我が国デジタルヘルスの潮流と発展への視座

今後、ヘルスケアの「新しい現実」に向けた競争力ある解決策が数多く輩出されることを期待し、情報・通信テクノロジーのヘルスケアへの実装を広く「デジタルヘルス」と定義し、我が国での現況と今後の発展の方向性、さらに、デジタルヘルス事業を成功に導くための視座を考察します。

情報・通信テクノロジーのヘルスケアへの実装を広く「デジタルヘルス」と定義し、我が国での現況と今後の発展の方向性、さらに、デジタルヘルス事業を成功に導くための視座を考察します。

世界的なパンデミックという未曽有の危機に直面するなか、ヘルスケアの「新しい現実」とは何か。新型コロナウイルス感染症(以下、「COVID-19」という)の拡大は、現行ヘルスケアシステムの脆弱性を改めて認識させることとなりました。従前よりヘルスケアの新たなステージへの転換が世界レベルで進行していましたが(KPMG FAS NewsletterDriver Vol.04 June 2019「21世紀型ヘルスケア - 転換への4つの潮流」参照)、今回の危機は、この潮流に修正を迫るものではなく、むしろ加速させることとなるでしょう。そして、この加速を可能とする最も重要なイネーブラーのひとつが情報・通信テクノロジーのヘルスケアへの実装です。今後、ヘルスケアの「新しい現実」に向けた競争力ある解決策が数多く輩出されることを期待し、本稿では、情報・通信テクノロジーのヘルスケアへの実装を広く「デジタルヘルス」と定義し、我が国での現況と今後の発展の方向性、さらに、デジタルヘルス事業を成功に導くための視座を考察してみたいと思います。

POINT 1
デジタル化機会は、疾病領域ごとにペイシェントジャーニーの各ステージで存在する
ヘルスケアのデジタル化は、予防から、診断、治療、予後に至るペイシェントジャーニーの各ステージで、プロバイダー、ペイヤー、サプライヤーといったステークホルダーで横断的に進行しています。デジタルヘルスの事業機会は、ヘルスケアの伝統的命題である質とコストとアクセスのバランスを高みに引き上げるべく、限られたヘルスケア資源の再配分(ペイシェントエンゲージメントを含む)とファイナンスに対する答えを模索することだと考えています。

POINT 2
ヘルスケアデータをインテリジェンスに転換する
デジタル事業の価値引き上げには、データをいかに賢く収集し、蓄積、利活用するかが鍵となると考えます。革新的な診断・治療方法の開発はもとより、予防領域における患者・消費者の行動変容の仕組み構築や、ヘルスケアデリバリーとファイナンスの高度化・効率化のため、ヘルスケアデータ流通の商業化を加速させることが求められています。現在、様々なステークホルダーに分散しているヘルスケアデータは、今後、質と量の両面で拡充し、患者・消費者中心に、意味のあるデータが抽出されることで統合されていくとみられます。

POINT 3
ヘルスケア課題への切込みと、アウトカムに対するアカウンタビリティが成否を決する
テクノロジー主導・供給者論理ではなく、顧客課題への洞察を深め、ヘルスケア価値へのインパクトと普及可能性の観点から厳しくソリューション設計をすることが求められます。このため、エコシステム構築が一つの有効な打ち手となるでしょう。ヘルスケアにおいては、デジタル化によるいかなる解決策であれ、臨床的・経済的効果とリスクに係るエビデンス構築を進めることが、決定的に重要であると考えています。

I. パンデミックが迫るヘルスケアの変革

日本では、今回の危機以前から、2040年を見越して医療提供体制の改革が議論され、取組みが進められてきました。こうしたなか、今回の危機は、現状を放置したならば20 年後に直面したであろう問題を、一度に噴出させたという様相にあります。とりわけ、病院の機能分化と専門性集約、総合診療/プライマリーケア機能のスケールアップ、そして地域におけるヘルスケア資源の連携・統合を通じたシステムへの転換という観点から、改革を急ぐ必要性が強く認識されています。

