年先の変化を見通すことも困難な現代においても、環境の変化にスピーディーに適応している企業は存在します。その根幹にあるのはインテリジェンス機能の実装とシナリオプランニングにありそうです。

本稿では、昨今の有事の発生にも動じないために、企業が備えておくべき組織的な対応力の要諦に迫ります。

なお、本文中の意見に関する部分については、筆者らの私見であることをあらかじめお断りいたします。

POINT 1
マクロ環境の変化に乗り遅れない

CASE (「Connected」「Autonomous」「Shared」「Electric」)、コロナ禍、ウクライナ問題によって、経営戦略立案上のベースとなるマクロ環境は大きく変動しており、「今後の変化を読む力」は経営に直結する時代となった。

POINT 2
高まるシナリオプランニングの重要性
業界を問わず平時におけるシナリオプランニングの必要性が喧伝されてきたが、昨今の有事の発生により、その必要性は増大し実装のやり方は複雑さを増している。

POINT 3
プランニングの鍵を握るインテリジェンス機能
近年では「インテリジェンス」という名前を前面に出した組織や機構の設置を行う企業も増えてきており、有効に機能させている企業の要諦は類型化が可能である。

POINT 4
シナリオの巧拙が経営の分かれ目に
自動車業界にとって重要な変数となる「EV化の進展」も大きな変曲点を迎えており、想定するシナリオと備えによっては、経営は 大きな痛手を被ることなる。

お問合せ

井口 耕一

KPMG FAS 執行役員パートナー 自動車セクターリーダー/KPMGジャパン グローバルストラテジーグループ統括/KPMGモビリティ研究所コアメンバー

KPMG FAS

メールアドレス

I.シナリオプランニングの構え

1.シナリオプランニングの必要性

ロシア・ウクライナの両国の紛争に端を発して改めて認識された地政学的リスクによって、企業は経営意思決定に迅速な対応が求められています。

そもそも新型コロナウイルス感染症(以下、「COVID-19」という)によって経済活動は停滞し、調達のあり方、消費に対する考え方、働き方など、企業は多くの対処すべき課題に取り組んでいる最中で、業界によってはディスラプティブな技術革新によりその形態の変化を余儀なくされるなど、環境変化のスピードや影響のインパクト、そして複雑さは以前とは比較にならないものとなっている状況です。

そのようななか、今回の紛争によって、これまでリスクとして捉えられてはいたものの、具体的な施策に落とし切れていなかった(先送りにしていた)各種の課題が、一気に表出する局面を迎えています。

こうした状況下において、政治分断、経済のデカップリングが今後も進むとすれば、これまでのグローバリズムの概念を変更せざるを得なくなり、結果として事業ポートフォリオやサプライチェーンの改修を大胆に行う必要が生じる企業が増えることが想定されます。企業経営上の各機能における施策は、対症療法的な打ち手に留まらず、根本的な修正を余儀なくされることになるでしょう。

こうした地政学リスク、ESGなどのムーブメント、技術革新、それらに対する規制など、事業への影響を平時において見定め、さらに有事発生時の影響を即座に分析を行えるノウハウ・体制の獲得・構築が、日本企業の喫緊の課題となっています。

2.平時のシナリオプランニング

ところで、世の中の変化に対して「適応が上手い」企業が存在します。規制等にもスピーディーに対応し、その後の市場を席捲するような企業です。あたかもそれらの企業自身が規制策定そのものに関与したのではないかと思わせるその手法を精査していくと、ここまでやるのかと感心させられる例もあります。

こうした企業群を見ていると、政治的な手段を除いた情報収集に関しては、どの企業も同じような手法を採用しておりその術は類型化が可能です。具体的には「メガトレンド」「社会課題」「研究開発」「業界コンセンサス」の4つの情報を統合してシナリオを策定している、ということです。

