時代に合わせてアップデートし続ける-来る2055年、創業100周年に売上高10兆円を見据えた大和ハウスグループの取捨選択
今回は、大和ハウス工業株式会社代表取締役社長兼CEOの芳井敬一氏と、KPMGジャパンチェアマン兼あずさ監査法人理事長の森俊哉が語り合います。
今回は、大和ハウス工業株式会社代表取締役社長兼CEOの芳井敬一氏と、KPMGジャパンチェアマン兼あずさ監査法人理事長の森俊哉が語り合います。
1955年の創業以来、大和ハウスグループは建築、住宅、生活の改革に取組み続けてきました。コロナ禍でもその歩みを止めず、価値観や社会環境の変化などをとらえて時代に即した新たな価値を創出し、サステナブルな社会の実現を目指しています。
今回は、創業100周年を目指す壮大な航海の羅針盤となるパーパスの策定、大和ハウスグループが受け継いできた創業者の精神と若い世代との価値観の融合、少子高齢化や空き家の増加、リモートワークなどにより顕在化した街や家の問題を解決するための取組み、人財の育成や多様性の確保など多様なテーマを、大和ハウス工業株式会社代表取締役社長兼CEOの芳井敬一氏と、KPMGジャパンチェアマン兼あずさ監査法人理事長の森俊哉が語り合います。
インタビュアー=竹下 晋平
あずさ監査法人 パートナー
対談時には感染対策を十分に行い、写真撮影時のみマスクを外しています。
所属・役職は、2022年2月時点のものです。
創業者の精神と 新しい価値観の融合に挑戦する 「夢プロジェクト」
-ここ数年、持続可能性、ESGが非常に注目され、企業経営にも影響を与えるようになっています。このように不確実な環境で大事になってくるのは、企業がどういう目的、存在意義を持つかというパーパスです。御社はサステナビリティが注目される前から「共に創る。共に生きる。」を掲げ、社会課題の解決を図る事業を展開されてきました。そして現在、まさにパーパスを作成中とお伺いしております。御社ではパーパスをどのように定義づけられるご予定なのでしょうか。
(写真左)大和ハウス工業株式会社 代表取締役社長 兼 CEO 芳井 敬一氏
(写真右)KPMG ジャパン チェアマン 森 俊哉
芳井:一言でいえば、「作り出したい社会」「大和ハウスグループの果たすべき役割」です。
これを大和ハウスグループでは "将来の夢"と呼んでいます。当社の創業者・石橋信夫の精神は「世の中の役に立つから、やる」「儲かるからではなく、私たちは困っている人、いろいろなものの問題解決を仕事にしていこう」という軸です。これを創業当初から発信してきました。
パーパスは、その創業者の精神を現代に置き換えた、私たちなりの想いともいうべきものです。ただ、それは時代に即してアップデートされ、ステークホルダーから「共感」される必要があります。そこで、「夢プロジェクト」というプロジェクトを立ち上げ、パーパスを探す旅に出ることにしました。入社 1年目からの若手を含めた全従業員、Z世代、投資家を含むあらゆるステークホルダー、さまざまな年代の方たちに参画してもらい、半年以上にわたって繰り返し対話してきました。アンケートだけでも3万通以上集まっています。そして1,000名ほどが中心となって、「みんなが納得する"将来の夢"とは何なのか」を語り合いました。大和ハウスグループのパーパスがどのようなもので、存在する価値や意義が何なのか。私たちはどうしてこの企業で存在していくのか。そういったことを問いかけました。
彼らは本当に真剣にやってくれています。「私たちは2055年の100周年まで絶対に企業として勝ち進むぞ」と。2055年の大和ハウスグループに残しておくべきものは何か。捨てていくものはあるか。そんな検証もしながら進めています。役員も懸命に取り組んでいますよ。取締役会で何度も討議し、私もそのたびに確認しています。そこから私たちがこれから大事にしていくもの、価値観やパーパスが見えてくるだろうと思っています。その結果は、4~5月頃に発表する予定です。ここで見えた"将来の夢"が、グループ全従業員の旗印となるのではないかと考えています。
芳井 敬一氏 1958年生まれ。81年中央大学卒業、90年大和ハウス工業入社。11年取締役上席執行役員 海外事業部長 海外事業担当、13年取締役常務執行役員 東京本店長、16年取締役専務執行役員 東京本店長 営業本部長、17年代表取締役社長、20年10月より現職。 |
