資本コストを意識した経営管理~開示好事例からの考察~
資本コストや事業ポートフォリオの最適化を意識した経営が求められています。企業価値向上のための業績管理制度構築の取組みとして、ROICを軸とした事業ポートフォリオ管理の仕組み構築のポイントを解説します。
企業価値向上のための業績管理制度構築の取組みとして、ROICを軸とした事業ポートフォリオ管理の仕組み構築のポイントを解説します。
2010年以降、日本の開示制度の充実に向けた動きが活発になる中で、2019年には、金融庁から「記述情報の開示に関する原則」の公表及び「開示府令」の改正がありました。これらを受けて、企業の開示内容も実際に変化してきていますが、COVID-19の対応の影響もあり、現時点での開示レベルは企業により様々な状況です。企業の情報開示を取り巻く環境変化で、「資本コストや事業ポートフォリオの最適化を意識した経営」が必須と言える中で、IR優良企業の開示のポイントから読み取れる事項、企業価値向上に向けた業績管理制度構築の取組みとして、ROICを軸とした事業ポートフォリオ管理の仕組み構築のポイントを解説します。
なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りいたします。
ポイント
- 「記述情報の開示に関する原則」では、有価証券報告書上、資本コスト等に関する議論の反映、事業ポートフォリオの最適化の観点も踏まえたセグメント情報の開示などが求められている。
- 日本企業は、当該開示要請に対応できている IR優良企業がある一方、多くの日本企業では、開示充実に向けた、資本コストを意識した経営戦略および経営管理プロセスに課題がある。
- コロナ禍でのビジネスモデル変革の要請も背景に、事業ポートフォリオ管理を導入し、中長期的な企業価値の最大化を図り、また、その状況に関する開示を充実させることを通じて中長期的な企業価値を意識した対話(エンゲージメント)を促進していくべきである。
- 資本効率指標ROICを主軸とした取組みアプローチをご紹介。
ステップ1:軸となるKPI(ROIC)の定義、ステップ2:事業管理のPDCA設計、ステップ3:事業ポートフォリオ管理の仕組み設計、ステップ4:開示の検討
I.開示要請の変遷と企業の対応
1. 日本における開示要請検討の変遷
2010年代以降、投資家の開示要請ニーズの高まりや欧米の企業開示拡充の動きに合わせて、「日本における企業開示もより一層の充実を図るべき」という機運が高まりました。特に、2013年の伊藤レポートの公表などを皮切りに、資本コストを意識した経営が注目されるようになり、企業と投資家の建設的な対話の促進、投資家の意思決定に必要な情報開示の充実を図るという観点から、金融庁でもディスクロージャーワーキンググループが設置され、企業情報の開示・提供の在り方を検討・審議してきました。
その結果、2019年に金融庁から「記述情報の開示に関する原則」が公表され、「企業内容等の開示に関する内閣府令」の改正が行われるなど、企業開示の質・量を高めることが明確に要請されることとなりました。
「記述情報の開示に関する原則」では、有価証券報告書の記述情報について、「“ 財務情報を補完し、投資家による適切な投資判断を可能にすべき” という記述情報の意義を踏まえて記載を行う」ことが促されています。具体的な留意事項として、取締役会等で実施される経営戦略・方針に関する議論の適切な反映や、業績に与える影響や発生可能性を考慮した重要な情報の開示、成長投資・手元資金・株主還元のあり方や資本コスト等に関する議論の反映、事業ポートフォリオの最適化の観点も踏まえたセグメント情報の開示などが挙げられています。
2. 開示要請に対する日本企業の現状
(1)日本企業全般の傾向
このような要請に対して、2020年3月期の開示よりすでに対応が進んでいる企業がある一方で、開示の基礎となる「本質」部分、すなわち、ニューノーマルとしての経営戦略に関する議論や、資本コストを意識した経営管理、事業ポートフォリオの最適化・入替促進の仕組みの確立については課題が残っている企業やいまだ検討中といった企業も現実的には多いのではないかと推察しています。
図表1は、KPMGが日経225企業の有価証券報告書および統合報告書を対象とした調査結果をまとめたものです。
有価証券報告書でみると、2020年3月期では、資本コストを踏まえた開示を行っている企業は61%にとどまっております。制度要請を受け、2020年3月期の開示では増加傾向にあるものの、記載している企業が未だそれほど多くないという実情が浮き彫りになっています。また、資本効率等の目標値を掲げる企業は増加傾向にあるものの、資本コストを踏まえた目標設定の根拠にまで言及している企業は一部にとどまり、目標値設定の根拠と背景を開示できる企業はさらに限定的であるのが現在の状況と言えます。
(2)好開示会社から読み取れる事項
