新型コロナウイルス感染症から変わる日本の医療・医療機器業界
医療・医療機器業界のクライシスマネジメントを4つのS「Staff、Stuff、Space、System」に分類し、課題と対策について解説します。
医療・医療機器業界のクライシスマネジメントを4つのS「Staff、Stuff、Space、System」に分類し、課題と対策について解説します。
2019年12月に中国で発見された原因不明の肺炎の原因は、新型コロナウイルスであることが明らかとなり、瞬く間にパンデミックが発生しました。世界中がこの新型コロナウイルス感染症(以下「COVID-19」という)との戦いに挑むなか、日本の医療・医療機器業界にも多くの課題が浮かび上がりました。
急激な感染者増加や二次感染による医療従事者不足、救急や感染指定病院への患者集中による感染病床不足、グローバルサプライチェーンの分断と感染予防医療用消耗品不足と偏重、海外依存度の高い治療用医療機器と高い異業種参入の壁、そして医療を統合的にマネジメントする仕組みの欠如などから、医療崩壊リスクが現実のものとなっています。
終息に至るまでには長期戦が予想されるなか、本稿では医療・医療機器業界のクライシスマネジメントを4つのS「Staff、Stuff、Space、System」に分類し、課題と対策について解説します。なお本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りします。
ポイント
- 医療従事者への感染防止の水際対策が強化され、二次感染防止策としてリモート診断が増加、それを支えるデジタル・AI導入が進んで行く。
- 感染防護用消耗品だけでなく、海外依存度の高い治療機器についても、グローバルサプライチェーンの分断による国内供給体制の強化が迫られる。
- これまでの地震を想定した医療機器業界BCPから、今後は個社単位の感染を想定した相互バックアップ体制を含む、新たな流通体制の構築が求められる。
- 医療クライシスマネジメントの観点から、メーカー供給と病院需要とを結ぶ統合的な視点での医療需給マネジメントシステムの必要性が高まっている。
目次
I. 露見した脆弱な医療供給体制
COVID-19の発生により、日本の医療、また医療機器産業の危機発生時の脆弱性が露見する形となりました。
製造大国である日本であれば、緊急時にICU(Intensive Care Unit:集中治療室)で必要な高度管理医療機器や、医療従事者を守るマスクやガーゼを含む医療材料の急ピッチな製造は可能だと思われてきましたが、実態として即応可能なケイパビリティもキャパシティもなく、欧米や中国を含む東南アジアからの過度な輸入依存により、自力での対応が困難な状況となっています。
また、デジタルテクノロジーを多分に活用できる分野であるにもかかわらず、感染症発生時に必要となるオンライン診療も、事業性・医療品質担保・セキュリティなどの観点を理由として遅々として進まずにいます。たとえばここにメスを入れることで、医療過疎地や医師不足といった問題に対応でき、さらにAIを搭載して患者の最初のタッチポイントを作り出すことで、COVID-19のようなヒトからヒトへの驚異的な感染力を持つパンデミック発生時において、医療従事者だけでなく患者を危険に晒さずに、より適切な医療機関への誘導などを実現することが可能となると考えられます。
日本の医療、また医療機器産業の危機発生時の対応強化に加えて、加速する日本の高齢化社会に適応した医療供給体制の整備は大きな課題となっており、平時から緊急時の供給体制へ円滑にシフトすることを可能にするためにも、医療クライシスマネジメントの視点で網羅的な見直しを図る必要があります。医療のクライシスマネジメントにおけるチェックリストは、過去に疫病が流行した際の教訓も踏まえて整備するための有効な視点であり、図表1のように4つの“S”に分類されます。医療供給体制において、この4Sに沿って喫緊で取り組むべき課題を以下説明していきます。
図表1 医療クライシスマネジメントにおける課題
Staff 人材 |
|
---|---|
Stuff 製品・材料 |
|
Space 場所 |
|
System 情報 |
|
II. 医療従事者の感染を水際で防ぐ対策(Staff:人材)
日本国内における新たな感染症の蔓延により、予測を超えたスピードで医療従事者のリソースが不足していくことが判明しました。感染後のリスクが高いことで受診を控えた患者の重篤化や、それによる救急病院や感染指定病院への搬送の集中、搬送された感染者からの院内二次感染による医療従事者のリソース不足によって、医療崩壊リスクが全国で発生しました。
日本の総人口に対する医師・医療従事者の数が十分ではない状況を踏まえると、今後加速していく人口減少・少子高齢化時代を考慮した政策的な人材育成を行うことが、中期的な目線で必要となります。
