これまでのECM(エンジニアリングチェーンマネジメント)改革は、モジュラーデザイン、コンカレントエンジニアリングプロセスの適用などの業務プロセス改革が主な取組みとなっていました。デジタル化への取組みに関しては、PLM(製品ライフサイクルマネジメント)導入による製品ライフサイクル全体の情報の一元管理や活用を狙ったシステム導入が進められていますが、設計図面や一部の設計情報の管理に留まったPDM(図面管理)の使い方になっている企業が多いのが現状です。

本稿では、製品ライフサイクル全体最適化の視点で多くの製造業が抱える課題について取り上げ、その代表的な課題における対応アプローチについて解説します。

1.解決すべきECMの3つの壁

ECMでは解決されていない3つの壁があると考えます。すなわち、(1)SCMとの壁、(2)経営との壁、(3)顧客との壁であり、これら3つの壁をデジタルで解決することが今後の取組みのヒントとなります。

ECM(エンジニアリングチェーンマネジメント)に求められるDXとは_図表1

(1)SCM(サプライチェーンマネジメント)との壁

「SCMとの壁」として、ECMで検討した製品図、工程図、部品表などの情報が、SCM側のシステム(サプライチェーンマネジメントシステム、製造実行システムなど)にシームレスかつタイムリーに連携されていないことが挙げられます。

いまだに多くの企業でE-BOM(設計部品表)とM-BOM(生産部品表)の連携が、人手を介して実施されているのがその一例です。途中に人的対応が入ることで設計変更情報を生産側に反映させるための時間と手間が多くかかり、人的ミスなどの発生により不具合の原因となります。昨今、インダストリー4.0やスマートファクトリーでキーワードとして挙げられているマスカスタマイゼーションの実現も、まずはこの問題を解決することが必須となります。

(2)経営との壁

「経営との壁」の例として、原価管理の課題があります。設計開発段階では、目標の性能やコストを実現するため、開発と検証のサイクルを繰り返す必要があり、多くの時間とリソースが費やされます。また重厚長大な製品であれば、1回の試作費用、試験費用も多大なものとなります。

商品企画段階で目標予算を立て、その予算を達成するようにプロジェクトを遂行しても、設計開発段階や工程設計段階での想定外の技術課題の発覚や量産性に見合わない設計図面の修正などで見積もっていた予算、工数を超過することが多々あります。問題は、その商品開発プロジェクトごとの状況変化をリアルタイム、かつ金額など経営へのインパクトがわかる情報で連携、可視化されていないということです。

経営層が複数の商品開発プロジェクトの予実や上市タイミングを把握し、商品開発プロジェクトのGo/No Goや、リソース配分を正しく判断できるようにするため、ECMのプロジェクト状況の可視化をデジタルで解決する取組みが必要となります。

(3)顧客との壁

「顧客との壁」には、商品開発前(商品企画・設計開発時)と商品開発後(市場投入後)の2つがあります。順序が逆になりますが後者から解説すると、商品開発後の「顧客との壁」は、商品を売った後にも顧客とつながり、サービスとして商品の提供価値を向上させていく取組みとなります。センシング、通信などのIoT技術やビッグデータ、AIなどのIoTプラットフォーム技術の進展があり、モノづくりからコトづくりへの転換の号令のもと、多くの日本企業でも取り組まれていると思います。

前者の商品開発前の「顧客との壁」とは、顧客ニーズと商品の乖離のことを示しており、顧客から求められる機能、性能、品質に対して、いかに製品を整合させるかという取組みになります。これまで述べてきた壁のうち、解決が最も難しく、今後製造業の明暗を分ける壁は、この“商品開発前の顧客との壁”になると筆者は考えます。

従来よりも海外市場への展開が必要となったことから、グローバルでの顧客ニーズの把握に苦労が伴いますが、ミレニアル世代に代表されるパーソナライズ消費トレンドの高まりによるニーズの多様化や、脱炭素に代表されるサステナビリティ対応などの外部環境変化から、今後さらに顧客ニーズの把握は難しくなってくると予測されています。

2.「顧客との壁」を打破するためのDXとは

今後、ますます多様化する顧客ニーズを把握するためには、デジタル活用がポイントになり、アプローチとしては2つあると考えます。1つは、顧客ニーズの把握力をデジタルで高めるアプローチ(DXによる顧客ニーズの把握力強化)、もう1つは、顧客ニーズは完全に把握できないことを前提に、市場投入後の製品改良をデジタルで迅速に行えるようにするアプローチ(DXによる顧客ニーズの対応スピード強化)です。

アプローチ1:DXによる顧客ニーズの把握力強化
  • 部門ごとで管理されている顧客ニーズをデジタル活用で一元管理できるようにする
  • デジタル活用で正しいニーズを選別できるようにする
アプローチ2:DXによる顧客ニーズの対応スピード強化
  • 顧客ニーズは把握できないことを前提に、市場投入後の製品をニーズの多様化に合わせて、改良できるようにする

 

