羊蹄山やニセコアンヌプリに囲まれた美しい景観、パウダースノー等が世界中の観光客を魅了する観光地として注目されることが多いニセコ町。インバウンド、1杯3,000円のラーメンに代表される物価高騰、外資系ホテルの進出といったトピックをよく目にしますが、この場所はニセコ町の住民にとっては、ニセコ町ではありません。ニセコ町は、観光振興だけでなく、水資源保護や脱炭素への取組みといった環境施策やSDGsにも注力しており、2014年には「環境モデル都市」に、2018年には「SDGs未来都市」に選定されるなど、その環境政策への取組みが高く評価されている自治体です。また、日本で初めて、自治体の憲法と言われる自治基本条例を制定するなど、住民自治に関する先進的な取組みが行われている自治体でもあります。

2014年には、当時としては野心的な「2050年までにCO2排出量を86%削減」を目標にした「第1次環境モデル都市アクションプラン」を、官民連携と住民参加により策定し、同時に、PDCAサイクルや、自らが排出する二酸化炭素量を監視する独自の体制を整備しました。そして、こうした取組みが、環境施策や官民連携の優良事例として大きな注目を集めており、全国の自治体や企業から、視察の要望が殺到していることはあまり知られていない事実です。

この記事は、インバウンドや不動産投資の対象という視点ではなく、環境施策や官民連携へのイノベーティブな取組みに挑戦し続けている自治体、という側面からニセコ町を捉え、優れた取組みが次々に生まれる背景と理由を紐解くことを目的に、長年ニセコ町行政の最先端で活躍されてきた、片山健也町長と、山本契太副町長のお話を紹介します。

ニセコ行政の礎「住民自治」と「情報公開」

官民連携による数々の取組みの礎となっているのが、まちづくりの理念や遵守事項を定めた条例として日本で初めての例となる「ニセコ町まちづくり基本条例」と、「ニセコ町景観条例」です。

この2つの条例には、「住民自治によるまちづくり」と「情報共有」が基本原理として定められています。例えば、新たな開発や取組みを行う際には、住民説明会の開催が義務化されており、行政が持つ情報は可能な限り公開され、住民はそれに基づき話し合いを進めていきます。

ニセコ町企画環境課地域連携係長 島崎貴義氏は、「ニセコ町のSDGsや脱炭素への取組みは、行政が主導して始まったのではありません。美しく住みやすいニセコ町を次世代、次々世代に末長く残していきたい、そのために、水や環境を大切にしたいと考える住民に寄り添ったまちづくりが出発点であり、その結果が自ずと脱炭素への取組や景観保護に繋がっているのだと思います」と語ります。

人口5,000人程度の小規模な自治体としては画期的な取組みを次々と推し進めるニセコ町は、どのような経緯で、どのような考えのもと、住民自治によるまちづくりを進めているのでしょうか。片山町長、山本副町長にお話を伺いました。

 

KPMG:住民自治によるまちづくりを進めている経緯やお考えを教えてください。

片山町長:一時79万人まで伸びた宿泊者延べ数は、バブル崩壊後、31万人まで減少しました。それまで好調だったペンションやホテルのなどの観光関連の経営者の皆さんは、将来のニセコの観光が持続するのかと、大きな不安を抱えたものと思います。小さな子供がいる世帯もたくさんありました。

当時、私は町役場の職員でした。「なんとかしなければならない」、「自分たちが変えなければ」、という気持ちを持った職員が集まり、「ニセコ自治政策研究会」という自主研修グループを立ち上げました。後に町長となり、ニセコ町の行政を大きく変えた逢坂誠二氏もグループのなかにいました。私たちは強い危機感のもと、自治体学会などの学会への加入や、北海道大学で毎月開催される札幌地方自治法研究会などに出席し、さまざまなことを勉強しました。それによって、ニセコ町の遅れている点、取り組まなければならない点が、たくさん見えてきました。