-社是を現代に即したものにアップデートするために「夢プロジェクト」を立ち上げたとのことですが、お話のような大規模なプロジェクトでなくてもよさそうな気がします。「パーパスを探す旅」に、このような大きなプロジェクトを立ち上げた理由を聞かせていただけますか。
芳井:あえて1回ひっくり返してみた、というところです。大和ハウス工業が2055年に向かって何を残し、どうするか。どこに向かうのか。それを経営陣はわかっていないといけない。私たち現経営陣は、100周年を迎える時にはみんな退任しています。2055年の大和ハウス工業を支えるのは、だいたい現在からプラスマイナス5年くらいで入社する世代です。ということは、この世代の考えていることがわかっていないと、間違った舵を切ることになってしまう。しかも、今度の第7次中期経営計画は、期間をこれまでの3年から5年に変更しています。その航海の方向性を示すことが「夢プロジェクト」の目的だからです。
森:そこで、「夢」という言葉を使われているのが素晴らしいですね。2055年というと、数年後の話ではなく、本当に将来の話です。そこに照準を合わせるという時に、「夢」という言葉との親和性がすごく高い。とにかく超長期ですから、一定の高みを目指さないといけません。超長期を現在からの延長線上で考えるのではなく、「夢」からスタートするというところに、非常に大和ハウス工業さんらしさを感じます。
芳井:それは、創業者が「夢」という言葉をよく使われていたことがあります。私たちは「夢」に向かっていくのだという教えがあり、それを樋口武男最高顧問が伝承し、いつの間にかみんなに浸透していきました。樋口最高顧問は「何かあったら創業者の考えに戻ろう」と口癖のように言っていましたし、私たちもずっと同じことを言い続けています。ですから、大和ハウス工業では何かあった時には必ず創業者の考えに戻る。それが、当社がまとまる理由です。これはある意味、当社にとっての奇跡だと思っています。
「夢プロジェクト」の軸は、直接対話し、話を聞くこと
森:創業から今まで、創業者の精神をずっと引き継がれてきて、まさにそこに御社のパーパスの拠り所があったのではないかと思います。ところで、その従来のパーパスと新しい人たちの価値観の融合については、どのようなイメージでいらっしゃるのでしょうか。
芳井:大和ハウス工業として必ずこだわるべきもの、捨てなければいけないことが一致しています。 また間違いなく成長したいということは、共通しています。若い人たちのなかには、創業100周年の時に、取締役会の席に座っている人もいるかもしれません。だからこそ、何を大事にするかというのは、彼らに考えてほしいと思っています。
森:なるほど。私はこの年末年始の休みにに読んだ本のなかで、「これから世の中がどう変わっていくのか、どうご覧になりますか」という質問に、イーロン・マスクが「重要なのはどう変わる、何が変わるではなくて、変わらないものが何なのかを考えながら経営していくことだ」と答えていました。「そうすると、新しいことをやる時に、何を残さないといけないのか、何が重要なのかが見えてくる」と。 御社も、変わらないことを大切に、そしてこれから変わっていこうとしていらっしゃる。また、我々のようなバブル世代の人間と新しい世代との融合にもトライされている。これはなかなか大変な道だと思います。
芳井:大変ですが、それが創業者の精神ですからね。創業者の石橋がその精神を示した社是を最初に作ったのは昭和30年代のことです。1つ目に「事業を通じて人を育てること」、2つ目に「企業の前進はまず従業員の生活環境の確立に直結すること」、3つ目に「商品は社会全般に貢献すること」を挙げています。社会課題を解決するけれども、まずは自分たちの生活をしっかりするために会社を存続させるというメッセージを送っている。だからみんながついてくる。結局は人なのです。大和ハウスグループが100周年でどういう事業体になっているのかはわかりません。でも、人がいないと生き残れない。ですから、いかに人を作り出すか。そして人が入ってくる企業にするかだと思います。
森:「夢プロジェクト」には、御社の若手だけでなく、Z世代も参加されているのは驚きました。というのも、世代間の断絶とか、経営陣と現場のギャップに、企業がすごく苦労しているという話をよく聞くからです。御社もそうしたギャップを解消するために「夢プロジェクト」を始められたのでしょうか。
