本連載の前編では、ゲーム理論の代表的な例である囚人のジレンマを紹介し、制度を数理的に考えることの利点を解説しました。
後編の本稿では、企業の人事制度を例にマッチング理論という分野の受入保留アルゴリズムを紹介し、数理的な根拠に基づく制度設計の重要性について解説します。
仮想企業の新人社員の配属部署決定を例に取り上げ、考察します。

人事制度の1つの課題

企業の抱えている課題の1つに新卒社員の定着率があります。新卒社員の退職理由の1つとして、希望していた業務内容と実際に行う業務とのギャップがあると考えられます。今回はこの課題に着目して、課題の原因の1つとその解決策について検討します。

某企業では、毎年新人社員を雇用しています。新人社員は、1ヵ月間の新人研修の後、部署に配属され一人前の社員として業務に邁進します。
人事部の新人担当のAさんは、ある悩みを抱えていました。それは、部署配属後の新人社員の業務に対する満足度が低いということです。仕事に対するアンケートを取ってみると、やりたいことと業務がマッチしていないという意見が多く上がってきました。この課題は新人社員の早期退職を引き起こす原因となり、企業の人材育成の観点から大きな課題と言えるでしょう。
この企業では、新人社員の配属先を決定する際、社員の配属先に対する希望と研修時の成績を用います(実際は本人の性格や専門性などさまざまな要素が考慮されるでしょうが、ここではそれらをまとめて「研修時の成績」と表現します)。

配属先決定のプロセスは、次の通りです。
まず、社員を第1希望に挙げた部署ごとに分けて、人数が定員より多い部署については、研修時の成績順に社員を選びます。次に、定員の関係上選ばれなかった社員について、定員に空きのある部署の内から最も希望度の高い部署に配属します。この時定員を超過する部署は、研修時の成績順に社員を選び、選ばれなかった社員は再度定員に空きのある部署の中から最も希望度の高い部署に配属する、ということを繰り返します。
もし、新人社員がこの配属先の決定方法を知っているとすると、次のようなことが起こり得ると考えられます。

新人社員のBさんは、第1希望部署が新人社員から人気のある花形部署です。研修時の成績は中くらいで、自分よりも成績の良い社員も花形部署を希望しているため、第1希望に花形部署を挙げても、成績順で配属先に選ばれない可能性があります。また、新人社員の間では人気のない部署があり、Bさんはその部署には絶対に配属されたくないと考えています。
Bさんは、本来の第1希望部署である花形部署ではなく、そこそこの人気の部署を第1希望にしました。第1希望の選考から漏れてしまうと、定員に空きのある部署しか候補がなくなってしまい、人気のない部署に配属される可能性が高くなってしまうことを回避するためです。

新人社員が自分の本来の希望と異なる部署を選ぶようになってしまい、社員と部署のミスマッチングが発生し、配属後の満足度が低くなってしまったのです。もちろん、研修時の部署説明や配属後のOJTなど、業務の理解や社員のサポートも重要ですが、配属先決定のプロセスに課題が潜んでいる可能性もあるのです。

このような配属先決定のプロセスについては、マッチング理論というゲーム理論の関連分野から、「受入保留アルゴリズム」と呼ばれるアルゴリズムが解決策として提案されています。
このケースに受入保留アルゴリズムを採用した場合、プロセスは以下のようになります。

第1ラウンド

  • 新人社員は第1希望に挙げた部署に応募する
  • 部署は、応募があった社員の中から成績順に定員に達するまで「仮受け入れ」する
第2ラウンド以降
  • 仮受け入れ先が決まっていない社員は、未応募の部署の中から最も希望度の高い部署に応募する
  • 部署は、新たに応募のあった社員と仮受け入れした社員を合わせて、成績順に定員に達するまで仮受け入れする(新たに応募した社員が仮受け入れ中の社員よりも成績が上位の場合は、仮受け入れする社員が入れ替わる)

