先端テクノロジーによる常時監査でグローバル経営管理の高度化を目指す
AIがリアルタイムですべての取引に目を光らせる常時監査が、現実のものとなりつつある。先端テクノロジーを活用した監査は、経営にどのような価値をもたらすのだろうか。
AIによる常時監査が、現実のものとなりつつある。先端テクノロジーを活用した監査は、経営にどのような価値をもたらすのか。
この記事は、「DIAMOND Quarterly Online(4月1日公開)」に掲載したものです。発行元である株式会社ダイヤモンド社の許可を得て、あずさ監査法人がウェブサイトに掲載しているものですので、他への転載・転用はご遠慮ください。
※取材内容、および登場する社員・職員の所属・職位は取材当時のものです。
全取引、リアルタイム監視を可能にするAI監査の実力
編集部:データ分析やAIなどを活用した次世代の会計監査が始まっていると聞きます。どこまで実装が進んでいるのでしょうか。
小川:先端テクノロジーを駆使した監査の目的は、財務諸表の重要な虚偽表示を見逃さないようにすること、つまり監査リスクの軽減です。その点においては、従来の会計監査と何ら変わりません。
これまでも会計監査人は、過去の事例を分析したり統計技法を用いるなどして、みずからの知識と経験に基づいて判断してきました。しかし、監査対象は企業活動の拡大や複雑化に伴って膨大し、結果として監査人が会計不正を見逃してしまうケースが相次ぎました。
企業が行う取引のうち一部だけを検証する試査や、リスクの高い領域を重点的にチェックするリスクアプローチといった従来の方法だけでは、監査に対する社会の期待に十分に応えられなくなってきています。
あずさ監査法人ではそうした期待ギャップを埋めるため、2014年に次世代監査技術研究室を新設し、先端テクノロジーを活用した監査技法の多様化に取り組んできました。
編集部:具体的には、どのような技術が用いられるのですか。
小川:先端テクノロジーというとどうしてもAIに目が向きがちですが、主眼は重大な誤謬や会計不正を見逃さないようにすることです。そのためにビッグデータ解析やRPA(Robotic Process Automation)による監査の品質向上および効率化も同時に行っており、「AIありき」ではありません。
たとえば、ERP(Enterprise Resource Planning)から財務データと非財務データを自動抽出して、そこに含まれる情報の関連性やログを分析する技法などがすでに実用化されています。KPMGがグローバルで開発し、実際の監査業務でも活用しているKAAP(KPMG Automated Audit Procedures)はその一つです。
とは言え、AIが次世代監査のキーテクノロジーであることは間違いありません。では、AIによって何が変わるのかといえば、過去の不正事例などのデータを機械学習することで、これまで見落とされていた異常取引までも発見できるようになると考えられます。試査に代わってAIがすべての取引を対象とする精査を行い、無数のデータを多面的に分析すれば、人間では気づかない関係性を識別することも可能です。
編集部:AIは疲れを知らないし、長時間労働を気にかける必要もない。働き方改革が進む監査現場のニーズにも合致しています。
小川:そのうえ学習機会が増えるほど精度が上がっていきます。現在のような監査は19世紀のイギリスで始まったといわれていますが、当時は取引量が少なく精査によって不正や誤謬を見逃さないようにしていました。ところが企業がどんどん大きくなって個々の取引を検証することができなくなったため、一部を抜き出してチェックする試査に移行した歴史があります。しかし、会計不正が後を絶たない現実は、この言わば代替的手法の限界を示しています。AIによる監査は、こうした問題を抜本的に解決すると期待されます。
編集部:経営者の関心は、そうした監査の高度化が企業にとってどのようなメリットをもたらすのかという点にあります。
小川:自社の事業や企業統治に関する新たな気づきが得られるようになります。たとえば、これまで当たり前だと思っていた取引の問題点を認識できるようになるかもしれません。