芳井:今回の「夢プロジェクト」の基礎は、サステナビリティ企画部が主体となって作りました。そこからどんどんみんなを巻き込もうということになり、手を挙げてもらうことになったのですが、最初20代からはあまり手が挙がりませんでした。チームはそのまま船を出そうとしましたが、私は止めました。強制的にでも、若手はもちろんのこと、あらゆる階層の人間を船に乗せないといけないと思ったからです。船に乗せてからは、ひたすら対話です。
森 俊哉 1986年港監査法人(現・あずさ監査法人)入所。 1990~1993年米国KPMG に赴任。1995年センチュリー監査法人社員就任。2004年あずさ監査法人代表社員、2010年理事就任。大手グローバル企業の監査責任者を務め、M&Aなど各種アドバイザリーサービスの責任者を歴任し、 2015年専務理事。2018年よりKPMGジャパンチェアマン及びグローバル・ジャパニーズ・プラクティス(GJP)の統括責任者を務める。KPMGのグローバルボードメンバー及びアジア太平洋地域ボードメンバー。2019年あずさ監査法人副理事長就任。その後2021年7月に理事長就任。 |
-直接の対話を行ったということでしょうか?
芳井:そうです。それが一番。夢プロジェクトとは別に、12月にも事業所を回って、入社1年目から3年目、主任職、管理職と、それぞれ1時間のQ&Aを行ってきました。最初は考えてきたような、飾ったような質問ばかりでした。でも、「それはアカンわ」「誰かがそう言えって、言うたんやろ」と言って、問題の本質、事業本部制に対する不満、働き方に対する考えなどを吸い上げました。対話では、「社長、この前副業オッケーって言いましたよね」「言ったよ、その背景はこうだよ」と質問に答えながら、経営陣の考えを理解してもらうようにもしました。
株式会社ジャパネットたかたの創業者髙田明氏は、「伝えることがすべてではなく、伝わること」と言っています。こちらが伝えたつもりでも、相手に伝わっていないこともある。だから、いかに伝わるかだと。そういう意味で、Q&Aというのは本当にいいです。その場で質問してもらって、そこで答えるわけですから。数値的に計算しないと答えられないことやプライベートなこと以外は即答することにしています。
森:「聞く」ということは、すごく大事ですよね。どう考えて行動したかを聞くのは、相手にとってすごくプラスになりますし、聞く側も緊張感があります。
芳井:大事だと思います。ですから、Q&Aを行う時には「質問に間違いも正解もない。答えたくないというのはあるかもしれないけれども、回答する側は即時で答えないといけない。こちらはあなたの懐に入るような答えを言わないといけないから」と言っています。Q&Aを行うことで一体感が出たり、成長したりすることができます。
「ステークホルダー全体との結びつきを大切に守る」という強さ
森:今、住宅産業ではPBRが1を切っている会社が多いなか、御社は資本市場に高く評価され、PBRが1を超えています。それは、事業モデルとして優れていることはもちろんですが、無形資産に対する評価、人財に対する評価も大きいと思っています。人財の育成や多様性という点でどのようなことを意識していらっしゃるのでしょうか。
芳井:一番の不安は、パッケージ化されて人が育つことです。というのも、私たちの仕事はパッケージではないからです。あるときは住宅メーカー、あるときは不動産デベロッパー、またあるときはゼネコンのようなこともやっています。これは、ある意味、誰にもマネのできないポートフォリオと言えるでしょう。このように、大和ハウスグループはいろいろな顔を持っており、そのなかで多種多様な人が働いている。事業や人をぐるぐる回しながら、好機を伺っているというわけです。おそらく、この状況を失うのはパッケージ化された時です。その時はしんどいと思います。
-いろいろな顔を持っているということですが、社会課題や社会が求めるものは時代によって変わります。その時、どうやってテーマを見つけ、顔を変えていかれているのでしょうか。
芳井:テーマは各事業本部が見つけてきたものもありますし、創業者の石橋や樋口最高顧問が気づいたものもあります。たとえば、石橋が「21世紀は風と太陽と水の時代になるだろう。そういうことをやりなさい」と言ったことで、私たちは2009年に環境エネルギー事業部を設立しました。この部署を作った時はまったく効果が出ませんでしたが、時代が変わってきました。風と太陽と水が注目され始めたのです。そして今では、当時わずかだった売上が1,000億円を超える規模まで成長しました。