パブリックヘルス領域のみならず実臨床でも、人的資源のキャパシティ欠如が露呈しています。今後も労働力確保は困難になるとの予測から、人的資源の生産性を引き上げるための取組みが不可欠であると考えられています。

加えて、今回のような非常時のみならず、平時のケア提供においても、サイエンスとデータに基づく意思決定の仕組みを、医師などヘルスケア従事者個人の枠を超えてシステムとして組み込んでいくことの重要性が新たに認識されています。

ヘルスケア領域における医療技術の開発を遅延させないという観点からは、医療機関や介護事業者などプロバイダーや、製薬企業や医療機器メーカーなどサプライヤー、健保組合や国保などペイヤーといったステークホルダー間でのコミュニケーションの在り方、ヘルスケアデータ収集や蓄積、利活用の在り方についても、新たなアプローチを模索する動きが顕在化しています。

需要サイドに目を向けると、患者・消費者の意識も、今回の危機を契機に、大きく変化しています。患者の受診抑制による医療機関経営に与える影響は著しく、外来需要は大きく減少、入院についても従前の需要の一部は在宅ケアへとシフトしています。患者・消費者の予防への関心の高まりから、今後、外来需要、入院需要とも、従前の水準まで回復しない可能性があると考えられます。

予防領域のみならず、疾病管理領域でも、患者が主体的に自らの健康に関与する傾向はますます大きくなっています。その結果、供給サイドの患者・消費者に対する介入の在り方、医療技術の開発の在り方も変化する必要性が高まっています。

II. 進展するデジタル技術の実装

今回の危機、また予測される変化に対し、世界各国は迅速に行動しています。特筆すべきは、この行動を実効たらしめるべく、デジタル技術のヘルスケアへの実装を加速させている点です。オンライン診療の急速な普及、ICUの遠隔(eICU)、リアルタイムデータ活用による救急搬送システム構築、広域かつ織横断的なペイシェント・フロー・マネジメントとコマンドセンターの設置、バーチャル治験の適用拡大など、デジタル化の進展事例には枚挙にいとまがありません。グローバルでのデジタルヘルス市場規模は、2020年の約1,800億ドルから、年次25%程度の伸びを示し、2025年には約5,000億ドルに達するとの予測もあります。

一方、我が国においては、多くの識者が指摘するとおり、ヘルスケアのデジタル化の速度は、諸外国との相対で遅延しているという状況にあります(図表1参照)。

我が国デジタルヘルスの潮流と発展への視座_図表1

オンライン診療で言えば、海外では先進国・新興国を問わず、今回の危機を契機に外来の50~90%がリモートに移行したとの報告が多くあるなか、我が国での浸透の速度は際立って遅い状況にあります。もちろん日本は世界の中で医療へのアクセスがトップ水準であり、相対的にアクセス不良な国で大きく普及したのは必然だと思われます。

日本は、現状、医療従事者の多くがオンライン診療の質とコストに対して懐疑的です。とりわけ、医師の誤診リスクに対する感度は極めて高く、変化することに躊躇している状況です。しかし、この状況は、今後、オンライン診療の有効性と安全性に係るエビデンスが構築されると同時に、コストの観点でも医療提供の生産性引上げへの貢献が可視化されれば、徐々に変化していくものと思われます。

ヘルスケアはグローバルであり、質が立証され、コストがアフォーダブルであるサービスやモノは、世界中で普及するという歴史を念頭に置くと、日本だけが世界の常識から乖離するという状況は想定できません。

かつて、英国「エコノミスト」誌のオリバー・モートンが記述したとおり「社会として行動することなく、テクノロジーだけに問題の解決を委ねることはできない」とすれば、近時勃興する情報・通信テクノロジーのヘルスケアへの実装は、「ヘルスケアの問題を思考し、その解決策をデザインする」、「解決のための手段としてテクノロジーを活用する」という順序である必要があると考えます。日本のヘルスケアが直面する問題の大きさと深さを考えるに、今こそ、人間とテクノロジーの協働、すなわちデジタルヘルスを真剣に考える時期だと思います。

