数多くのスポーツ施設やスポーツクラブなど有形無形のアセットを有する長野市。市長の荻原健司氏は数多くの国際大会で活躍した元スキー選手です。
KPMGコンサルティングは2024年11月に長野市と連携協定を締結し、市が基本理念として掲げる「スポーツの力で未来をつくるまちNAGANO」の実現をサポートしています。荻原市長と、KPMGコンサルティング ビジネスイノベーション統轄 佐渡誠、アソシエイトパートナー 土屋光輝の3人が、スポーツを軸としたまちづくりのポテンシャルと未来像について議論しました。
左から KPMG 土屋、佐渡、長野市長 荻原氏
スポーツの稀有な価値をまちづくりに生かす
―長野市がスポーツを軸としたまちづくりに取り組むことになった、経緯と背景を教えてください。
長野市長 荻原氏
佐渡:日本政府は2016年に日本再興戦略の一環として「スポーツの成長産業化」の方針を掲げました。これはスポーツを単なる競技や娯楽にとどまらせず、経済成長を支える産業として発展させることを目的としたもので、まさにKPMGもその考え方に賛同してさまざまな地域でその支援を行ってきました。
一方で欧米と比べると、日本はスポーツを「産業」として捉えることが苦手で、取組みの進展が遅いことも事実です。象徴的な成功のモデルケースがあればそのスピードは加速するはずですから、私たちも今回の連携協定を通じてそこに貢献したいと考えています。
荻原氏:長野市は1998年に長野オリンピック・パラリンピック冬季競技大会が開催されたまちで、今も多くのスポーツ施設とあわせ、開催都市としての経験と誇り、スポーツとの距離の近さ、ボランティアマインド、官民連携といったDNA が残されています。また、市街地と豊かな自然環境の両方が備わってもいます。私はスキーヤーとして世界各地を見てまわりましたが、これだけスポーツ環境が整ったまちはそうそうないと感じます。
この強みをベースにしてさまざまな価値を生み出すことで、老若男女が健康と幸せを感じられるまちをつくれるのではないかと感じたのが、取組みのきっかけです。
KPMG 佐渡
―どのような取組みを行っているのでしょうか?
荻原氏:市内のすべての小中学生を対象に30,000円相当の電子ポイントを配布し、子どもたちのチャレンジを応援する「みらいハッ!ケンプロジェクト」があります。この電子ポイントは習い事やキャンプなどの体験プログラムで使うことができます。また、プロ選手のハイレベルなプレーを生で見てもらうため、市内の小中学生5,000人をプロバスケットボールチームの試合に招待する「キッズドリームデー」を実施するなどしています。
私自身、体験を重視しており、体験こそが人を作るという信念を持っています。1998年の長野オリンピック・パラリンピック冬季競技大会を開催した理念の1つに「子どもたちの参加」が盛り込まれていました。それが今でもしっかりと根付いているのが長野市であり、時代が変わってもさまざまな体験を提供し、子どもたちを応援する事業として取り組んでいます。
あわせて、地元プロスポーツチームの発展と地域活性化の両立を目指して、連携強化を進めています。
土屋:海外の成功事例では、スタジアムやアリーナを中心に据え、そこからもたらされる価値を地域の経済活性化や課題解決に結びつけるケースがよく見られます。
たとえばアメリカのあるアリーナは、単にスポーツイベントを行うことを目的とした場所ではなく、多目的に活用することを前提に建設されました。周辺にオフィスビルや住宅、商業施設などが続々とできることで地域に活気をもたらしています。
オランダのアリーナでは、サッカーやコンサート等による安定した興行収入を確保しつつ、そこから得られるデータを公共機関、民間企業、アカデミアなどで共有しています。それにより、セクションを越えた協業がイノベーションを促進し、イノベーションエコシステムとして、多様な価値を創出しています。
KPMG 土屋
日本でもスタジアム周辺に商業施設や宿泊施設を併設して複合化、観光地化し、スタジアムを中心に官民連携でオフィスやマンションを誘致したまちづくりの事例も出てきました。また、広島市では、平和都市としてのアイデンティティをスタジアムの壁画で印象的に表現するなど、スポーツを軸とした地域へのロイヤリティを効果的に創出する事例も出てきています。
佐渡:試合やイベントのたびに数万人規模の人が集まるような場所は、スタジアムやアリーナ以外になかなかありません。テレビなどを通して参加する人も合わせれば、数十万規模の人のつながりが生まれます。この得がたい価値を持つプラットフォームを産業発展に最大限に生かす発想が、スポーツを通じたまちづくりでは肝になります。
「スポーツ×◯◯」によるさまざまな相乗効果
―今回の連携協定の背景と今後の動きについて教えてください。
荻原氏:KPMGコンサルティングには、以前からスポーツにかかわる複数の事業を依頼しています。世界的な規模でいろいろな知見を持つ会社で、目指す方向性も長野市と重なると感じていました。今後は「日本屈指のスポーツタウン」の実現に向けて、さらに連携強化できればと思っています。
土屋:具体的には、大きく4つの取組みを進めています。
1つ目は、長野市はハードソフト両面においてスポーツのコンテンツが揃っていますが、ハード面から、各種大規模スポーツ施設の現状を把握し、それぞれの施設のコンセプトを明確にすることで、今後のスポーツを軸としたまちづくりの未来を見据えた短・中・長期の目指すべき利活用方針の策定などを支援しています。
2つ目はソフト面から、長野市の複数のプロスポーツチームと行政が一体となった地域活性化です。より効果的な取組みとするため、プロスポーツチーム側とも密にコミュニケーションをとり、クラブの方向性を指し示す価値創造ストーリーやロードマップの策定などを支援しています。