一方、IR優良企業といわれる企業における有価証券報告書の記述情報では、「経営方針、経営環境および対処すべき課題等」「MD&A」の章で資本コストを意識した指標設定、目標設定およびその根拠、当期の実績を首尾一貫して読み取ることができます。
IR優良企業では「経営方針、経営環境および対処すべき課題等」の章では、ROE、ROICといった資本コストを意識したKPIとその目標の設定や、どのように資本コストを低減するかという最適資本構成の考えを反映したBS戦略、全社のROE、ROICを達成するためのセグメント戦略への落としこみが開示されています。
1.資本コストを意識した指標設定、目標設定
ROE、ROICといった資本生産性指標は投資家の期待収益率となる「資本コスト」を勘案した目標設定を行うことで、初めて投資家を意識した業績管理が行えます。そのため、資本コストを意識した目標設定では、図表2のようにROEは株主資本コストを上回る仕組みを構築すること、ROICは負債コストと株主資本コストの加重平均であるWACCを上回る仕組みを構築することが重要となり、IR優良企業では、開示から具体的な数値目標までを読み取ることができます。
2.BS戦略
ROE、ROICといった資本生産性指標を活用して、全社目標の設定をしていく際に、全社BSにおける最適資本構成の方針を決定して、ROE、ROICの分母(投下資本)をどの程度の規模感にコントロールするか、有利子負債と株主資本の比率をどのように設定して資本コストを引き下げるかが、極めて重要となります。
その際、「将来の営業キャッシュフロー+必要なDebt Capacity」と「成長投資+株主還元」のバランスをどのようにとっていくかといった、セグメント戦略を踏まえたキャッシュフローアロケーションの方針も決定したうえで、将来の目指すべきBSを明確にしていくべきです。IR優良企業では、過去から現在のBSの姿に加え、将来の目指すべき全社BSの姿を、最適資本構成の方針とキャッシュフローアロケーションの方針と合わせて開示されていることが読み取ることができます。
3.セグメント戦略
全社目標を達成するために、セグメントまたは事業といった組織構造に合わせた単位に目標を細分化し、例えば図表3のように事業特性に応じた各事業における戦略の内容および指標向上の方針を明確化したうえで、開示書類に記載することが重要と考えられます。当該開示を行うことにより、事業の特性に応じた戦略や目標指標への落とし込みを行う業績管理の仕組みがしっかりと構築されていることを投資家へ伝えることができます。
また、MD&Aの章では、前述までの自社の経営方針・経営戦略等にしたがって実際に事業を営んだ結果、当期にどのような業績結果であったかについて、目標設定のKPIとして選定したROICなどを軸に振り返り、経営者の視点からその要因等を分析した結果が記載しているなど、「記述情報の開示に関する原則」で要求される事項を満たす形で開示を充実させています。
(3)各企業の課題
資本コスト等に関する議論の反映と事業ポートフォリオといった文言が具体的に記載された「記述情報の開示に関する原則」が公表されたものの、多くの日本企業では、前述のIR優良企業と異なり、開示充実に向け、その前提として必要な経営戦略および経営管理プロセスの課題が依然として残されている状況といえます。開示要請に応えるためには、「1.資本コストを意識したKPIを定義し、目標設定を行い、PDCAを経営管理の仕組みとして確立すること」、「2.持続的成長の実現に向けた事業ポートフォリオ最適化のシナリオづくりとマネジメントプロセスの構築」が必要と言えるでしょう。
II. 事業ポートフォリオ管理-取組みアプローチ
1. 事業ポートフォリオ管理の目的と目指す姿
ここまで開示要請と開示例から考察してきましたが、コロナ禍でのビジネスモデル変革の要請も背景に、事業単独でなく、組織力(ケイパビリティ)の変革が求められていること、また、中長期的な企業価値向上と持続的成長のための「選択と集中」の必要性がますます高まっていることの2点から、事業ポートフォリオ転換の促進が経営における喫緊の課題の一つとなっています。
KPMGでは、事業ポートフォリオ管理を導入し、中長期的な企業価値の最大化を図り、また、その状況に関する開示を充実させることを通じて中長期的な企業価値を意識した対話(エンゲージメント)を促進していくべきだと考えています。(図表4参照)
その実現に向けたポイントは以下4つです。
- 全社目標として、ROICを軸とした企業価値向上の目標設定
- 全社目標の実現に向けて、事業別への目標ROICブレークダウンと事業別PDCAの確立
- 事業ポートフォリオ最適化の意思決定に資するマネジメントルールの確立
- 3を有効に機能させる、取締役会による監視機能強化
2. 事業ポートフォリオ管理-取組みアプローチ
事業ポートフォリオ管理の仕組みの構築にあたって、資本効率指標ROIC(投下資本利益率)を主軸とした取組みアプローチ(4ステップ)をご紹介します。
- ステップ1:軸となるKPI(ROIC)の定義