図表1は、典型的な平時のシナリオプランニングの前提となる分析手法です。企業によってその後の意思決定のプロセスや執行のやり方は異なりますが、この手法による取組み領域の特定と優先順位付けは新規事業開発にも適用できます。

図表1 データアナリティクスの活用

有事を読むシナリオプランニング~自動車業界を例に1

これまで、多くの日本企業の研究開発においては、事業環境の変化や、顧客ニーズ、パートナー企業・大学の知見を分析しながら、研究開発ポートフォリオの検討を進めてきたと思います。それらは事業環境、即ち「表出した社会課題」に基づくものが主であったと推察されます。

しかしながら、データに基づく潜在的な社会課題の抽出と、それに伴う研究開発ポートフォリオの優先順位付けの重要性は増しており、欧州における成功企業の多くは、前述の人・組織による分析に加え、データによる「潜在課題の抽出」を「通常業務」として組み込んでいます。

同時に、こうした情報の管理・統合、エスカレーション、意思決定、さらにそれらの統制について一気通貫のプロセスが定義されており、必要な情報を必要なタイミングで必要な役職者にシェアする仕組みが整備されています。

こうしたプロセス整備は、社外のインテリジェンスネットワークの活用・運営の基盤になると同時に、グループ会社を含めたガバナンスとしての基礎にもなります。

3.有事対応へ取り組む企業のやり方

こうした 体制面での 特徴を類型化し図示したのが図表2です。特徴は、「経営意思決定(戦略・企画部門)」「技術開発(知財部門)」「リスクマネジメント(渉外部門)」「インテリジェンス部門(機構)」の4つの機能が有機的に連携していること、そして、(会社によって名前はさまざまですが)インテリジェンス機能を担う部門やイニシアティブをとる部門が情報を集約してシナリオを策定し、それを常に更新する業務フローが定義されているという点です。情報の管理・統合はこのイニシアティブ機能が責任を持ちます。そのために必要な情報は各機能を通じて整備されていますし、その適正さについても随時見直しができるような牽制機能も保持しています。

図表2 有事のシナリオプランニングを実現する組織

有事を読むシナリオプランニング~自動車業界を例に_2

こうして最新に磨き込まれたシナリオは、適時、経営意思決定機能に提供され、結果としての方向性は子会社を含めた影響箇所に伝達されます。前述のデータアナリティスクを活用したメガトレンド分析などの結果は技術開発部門が実施し、インテリジェンス機能に更新をかけます。リスクマネジメント(渉外部門)は業界標準化への働きかけやIRなどを通じて適宜情報の統制を行います。

部署のネーミングや役割に多少の違いはありますが、変化への対応が上手い企業にはこの4つ巴の組織体制構築をしている企業が多いのです。

II.自動車業界におけるシナリオ

1.キードライバーへの影響分析

さて、こうして策定されるシナリオプランニングの実例を見ていきます。

分析はマクロからミクロへと進んでいきますが、かつてメガトレンド分析と言われた傾向把握に加えて、地政学リスクなどの歴史的な背景や情勢を「より大きな視点」で見る必要性が生じていることはご存知の通りです。いわゆるPESTLEと言われる「Political」「Economic」「Sociological」「Technological」「Legal」「Environmental」という視点を、さらに複合的な視点でマクロに見る、といったイメージだと分かりやすいかと思います。

図表3は、くくり方やネーミングには議論の余地はあると思いますが、G20諸国を二大経済圏としてまとめたものです。こうした視点で世の中を見ると、各国を個別に分析するよりもより広い視点での視座の獲得が可能です。

図表3 地政学リスクの前提となる視座

有事を読むシナリオプランニング~自動車業界を例に_3

図表左側に位置するいわゆる「民主主義国家」群のGDPは2020年時点で世界の約47%を占めますが、人口割合は14%未満です。一方の図表右側に位置する国家群は、GDPは18%弱ですが人口は50%を占めます。そしてその人口は今後増加傾向にあります。

