物価上昇に伴う退職給付水準改善の動きと留意点

近年の物価上昇に伴い、退職金の水準が相対的に目減りし、従業員が将来に対して感じる不安を助長する可能性があります。この現状が注目され、退職給付制度の改善に取り組む企業が増加中です。本稿ではその状況に触れるとともに、給付改善の事例の紹介とその際の留意点について解説します。

年の物価上昇に伴う退職給付制度の改善の取り組み状況、および給付改善の事例の紹介とその際の留意点

はじめに

近年、物価上昇に伴い賃金も上昇していますが、退職給付制度は賃金上昇に連動しないケースが多く、結果として退職金の水準が相対的に目減りする恐れがあります。このため、老後の備えとしての退職金が不十分になり、従業員が将来に対して感じる不安を助長する可能性があります。この現状が注目され、退職給付制度の改善に取り組む企業が増加中です。
本稿ではその状況に触れるとともに、給付改善の事例の紹介とその際の留意点について解説します。

本稿のポイント

  • 物価や賃金が上昇しているなかで、退職金の金額が変わらないため、相対的に退職給付水準が低下していることが注目され始めている。
  • 実際の改善事例としては、ポイント制におけるポイントテーブルや単価の増額、キャッシュ・バランス制度(CB制度)における再評価率の引き上げ(時限的な措置を含む)、また確定拠出年金(DC制度)の導入・拡大などが挙げられる。
  • 給付水準の改善を行う場合は財務インパクトをしっかりと把握しておくことが重要である。

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Ⅰ.物価・賃金上昇を背景とした退職給付制度の見直し

現在、日本では物価の急騰と人手不足が進行しており、多くの企業が賃金引き上げに注力しています。この賃金上昇は従業員の生活の質を向上させる重要な要素ですが、最近では退職給付制度の水準についても話題に上がることが増えています。特に企業の労働組合からは、退職給付水準の改善が求められるケースも多く見受けられます。

かつての日本の退職金制度は、基本給に連動する最終給与比例制度が主流であり、ベースアップに伴い退職金が自動的に増加する仕組みでした。しかし、この制度はベースアップ時に意図しない退職金増加を招き、経営上の問題となることがあり、基本給との分離が求められるようになりました。さらに、成果主義の導入が進むにつれて、退職金額にも企業への貢献度をより反映したいとの要望が高まってきました。その結果、近年では基本給とは連動しないポイント制やCB制度が主流となり、ベースアップがあっても退職金の水準が上昇しないケースが増えています。この変化は、昨今の物価上昇環境と相まって退職金水準の相対的な低下を引き起こし、従業員の退職後の生活の準備に不安をもたらすだけでなく、人事担当者にとっても、優秀な人材の確保や定着に向けた新たな戦略を考える必要性を強調しています。

こうした状況を踏まえ、退職給付制度の改善に積極的に取り組む企業が増加しています。企業は退職給付制度を充実させるために制度の見直しを進め、その結果、従業員の安心感やウェルビーイングの向上を目指しています。退職給付制度の見直しは単なるコストの増大ではなく、企業の持続可能な成長を支える大切な要素であることを意識することが重要です。退職給付制度の見直しを進め、優秀な人材の確保と定着を図ると共に、従業員が老後を含めて安心できる環境を整えることは、企業の成長に資する重要な要素であると言えます。

Ⅱ.実際の改善事例

退職金制度の給付改善に向けた動きが進展しているなか、ここでは最近よく見られる給付改善事例として、ポイント制、CB制度、DC制度の3つにおける施策について紹介します。

1.ポイント制:ポイントテーブルおよびポイント単価の増額

まず、よくある事例の一つがポイント制におけるポイントテーブルおよびポイント単価の増額です。ポイントテーブルの増額は、将来付与するポイント額を見直すことを意味し、等級や勤続年数ごとに自由に増額可能である点が特徴です。また、過去に積み立てたポイントの累計には影響を与えません。これにより、企業の新たな負担は将来分に限定されるものの、過去に積み立てた分については近年の物価上昇に対する対応が不十分になる可能性があることに留意が必要です。