III. デジタルヘルスの現況と発展の方向性

我が国でも、既存のヘルスケア事業者や、情報・通信テクノロジー企業、ヘルステックベンチャーなどによるデジタルヘルス市場への参入が進展しています。

国も、ヘルスケアのデジタル化を進めるべく、法制度の整備に取り組んでいます。いまだ、プログラム医療機器(SaMD)の保険収載基準明確化など課題はあるものの、今後も規制環境の引き上げが図られ、デジタルヘルス領域への投資を後押しするでしょう。

ここでは、予防、診断、治療、予後というペイシェントジャーニーの各ステージ、およびヘルスケア提供のワークフロー・オペレーションの領域におけるデジタル化の現況と発展の方向性について概観します(図表2参照)。

我が国デジタルヘルスの潮流と発展への視座_図表2

(1) 予防領域

健常者に対する一次予防の領域においては、2010年代のスマホの普及や活動量計を中心としたウェアラブルデバイス市場の形成、さらに体重・体組成計、体温計、血圧計といったコンシューマ向け従来機器とデジタル技術の融合を起点に、運動、食事、睡眠、メンタル、女性特有の体調管理、美容などの領域で、様々なサービスが勃興しています。

B2Cサービスとして、著しい数の医療・健康情報ポータルや健康増進・管理アプリの供給が行われています。また、チャットボットなど自然言語処理やAIといった技術を活用した健康相談やコーチングサービス、DTC遺伝子検査サービス、さらにパーソナルヘルスレコード(PHR)サービスなどへと広がりを見せています。

健康保険組合や自治体(国民健康保険)といったペイヤーや企業向けB2B2Cサービスとしても健康診断データやレセプトデータを活用した発症予防サービスや二次・三次予防としての重症化予防サービスが発展過程にあります。

この領域では、公的保険からの財源調達が限定的であり、健康意識が必ずしも高くはない個人のみならず、健康意識が高い潜在的アーリーアダプター層に対しても、マネタイズは容易ではありません。このため現時点でスケールしている事業は極めて限定的であるというのが現状です。ヘルスケアの財政制約や労働力制約の課題の大きさを鑑み、予防の重要性は長く認識されていますが、今まさに、デジタル技術の活用により、予防領域を産業化できるかが問われている状況にあります。

成功の鍵は、個人の「行動変容」をいかに促すことができるかです。そのためには、今後、医学や行動経済学、心理学など学際的アプローチに基づき、ターゲット顧客の明確化やインセンティブ設計、オンラインとオフラインの融合(OMO)などサービス設計が重要になってくるとみられます。また、提供するサービスの臨床的・経済的なアウトカムに対するエビデンス構築と、アウトカムに基づく課金モデル設計も、普及にとっての鍵となってくるでしょう。これら試みの結果、マネタイズ先としては、消費者のみならず、ペイヤー、さらには製薬会社や医療機器メーカー、食品会社、ウエルネス事業者といったサプライヤーへの広がりが見えてくるでしょう。

既に、こうした科学的アプローチでスケールの実現を企図する事業者が出現してきています。我が国でも進行中の生命保険商品のパーソナライズ化の流れもその一例です。

この先には、軽度認知症(MCI)診断や、ゲノム情報などを活用した未病段階・超早期段階での先制医療への発展も期待できると考えています。

(2) 診断領域

画像撮影機器や検査機器の性能向上・データ量増大に伴い、診断業務が質的・量的に困難を極めるなか、医療者の負荷軽減・安全性向上を企図したAI(人工知能)による診断支援機能の開発が進行しています。放射線・病理・内視鏡等のAI画像診断は、様々な疾患を対象に、すでに商業化段階に入っています。AI活用の今後の発展としては、画像データにとどまらず、アウトカム情報を含む電子カルテ情報を基に、疾患予測や臨床意思決定支援(CDSS)への展開が見込まれています。課題としては、医療機関やシステムベンダーごとに異なるデータ形式、非構造データ中心の診療記録への対応などが挙げられます。課題解決に向けて、標準データ交換方式(HL7、FHIR等)や標準マスターなどの利用が促進されるとともに、データレイクなどを活用したビッグデータ分析手法の高度化が進展するとみられます。