さらに、左に位置する国家群は、少子高齢化が進んでおり、エネルギー、資源、食糧を右側の諸国に依存している状況です。そして右の国家群は、人口増、中間所得層の増加などが見込まれています。

ウクライナ問題を契機に、こうした二大世界経済圏のような構図が構成されました。政治的な分断、経済のデカップリングはさらに進行すると考えられるため、「日本はスタグフレーション」「円安」のなかで、さまざまな課題に向き合っていくこととなります。さらに日本が固有に抱えている(そしてその多くは先送りされていた)課題を加えると、個社の経営課題に向き合う以前の問題として、マクロ環境による「制約」や「枠組み」を加味することが不可欠ということが理解できます。

このような視座とともに、個々の検討テーマの現状と将来を予測することで、自社のキードライバーを見極めていきます。将来の経営の意思決定を大きく左右する変数は、業種・業態によって異なりますが、いずれの場合も先述した制約があるときは、その変動を加味していきます。

2.EV化の進展の想定シナリオ

さて、このような状況に鑑みて、大胆にEV化の進展を予測してみます。EV化推進に関しては、鉱物(主にバッテリーの価格に影響)のほか、充電施設・設備の普及度合い、消費者の受容性の高まりその前提にある各国における電源構成などの要因がありますが、図表4ではバッテリーの価格に関するシミュレーションを行っています。


図表4 バッテリー(リチウム)の価格

バッテリー価格は減少するという見立てが多く存在していたが、資源の争奪戦により価格は上昇方向に向かうと考えられる。

有事を読むシナリオプランニング~自動車業界を例に_5

出所:KPMG Global Automotive Executive Survey 2020
 

各国の調査機関やコンサルティング会社などの予測データをプロットし近似曲線を引くと青い破線のような曲線を描きますが、この分析でKPMGはその曲線は下げ止まり逆に上がっていくというシナリオ(ピンク色の実線)を描いています。

これまで、市場における大方の見立てでは今後10年でバッテリー価格は大幅に減少するという見立てでした。しかし各国によるEV政策の強化により、バッテリー需要が供給量を超えたこと、そして今回の有事を機に調達における政策・戦略が大幅に変更されたこと、ドイツなどを中心にエネルギー政策も変換せざるを得ないことなどを受けて、EVの普及に関してさらにシナリオが複雑に分岐することになったと言えます。

自動車業界にとって、「 EV(BEV)の普及の度合・スピード感」は極めて重要なキードライバーですが、巷間には、次のような意見や見立てが錯綜しています。

  • コスト増により消費者の受容度をクリアできない(補助金にも限界がある)
  • 脱原油を目指し(図表3で左に位置した国々では)さらにEV化が加速する
  • 先進国、新興国で搭載されるバッテリーが分かれ、EVのセグメントがより明確に区別される
  • そもそもEV化が進まない

全方位型で攻守ともに準備ができる企業は別にして、大きな局面に翻弄される宿命を背負ったTier1以下のサプライヤーなどは、シナリオプランニングの巧拙が、企業の生き残りそのものに収斂してしまう可能性を想像する必要があるでしょう。

これまでの話を総合したシナリオの1つとして、2030年における欧州のEV化比率を試算したものが図表5です。

図表5 2030 年のEV化比率の予測

有事を読むシナリオプランニング~自動車業界を例に_5

複数のデータをボトムアップ型で積み上げて試算を行いましたが、これまで7割を超えると言われてきた比率が4割を切るというシナリオとなっています。この数値の是非はここでは置いておいて、現実がこのようなシナリオに収斂していった場合、自社の現在の経営戦略の方向性はその変化に対応できるものなのかどうか、そして、自社がこのようなシナリオを想定した上で経営のかじ取りを行っているのか(きたのか)、という点に関しては、今一度、棚卸が必要かもしれません。

執筆者

KPMG ジャパン 自動車セクター
執行役員パートナー 井口 耕一