アプローチ1:DXによる顧客ニーズの把握力強化

顧客ニーズを適切に把握できない大きな理由として、顧客ニーズ情報が部門ごとに構築されたシステムで管理されているという「情報のサイロ化」が起きていることが挙げられます。営業部門やサービス部門がクライアントから入手する改善要望やクレームなどの顧客ニーズはCRM(顧客関係管理)やFSM(フィールドサービス管理)に、また、テストマーケティングの検証結果や実験結果のデータは、試験部などが管理するデータベースに個別に管理されており、企画担当者や設計開発担当者が、その情報に容易にアクセスできないケースが起きています。

これらの情報は商品群ごとに紐づけされた状態で整理・一元管理され、容易にアクセスできるようにする仕組みが必要となります。ポイントとなるのは、顧客ニーズを管理できるPLMの要件管理機能の活用であり、CRMやFSMに格納されているニーズ情報や、試験部門で実施した検証結果情報を高度にPLMへ連携するためのインテグレーションが1つの解となります。

また、膨大な顧客ニーズから、「本当の顧客ニーズ」を選別する力も必要となります。そのためには、市場投入後の商品の稼働状況や顧客間の使用環境などを、IoT技術を活用しデータとして収集することで顧客からの改善要求やクレームがデータの観点からも論理的に正しいのかを確認できるようにすることが必要となります。すなわち、“正しい顧客ニーズ”のみをPLMの要求管理機能に格納することが求められます。

ECM(エンジニアリングチェーンマネジメント)に求められるDXとは_図表2

アプローチ2:DXによる顧客ニーズの対応スピード強化

2つめのアプローチは、顧客ニーズは刻々と変化するものであり、完全に読むことは不可能であるということを前提にした考え方になります。まずは競合に先行して、ベーシック版の商品を市場に投入し、その後バージョンアップすることで商品を顧客ニーズに合わせていくというアプローチとなります。

ハードウェアが比重を占める従来型の商品では、市場投入後の変更は、ほとんど不可能でしたが、現在の商品は電子化、ソフトウェア化が進み、無線でソフトウェアを更新するOTA(オーバージエア)技術も進展したことで、商品の重要な機能・性能をソフトウェアバージョンアップで変更することが可能となっています。

現在は、自動車のカーナビゲーションの更新など簡易的なソフトウェアプログラムの修正で使われていることが多いですが、今後は自動運転機能への活用も増えていくものと考えられます。自動運転機能は、走る地域によって法規制が異なり、またユーザーの嗜好も各々違うと想定されます。そのため、自動運転判断ロジックを都度ソフトウェアで更新することが求められるようになると言われており、それをOTAで実現しようという動きがあります。

OTAでの商品改良を実現するためには、セキュリティ強化はもちろんのこと、最も難しいと言われているのは製品安全の担保になります。ソフトウェアの変更によって、ハードウェアパーツに対する想定外の不具合が生じることを防止しなければなりません。しかし、ハードウェアは、コストダウンやリードタイムの観点で都度サプライチェーンの適正化を行うため、小規模な設計変更を実施したり、部品の調達先を変更したりします。購入部品の生産終了品(EOL部品)によっても設計変更を実施しなくてはなりません。

そのため、同じ機種でも、仕向地や製造タイミングによって、違う部品で構成されており、ソフトウェア変更の影響を完全に人手で予測することは不可能となります。したがって、バージョンアップする商品の設計情報、調達情報、製造実績情報などのさまざまな情報をデジタル化し、モデル化することで、ソフトウェア変更の影響を高度にシミュレーションできるようにするための仕組みが必要となります。すなわち、市場投入後の商品状態がバーチャル環境で再現され、ソフトウェア変更の影響予測や対応を検討することが可能な“製品のデジタルツイン”の構築が必須となります。

多様化するニーズへの対処法として2つのアプローチを解説してきましたが、実際に取り組むためには、どちらのアプローチが自社に合っているかの検討が求められます。自社商品の顧客ニーズが、外的要因に大きく影響を受けやすいのか?(B to B/B to Cなのか?)、ハードウェア、ソフトウェアの構成比率がどの程度なのか?などの論点での検討が重要です。

ECM(エンジニアリングチェーンマネジメント)に求められるDXとは_図表3

3.おわりに

日本の製造業がECM改革に取り組む際のポイントを解説しましたが、改革を阻む要因の1つが過去の成功体験であると考えます。日本の製造業の強みと言われてきた、「現場主義」や「すり合わせ」は、3つの壁を打破するDX実現で必要な視点である「部門横断」「全社最適」と相反する性質を有しています。

具体的には、これまでのECM改革は、「現場主義」で進められたため、業務定着や効果の早期刈取りの観点から大きな効果を得ながらも、活動内容や範囲は、近視眼的なものとなりました。また、コンカレントエンジニアリングや大部屋設計が代表例となる「すり合わせ」においても、ECM領域の業務は、複雑で業務標準化の難易度は高いという考えのもと、デジタル活用はほとんど行われず、人のコミュニケーション力で対応してきています。

このように、強みと言われていた部分が改革活動を阻害している場合、それを変えることは大きなエネルギーが必要であり、容易ではないでしょう。しかし、昨今の外部環境の大きな変化は、価値観や仕事のやり方を大きく変えざるを得ないインパクトをもたらしており、変革の好機とも捉えることができます。ECMのDXを実現することで日本製造業が停滞を抜け出し、以前のように世界の製造業からお手本と言われるようになることを切に願います。

執筆者

KPMGコンサルティング
アソシエイトパートナー 大木 俊和

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