そういう先読みをした先達者たち、そして各事業本部でそれをヒントにして準備してきた従業員たち。彼らが、時代が来た時にすぐに走れる状態にしてくれています。こういう人財がいることは、大和ハウスグループにとって非常にありがたいと思っています。
森:適切なポートフォリオを持つことが、会社の持続可能性には非常に重要です。着実に1つずつ、自分たちに強みのある領域で事業を展開し、しかもそこにきちんと人をあてがう。人というのは御社の従業員もそうですけど、それを超えたステークホルダー全体とのつながりを大事にされて事業をやられている。そういうところが1つの大きな特徴ではないかと思います。
サステナビリティレポートに掲載された社長のメッセージでは、さまざまなステークホルダーに対し、自分たちがどうありたいのかを事業に結びつけて語られています。「共に歩む」のなかには、協力会社も入っていますし、業界も入っている。これはパーパスにつながるメッセージだと思いました。
芳井:ご存知のように、2020年4月、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって緊急事態宣言が出された時、大和ハウス工業は現場を止める選択をしました。よほどの理由がなければ、緊急事態宣言下では一切工事をしないと。これは住宅メーカー、ゼネコン業界では異例の決定でした。その時、誰彼ともなく、協力会社への支払いは全部しようということになりました。急に工事中止と言われても、協力業者は資材や人などをすでに手配しているからです。このことに、誰も文句を言いませんでした。それどころか、「協力業者への支払いをすぐに計算しろ」と。なぜかというと、私たちはこの業界の皆さんと共に働いているからです。だから、この行動はごく当然のことなのです。そして、「工事はしませんが、出来高や諸々も含めて全部支払いはします」と言うと、皆さんすごく安心されていました。不測の事態で困っている時、大和ハウス工業主導で何かする時に、いかに私たちが協力会社を守っていくかということを、私たちはいつも考えています。
森:まさに「共に歩む」ですね。
芳井:人が不足する時でも、協力会社が私たちの建物を優先してくださるのは、私たちも協力会社のことを常に考えているからです。本当に、継続していくというのは強いと思います。
「この街に住んで幸せだった」と思ってもらうために、「つくった責任」を果たす
-御社は、過去に開発した郊外型住宅団地を再耕する「リブネスタウンプロジェクト」や、再生可能エネルギー100%の大規模複合開発プロジェクト「船橋グランオアシス」など、社会課題の解決を目指した事業を手掛けられています。その中で、どのような社会課題を認識され、それに対する事業活動としてどういうところに重点を置かれているのでしょうか。
芳井:今は、SDGsの「つくる責任」をしっかり果たそうと考えています。ところで、私は常々思うのです。SDGsの17の目標には「つくる責任つかう責任」とありますが、「つくった責任」はないのかと。私たちは新しい街を作ってきました。一方で、過去に作ってきた街が泣いている現状があります。それをどう見るかというのはすごく大事だと思います。
たとえば空き家問題。これは、住む人の問題ではありません。極論を言えば、メーカーが「つくった責任」を果たしていないことが原因とも言えます。そこで、私はこれまでに大和ハウス工業が作ってきた街の当時のカタログを見てみました。見ていくと、たとえば「ここに学校が、ここに公園が、ここにスーパーができて、子どもたちはこの街で健康的に過ごせますよ」というように書かれている。確かに、その約束は果たしています。でも、その約束は街の人口が増えていくことが前提になっていて、少子高齢化の未来は誰も予想していなかった。高齢化や転居で人が減り、街が泣く現在の姿に気づかなかったのです。
新しい街を作るのが夢の第1章ならば、それは叶えました。でも、第2章の展開を読み切れなかった。だからこそ、私たち自身がもう1回その街に戻り、夢の第2章として「リブネスタウンプロジェクト」のようなプロジェクトを実行することはすごく大切です。これをいろいろな街で順繰りにやっていきたいと思っています。