一方で短期的な目線では、今回の経験から、患者の集中化ならびに医療従事者への二次感染を防ぐためのプロセスとテクノロジーの導入推進が必要となります。
2018年度診療改定によって「オンライン診療」による保険診療が一部疾患で認められ、さらに新型コロナウイルスの感染拡大によるニーズの高まりを受け、2020年4月には時限的かつ特例措置ではありますが、初診からオンライン診療が認められました。今後の推進対策としては、オンライン診療のさらなる拡大と、オンライン診療で触診に近づけるための技術革新、既に海外で一部導入が始まっているAIによる初期診断など、患者と医療従事者が直接触れない環境を構築していくことが挙げられます。
また、国内全域に拡大した際の感染状況を把握するビッグデータを収集する仕組み作りと分析(状況判断に資する客観的な分析結果)による、医療従事者のリソース配分などが考えられます。
影響の大きいデジタルテクノロジーによる変革
- オンライン診療の拡充と、触診に近づくさらなる技術革新
- 対応インフラ整備と全世代で使える簡便性
- 初期診断におけるAI導入
- 全国民の感染情報を収集したビッグデータ解析
III. 重要な医療消耗品・機器の自給体制構築(Stuff:製品・材料)
供給改善の見えないマスクなど、全国民が必要な消耗品から、医療従事者にとって感染防止・診断治療に必須であるN95マスクやガウン、フェイスシールド等の、日々大量に消費する感染防止用消耗品の不足は、2020年5月7日時点においても継続しています。これには全世界レベルでの供給不足で、買い占めや輸出停止などの措置が取られた影響もあります。
緊急時にグローバルサプライチェーンが分断された際にも自国内で供給できるよう、予防上必要かつ消費の激しい品目の特定は急務となります。また海外製品のシェアが高く、輸入に依存する治療用医療機器などは、特に生命にかかわる製品群であるため、治療品質を担保するための必要最低限の製品特定と、緊急時に供給量を維持するために異業種からの参入を促進する策が必要です。上記の実現のためには、単に促進するだけではなく、政府も一体となった医療機器開発推進や国による買取り支援など、政策的な支援が不可欠です(図表2、3参照)。
個社単位の事業継続計画ではなく、国全体としての取組みに昇華していくことで、起こり得るグローバルサプライチェーンの分断リスクを想定した国内自給率を向上させる必要があります。
グローバルサプライチェーン分断リスクへの備え
- 必要医療用消耗品選定と国内自給率向上
- マスクなどの消耗品の企業災害備蓄品指定化検討
- 治療医療機器の異業種参入を含む国産化推進支援政策
- 緊急時の医療機器生産にあたって国の買取り支援政策
図表2 医療機器の種類
診断用器具 | 画像診断システム |
診断用X線装置、CT、MRIなど |
---|---|---|
画像診断用X線関連装置および用具 | 診断用X線関連装置、およびその防護用機器など | |
生体現象計測・監視システム | 医療用内視鏡、生体検査用機器など | |
医用検体検査機器 | 血液検査機器、尿検査装置など | |
施設用機器 | 医療用吸引器、医科用洗浄器など |
治療用器具 | 処置用機器 | チューブ、カテーテル、注射器など |
---|---|---|
生体機能補助・代行機器 | 生体内移植器具 、ペースメーカーなど | |
治療用または手術用機器 | 放射性治療用関連装置 、手術用電気機器および関連装置など | |
鋼製器具 | 切断、絞断および切削器具など |
その他 (消耗品、医療材料) |
歯科用機器 |
歯科診療室用機器、歯科用ユニットおよび関連器具など |
---|---|---|
歯科材料 | 歯冠材料、歯科用金属など | |
眼科用品および関連製品 | コンタクトレンズ、視力補矯正用眼鏡、検眼用品 | |
衛生用品および関連製品 | 衛生用品、衛生材料 | |
家庭用医療機器 | 家庭用マッサージ器・治療浴用機器、家庭用吸入器、補聴器 |
出典:厚生労働省「薬事生産動態調査用語説明」資料に基づきKPMGコンサルティング加工
図表3 医療機器のリスクに基づくクラス分類
薬事法分類 |
クラス | リスクと医療機器例 |
---|---|---|
一般 医療機器 |
クラスI | 不具合が生じた場合でも、人体への影響が軽微であるもの。 分析装置においては下記のクラスIIおよびIII以外のもの。 例:体外診断用機器、鋼製小物、歯科技工用用品、X線フィルム、聴診器、水銀柱式血圧計 等 |
管理 医療機器 |
クラスII | 生命の危険または重大な機能障害に直結する可能性が低いもの。 例:画像診断機器、造影剤注入装置、電子体温計、電子式血圧計、電子内視鏡、歯科用合金 等 |
高度管理 医療機器 |
