インパクト投資のさらなる拡大には、エコシステムの醸成と評価手法の確立・普及が急務

近年、インパクト投資※1は、社会・環境課題の解決と財務的リターンを両立させる投資モデルとして世界的に成長を続けています。その成長の勢いは凄まじく、2024年の世界のインパクト投資運用資産残高は1兆5,710億ドルに達しました※2。特にヘルスケア分野における投資ニーズは高く、セクター別の投資家数(2024年)をみるとヘルスケアが最も多く、注目度は他のセクターと比して群を抜きます※3

他方、個別の取組みに関する社会的インパクト評価の事例はいくつかあるものの、社会的インパクト評価に関する合意形成や指標整備は遅れており、それがインパクト投資のさらなる拡大を妨げる一因ともなっています。インパクト投資やインパクト・エコノミーを推進するグローバルネットワーク組織であるGSG Impactも、日本におけるインパクト投資に関連する課題として3つの不足があると捉えており、そのうちの1つとして「社会的インパクト評価の手法の未確立と普及・活用の不足」があると指摘しています※4

この課題解決には、いまだ十分な土台が確立できていないインパクト投資のエコシステムを充実・発展させていくことが不可欠です。ルール形成や事例発信のほか、インパクト投資の原則や実践を学ぶ教育プログラムを実施する、民間からのインパクト投資を促進するべくブレンデッドファイナンスのための新しいファンドを立ち上げる等、政策・施策の提案や制度化の着実な企画・実行が強く期待されています※5。とりわけ、インパクト評価の手法の確立・普及のため、インパクトの測定と管理を体系化するインパクト測定・マネジメント(IMM:Impact Measurement and Management)の実践や枠組みが、投資家、ヘルスケア事業者、政策立案者など、国際社会のあらゆるステークホルダーから切望されています。

多様なステークホルダーによる、社会的インパクト評価手法の確立に向けた試行錯誤

世界的な潮流となっているインパクト投資の可能性をさらに広げようと、国際機関、政府機関、民間企業など多様なステークホルダーが取組みを進めています。例えば、国際金融公社(IFC:International Finance Corporation)が2019年4月に策定した「インパクト投資の運用原則」(Operating Principles for Impact Management)は、象徴的な施策です。同原則は、インパクト投資に取り組む金融事業者にとっての羅針盤となっており、2024年10月時点で40ヵ国から185の金融事業者等が署名しています※6。さらに、2021年にはIFCがGlobal Impact Investing Network(GIIN)や主要なインパクト投資家と協力し、「共通インパクト指標」(Joint Impact Indicators)を発表するなど、インパクト投資における評価の共通化を図る取組みが進んでいます。

日本も、こうした動きに合わせ、インパクト投資の促進に力を注いでいます。首相官邸は2022年9月に「インパクト投資とグローバルヘルス」に係る研究会を立ち上げました。その最終報告書では、グローバルヘルス分野におけるインパクト投資促進のための機運醸成・環境整備に向けた取組みをG7で打ち出すという提言がなされ、2023年に開催されたG7広島サミットで「グローバルヘルスのためのインパクト投資イニシアティブ」(Impact Investment Initiative for Global Health:Triple I for Global Health)の立ち上げが宣言されました。その後、同年9月にはTriple I for Global Healthが始動し、現在は日本が同イニシアティブの事務局を務めています。また「新しい資本主義」の理念のもと、2022年に設置された新しい資本主義実現本部では、「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画・フォローアップ」にインパクト投資の推進を盛り込み、グローバルヘルス分野において投資インパクトの可視化に着手するとしています。

このような政策動向と並行して、ヘルスケア関連の民間企業においても、社会的インパクトの可視化に向けた挑戦がみられるようになっています。海外では、Johnson & Johnson社らが、いち早く自社事業による社会への影響を定量的に評価し、自社レポートとして発表しているほか、Fitbit社らは外部研究機関と連携し、科学的データに裏打ちされた形で自社サービスの健康増進効果を提示しています。また社会的インパクトを金銭的価値で評価するための方法論を体系的にまとめる団体もみられます。さらには企業の社会的パフォーマンスを評価し認証を与える第三者機関も登場してきています。