ポイント単価を増額させる場合は、企業の負担が増大しますが、過去のポイント累計にも影響を与えるため、過去分と将来分の両方で給付改善が実現します。ただし、ポイントテーブルと異なりポイント単価の増額は基本的に全員一律で適用されることに留意が必要です。例えば定年退職直前の従業員は給付改善を行う必要がないケースは多いですが、従業員はそのメリットは享受することになります。また、給付改善の直前で定年退職した従業員はそのメリットを享受できないため、不公平が生じないか等についても検討が必要となります。なお、ポイント単価については上記のとおり、一般的には一律での適用となっていますが、制度変更時点における将来分と過去分のポイント単価を変える制度設計も可能であり、各企業の制度方針によっては有効な選択肢になり得ることがあります。

【財務への影響】

また、退職給付制度を改定する場合、退職給付債務(PBO)や勤務費用は数理計算で算出されるため、想定以上の大きな影響が出るケースもあり、事前にしっかりとシミュレーションをしておくことが重要です。ポイントテーブルを変更する際は、PBO計算の期間帰属方法によって過去勤務費用の発生有無が異なることも注意が必要です。例えば、給付算定式基準のなかで、将来のポイントの累計を織り込まない方法(均等補正なし)を採用している場合、PBOは実質的に過去の累積分のみから算定されるため、PBOは変動せず、過去勤務費用は発生しません。一方で、他の期間帰属方法を採用している場合は、将来の積み上がりがPBOに影響を与え、過去勤務費用が発生することとなります。

費用についてはポイントテーブルを増額させる場合も、ポイント単価を増額させる場合も、いずれも基本的に上昇することが想定されます。

改善内容 過去給付 将来給付 退職給付債務 費用
ポイントテーブルの増額 維持 上昇

給付算定式基準(将来のポイントの累積を織り込まない方法:均等補正なし):維持

上記以外:上昇

上昇
ポイント単価の増額

上昇

上昇

上昇 上昇

2.CB制度:再評価率の引き上げ

次にCB制度の事例を紹介します。CB制度での事例としては、仮想個人勘定残高に繰り入れる額を増加させるケースがある一方で、再評価率を引き上げるケースも目立っています。CB制度の特徴は、これまでに累積した残高(仮想個人勘定残高)に対して再評価率に基づく利息が付与される点です。この再評価率について、「10年国債利回り」から「10年国債利回り+0.5%」といったように引き上げる事例があります。これにより、物価上昇によって既に積み立てた分の価値が目減りしないように対応しています。また、DB制度を実施しており、年金財政上、積み立て超過にある場合にその超過分を活用することを目的として、3年等の時限的措置として再評価率を高く設定するケースも見受けられ、この場合、時限的措置期間の再評価率はかなり高く設定する事例が多いことが特徴的です。

加えて、再評価率は大半が国債の利率に連動する設定(国債の利率に一定率を加える、上下限を設定するケースを含む)となっていますが、運用実績や消費者物価指数に連動させることも可能です。実際にこの方法が採用されているケースは少ないものの、今後は選択肢の1つとなる可能性が考えられます。

【財務への影響】

再評価率を引き上げた分、PBO、費用共に上昇が見込まれます。

改善内容 過去給付 将来給付 退職給付債務 費用
繰入額の増額 維持 上昇

給付算定式基準(将来の拠出付与額を織り込まない方法;均等補正なし):維持

上記以外:上昇

上昇
再評価率の引き上げ

上昇

上昇

上昇(※) 上昇(※)

※時限的措置とする場合、退職給付債務や勤務費用の計算に織り込むことが実務的に困難な場合があり、監査の重要性等を勘案し、簡便的に処理するケースも実務的には見られます。

2-3.DC制度の拡大

最後にDC制度の状況を紹介します。DC制度は従業員自らが運用を行い、その結果を享受する制度です。従来、この制度は主に企業が年金資産の運用リスクを低減するための手段として導入・拡大されてきました。しかし、最近では株式運用が物価上昇に連動する特性を持つことから、インフレに対する耐性を備えた制度としても注目されるようになり、DC制度の導入・拡充が一つの選択肢として浮上してきています。また、最近の運用環境は好調であり、元本保証の商品でも一定の利回りが得られるようになってきたことが、DC制度導入・拡充のハードルを引き下げる要因の一つとなっています。

さらに、2024年12月の改正(他制度掛金相当額の導入)により、確定給付型年金(DB制度)とDC制度の両方を採用している企業の多くが、DC制度の掛金拠出限度額が引き上がりました。また月額55,000円の上限も上昇する見込みであることからも、DC制度の活用拡大を検討しやすい環境になっています。