すべての社員の仮受け入れ先の部署が決定するまでラウンドを繰り返します。新人社員は、プロセス終了時の仮受け入れ先の部署に配属します。
新人社員は未応募の部署の内最も希望度の高い部署に応募し、部署は(第1ラウンドを除いて)仮受け入れ中の社員と新たに応募のあった社員の中から成績順に新たに仮受け入れする社員を決定します。
受入保留アルゴリズムを採用することで、以下の2つの点から、社員と部署のアンマッチを防ぐことができます。

  • 安定性
    この例における安定性とは、「ある社員が配属先と異なる部署に対する希望度が高く、その部署の定員に空きがあるか、その部署に割り当てられている社員で自分より研修時の成績が低い社員がいる」状況が存在しないことを指します。つまり、希望度の高い部署に配属されない理由は、自分より適任者がその部署を希望したということになります。このことは、配属先部署決定のプロセスとして納得感のある結果を生むと考えられます。もし配属先の決定に社員の希望と研修時の成績が使用されると言われたにもかかわらず、自分より成績の悪い社員が自分の行きたい部署に配属されていたら、結果に納得がいかない人は多いでしょう。
  • 耐戦略性
    耐戦略性とは、社員が自分の希望部署について嘘をつくメリットがない状況を指します。もし耐戦略性が成り立たないとすると、どのようなことが起きるでしょうか。新人社員は、どのような順序で希望度を申告すれば自分にとって有利になるか考えるようになります。他の新人社員がどの部署を希望しているか情報収集するなど、配属に向けて準備することが増えてしまいます。純粋に自分がどの部署を希望するかということに向き合えばよいという点で、耐戦略性は望ましい性質と言えるでしょう。

今回は新人社員の部署配属を例に取り上げてみましたが、異なる状況でも同じように分析することが可能です。たとえば、研修医の配属先病院の選択や、乳幼児の保育園選択などで、受入保留アルゴリズムが研究・活用されています。

ビジネスに潜む「制度」の課題

ビジネス課題と経済学後編 図表1

ビジネスに潜む「制度」の課題

制度は、実現したい目的があって、その目的達成のために形づけられるものだと考えます。制度の設計に問題がある場合、望ましい結果を生まず、大きな課題の種となってしまうでしょう。

今回取り上げた例を再度取り上げて考えてみます。新人社員の業務に対する不満という課題について、OJTや人事面談を通じたフォローアップを充実させることで解消することは可能でしょう。ただし、課題の根本原因である配属先決定の制度を見直し、修正しないと継続的に課題への対応を余儀なくされてしまいます。また、「新人社員が業務に対して不満を持っている」という課題に対して、「業務に対するより深い理解が必要である」「社員とのより密接なコミュニケーションが必要である」といった仮説に比べて、「新人社員の配属先部署の決め方に問題がある」という仮説の方が、課題との結びつきが遠いため着目しづらいと考えられます。

ゲーム理論やマッチング理論などの数理的アプローチを活用することで、制度を論理的に検証できるようになります。その結果、制度の構造が引き起こす課題に気づき、その課題の解決策を立案できるようになります。安定性や耐戦略性など、アルゴリズムの満たす性質によって、制度を通じて達成したい目的が明確になります(部署配属において、アンマッチを防ぐために社員には希望する部署を正直に申告して欲しい場合は、耐戦略性を満たすアルゴリズムを利用するなど)。また、数理的なモデルやアルゴリズムで表現できるため、制度の透明性を高めることができます。さらに、アルゴリズムはコンピュータ上で実装できるので、人手ではさばききれない大量のデータを処理することが可能になります。アルゴリズムを実際に運用する前に、コンピュータ上でシミュレーションすることで、制度を運用する上での注意点を整理することもできます。
本稿が制度という観点から課題に取り組み、数理を用いて解決策を導くための一助となれば幸いです。

執筆者

KPMGコンサルティング
シニアコンサルタント
横山 春樹

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