診断領域におけるAI活用は、患者に最適な治療を選択する、個別化医療を進展させるという観点で、ヘルスケアに極めて重要な影響をもたらすとみられ、今後ますますの発展をみせるでしょう。

診断領域のデジタル化は、個別の診断行為を高度化するのみならず、地域のヘルスケアシステムを発展させることにもなるとみています。たとえば、デジタル技術を活用し、疾患領域ごとに専門医と非専門医のネットワークを構築する、従来の遠隔画像診断や病理診断のネットワークを深化させる、地域における病病・病診連携や救急搬送の仕組みを高度化するという方向が考えられます。

たとえば、脳疾患・循環器疾患やがん、さらに希少疾患という領域で、情報通信技術を活用し、中核病院の専門医とかかりつけ医との間で遠隔診断の仕組みづくりが始動しています。また、救急搬送領域では、患者トリアージや、救急車と病院間での診療情報共有を企図した救急医療支援システムが、徐々に浸透してきています。さらに、COVID-19 拡大のなか、遠隔でのICU医師への診断サポートといった新たなサービスも始まっています。

(3) 治療領域

手術領域でのテクノロジー活用が進展しています。手術支援ロボットシステムは、国内企業の参入が実現し、グローバルでも開発が加速しています。今後の広がりとしては、AI活用によるナビゲーション機能の搭載、VRによる手術シミュレーション、手術室スマート化(手術室内の様々な医療機器をつなぐことによる診療情報の統合など)、5Gを用いた遠隔手術といったことが想定されます。

また、デジタル技術を活用した新たな治療方法として、プログラム医療機器による治療支援(デジタルセラピューティクス)の取組みが活発化しています。デジタルセラピューティクスは、従来型の投薬治療では手が届きにくかった患者の「行動変容」を促すもので、新たな治療法として注目されています。日本国内では、スマートフォン・専用デバイスによる禁煙支援アプリが2020年12月に国内で初めて薬事承認・保険収載されました。現在、睡眠障害、糖尿病、ADHDといった疾患領域でも、商業化に向けた研究開発が進んでいます。デジタルセラピューティクスは、在宅での療養が中心となる慢性疾患やメンタルヘルス領域で、従来できなかった治療介入を可能とするという点で、その有効性が広く認知されるに至っており、今後、大きく発展するものとみられます。

(4) 予後領域

COVID-19の拡大のなか、非接触・遠隔での医療提供ニーズが高まっており、在宅医療分野を中心にデジタル活用のサービスが浸透し始めました。オンライン診療を筆頭に、リモート・ペイシェント・モニタリングや、在宅での検査・診断サービスが展開されています。また、コメディカルによる遠隔サポートサービスとして、遠隔リハビリや遠隔処方・処方薬デリバリーなども始まっています。患者自身の疾病管理状態を記録するPHRは、医師とのコミュニケーション、診療の質を引き上げるツールとして再注目されており、糖尿病、心疾患、呼吸器疾患など慢性疾患やがんといった疾患領域で実運用が進みつつあります。

今後、我が国でも、在宅での検査・診断機器や治療機器の拡充も見込まれ、診療のみならず、デジタルバイオマーカーの利活用を含むバーチャル治験の拡大も見込まれます。

課題としては、遠隔での診療の質の担保や、患者と医療提供側双方での運用負荷、在宅での機器の設置やネットワーク利用環境の整備といった追加コスト負担が挙げられます。これら課題の解決には、在宅における様々なデジタルソリューションの統合を疾患領域ごとに患者中心で進めることや、負荷の少ないオペレーションモデルの構築、同時に、従来オペレーションとの相対で、予後の臨床的改善や在院日数短縮・再入院率の引き下げなど効率性向上といった追加コストに対する価値を、事業者自身で明確化していくことが、鍵になると考えます。こうしたエビデンス構築を進展させることで診療報酬上の手当ても拡大していくとみています。