3つ目は、各種スポーツを起点としたツーリズムによる交流人口の増加や、周遊による地域経済の活性化です。スポーツだけでなく長野市の観光地をどう周遊してもらうか、スポーツツーリズムの観点から戦略策定を行っています。
こうした取組みが絵に描いた餅となっては仕方がないため、4つ目はスポーツ経営人材の育成と育成環境の整備です。この4つを、連携協定という大きな枠組みのなかで横断的かつ統合的に推進することで、スポーツを軸としたまちづくりを進めています。
荻原氏:グローバルも含めたまちづくりの知見やデータは、政策をつくるうえでも強力な後押しとなります。そうしたエビデンスベースの政策は、市民や議会に説明を行う際にも、政策の理解や浸透のスピードを高めることにもつながります。
佐渡:市長の強いリーダーシップとビジョンに共鳴し、日本のスポーツを軸としたまちづくりのモデルづくり、ひいては世界が注目する新しいまちづくりのモデルづくりにご一緒できることを嬉しく思っています。長野市のポテンシャルの大きさも、取組みを力強く後押しすると考えています。
「長野市らしさ」を軸に
―長野市におけるスポーツを軸としたまちづくりでは、スポーツと何かを掛け合わせることで相乗効果を生み、人とまちが好循環することを目指しています。想定している「スポーツ×◯◯」の例を、いくつか教えてください。
荻原氏:スポーツと同様に、成長の余地が大いに残されていると感じるのが「観光」です。
たとえばJリーグは2026ー2027シーズンより、夏場を避けて秋に開幕する「秋春制」に移行し、暑い時期がシーズンオフとなります。そんななか、長野市は中山間地などの涼しい場所にグランドが多くあり、それを生かしてスポーツチームのキャンプや合宿を誘致すれば、観光と結びつけての経済効果を得ることも可能です。
長野では2028年に国民スポーツ大会が開催されることから、市内にある地元プロサッカーチームの本拠地近くにグランドを新たに3面作っていて、また隣の町でもグランドを整備しています。合宿や練習試合にうってつけな環境が一気に整うので、ぜひスポーツキャンプの誘致を進めていきたいです。
長野市長 荻原氏
土屋:「観光」は、地域経済活性化をもたらす重要な要素になると考えます。スポーツキャンプの誘致でいえば、交通や観光のインフラ整備を進めることで他の観光地などへの周遊も促すことができ、これまで「点」だった観光アセットを「面」へと広げられます。
また、予防医療に適した運動を気軽に行えることや健康な食生活を実現しやすい環境を踏まえたスポーツ×「ヘルスケア」、自然やスポーツ、多様性を取り入れた体験・学びを得やすいことからスポーツ×「教育」なども、長野市ならではの相乗効果を生み出せる組合せです。
他にも、スポーツ×「コミュニティ醸成」「ビジネスイノベーション」「共生社会」など、さまざまな掛け合わせによる価値創出が想定できると思います。
荻原氏:こうした政策において常に心がけているのが、「長野市らしさ」とは何かということです。長野市でスポーツイベントを開催するとなると、市民のみなさんに積極的にご協力いただけます。たとえば毎年開催しているマラソン大会では、高いボランティア精神や応援マインドが大会を盛り上げています。まさしく、これも長野市ならではのシビックプライドではないでしょうか。
また、スポーツ施設がこれだけ数多くあるのも、オリンピックをホストした経験を持つ長野市らしさです。建設から30年近くが経ち、改修や整備が必要な施設もありますが、議会や市民の間にそれを大切に使っていこうというマインドがあり、改修にも理解をいただいています。ぜひ、こうした「長野市らしさ」を核に、まちづくりを進めていければと考えています。
公共スポーツ施設を真に開かれたものに
―取組みの先に描く、理想の“長野市像”を教えてください。
左から KPMG 土屋、長野市長 荻原氏、KPMG 佐渡
荻原氏:ぜひ実現したいことの1つが、そうした多くのスポーツ施設を、市民に開かれたものにすることです。現状では、大会やイベントがなければ、基本的に施設には入れません。必然的に、施設との心理的な距離も開いてしまいます。それを、なんとか変えたいです。
たとえばイベントや大会がない時でも、施設に入って散歩を楽しんだり、芝のうえでお弁当を食べたり、子どもやペットと遊んだり、キャッチボールやボール蹴りをしたりしてもいい。雨が降ったら雨宿りをし、暑い時は日陰に入り、もちろん、スポーツをしてもいい。公共施設は「市民のもの」だからこそ、競技者以外の方々にも身近で、真に開かれたものにできればと考えています。
佐渡:まさに、長野市ならではのアセットを最大限に生かすポイントが、そこにあると感じました。スポーツを競技者に限らず、すべての老若男女に開かれたものと捉え直して、市民の身体と心の健康・福祉のための ツールとして施設を存分に活用する。それこそが、長野市のまちづくりを象徴するあり方になるのかもしれません。
長野市にはスポーツに関するハードとソフトが揃っているからこそ、それを軸に市民のみなさんを巻き込みながら、人もお金も情報もサステナブルに動かしていく。そのような“長野市モデル”の確立によって、世界からお手本とされるまちにするために、私たちKPMGも頭と体をフルに使っていきます。
荻原氏:スポーツを軸としたまちづくりの先に目指すのが、長野市を「健幸増進都市」にすることです。長野市に住むことで身体と心の健康を高められると同時に、経済の健全性・安定性や地域とのつながり、および社会参加、福祉の充実をとおした暮らしの安心感といった“広い意味での健康”も享受できる。そうしてみなさんが健康かつ幸せを感じられるまちが、健幸増進都市です。
そこに向けて、スポーツが貢献できる部分が非常にたくさんあるので、みなさんとともに実証、実装のチャレンジを進めていきたいと思っています。