企業のみならず社会全体にデジタル変革が起きています。企業はデジタルトランスフォーメーションの実現に多くのリソースを割き、政府はデジタル庁を創設して行政手続きのデジタル化を推進し、「誰一人取り残さない」デジタル社会の実現を目指しています。
では、テクノロジーの恩恵が広くあまねく人々に行き渡るには、どのような発想や観点が必要なのでしょうか?また、そのために企業はどのような意識を持って取り組みを推進していけばいいのでしょうか?
この問題について、KPMG Ignition Tokyoの茶谷公之が、株式会社チェンジウェーブ/株式会社リクシス両社の代表取締役社長として活躍する佐々木裕子氏と対談した内容をお伝えします。
最先端のテクノロジーで社会の意識を変えることも
(株式会社KPMG Ignition Tokyo 代表取締役社長兼CEO、KPMGジャパンCDO茶谷公之(左)、株式会社チェンジウェーブ / 株式会社リクシス 代表取締役社長 佐々木 裕子氏 (右))※記事中の所属・役職などは、記事公開当時のものです。
茶谷 :「エイカレ」では仕掛けを作って変革を波打たせていった、ということですが、リクシスでの取り組みではいかがでしょうか?
ITやAIといった最先端のテクノロジーを駆使し、「すべての人が輝く世界を実現したい」というビジョンを掲げておられますね。そのビジョンを現実にするためのひとつの要素として、仕事と介護の両立支援プログラム「LCAT」も発表されています。この発表を見て、私を含めたソニー時代の友人らは、「将来は佐々木さんのところにお世話になるんだろうね」なんて言っていたんですよ。
佐々木 :はい。変革屋として日本で一番必要な変革を考えたとき、確実に世界で断トツの超高齢社会になるのに、私も含めて多くの人が「老い」に関する情報リテラシーを殆ど持ち合わせていない、ということに気づき、強烈な危機感を感じたのです。これからは生産人口が減っていくわけですから、とにかく「仕事と介護を両立するためのエイジングリテラシーが大切だ」との結論にいきついたのがリクシス立ち上げのきっかけです。
高齢者がこれまで以上に多い社会で生きるには、老いていく(私たち)本人もそうですし、その周りの家族や周囲の人たちも、老いに関するリテラシーを持ち、それに対応するための多様な選択肢を理解しておく必要があります。
そうでなければ、本来なら伸ばせる健康寿命も伸ばせないし、いざというときに制度があっても利用できないし、必要なケアが受けられない。それをラーニングツール「LCAT」で少しでもサポートできれば、と考えています。
茶谷 :当事者が関わろうとするのは大切なことですね。高齢社会に当事者が主体的に参画することの意義や好影響、という意味では、キャデラックが例に挙げられると思います。
もともとあの車の購買層は少し年齢が上で、時間に余裕があって運転を楽しみ人生を謳歌しようという人たちだと言われています。しかし一方で若いデザイナーたちは「新しさ」を訴求していたため、売り上げが伸び悩んでいた時期があったそうです。
これにテコ入れするためにデザイナーを60代よりもターゲット顧客層に近い年齢の人に“刷新”したところ、売り上げが大幅に伸びた、と聞いています。
ラーニングツールのようなアプリも、年が若い人が作ったものが必ずしも高齢者にとって使い勝手がいいものとは限らず、文字の大きさ、画面のレイアウトなどのUIはその年齢ならではの視点が求められる場合が多々あります。
佐々木 :健康寿命延伸のためのアドバイスにも同じようなことが言えると思います。
例えば、「食べ方、栄養の摂り方」ひとつにしても、若者にはメタボ対策が大切だと言われますが、高齢者は筋肉を維持して動ける体を保つために低栄養を避けるようアドバイスすることが重要になってくると言われています。
茶谷 :高齢者には高齢者にとって必要となる情報があって、誰にとっても同じ「健康情報」を伝えればいいというわけではない、ということですね。「LCAT」ではまさにそうしたことが学べる、ということでしょうか?