(5) ワークフロー・オペレーション領域

既存の病院内ワークフロー・オペレーションを改善し、業務効率化・コスト削減を企図する動きが見られます。
たとえば、問診システムが徐々に浸透しており、従来、紙で行われていた問診情報をデジタル化し、電子カルテへの転記労力を軽減するとともに、初期診断の効率化、非接触での安全な業務遂行にも寄与しています。医療費のオンライン決済システムは、医療費支払いの待ち時間を無くし、院内滞在時間を最小化することにより感染対策に寄与しています。近時、医療機関のバックオフィス業務をリモート環境で行うサービスも始まっています。

クラウド環境でのサービス提供は、上記事例を含み、この領域で先行しています。今後様々なクラウド経由サービスの開発が想定されるなか、医療機関が利用するためのネットワークセキュリティの確保や個人情報保護への対応、「3省2ガイドライン」など法規制への準拠が普及に向けた鍵となります。

IV. ヘルスケアデータのインテリジェンスへの転換

人間が生化学的なアルゴリズムである側面に着目すると、ヘルスケアのデジタル化は必然です。デジタル化のヘルスケアに対する最も重要な貢献のひとつは、データをアナログから転換することで病気の解明とその治療法の発見を加速させていることだと思います。近時の最たる事例は、2003年のヒトゲノム全配列の解読であり、これを契機に、ゲノムシーケンシングを始めとするデータアナリティクス技術の商業化が開花し、個別化医療に向けた革新的診断法や治療法の開発が加速しています。このように考えると、デジタルヘルスの事業者にとって、ヘルスケアデータを収集、蓄積、利活用すること、すなわちインテリジェンスに転換することは最も重要なミッションだと考えます。ヘルスケアデータは、現在、患者・消費者、ペイヤー、プロバイダー、薬局、ウエルネス関連事業者、デジタルヘルス事業者といった、個人や組織間で分断的に存在しています。将来的には、患者・消費者を軸に、統合される方向が想定されますが、現時点で分断されたデータであってもこれらデータをヘルスケアの価値に転換する試みが加速しています。

ここでは、まず、医療機関内にあるデータの利活用の現状と発展の方向性につき、みてみようと思います(図表3参照)。

我が国デジタルヘルスの潮流と発展への視座_図表3

医療機関内にあるデータの利活用は、医療機関での「1次活用」と、製薬企業、医療機器メーカー、保険会社といった医療機関外事業者による「2次活用」に分けることができます。

また、医療機関内のデータについては、大きく「臨床情報」と「経営情報」に分けることができます。臨床情報は、(1)患者情報( 年齢・性別等の基本情報、保険病名等)、(2)介入情報(投薬、手術、処置等の診療行為)、(3)アウトカム情報(検査結果、撮影画像、医師所見・観察結果等)に分類でき、これらは、レセプト情報・DPC情報や、電子カルテ情報などから入手できます。一方、経営情報は、財務会計や管理会計情報を元データとした、医業収益や費用、その背後にある様々なパフォーマンス指標や、設備投資、財政状態に関する情報のことです。

各医療機関は、これら臨床情報と経営情報の「1次活用」により、臨床クオリティ指標の設定による質や安全性の向上、クリニカルパスの最適化やペイシェント・フロー・マネジメント、診療業務の標準化、院内ワークフロー改善、病床配置の最適化、人的資源の最適配置、地域連携・集患力強化や診療報酬単価の引き上げ、などに取り組んでいます。現在、多くの医療機関では、臨床情報と経営情報を分断して管理していますが、一部、先進的な医療機関では、臨床の質と経営効率の同時引き上げを企図し、両情報を統合的に管理する仕組みの構築に取り組んでいます。今後、これら既存のデータ分析モデルの高度化が図られるとともに、臨床と経営の両面で意思決定を支援するツールの開発が進展すると予測されます。

