企業の経営環境がこれまで以上に激変する今日、日本でも「デジタル経営」の重要性を指摘する声がより大きなものになってきました。しかし、「デジタル経営」とは具体的にどのようなものを指し、将来にわたって企業の経営をどう進化させるのか、いまいち良く分からない、と感じる向きは少なくないようです。
「Ignition Odyssey」は、そういった声を受けて誕生したメディアです。
「国内外の最先端テクノロジーとKPMGがこれまで培ってきた祖業(税務・監査・コンサルティング)の知識を融合させて経営を新たなステージに導く」というKPMG Ignition Tokyo(KIT)の役割を担っていく中で知り得た注目すべきデジタル分野の動向を、代表である茶谷公之が「デジタル経営の水先案内人」として取り上げます。
では、そもそも私達が「デジタル経営」をどのように捉えているか? 茶谷が解説します。
「デジタル経営」とは、複雑化した社会に適応した経営のあり方である
(株式会社KPMG Ignition Tokyo 代表取締役兼CEO、KPMGジャパンCDO茶谷公之)※記事中の所属・役職などは、記事公開当時のものです。
――近年、盛んにデジタルトランスフォーメーション(DX)の重要性が叫ばれ、生産性の向上や効率化の文脈で「デジタル化が喫緊の課題である」と指摘されてきました。それに加え、2020年以来、新型コロナウイルスの影響でビジネス環境が激変し、デジタル化が待ったなしの状況になっています。そうしたこともあり、「デジタル経営」という言葉を聞かない日はなくなっています。
しかし、そもそも「デジタル経営とは何か? なぜ変えなければならないのか?」といったことを納得できる内容で語られる機会は少ないように感じます。KPMG Ignition Tokyoではこれをどう定義しますか?
茶谷: その話を紐解く前に、まずは経営のあり方に「デジタル経営とそうではないものがある」ということを整理しておきましょう。
私の場合、社会人生活はソニー株式会社の傘下であるソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)、「プレイステーション®️」を出している会社から始まりました。ソニー自体はご承知の通り、レコードやアナログメディアからCDというデジタルに移っていった経験を持っていますが、私自身は最初からコンピュータアーキテクチャで作られた「プレイステーション®️」というデジタルなプロダクトに触れていたので、アナログ時代を体験していません。その後もビジネスは全てデジタルがベースになっていました。
そのため、KPMG Ignition Tokyoに参加して初めて「あ、デジタルじゃない会社というものがこれほど多く存在する」と知り、むしろ「デジタル経営」を強く意識し始めました。
世の中の流れを見ていると、企業だけでなく国家すらもデジタル化は避けられないことが分かっています。有名な話ですが、エストニアのような小国はe政府化によってほとんど全てのことがオンラインに移行しています。これによって、これまで制約条件とされてきた国土の広さやロケーションを超越することができるようになっています。エストニアの例に限らず、何らかの制約を取り除いた人達が近年、増え始めてもいますね。
このような「制約を取り除きたい」という欲求がどこからくるかというと、例えば米国と中国の貿易対立が分かりやすいでしょう。米政府の対中施策の影響で中国企業から部品調達ができなくなってしまったため、これまでのサプライチェーンを見直し、代替サプライヤーから部品を調達する必要が出てきた、と。そうするとコストが増えるので、原材料として受け取っている会社のコスト管理が…というように、影響が思わぬところにまで広がっていきます。
このようなことは、昨今の新型コロナウイルスに端を発する変化にも当てはまるでしょう。ある特定の地域だけでなく全世界に衝撃が波及したため、それに合わせて再度、様々な事柄を最適化するために多大な負荷がかかっているところです。
このたった2つの例からでも、今日は社会システム全体がこれまでに比べて急速に複雑化してきていることが分かります。
他方、これまでの日本企業は全ての面で人間力に支えられていたところがあり、働く人それぞれの長い経験やカン、度胸という、いわゆる「KKD」を中心にドライブしてきたと言えます。この方法は過去の延長で起こる事柄に対しては強みを発揮するものの、米中対立や新型コロナのような不連続な変化が起こった時に必ずしもすぐに対応できず、たちまち弱みになってしまうと考えられます。
これに備えるには、不連続な変化の予兆や経験値になっていない暗黙知に変化が起こる可能性があることを読み取る必要があり、そのヒントとなるのはおそらくデータしかありえません。つまり、長い蓄積が経験値だとすると、その中に起こる特異点を捉えられるのはデータしかあり得ない、ということです。
今までもデータを振り返って後から「あ、ここが変化のきっかけだったね」と言うことはできました。しかし、これからは不連続な変化に備えてデータを集めて常に分析し、必要に応じてアラートを出したり、あるいは深掘りしていくチームやスキルがある人を集めておかなければ安定した経営は極めて難しくなると見通しています。それができていないと「経験とカンと度胸の外にあることはすべて想定外」というふうになってしまうからです。
しかし、「経験とカンと度胸の外にあることはすべて想定外」とみなしてきたものも、実際にたくさんのデータを集めて見てみると、「予兆はあった」と気付けることが分かってきています。
このことは、様々な物事が複雑化し、パラメータも多くなっている今日、「人が経験とカンと度胸でカバーできるような単純な社会システムではなくなってきている」ということの証左だと言えるでしょう。
――アナログとデジタルでは産業構造自体が大きく異なることも「KKD」に頼れなくなったひとつの要因と言えるでしょうか?