-オールドタウン化した街を“再耕”するというのは、なかなか考えつかないアイデアだと思います。なぜ、街の“再耕”をしようと考えられたのでしょうか。
芳井:兵庫県三木市に「緑が丘ネオポリス」(1967年に大和ハウス工業が開発・造成した大規模戸建住宅団地)という、私たちが作った街があります。以前行ってみたところ、街全体がずいぶん古びてきていて、大和ハウス工業の事務所もなくなっていました。それを見て、「これでいいのか」と思ったことがきっかけです。新しい街を作る一方で、古い街を置きざりにしてどうする、と。
今、「緑が丘ネオポリス」では、産・官・学・民連携で「クラウドソーシングと高齢者・障がい者の就業環境整備」「高血圧症の重症化を予防」「サテライト拠点整備と移住の場を整備」の実証実験を行っています。同様に、神奈川県の「上郷ネオポリス」では、元はバスの操車場だったところにコミュニケーションスペースを作りました。コロナ禍で一時は落ち込みがあったものの、すごく活発に使っていただいています。 願わくは、大和ハウス工業が作った街に住んで、人生を送り、最後に目を閉じる時に「ここに住んで幸せだった」と思ってもらいたいですね。「この街でよかった」と。私はよく「時間がない」と言っているのですが、高齢化した街では本当に時間がありません。ただし、こうした街に急激な変化は似合いません。緩やかな変化を急いで生み出すことが大切です。
森:街は、そこに住んでいる方々の人生の集合体です。ですから、ガラッと変えるべきではなく、今の延長をいいものにしていくのだということですね。
芳井:そうです。先ほど紹介した街では、「街に大和ハウス工業が戻ってきた。だから、これから何かが起こるだろう」と思われています。その期待に応えるため、コロナ禍でも花火を打ち上げるなど、街の人たちの元気が出るようなことをいろいろとやり続けています。
「生きる場所」としての住宅のあり方を業界全体で支えていくことを目指す
森:芳井さんは、「住宅が帰る場所から生きる場所に変わっていく」とお話されています。「帰る場所」というのは、滞在時間が短く、食事をしてお風呂に入って寝る場所のことですよね。これが「生きる場所」となると、空間の使われ方、時間軸が変わりますし、ライフステージによっても変化があるでしょう。
そういう家を提供することになると、街全体もそうですが、家そのものも変化・進化していかなければならないはずですし、そういう家では住んでいる人との付き合い方も変えていかなければならないような気がします。このあたりについて、芳井さんはどう思いますか。
芳井:新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、郊外の住宅の売れ行きが好調でした。こうした住宅が建てられたのはコロナ禍前で、だいたい120平米、4LDKくらいです。しかし、今、求める家の広さが変わって、これら既存の住宅では1部屋か、2部屋足りないと言います。たとえば、親がリモートで仕事をしようとすると、部屋数に余裕がないからリビングでやることになります。そうなると、親は寝ても覚めてもずっとリビングにいることになって、それってどうなの、と思いますよね。
ですから、家を仕事もできるような「生きる場所」に変えてあげないといけません。そこで、仕事の効率を高める通信環境や照明等を備えた防音仕様のワークスペース「快適ワークプレイス」とか、家族とつながりながらも仕事や家事に使えるセミクローズ空間「つながりワークピット」を開発しました。
森:「生きる場所」で暮らす選択肢を増やしていく、ということですね。
芳井:そうです。住まいをコーディネートしていく必要があります。今は良い建物の資産価値は10年でゼロになりませんから、良いものが受け継がれるようになっています。そうなると、「この家を出たら、次はああいう家に住もう」というストーリーが成り立ちます。最初は2LDK、子どもが生まれたら4LDK、子どもが独立したら、今までの都会の2LDKよりももう少し郊外の2LDKなどというように。家も、必要な時に必要な人に順繰りに渡っていくようにストックに変えていかなければといけません。ただ、これは大和ハウス工業だけで実現できるものではありません。資産となる建物を建てる住宅会社、修繕をしてくれるリフォーム会社などと連携できれば、業界全体として非常に良くなるのではないかと思っています。
多様な人財がみんな楽しみながら働き、成長できる企業へ