医療機関から生み出されたデータは、医療機関外の事業者によっても「2次活用」されています。製薬会社を例とすれば、従来より、医薬品流通情報を収集する事業者や、急性期病院のDPCデータを収集する医療ソフトウエア事業者、ペイヤーが有する医療機関からの請求データ(レセプトデータ)を収集する事業者など経由で入手し、医薬品の使用実態や患者人口の把握等、営業・マーケティング(コマーシャル)目的で、活用されています。近時は、治験患者リクルートや治験デザイン、薬事承認のための対象群データ獲得など研究開発での利活用や、製品の安全性やパフォーマンス評価を含む市販後調査での利活用を目的に、電子カルテからの実臨床データ(リアルワールドデータ)の取得が積極的に検討されています。この領域は、我が国でも、既存の医療データ収集事業者のみならず、リアルワールドデータ取得を専門とする事業者の市場参入が始まっており、今後、蓄積されるデータの規模が拡大し、市場形成が進展するものと見込まれます。

次に、患者や消費者自身がモバイルやウェアラブルデバイス、パーソナルヘルスレコード(PHR)などを介して保有するデータですが、ヘルスケアの文脈では、健康管理・増進など発症予防(一次予防)や、既疾患の重症化予防(二次・三次予防)といった観点での利活用が図られています。前述したとおり、予防領域での事業は、公的保険からの財源調達が限定的であり事業化は容易ではありません。しかし、今後、予防に対する介入効果のエビデンス構築の進展と相まって、マネタイズ手法を含む事業モデルが洗練されていくものと期待されます。国のマイナンバー利活用の推進は、自己情報取得APIを介して、健診結果など公共機関が保有する健康情報とPHR情報の統合といった情報連携を容易にし、この流れを後押しすることでしょう。

患者や消費者自身が所有するデータの、製薬企業など医療機関外事業者による利活用も、今後、大きく進展するとみられます。我が国でも、製薬企業とCRO、デジタル事業者との協働によるバーチャル治験や、在宅患者が電子的に報告するアウトカム情報(ePRO)、ウェアラブル端末などから取得するデジタルバイオマーカーを利活用する仕組み構築という動きが始動しています。

患者や消費者が有するデータは、現在、医療機関が有するデータと分断されているというのが一般的状況です。しかし、ウェアラブルなど非医療用デバイスやリモート・ペイシェント・モニタリング技術の高度化、PHRの普及、在宅検査・診断機器の拡充に伴い、収集するデータは質と量の両面で充実し、臨床的に有益なデータが抽出、医療機関の電子カルテに統合されていくものとみられます。この流れは、在宅でのケアの高度化と効率化を介して、病院からコミュニティへのケア・セッティングのシフトを促進させるでしょう。さらに、病院やクリニック、介護サービス事業者といったプロバイダー横断的なケア・パスウエイの構築を促進し、各地域で、より強固な臨床ガバナンスとヘルスケアシステムの構築に貢献するものと考えられます。

V. デジタルヘルス事業を成功に導くための視点

ヘルスケアは、ヒト、モノ、カネという限られた資源をどのように配分し、だれが負担すべきかという議論とともに、質、コスト、アクセスという三者のバランスをいかに図るかという命題に対して、よりよい結果を導き出すことで発展してきました。デジタルヘルス事業も、この命題に対する答えを模索することが、成功に至るための出発点だと考えます。

一方、ヘルスケアは、蓄積された規制や多様なステークホルダーの存在といった複雑系のシステムです。また、人間の生命に係ることから、リスク感度が極めて高い産業でもあります。このため、新たなテクノロジーを採用し、ステークホルダーの習慣を変える段階に至るまでに時間がかかることは歴史が証明しています。そこで、ここではこの基本認識に立脚し、事業を成功に導くための視点を考察してみたいと思います。

(1) 疾病を軸にペイシェントジャーニー全体を俯瞰し立ち位置を決める

近年、世界的に「バリューベースドケア」という考え方が浸透してきています。患者価値は、アウトカム( 臨床的・経済的価値/費用対効果)によって評価され、限られたヘルスケア資源を組織横断的に連携させ、予防から診断・治療、予後に至るペイシェントジャーニー全体で統合的なケアを提供することで実現されるという考え方です。近時の個別化医療の推進は、この延長線上にあることを忘れてはなりません。