海外も含めて組織が大規模化するにつれて、企業活動の全体像をとらえるのが本社でも難しくなっています。異常な仕訳や出金があっても、月次の集計か悪くすれば四半期決算を待たなければわからないということも珍しくありません。
この問題を解決する一つの方法として期待されているのが、常時監査です。
企業のシステムと監査法人のAIシステムがネットでつながってデータをやり取りすることで、異常値があってもリアルタイムで自動的に把握できます。将来的にはリアルタイムで監査報告書が作成できるようになるかもしれません。
また、ビジネスプロセスとその結果が客観的なデータとして示されることで、自社の事業に対するより深い理解が得られます。どこにさらなる効率化の余地があり、どこに成長機会があるのかといったことまで洞察することも可能で、経営者の方が直接関心があるのはこちらのほうかもしれません。会計監査の高度化はリスク管理のみならず、事業を拡大するうえでも不可欠です。
海外不正リスク管理にシステム統合は不可欠
編集部:次世代監査の恩恵を受けるためには、企業側にもインフラ整備が必要となります。大きな成長が期待できない中、新たな負担には慎重にならざるをえません。
小川:たしかにデータを駆使した次世代監査を行うためには、会計伝票や総勘定元帳、契約文書といった監査の対象となるデータの標準化が欠かせません。しかし拠点やグループ会社内でばらばらのシステムを使っているのであれば、その現状こそが問題なのではないでしょうか。
もちろん一定以上の規模の企業であればERPはほぼ導入済みです。ところがその中身を見ると、国内のグループ会社間でもバージョンが揃っていないとか、カスタマイズの結果、別物のようになってしまっている場合も少なくありません。となれば、海外拠点の状況は推して知るべしでしょう。
いわゆる海外のグローバル企業は、買収したばかりの企業でも海外グループ会社でも、基本的には自社のプロセスやシステムをそのまま適用する。実に徹底しています。日本企業の生産性の低さが問題視されていますが、せっかく資金を投じてERPを入れながら中途半端な導入や運用に留まっていることも一つの要因でしょう。
経理、財務だけの問題ではありません。情報システムは人間の体に例えれば血管であり、神経です。隅々まで張りめぐらせて、情報を集めて経営の判断に活かすと同時に、グループ全体に統制を利かせる。グローバルで事業を展開するうえでは、海外も含むグループ全体でいま何が起きているのかを、時間を置かずに把握することが欠かせません。
自律分散や権限委譲と言えば聞こえはいいかもしれませんが、結果ガバナンスが効かず、不正の温床ともなりかねない。長期的な視点に立てば、プロセスとシステムの統合によるグローバル経営管理の高度化は避けては通れない道です。
編集部:日本企業による海外企業買収では、統合し切れずに期待したようなシナジーが実現できないケースが散見されます。システム統合が進まない現状は、クロスボーダーM&Aにおける課題を象徴しているようです。なぜ統合が進まないのでしょうか。
小川:厳しい言い方をすれば、現場に遠慮をしすぎて、やり切る覚悟がないからではないでしょうか。
統一システムを導入しようとすれば、多くのグローバル企業がそうしているように、グループ全体で業務プロセスも標準化する必要があります。つまり、現場にとっては仕事のやり方が変わるということです。当然、抵抗が予想されるし、しばらくの間は効率が落ちることだってあるでしょう。
そもそもハイコンテクストのコミュニケーションで運営されている日本企業では、標準化されたルールやプロセスが存在しないことも珍しくありません。
しかし、標準化とそれによるデータの一元管理は、そうした課題を克服してでも達成する価値のあるものです。同じルールでつくられた、リアルタイムの数字を見て経営判断が下せるようになれば、意思決定の質とスピードが飛躍的に高まる。早さと速さこそが価値を持ついまの時代、これは間違いなく競争優位につながります。
さらに、日本企業の海外グループ会社管理によく見られる2つの悪い癖の解消にも、標準化とデータの一元管理は効果を発揮します。
一つは、本社から送り込まれた人材が現地のマネジメントに入り込めず、蚊帳の外に置かれるパターン。こうなると現地にいても情報が入ってこないし、本社にも「問題なし」としか報告できません。しかし、客観的なデータをもとに管理できるようになれば、本社が直接問題を把握して必要な手を打つこともできます。