茶谷: 日本が世界でも最もプレゼンスを誇っていた90年代、ビジネスと言えば白物家電など主に製造業を指していました。製造業について経営目線で見てみると、実は比較的単純な構図で、部品の値段と人件費を足したものと売値との差が利益、と整理できます。
それに比べると今はより複雑で、ハードの部分は相変わらず製造のコストと売値の差で評価できますが、それに加え、「1台買ったら何枚ソフトを買ってくれるか? どのくらい周辺機器を買ってくれるか? ソフトはパッケージかオンラインディストリビューションなのか? それに伴って広告が展開された場合は…」というように、かなり複雑な方程式を考える必要があります。
つまり、製造業で用いられてきた“引き算”による評価ではなく、もっと複雑で因果関係を含んだ形でビジネスの構造が成り立っていて、それが様々な会社とメッシュのように関わり合っている、というわけです。そのような連鎖的に変化しうる構造をカンで解くことは不可能でしょう。
このように簡単には答えが出せなくなった時代を指して「VUCA(Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ))の時代」と名付けられていますが、「だったらもうカンでいくしかない!」と考える経営者もいるのかもしれません。もちろん、人のカンを否定はしませんが、当たらないケースに対しても経営者は責任を取らなければなりません。
それならば、より確実性を求める方が合理的ですし、コンピュータが演算して導き出した次の一手の方がより確率が高いのであるなら、これを活用しない手はありません。
なにより、人間には睡眠が必要ですが、コンピュータにはそれが不要なので、寝ている間に起きる人間には対処できないシステミックイベントも、24時間モニタリングすることで対応できる可能性があります。「この範囲なら」と権限を委譲しておけば自動処理することもでき、オペレーショナルリスクも下げられるはずです。
ただし、デジタルはあくまでツールなので、人がやるよりコンピュータがやった方がいい、とは言うもののあくまでもサブの存在と捉えるべきです。ただ、データドリブンな考えのもと、経営判断を下していく経営のあり方への転換は間違いなく起こると確信しています。
10年、20年後のデジタル経営のかたち
――旧来型の経営からデジタル経営に移行する必要性やデジタル経営とはどのようなことか、具体的に分かり始めました。しかし、もし茶谷さんが考えるようなコンピュータによる“経営代行”が一般的になったら、人間が経営をしなくなる、という将来像も見えてくるように感じます。
茶谷: 私はむしろこの先も基本的に人間が経営をするということに変わりはないと思っています。しかし、CEOを筆頭に経営陣の隣にはデジタルのバディ(相棒)がいて、困った時には助けてくれる、というようになるでしょう。
最近の自動車には運転している人がフェイタル(致命的な状態)にならないように安全装置がありますが、経営にもそのような“安全装置”が導入され、フェイタルな事態にならないよう、ディレイル(脱線)しないようにアシストしてくれる存在が現れる、ということです。
自動車では、自動運転が可能になると、エンタメや運転ではない楽しみを提供するサービスや技術が進化すると予想されています。デジタル経営のバディも、安全により利益やバリューを上げるように進化していくでしょう。
他方、「テクノロジーの進化はすごい!」という話を受けて「AIでなんとかしよう症候群」になる経営者も少なくありません。「他社も何かやっているらしいから、自分たちも!」「AIなら何でもしてくれるよね!」と、何かやりたがるのです。
これは、問題を解くにあたっての技術と問題の距離感を見誤っている状態だと言えるでしょう。強いて言うなら、「火星に行けるなら冥王星にも行けるよね」と言うのと同じようなことです。