クラスIII | 不具合が生じた場合、人体への影響が大きいもの。 例:透析機器、人工骨頭、放射線治療機器、血管用ステント、胆管用ステント、体外式結石破砕装置、汎用輸液ポンプ 等 |
クラスIV | 患者への侵襲性が高く、不具合が生じた場合、生命の危険に直結するおそれがあるもの。 例:ペースメーカー、冠動脈ステント、吸収性縫合糸、人工乳房、ビデオ軟性血管鏡、中心静脈用カテーテル 等 |
出典:厚生労働省「医療機器の薬事承認等について」資料に基づきKPMGコンサルティング加工
IV. 病床の確保と医療流通体制構築(Space:場所)
今回のCOVID-19のような未知なるウイルスによるパンデミックでは、感染症に対応でき、ICUの機能とノウハウをもつ医療機関や、二次三次救急における病床ならびに病院スタッフの確保がカギとなります。病床確保は、救急病院において緊急時に入院患者のうち転院可能者を転院させるプロセスを構築すること、スタッフ確保は、想定外の二次感染によるスタッフの減少を防ぐことが重要となります。特に救急では、感染有無が判断されていない患者の初期診断プロセス構築として、救命救急室に入る前に施設の外に応急診断所を臨時開設するなどの処置が考えられます。
一方、医療供給面では、多様な機器を扱う医療機器業界は、メーカーのみならず、医療機器物流を担う代理店(卸)も多く、企業規模もさまざまです。また、業界団体で作成されている災害対応マニュアルは地震や台風を想定しているため、個社ごとの感染を想定したメーカー単位または代理店単位での、相互供給にかかわる検討が求められます。そこには地域単位での医療物資の配送連携や優先供給体制を構築し、行政や医師会ならびに製薬卸企業と連携するといった、幅広い対応準備も視野に入れる必要があります。
医療現場の隔離プロセスと医療流通体制の見直し
- 感染者用病床を確保するプロセス構築
- 緊急搬送先の初期診断場所構築プロセスの準備
- 医療機器業界の感染症災害対策の構築
V. 統合された総合医療需給マネジメントシステムの必要性(System:情報)
今回のパンデミックの状況下では、「医療用消耗品などの在庫がない」「ICUに必要な治療用医療機器が救急病院に不足している」といった、供給されるべき医療施設に製品や在庫がないという問題が発生しました。
非常災害時を想定し、「Staff(医療従事者)」「Stuff(製品・材料)」「Space(病床)」の情報と需要に対し、選定された品目の医療供給(在庫)情報を紐づけし、非常時には政府主導で供給先の優先順位をつけ、医療物流はその優先順位に従い供給を行うという「System(情報)」統合的な医療需給マネジメントシステムの必要性が高まりました。
それに対し医療機器業界では、製品のデジタルプラットフォーム構築ならびに在庫の見える化の必要性については、既に内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)内に設置されているスマート物流分科会で、関連企業を集めて議論が進んでいます。しかしながら医療機器業界は製薬業界に比べて参入企業が多く、卸企業で言えば、医療機器販売会社1,163社に対して製薬卸では売上1兆円を超える4大卸と呼ばれる企業で流通の多くを担うという違いもあり、医療機器流通のデジタル化再編の必要性が高まっています。
医療物流の見える化を推進する仕組みづくり
- 医療機器業界共通のデータベース化・プラットフォームの構築
- 医療機器物流のデジタル化再編・再構築
参考情報 医薬・医療機器各協会の会員会社数
日本医療機器工業会 | 129社 |
日本医療機器テクノロジー協会 | 276社 |
日本医療機器販売業協会 | 1163社 |
日本製薬工業協会 | 72社 |
VI. おわりに
COVID-19によるパンデミックが全世界にもたらすニューノーマル(with/afterコロナの新常態)に対して、医療提供における前提条件およびバリューチェーンの見直しはもはや必然となっていき、医療を統合的にコントロールする仕組みとテクノロジーの構築が必要になったと言えます。
また、医療のグローバル化が留まることなく進行していくなかで、急速な発展を遂げるアジアパシフィック地域での日本の医療機器メーカーはより存在感を増しており、日本国内と同様の貢献が求められています。同地域における医療流通と法規制の現状については、本稿とは別にまとめた「アジアパシフィック地域における医療機器産業の変化」と題したKPMGコンサルティングの論稿をご参照ください。
現在の医療を取り巻く環境のなかでは、これまでにない短い時間軸での規制緩和や人々の行動変容が促され、それを支える先進テクノロジーが社会に根付きそして受け入れられ、医療・医療機器産業の変革が加速度的に進化して行くことになるでしょう。
執筆者
KPMGコンサルティング株式会社
ディレクター 坂寄 茂樹
ディレクター 高木 康信