佐々木 :そうですね。例えば認知症の端緒は青年期から始まっている、というのが認知症に携わるヘルスケア領域の“常識”ですが、一般的にはそれほど知られていないと思います。また、高齢の親が骨折などで介助や介護が必要になった場合、生活支援のために「実家に戻りたい」と考える人が多いけれど、そうではなく、要介護申請をしてプロのサポートを受けた方が家族の負担が少なく、本人が元の生活に戻るまでの道のりも短くなると言われており、逆に正しいケアができていないと後々要介護度が上がる恐れがある、とも知られています。
このように、超高齢社会で生きる私たちにとって、知っておくべきことはたくさんあります。しかし、ニーズが顕在化していなかったり、「自分は大丈夫だろう」という正常化バイアスや固定観念があり、「老い」を正面から受け止めるのはなかなか難しいものだと言えます。そんな思いを打破するのが「LCAT」開発の目的です。
茶谷 :なるほど。しかし、コロナ禍によって状況が変わり、介護をしながら仕事もしやすくなっている、との指摘もありますよね。
佐々木 :その考え方には実は大きなワナが潜んでいる、というのがプロの見方です。例えば、リモートワークができるから実家に帰って家族によるサポートする、という場合、必要な専門知識や本来なら活用できるサービスや制度を理解しないまま、ご家族が無理に頑張ってしまうことそのものにリスクがある、というのです。
例えば本来は敢えて自律を促したほうが状況が良くなる場合に、過度に生活を手伝ってしまったり。また、認知症の高齢者をご家族が介護する、というのは、介護のプロでも難しいそうです。心理的に負担が大きいうえに、ケアする側の心理状態がご本人の症状を加速してしまうリスクもあります。
「LCAT」は、こうした「最低限知っているといい」という内容について学べるツールです。
茶谷 :確かに、そこまで本格的な介護でなかったとしても、なかなかやりたいことができない姿を見ると手伝ってあげたくなっちゃいますよね。
実は私の祖父も認知症を発症していました。当時は認知症なんて言葉は知られていませんでしたが、私のことは覚えていても私の弟のことは覚えていない、という現実に家族のショックは大きかったので、プロの方でもご自身の親たちの介護は避けたい、という気持ちは想像できます。
佐々木 :そうなんです。他にも、リモートで仕事ができるからと同居していると、使えない公的サービスもあったりします。こういった情報リテラシーを、短期間で手軽に上げていくというのが「LCAT」です。皆さんご自身で自主的に学ぼうとされないテーマなので、LCATでは敢えてこちらからプッシュして学んでいただいています。究極のお節介ですね。
AIやテクノロジーに、温もりを感じるハイタッチなコミュニケーションを組み込むことはできるか?
佐々木 :ひとつ、茶谷さんにAIの現在地について質問です。いま、リクシスでは、「おせっかいネコ」というサービスを開始しています。「タマ」というLINEチャットボットを親子で“飼って”頂く仕掛けです。
タマは毎朝親御さんのところにおしゃべりに伺い、夕方お子さんのところに報告にいくのですが、やりとりの中で健康寿命の伸ばし方や、認知症・フレイルについて自然に学べるようになっているんです。 例えば親御さんの側に、「筋肉って大事ですよ。では、片足で立ったままで靴下履けますか?」というネコのタマちゃんからの質問に答えてもらい、その質問への答えなどを夕方にご家族側に伝える、というふうになっています。
質問にはバリエーションがあり、「生きているうちにやりたいこと」なども自然なコミュニケーションの中で聞くことができるようになっています。現在、既読率は7割といったところで、サービスには手応えを感じています。
ただ、裏側では、私やシナリオライターのチームが必死になって毎日のシナリオを書いていまして、まさにロールプレイングゲームというか日刊のメディアを創っている感じなんですね。
現在は最後のところだけAI応答できるようにしていますが、自然言語などが進化すれば最初から最後までフルAI化できるのか? もしくは細部はやっぱり人間が行なうことになるのか? 最近はそのことをよく考えます。
茶谷 :それはおもしろそうですね。ポテンシャルユーザーの履歴からAIを作ることはできるかもしれません。今はまだ数が少ないようですが、聞きたい情報を1〜10万語集められたらできるかもしれません。