もう一つは、現地に入れ込みすぎて、判断にバイアスがかかってしまうパターン。現地マネジメントはよくやってくれている、優秀だから間違いないと安易に結論付けてしまいがちです。
システムを通してこうしたバイアスを排除することで、誰の目にも明らかな客観的な事実をつかめるようになります。
会計不正を後から検証すると、たいていはおかしいと感じていた人が何人もいるものです。ところが先のようなバイアスがじゃましたり、誰かが「問題ない」と言っているから大丈夫だろうと思って見過ごされるケースが多い。
しかし、数字を積み重ねれば、事実と向き合わざるをえなくなります。たとえ単年度ではわからなくても、時系列で見れば、おかしな点は必ず浮かび上がる。思い込みの罠を防ぐうえで、データは極めて有効です。
テクノロジーを味方に直観力を磨け
編集部:人間は過ちを犯す生き物で、先入観や思い込み、都合の悪い情報を無視して何事もないと考える認知バイアスは、ヒューマンエラーを引き起こす要因の一つとして知られています。しかし、自分で見たことや聞いた話よりも、データに頼ってしまうのもまた問題ではないでしょうか。将来、経営判断さえもAIが下すようになれば、経営者は必要なくなります。
小川:長年培ってきた経験や直観による経営者の判断と、データに基づいた分析や判断は、トレードオフの関係ではなく、補完関係にあると私は考えます。
就任を機に現場に足を運んで、現場の声を聞く新社長は多いですよね。でも、中小企業ならばともかく、世界に点在する拠点を回ろうとすれば、主要なところだけでも相当の時間を要することになる。いまの時代、最初の1年間は勉強だなんてのんきなことは言っていられないはずです。そうかといって現場を知らなければ判断を誤るおそれが高いし、リポートラインを通した状況把握にも限界がある。ならば、経営者としての直観とデータを突き合わせて、ギャップがあればそれを解消すればいいはずです。
経営にはサイエンスだけでなくアートが必要だといわれますが、日本の優れた経営者は皆さん直観力に長けている一方で、サイエンスの部分が少し弱い気がします。CFO出身でもない限り、財務や会計に精通していないのは仕方がないし、そこは信頼できる人間に任せればいい。しかし、数字そのものに弱いのは重大な問題です。
創業経営者は総じて数字に強い傾向があります。会計知識があるわけでもないのに、月次決算の数字を見ながら、これはおかしいと指摘して周囲の人間をどきっとさせたりする。ゼロから立ち上げて、事業のことも資金のこともすべて自分で見てきたから、わざわざMBAで学ばなくても、実地でサイエンスのスキルを身につけることができたのでしょう。
同じことを、所属部門で実績を上げて上り詰めた社長に望むことは難しいかもしれません。だからこそデータの力を最大限に活用しながら、アートもサイエンスも磨き込んでいく必要があるのではないでしょうか。
監査人にも同様に、アートとサイエンスの融合、つまり直観とデータを読み解く力の両方が求められます。私のようにデータ分析がない時代に育った会計士は、主体はあくまで自分であって、データに助けてもらっているという感覚ですが、このままデータ活用が進めば、遠くない将来、データのみに依存してしまう会計士が出てこないとも限りません。しかし、そうした会計士がAIに代替されるのは時間の問題でしょう。
監査は監査基準に則って行われますが、一部の項目については正確に測定することができないので、「見積もり」が必要となります。たとえば投資の減額や、のれんや無形資産の公正価値の算定などで、ここに経営者の予測、判断、そして意思が入り込んできます。監査人はその実現可能性を分析して判断しなければなりませんが、その時頼りになるのが経験と知識に基づく直観です。
データも先端技術も存分に活用しながら、プロフェッショナルとしての自分を信じることが、経営者にも監査人にも求められているのだと思います。
図表 VUCA時代の経営者チェックポイント
1 ビジネスの理解(会社が何をしているかわかっているか) |
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□グループ会社の隅々まで(孫会社まで)ビジネスを理解できているか。 |