再び自動車を例に挙げると、「10回のうち8回は右に曲がれます!」と言われても乗りたくはないですよね。99.9%は成功すると言われても、それは困ってしまいます。ただ、エンタメの分野なら少々間違っても許される、というのもあります。他にも、料理の味付けを間違えてもそんなに大事にならないけれど、薬の配合量を間違うと命に関わる、と例えることができるでしょう。
要は、適応する分野によって求められる精度が違うということです。適応領域を正しく設定しなければ期待値に応えられないだけでなく、フェイタルになってしまいます。
私達も何か依頼を受けた時、「それはこう言う理由で技術的に不可能です」あるいは「この部分までは可能ですが、ここから先は現段階では不可能です」と、正しく説明することが重要だと考えています。この場合、もし「可能性に賭ける」ということがあるなら、それは経営判断になるので、正しい判断をしてもらうための情報を伝えることも重要です。
デジタル経営にシフトするために不可欠なこと
――デジタル経営を実践するためには社内のあらゆるデータを一括して収集できるように環境を整える必要があり、そのための準備としてIT化をしなければならない、という企業も多いかと思います。その延長線上の取り組みとして「DXを推進する」ということも考えられるでしょう。DXを進めるにあたり重要なことは何でしょうか?
茶谷: DXに取り組む際、会社そのものをどうトランスフォーメーションさせるか? という話になっていきます。ここで問題として出てくるのが、AIを使えば何かわかるだろう、見えてくるだろう、という「AIでなんとかしよう症候群」です。社長と経営陣はだいたい同じ年齢なので、同じような発想になっており、その実務を次の経営世代の経営企画あたりの人材に任せようとするケースが多々あります。
ただ、AIはツールのひとつなので、「この会社は何になりたいか? どうありたいか?」が決まらないと何もできません。そうすると、「この会社は何になりたいか? どうありたいか?」を明らかにするため、「この会社は何のために存在しているのか?」といったことを考える“自分探しの旅”に出てしまうことになります。
売り上げ目標などは中期経営計画あたりに載っているのですぐに出せるかもしれませんが、「そもそもそれって何のためにやるのか? 会社の存在意義は?」ということを明確にしなければ、AIを正しく活用することはできません。コーポレート・トランスフォーメーション(CX)が正しくできていないと、AIでなんとかしようという要望に応えられないのです。
CXの素晴らしい例としては、まずノキアが挙げられるでしょう。彼らが長靴の会社から携帯電話会社になったことは有名です。
その、長靴から携帯電話へのCXの過程では、長靴に携わる部署は中心におかず、将来向かうべき携帯電話会社にふさわしいコーポレート・アーキテクチャを考え、その実現に邁進していったと推察されます。経営以下の布陣を変えたり、工場の投資の仕方やロケーション、取引先も変えたことでしょう。そういうことがストラクチャされていなければ、あれほどのCXは実現できなかったはずです。
AIがきっかけとなって、ノキアのようなCXまで考えることはその会社にとって非常に意義深いことだと言えます。ですが、日本の会社の多くは前社長からの伝達業務で、安全・安定した経営のままに次世代にバトンを渡すことが大事な使命になっているフシがあります。そのため、今までは変えることや変わることが望まれてこなかったと想像できます。
しかし、コロナ禍のようにこれまで正しいと思われてきた手法などが通用しなくなった時、経営者をはじめ私達は全員、自分の頭でその先を考えざるを得なくなっています。前提がないため、これまでのように前例を繰り返すことはできません。AIやデータもそれ自体が答えを教えてくれるわけではないので、自らが考えることこそが必須になります。その答えを出すためには問題を立てなければならず、これがもっとも肝心なことだと言えます。
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