日本も、患者価値の極大化という方向に、プロバイダーやサプライヤー、ペイヤーといったステークホルダー間の利害を収斂させるための動きが活発化しています。このような患者中心という価値規範への移行を背景に、デジタルヘルスの事業化を考える際、患者の多様な病態を捉えず、一括りにしたプローチは受け入れられない可能性が高いと思われます。

ヘルスケアの介入の在り方は、疾病ごとに、また患者の重症度や病期、さらに予防、診断、治療、予後といったステージによってまったく異なるうえに、関与するステークホルダーも変化します。したがって、デジタルヘルスで改善しようとする対象の疾病は何か、ターゲットとする疾病の重症度・病期はどこか、ペイシェントジャーニーのどのステージに焦点を当てるのかといった事業のポジションを明確にするとともに、ペイシェントジャーニーの各ステージ相互連関性や関与するステークホルダーそれぞれの役割に対する理解を包括的に深めることで、受容可能でインパクトある解決策をデザインできる可能性が高まると考えます。

(2) 顧客( 医療従事者やステークホルダー)の潜在的問題を発見する

顧客がいまだ気づいていないか、気づいていても諦めている問題を適切に発見し、解決策をデザインできれば、受け入れられる可能性が高まります。問題点に対する洞察が最初であり、そこにテクノロジー活用による解決策のデザインが続くという順序を間違えてはいけないと思います。

たとえば、顧客を医師と仮定した場合、すでに診療の在り方が確立している領域では、「患者の満足度を向上させる」、「治療成績を引き上げる」といった価値のみに偏重した解決策では受け入れられる可能性は低いでしょう。このような領域では、医師の問題が過剰な業務負荷にあることを発見し、テクノロジーを活用したワークフロー改善という解決策が、治療の質を担保する前提で有効である場合が多いと考えられます。また、地域における医療機関同士の連携が必要なことに異を唱える医師はいないと思いますが、実際に地域連携システムを活用する医師の問題、たとえば集患力強化といった問題に切り込むことが普及の鍵となるかもしれません。

これまでICT企業の多くの試みがヘルスケア領域でうまくいかなかったのは、テクノロジー主導、供給者論理での解決策の売込みが先行し、顧客の問題を真に定義できなかったことが一因であると考えています。前述したとおり、テクノロジーだけで問題の解決を図れることはあり得ません。重要なことは、解決すべき問題を適切に理解することであり、その問題に対して想定する解決策のヘルスケアに対するインパクトを厳しく評価することであると考えます。

(3) 提供する解決策のアウトカムに対するアカウンタビリティを高める

まず、前述したとおり、ヘルスケア産業のリスクに対する感度は極めて高いという点を再度強調したいと思います。あらゆるテクノロジーに限界はありますが、テクノロジー自体が未成熟で生み出されるデータに信頼を置けない(リスクが可視化されない)状況では、少なくとも医療従事者や研究者に受け入れられることはないでしょう。したがって、事業者側で、提示する解決策の限界とリスクをいかに明確に説明できるかという点が出発点になると考えます。ヘルスケアは、新たな技術の可視化されたリスクを許容し、積み上げて発展してきていることを念頭に置きたいと思います。

次に提示する解決策のアウトカムについては、データに基づきエビデンス構築を図ることが普及のための必須条件である点を共有したいと思います。日本の国民皆保険と全国一律の診療報酬という枠組みを前提とするならば、どれほどヘルスケアの質の引上げを実現する解決策であっても、アフォーダブルなコストでの提供を実現できなければ普及することはありません。同時に、コストがどれほど低くても質が担保されないものも、受け入れられることはありません。近時、保険収載された遺伝子パネル検査や、長らく米国企業が独占的ポジションを堅持してきた手術支援ロボットシステムといったテクノロジーの機能は、本邦企業の参入も相まって、今後さらに引き上がるとともに、低価格化が進むでしょう。同時に、従来手法に対する優位性のエビデンス構築が進展しアウトカムが可視化されることで、キャズムを超えて普及が進むと見ています。