特に、2020年くらいからジェネレーション系のAIが登場しています。例えば、「GPT-3」というAIは、開発されたことを発表するプレスリリースを自分自身で作ったほどで、記者たちも違和感なくそのリリースを読んでいたそうです。企業の発表や業績報告からニュース記事を作る場合や天気予報など、ほとんど定形文のような記事なら、AIで作成することが可能になっています。これに限らず、ストーリーを作るクリエイティブ系のAIは今日すでに出始めているほどです。
元々、世界の物語は類型化できると言われているので、タマちゃんの対話の種類が類型化できたら、そこに当てはめるQ&Aを文脈上おかしくないように処理してあげれば、フルAI化もできるかもしれません。
対話型のチャットボットを展開する場合、相手が打ち込んでくる質問に対していかにナローダウンし、UIや期待する答えが想定内に入るように工夫するか?が大きな鍵になります。
ただ、佐々木さんが提供しているチャットボットの場合、答えが必ずしも予測できるものではなく、想定外なものが寄せられることが容易に考えられますね。そうなると一般的には「質問のスタートに戻らせる」という処理をするのですが、この場合はそれだと違和感があるように思います。そこの対応が難しそうですね。
佐々木 :そうですね。また、会話が終了した後にもまだタマちゃんと話したいと思ってくれる人がいて、自然な会話を期待されることが増えています。それは現状では人間が返すしかなくて、ここをシンプリファイしないといけない、という話をしているところです。
茶谷 :なるほど。ただ、救いなのはキャラクターが「ネコちゃん」というところでしょう。ロボットが人型かそうでないかで求められる反応の精度は異なると言われています。人型には、「なぜきちんと答えてくれないの?」と思うものですが、ワンちゃんやネコちゃんなら随分と寛容になる場合もあります。
佐々木 :確実に言えることは、近年シニアのITへの親和性が高まっているので、チャットボットでコミュニケーションを取りながら何かを学習したり、目的達成に進んでいく、というやり方には可能性がある、と感じています。
茶谷 :確かに、最近はパソコン全盛時代の人たちがリタイアするようになっていますね。スマホはまだかもしれませんが、少なくとも「退職するまでパソコンを触ったことがない」という人はかなり少なくなったのではないかと思います。
佐々木 :そうしたこともあり、ITツールを活用することへの心理的なハードルを越えやすくなっていると思います。これもデジタルの可能性を高めていると言えるでしょう。
タマちゃんとのコミュニケーションは、非常にエモい領域のもので、「子どもや孫には話せないけれどタマちゃんには話せる」という現象が起こっています。ここにデジタルの可能性を強く感じています。お子さんから、「親がスカイダイビングしたいと思っているなんて、想像したこともなかった」といった反響もくるほどです。こうした話に限らず、相手が“誰か”だと話せないことはあるものですね。
茶谷 :AIが相手だと、無理を言ったりネゴシエーションしようと思わない、ということも影響しているのかもしれません。
佐々木 :そうですね。実際に、タマちゃんが10日くらい「インフルエンザにかかってしまった」というストーリーを作ってLINEに流したところ、みなさんから本当に心配する声や心温まるメッセージがたくさん寄せられました。
茶谷 :意外とそうした反応は多いようですね。ソニーでも、アイボの修理工場は特別で、「治療してくれてありがとう」と、お中元やお歳暮が届いたと聞いたことがあります。ビデオデッキなら「こんなに早く壊れて!」と文句を言われるものですが、アイボは“修理”するとすごく感謝されるものです。みなさん、アイボを“いのちある存在”と見なしているのでしょう。
デジタル上で言うと、随分昔、「メールを送る」という行為は「ポストペットがメールを相手に運ぶ」というふうに表現されていた時がありました。相手がメールを開くまで“帰ってこない”ので、ポストペットの飼い主(メールの送り主)は「まだ帰ってこない!」と心配して再びメールを送ったりしていたと言います。
そうしたハイタッチなコミュニケーションがテクノロジーに持ち込まれて魂が吹き込まれる、というのが好まれるようになっているのかもしれません。インフルエンザにかかったタマちゃんを心配する、というのはまさにそういうことなのだと思います。
テクノロジーは人の孤独を解消し、自律的な生き方を支える存在になる
茶谷 :ここまでの議論で「ポストコロナ時代に必要とされるテクノロジー活用」「これからのデジタル経営」について、実例を交えて話してきました。ここからは少し将来について話を広げていきましょう。
佐々木さんは50年後、テクノロジーがどのように社会に組み込まれ、人々の生活に影響していくと想像されますか?