加えて、マッチング拠出や個人型確定拠出年金(iDeCo)の活用にも注目が集まっています。マッチング拠出(事業主が拠出する掛金に加えて、従業員自らが追加的に拠出する掛金)では事業主掛金を超えて拠出することが可能となり、iDeCoの拠出限度額も企業型DCと同一の基準に統一される改正が予定されています。このような動向を背景に企業はマッチング拠出やiDeCoの積極的な活用を促すとともに、例えば、マッチング拠出枠が少なくなる役職者等のDC掛金が高い従業員に対しても掛金拠出枠を一定程度残す工夫(その分は退職一時金制度やDB制度での積み立てを行う等)をすること等により、従業員が自助努力しやすい環境を整えることも大切な視点と考えるようになってきました。今後は更に企業と従業員が共に協力し合うことで、必要な水準の退職金を確保できるよう効果的な制度構築が求められてくるものと思われます。

【財務への影響】

財務上、DC制度は掛金を費用処理すること(貸借対照表への計上は不要)になりますので、現在のDC制度の事業主掛金を単純に増加させる制度変更の場合、当然のことながらその分費用が増加することになります。一方で、マッチング拠出やiDeCoは従業員が拠出するものですので、これらの掛金が増加したとしても企業側の費用は基本的に変わらないことになります。

注意が必要なケースとしては退職一時金やDB制度からDCへ全部または一部を移行する場合です。この場合は退職一時金およびDB制度の減少とDC制度の増加が同時に起こるため、会計処理や費用発生が複雑になることが多く、専門家を入れた入念な整理、シミュレーションを行うことが必要と考えられます。

財務への影響はまず過去分も含めてDCに移行させるか、それとも将来分のみをDCに移行させるかで取り扱いが異なります。過去分も含めて移行させる場合、会社からDC制度への過去分の拠出、またはDB制度からDC制度へ年金資産の移換が発生することになりますので、会計上は全部終了または一部終了となり、これに伴う一時損益が発生します。また、退職一時金およびDB制度に係るPBOは減少することとなります。

一方で将来分のみをDCに移行する場合、一部終了等の取扱いとはならず、PBOが減少する場合にはその額を過去勤務費用として処理することとなります。なお、PBO計算上、期間帰属方法として給付算定式基準の将来のポイントの累積を織り込まない方法を採用し、かつ均等補正を行っていない場合は退職一時金およびDB制度に係るPBOは変動しないことが想定されます。

DC移行後に発生する毎年の費用としては制度設計内容により増加する場合も減少する場合も考えられます。ただし、DB制度からの移行の場合、近年、年金資産から得られる運用益が減少する影響が大きく、費用が増大するケースが散見されていますので、十分に留意が必要です。

改善内容 移行時における一時費用の発生 退職給付債務 費用
DC掛金(事業主拠出)掛金の増加 なし(※1)

影響なし

(DC制度はBS計上不要)

上昇
マッチング拠出、iDeCo(従業員拠出)掛金の増加 なし(※1)

影響なし

(DC制度はBS計上不要)

維持
退職一時金またはDB制度からの移行 過去分を含めて移行 全部終了または一部終了による一時損益が発生 減少 制度設計内容による
将来分のみを移行 過去勤務費用が発生 減少(※2) 制度設計内容による

(※1)DC制度を新規導入する場合における導入費用等を除く
(※2)退職一時金またはDB制度のPBO計算の期間帰属方法として将来の拠出付与額を織り込まない方法を採用しており、かつ均等補正なしの場合、PBOは変動しないことが考えられる。

Ⅲ.最後に

近年の物価上昇を背景に、多くの企業が退職給付制度の改善に取り組み出し始めました。本稿で紹介した改善事例は、単なる施策の例にとどまらず、企業の持続可能な成長に直結する要素とも考えられます。退職給付制度の見直しは、従業員の老後に対する安心感を高めるだけでなく、優秀な人材の確保や定着にも寄与します。従業員が安心して働ける環境を整えることで、企業の競争力が向上し、長期的な成長につながるのです。しかし、退職給付制度の変更がもたらす財務への影響は想像以上に大きくなることがありますので、事前に会計数値の変動シミュレーションを十分に行うことが不可欠です。企業ごとの状況や過去の退職金制度の背景を考慮しつつ、適切な改善策を講じることで、企業と従業員の両方にとって有益な結果を生むことが期待されます。本稿が、今後の退職給付制度の改善に向けた参考となれば幸いです。

執筆者


有限責任 あずさ監査法人
金融アドバイザリー事業部
ディレクター 普照 岳