2 理解の裏付け(想像や思い込みではないか) |
□ビジネスの理解は客観的なデータにより裏付けられているか。 |
3 スピード(判断する時にデータはあるか) |
□意思決定のスピードにデータはついてこれるか。 |
4 属人性の排除(問題なしという報告で終わっていないか) |
□人による管理に依存しすぎていないか。 |
5 経営判断との融合(イメージと整合しているか) |
□経営者の直観・判断はデータおよびAIにより補完されているか。 |
人間の関わり方が重要になる
編集部:今年(2019年)の世界経済フォーラムでは、AIが世界中の不平等を悪化させる可能性が議論されました。AIやビッグデータを数学的破壊兵器と呼ぶ数学者もいます。過激な言い回しはともかく、アルゴリズムの不透明さや偏ったデータセットによる潜在リスクに警鐘を鳴らす意見は、根強くあります。監査や経営においても、理念やモラルが見失われるおそれはありませんか。
小川:そうしたリスクがあるのは事実でしょう。ナイフやハサミは私たちの生活には欠かせないものですが、使い方次第で人を傷つける凶器にもなるのと同じです。だからこそ、人間がどのように関わるかが重要になるのではないでしょうか。
経営者であれば、理念やビジョンという軸を見失わず、それらに基づいてデータをとらえ、行動につなげること。会計士であれば、資本市場の根幹を支える存在であるという自負を忘れずに、監査のグランドデザインを描き、経営者のパートナーとなって目標の実現に貢献すること。こうしたことは人間にしかできないし、そのために鍛錬を積み重ねていく以外にないと考えています。
日本発の次世代監査を追求する
編集部:AIやビッグデータの活用では、アメリカや中国に比べて日本の立ち遅れが目立ちます。監査の分野においても、同じような状況なのでしょうか。
小川:率直に言って、そうした事実があるのは否定できません。KPMGでは2011年頃より、データ分析のためのさまざまなツールのR&Dに着手しており、私たちあずさ監査法人もメンバーファームの一員として協力してきました。
その成果の一つが先ほどお話ししたKAAPで、ほかにも仕訳の分析を自動化して可視化するツールなど、独自のツールや技法を実際の監査業務で活用しています。
ただ、ベースとなる企業環境や企業が利用しているシステムおよびデータがグローバルのものを前提としているので、そのまま日本で使おうとすると必ずしも当てはまらない場合があります。
ただ適用しているだけでは日本に知見がたまりません。データ分析やAIによる推定が正しかったかどうかを検証し、それを手がかりにさらに進化させるためには、日本独自のデータやシステムを開発して実用化する必要があります。
ですから次世代監査技術研究室では、ITの専門家やデータサイエンティストなど会計士以外がメンバーの3分の2を占めています。それぞれの分野のプロフェッショナルが三位一体となって高度なデータ分析に取り組むことが、日本の監査の高度化と効率化につながると考えています。
編集部:会計監査と密接な関係にある内部監査の領域では、ITコンサルティングファームやSIベンダー系も技術力を武器に、事業を強化しています。次世代監査におけるあずさ監査法人の強みは何でしょうか。
小川:近年、監査役監査、内部監査、会計監査の三様監査の連携についてさまざまに議論されていますが、それぞれの異なる目的を明確にしたうえでコミュニケーションを深める必要があるのは論を待ちません。先ほどお話ししたような会計監査の新しい技法とその結果を共有し、将来的に内部監査においてもKAAPなどのシステムを導入すれば、たとえば異常な取引があっても発生と同時に検出することも可能になります。こうしたスムーズな連携は、監査法人を母体とする我々だからこそできることです。
さらに言えば、問題を発見するだけでは企業の健全な成長にはつながりません。異常な会計処理を検知したのであれば、その背景に何があるのかを推察して調査を行い、再発防止を支援する。そこまでやって初めて、問題の解決に貢献したといえるはずです。
総合力をもって真のパートナーとして経営に寄り添うことができる----これが私たちの最大の価値だと考えています。
対談者
有限責任 あずさ監査法人
次世代監査技術研究室 室長
小川 勤