日本国内に目を向けると、オムロン社は同社製品活用による健康寿命の延伸に係る詳細なロジックモデルを公開しています。またエーザイ社は、リンパ系フィラリア症治療薬(ジエチルカルバマジン:DEC錠)の無償提供による社会的インパクトを数値化し、非財務資本の見える化としてインパクト加重会計を公表しました。その他スタートアップ企業の動きも見逃せません。シニアホームを運営する笑美面社が東証グロース市場へのインパクトIPOを果たしたほか、Ubie社は自社事業が健康寿命延伸に与える影響を推計し、その経済価値を対外的に公開しています。

国家プログラム等に連動した社会的インパクト評価が、さらなるインパクト投資拡大へのカギ

これまでヘルスケア企業における社会的インパクト評価の事例を見てきましたが、各活動に伴うアウトプット指標ではなく、中長期的なアウトカム・インパクト指標を設定し、科学的手法を用いて評価を行うケースはまだ多くみられません。いわずもがな、各国政府や国際機関等が掲げる中長期目標と照らし合わせ、自社の製品・サービスがどのように社会的インパクトを与えるのかを推計する試みは限定的といわざるを得ません。この背景には、標準化されたインパクト評価基準の欠如や、健康やウェルビーイングの向上という中長期的な社会的リターンを可視化することの難しさ、また一団体の小規模な活動と壮大な国家・国際目標との明確なつながりを証明することが困難であること、といった課題が存在します。このような状況下では、投資先を決めるうえで重要になる類似案件との比較や投資効果の測定が難しくなり、投資家にとっても望ましい状況とはいえません。つまり、投資家にとっても、事業者にとっても、納得感のある評価方法が確立できないと、ヘルスケア分野への投資を躊躇させる事態につながりかねないと言えます。

事業者が現状取り組める、かつ取り組むべきなのは、可能な限り事業実施前からステークホルダーと対話を重ね、ロジックモデルやセオリー・オブ・チェンジを作成し、目指すべき社会的インパクトへの道筋を可視化することです。そのうえで適切なアウトカムを設定し、それに伴う評価指標と測定方法を定めていく必要があります。事業の前後で評価デザインに沿ったデータを収集し、限られた時間や予算のなかで可能な限り科学的手法でデータ分析を行い、その結果をステークホルダーに報告することが重要です※7

将来的に、各社の社会的インパクト評価をあらかじめ国家プログラムが想定する政策評価に連動させる仕掛けを築くことができれば、官民が連携し、これら数値の持つ価値を共有する環境が整います。これにより、さらに多くの企業が社会的インパクト評価に前向きに取り組むようになると期待されます。結果的に、民間資金含め、より多くの資金をヘルスケア領域の事業に投じ、持続可能な方法を用いて健康やウェルビーイングの達成に貢献していく、そのような世界を築くことができるでしょう。

※1:リスクとリターンの2軸で価値判断を行う投資に、投資の結果として生じる社会的・環境的インパクトという3つ目の軸を取り入れ、「財務的なリターンと並行して、ポジティブで測定可能な社会的・環境的インパクトを生み出すことを意図して行われる投資」が、インパクト投資として定義されている。
※2:「Sizing the Impact Investing Market 2024」(The Global Impact Investing Network)
※3:「State of the Market 2024: Trends, performance and allocations」(Global Impact Investing Network)
※4 ※5:「インパクト投資拡大に向けた提言書2019」(GSG国内諮問委員会)
※6:「Signatories & Reporting」(Operating Principles for Impact Management)
※7:「社会的インパクト評価の概要」(特定非営利活動法人ソーシャルバリュージャパン)

※KPMGジャパンが7月以降発表予定の続編レポートでは、特定の事業を取り上げながら、インパクト投資を促進していくためのエコシステム醸成の方法を提示することを検討中です。

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執筆者

あずさ監査法人
アドバイザリー統轄事業部
ディレクター 小柴 巌和
シニアアソシエイト 牧之内 純子
シニアアソシエイト 加藤 優果

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