- ステップ2:事業管理のPDCA設計
- ステップ3:事業ポートフォリオ管理の仕組み設計
- ステップ4:(投資家との対話)開示の検討
(1)ステップ1:軸となるKPI(ROIC)の定義
1.どのようなROICの構造・算定式とするか
まず、全社レベル・連結全体でのROIC(以下、全社ROIC)は、連結財務諸表を基礎として、NOPAT/投下資本で定義します。すなわち、全社ROICは、連結B/Sの貸方項目から投下資本を定義するアプローチ(資本コストWACCとの連動を重視しながら運用していくスタイル)を採用します。この場合、投下資本額を定義にあたっては、主に、各種引当金や繰延税金資産負債等が調整項目(論点)となります。
次に、セグメント別や事業別でのROIC(以下、事業別ROIC)の定義を検討しますが、多くの企業で、事業別でのB/Sを作成していないケースが見られます。その場合は、ピックアップ方式として、事業ごとの運転資本・固定資産などピックアップする要素を特定し、NOPAT(事業利益)/事業資産で事業別ROICを定義するといった、わかりやすさ、導入しやすさを重視した方法を採用することも一手です。
2.ROICを主軸としてどのような目標設定をするか
全社ROICの目標は、全社の資本コストを上回るROIC、すなわち、全社WACC<全社ROIC(企業価値創造)と考えます。事業別ROICの目標は、事業ハードルレート以上のROIC、また、事業全体として、全社の資本コスト(全社WACC×全社投下資本、全体で最低限稼ぐべき資本コスト)を充足する目標とします。
ここで、WACCとは、株主資本コストと有利子負債コストの(率の)加重平均の総使用資本コストです。全社WACCは、株価水準(PER、PBR)の実態も考慮しながら、一般的に受け入れられる手法(CAP-M(最高値、最低値)による方法、 PERの逆数(過去の推移から推定する方法、アナリストレポートから推定する方法)、残余利益法(アナリストコンセンサスを利用し将来の残余利益を推定する方法)等)を基礎として、算出ロジックを検討する必要があります。
(2)ステップ2:事業管理のPDCA設計
ROICを軸とした事業管理においては、企業グループ全体で資本コストを上回る利益を上げることを業績管理の目標と考え、各セグメント・事業の目標値の設定・業績評価KPI体系としては、事業別ROICを最上位の事業共通の指標と設定します。但し、一般的に、事業業績管理において、ROICをはじめとする資本効率性指標を活用する場合、その欠点として短期志向や縮小均衡に陥りやすい点が挙げられることも勘案し、それらを解消し、各事業の中長期的な目標達成の視点を取り入れ、ROICとあわせて、第2指標として事業特性指標、第3指標として戦略KPIを設定し、そのなかで、事業中計・事業計画の達成に特に重要な指標を7~10個ほど指標セットとして選定し、それらすべての項目について、バランスよく、全目標を達成できたかどうかを確認する総合的な評価管理を行う形とすべきだと考えます。
上記指標セットは、「コミットメント指標セット」として社長や経営企画部と各統括部長との十分な経営資源の配分に関するネゴシエーションを通じて、経営会議にて審議され、最終的には社長により承認され、中計期間、また、四半期・月次での達成度のモニタリングをしていくこととなります。
なお、ROICの期中の進捗は、下図のように、投下資本に目標ROIC値を乗じた金額に対する進捗率で管理する考え方が適していると考えます。このように、PDCAの設定にあたっては、指標セットの各指標の性質・モニタリング期間などを勘案し、適切なモニタリングルールの設計が重要です。
(3)ステップ3:事業ポートフォリオ管理の仕組み設計
事業ポートフォリオ管理の仕組みの設計にあたっては、考え方を以下のとおり定義します。
- ポートフォリオの縦軸・横軸にどんな指標をセットするか(短期・中期)
- 各事業をどんな指標でプロットするか(プロットする円の大きさを、投下資本額とする、売上高規模とする等)
- 各事業がプロットされたポートフォリオ上の位置(ゾーン)に応じて、どんな戦略指令を出していくべきか
上記3点について、KPMG Insight(2021年1月号)「パーパスを目的としたポートフォリオ転換」において、検討例を記載しておりますのでご参照ください。
(4)ステップ4:開示の検討
日本企業では、I章でも記載した通り、全社ROICだけでなく事業別ROICの開示例も増えてきていますが、各企業ごと、財務戦略の核となるキャッシュフローアロケーション方針(配当・自社株買い・新規投資等のアロケーション方針)の開示とバランスを取りながら、投資家に向けて、「自社がいかに継続的な企業価値の増大を実現していくか」の基本的な考え方を真摯に開示していくべきだと考えます。
執筆者
有限責任 あずさ監査法人
アカウンティングアドバイザリーサービス
ディレクター 程原 真幾
有限責任 あずさ監査法人
アカウンティングアドバイザリーサービス
シニアマネジャー 塩澤 信利