佐々木 :私はテクノロジーの活用によって、この先、孤独がなくなるといいと思っています。リクシス立ち上げて、何が健康に効くか多くの医師の方々の話を聞かせていただきました。そこで共通するものとして挙がっていたのは、「繋がり」です。
身体的に健康であったとしても繋がりがなければ身体も弱っていくし、心身ともに動けなくなり、活力も少なくなる、ということです。
今日、人との繋がりをリアルに肌で感じる機会は減っていますが、リモートで繋がれるのはテクノロジーの恩恵のひとつですし、近くに人がいなくても、それこそタマちゃんが寄り添ってくれるのはひとつの社会参画になるのかもしれません。そうした意味で、人の孤独をデジタルがなくしていくよう社会に組み込まれていけば、と考えます。
また、デジタルが「自分が生きたい生き方」を叶えてくれる一助になればと思います。
それは具体的にはほかの仕事を生産性高くやってくれるということかもしれませんし、実現可能性がデジタルによって後押しされるということかもしれません。そのような方向に動くといいな、と思います。
茶谷 :では、経営者としての視点で、今後デジタルはどう変化すると思いますか?
佐々木 :そうですね。いろいろなことがデジタルやテクノロジーによって見える化され、またそれに対する選択肢もデジタルによって広がることで、組織の変化は「自律的な継続進化型」になっていくように思います。
「ANGLE」もそうですが、今日、デジタルで様々なことが見える化できるようになっています。これからは「誰と誰が繋がっているか?」といったことや、「心理的安全」が見える化されて、場合によってはその仕組みが組織を超えて広がっていくのではないか、と思います。
その結果、誰とどこで働くかもそうですし、何をどう変えたいのか、についても、いちいち経営者がああしたい、こうしたいと言わなくても、「自律型の進化」によって最適化が起きるかもしれません。そのキューになるのがデジタルではないか?と思っているところです。
そうなると、企業は今ほど細かいタレントマネジメントやタスク管理をせず、むしろ共感できる経営ビジョンを体現し、人々にとって魅力的な繋がりや文化を創っていくことにフォーカスすることになるかもしれませんね。
対談者プロフィール
佐々木 裕子
株式会社リクシス 代表取締役社長
株式会社チェンジウェーブ 代表取締役社長
1973年10月29日、愛知県生まれ。東京大学法学部卒。日本銀行を経て2001年マッキンゼー・アンド・インクジャパンに入社。8年強の間、金融、小売、通信、公的機関など数多くの企業の経営変革プロジェクトに従事。
マッキンゼー退職後、企業の「変革」デザイナーとしての活動を開始。2009年「人の変化の連鎖反応」を通じた組織・社会変革を設計・プロデュースするプロフェッショナル集団、株式会社チェンジウェーブを創設。ソニー株式会社、リクルートホールディングス株式会社等を始めとする大手企業の変革アドバイザリーや次世代経営人財・変革リーダー育成を通じた、組織変革・社会変革の実現に奔走。年間数百名の企業人財との接点を持つ。
経営と多様性推進、働き方改革推進を橋渡しする有識者として、2015年より三井住友銀行など大手企業のダイバーシティ委員会有識者委員を務めるほか、 大手企業20社200名の営業女性が参加する新世代エイジョカレッジを主催・企画運営。また、行政と民間企業の本質的な協働により新たな社会変革を生み出す「MICHIKARA地方創生協働リーダーシッププログラム」は2016年グッドデザイン賞を受賞。3期目の2017年度は塩尻市×リクルート×ソフトバンク×JT×日本郵便×オリエンタルランドで実施し大きな成果と反響を生んだ 。
2016年に酒井(現株式会社リクシス 代表取締役副社長 CSO)と出会い、企業の多様性推進を支援している中での課題感と「子としての介護とキャリア両立」と「親の介護の生活の質を上げる」ことに対する当事者としての強い問題意識が繋がり、株式会社リクシスを創業、現在に至る。
2015年TEDxTokyoに変革屋として登壇。著書に、「21世紀を生き抜く3+1の力」「実践型クリティカルシンキング」「数字で考える力」等。
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