-サステナブルは、人財が重要と言われています。御社も人財育成に取り組まれていますが、サステナブルな企業経営を行ううえで、今後どのような人財が必要になってくると思いますか。
芳井:まったく異業種の人財がほしいですね。突き詰めると宇宙人がいいのですが、さすがに宇宙人はいませんから。そのくらいの感覚で人を育てることが大事だと思っています。大和ハウスグループにはさまざまな面がありますが、今後はより複雑になっていくでしょう。ですから、多様な人財がほしい。特に、成長を共に語れる人、自分が成長したいと思う人。そういう人がほしいです。
森:そういえば、御社には中途採用の方がたくさんいらっしゃいますね。芳井さんも中途採用で、すごく活躍されている。これは、ダイバーシティにとっても、サステナビリティにとってもすごくいいことだと思います。一方で、会社が1つの方向に向いていくという意味では、なかなか苦しい部分もあります。でも、御社の場合はそうなっていません。どうしてだと思いますか。
芳井:非常にフラットだからです。大和ハウス工業には、昇格に関して差別がありません。学歴も、中途採用でも関係しません。以前始末書を書いたとしても、責任を取ればまた機会を与えます。このことに関しては、本当に平等だと思います。昨年、事業本部制を導入しましたが、6つの事業本部のうち4つの本部長は中途採用か、一度退社して戻ってきた人です。樋口最高顧問も中途採用でした。
森:中途採用の方に対して、プロパーの方が異分子を排除しようとしたり、抵抗したりするという話もありますが、そういうことはないのでしょうか。
芳井:私が入社したのは1990年で、もう30年も前ですが、何の抵抗もありませんでした。昨年は技術者だけでも150人くらい中途採用しましたし、営業も中途採用しています。ですから、誰が新卒で、誰が中途採用など、誰も気にしていないと思います。
森:なるほど。しかし、会社の全体像を知らない人が増えると目の前の利益を優先して、目線が全体最適よりも部分最適になってしまいませんか?
芳井:もちろん、事業本部ではそれぞれ特化してやっています。ここで横串を刺すために、本部長には支店長とブロック長を経験させています。というのは、自分の部署の事業だけを考えていたら、チャンスを逃すからです。他の本部の事情も知っていれば、横につなげられる。ですから、6人の本部長のうち4人は支店長やブロック長の経験者です。しかも大店を経験していますから、全事業を見てきているのです。
森:それが今の新しい組織体制の基礎になっているというわけですね。
芳井:そうですね。そういう意味で、支店長というのは多くの社員が目指す職責でしょう。しかし、そこに至るまでには多くのハードルがあります。
森:現在のみならず、将来にいい事業を残していくには、時間軸もすごく重要になります。この観点から人を育てていくために注意されていることにはどのようなことがありますか。
芳井:難しいですが、内製化と外部からの学びの両軸でしょうか。今、外部研修や外部への出向など、外部のやり方を取り入れるために、どんどん人を送り込んでいます。やはり人づくりは難しいですから。内製化していくけども、外から学ぶことも大きいですね。
-最後に、社会やグループの皆様へのメッセージをいただけますでしょうか。
芳井:今年の一文字は「楽(たのしむ)」です。「楽(ラク)」じゃないですよ。ラクしようということではありません。ラクして儲けたものは、それほどいいものではない。やはり成果物というのは、自分が汗をかいて得るものです。とにかく楽しもう。仕事を楽しもう。人生を楽しもう。楽しんだ先に絶対に成長がある。楽しみながら成長しよう、ということ。大和ハウスグループの人財はバラエティに富んでいますが、少しずつ、楽しむ人が増えてくれればいいと思っています。今日よりも明日、楽しむ人の比率を上げていけるような会社を目指しています。
-ありがとうございました。
インタビュアー
有限責任 あずさ監査法人
パートナー 竹下 晋平
1999年朝日監査法人(現・あずさ監査法人)大阪事務所入所。2003~2006年に東京事務所勤務、2010~2013年、KPMGデュッセルドルフ(ドイツ)に赴任。2016年、あずさ監査法人パートナー就任。これまで、主に、関西に基盤を置く上場企業、グローバル企業の監査業務に従事し、関西経済同友会副委員長スタッフとしても活動。現在も、複数の上場企業の監査パートナーを務める。