ヘルスケア領域で新たな解決策の開発と普及にKOLの関与が有効とされるのは、まさにアウトカムに対するアカウンタビリティの引上げを可能にするからであることを付記しておきます。

さらに、アウトカムに対するアカウンタビリティは、開発する解決策の商業化後価格の予見可能性を高めるという観点からも、医療機器認可取得の有無にかかわらず、決定的に重要であると考えています。

(4) ヘルスケアエコシステムを共創する

日本のヘルスケアといった長年かけて出来上がっているシステムに対し、単独の解決策で挑むことは容易ではありません。たとえば、医療に対するアクセスを持たない企業が、単独で解決策を市場に浸透させるには相当な時間を要すると見られます。医療という市場には、リーディングポジションを有する医療機関、製薬企業や医療機器メーカーなどのサプライヤー、卸事業者、アウトソーサー、ペイヤーなど、すでに十分な実績と信頼を有する事業者が多く存在します。そこで、これら事業者をプラットフォーマーと見なし、自らの解決策をアドオンするという方法が有効かもしれません。

また、医療に対する知見を有さない企業が新たな解決策を開発する際、想定顧客の潜在的問題を発見すること自体、極めて難度の高いタスクであると想像できます。この場合、他者とのパートナーシップにより、問題に対する理解を深め、解決策を受け入れ可能な水準にまで引き上げていくといったオープンイノベーションのアプローチは有効であると考えます。

グローバルでは、デジタルヘルス企業と、リーディング医療機関や研究機関、製薬会社や医療機器メーカーなどのサプライヤー、公的・民間のペイヤー、政府・許認可当局、さらには患者団体との協働が加速しています。我が国でも、近年、この動きが顕在化してきています。

今後に目を向けると、たとえば、オンライン診療プラットフォーマーはリモート・ペイシェント・モニタリング機能や在宅検査・診断技術を有する企業、予防や健康管理分野でサービス展開する企業との協働を進展させ、さらに在宅でのビッグデータ収集とその活用を推進する企業との繋がりも想像できるところです( 図表4参照)。

我が国デジタルヘルスの潮流と発展への視座_図表4

ヘルスケア領域では、とりわけ自前主義を排し、他者との協働によって価値創造を目指すエコシステム構築が成功に向けた有効な打ち手であろうと考えます。

VI. おわりに

ヘルスケアのデジタル化は、患者・消費者のエンゲージメントの引上げやヘルスケア人材の生産性向上を可能とし、ひいてはヘルスケアの提供体制をさらなる高みに引き上げるとともに、医療技術のイノベーションを促進させる重要な手段となり得ます。デジタルヘルスの事業化に際しては、(1)適用するテクノロジー自体の完成度、(2)ヘルスケア価値に対するインパクト、さらに(3)マスに対する普及可能性、という3つの観点から厳しい評価サイクルを回すことにより、今後、ヘルスケアの「新しい現実」に向けた競争力ある解決策が数多く輩出されることを期待したいと思います。

ヘルスケアはコストではなく、我が国の富の源泉であり、経済的繁栄の基盤であることを、今回の危機で再認識することができました。幸いにも、日本では、COVID-19 の感染再拡大の最中、医療現場の最前線で戦う医療従事者、それを支える医療関係者の献身的な尽力と卓越したリーダーシップが浮き彫りとなっています。私たちは、この貴重な財産を土台に、今回の危機を、我が国のヘルスケアを新たなステージへと飛躍させる絶好の機会と捉え、前進させることが必要であるとの認識です。

執筆者

KPMG ジャパン
ヘルスケアセクター
パートナー 大割 慶一
マネージャー 沼澤 功太郎
マネージャー 伊東 紘兵

大割 慶一

KPMGジャパン ヘルスケアセクター統轄パートナー

KPMGヘルスケアジャパン

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