そこで、役場のなかだけでなく、商工会や農家の若者たちにも声をかけ、「ニセコ経済懇話会」という勉強・交流会も立ちあげました。何を企んでいるのかと、悪く言う人もいましたね。

ニセコ町長との会談の様子

山本副町長:ニセコ町の行政は、逢坂誠二氏が町長になってから大きく変わりました。彼は、「住民参加」と「情報共有」を公約に掲げて立候補しました。当時、立候補者たちの公約は、「○○会館をつくります」など、建物インフラをつくるというものが多い時代でしたから、「住民参加」や「情報共有」という公約は、非常にユニークで、多くの人には理解されず、受け入れづらいものだったのだと思います。でも結果は、今をご覧いただければお分かりですね。

逢坂さんもニセコ町の職員でした。若手時代は、あまりやる気を感じない先輩でした。でも、住民と交流を重ねるなかで、変わっていったんだと思います。ニセコ町をもっと住みやすく、良い町にするために、役場内で勉強会を作ったり、住民説明会を開催したりして、あちこち飛び回っていましたね。

逢坂さんと、片山町長を含む仲間の有志たちは、自治体の民主主義とは何かを、原点に戻って考え直す必要があると考えていました。社会課題の解決のための知恵と行動力は、住民のなかにこそあり、役場はそれを手助けする事務局でしかない。ニセコ町は本当の意味で民主主義を発動しているのか。本来住民のなかにある自治の力を取り戻すことが民主主義ではないのか、という議論をしていました。

山本 契太 ニセコ町副町長 

山本副町長 

基本原理継承のための「まちづくり条例」

山本副町長:自治体では、首長が変わると政策の方針も行政の基本原理も大きく変わってしまいます。逢坂さんや片山町長は、首長が変わっても守るべき基本原理が継承されるよう、日本国憲法のようなものがニセコ町にも必要だと考えていました。

こういった考えから生まれたのが、「ニセコ町まちづくり基本条例」です。私たちは、この条例を、主権者である町民に対するニセコ町議会およびニセコ町行政の責任として位置づけています。こんな条例を作っても役に立たない、要らないという批判ももちろんありました。でも、憲法もそうですが、こういった「立法」・「行政」・「民」の約束は、行政が暴走したときや、調整が上手くいかなくなったときに役に立つんです。

日本は立憲主義の国です。ニセコ町の行政の根本には、地方自治体の行政も、主権者は町民であるという立憲主義に基づいた民主主義であるべきだ、という理念があります。

議員会議室での会談風景

ニセコの価値と未来の姿を真剣に考えた有志たち

KPMG:自治政策研究会での取組みを教えてください。

片山町長:勉強会では、故・田村明 先生※1や故・大森彌先生※2などの読書会をはじめ、まちづくりや自治体改革を研究している大学教授等の有識者を招いての勉強会など、さまざまなことに取り組みました。また、観光協会の役員の皆さんも、観光が延びている国とそうでない国の違いを自分たちで調べて、パリはリピーターが圧倒的に多い、というような、世界有数の観光地がなぜ世界有数の観光地であり続けられるのか、という理由を追究し、行動に結び付けていました。

そして、ニセコの価値は何なのか、自分たちはこの町をどうしたいのか、ということを真剣に考えました。勉強会では、リゾート施設をどんどん誘致したものの長く続かず、今は閑散としている「元」観光地もたくさん見ていました。ニセコはそうなってほしくない、それは私たちが目指す姿ではない、という「想い」を皆さんと共有しました。私たちは、自分たちの町を一過性のバブルに乗った町ではなく、次世代にも長く残していける持続可能な町にしていくことを目標に定め、まずは環境と景観を大切にしようということになりました。

私は環境基本計画の策定に従事しましたが、そのとき私は、行政主導の時代は終わりにすべきと思っていました。行政依存ではなく、民間の力によって良いものを作っていきたいという考えから、計画づくりの事務局を住民のなかにおき、事務局長や事務局職員を民間から募集しました。

 

※1 元法政大学名誉教授。まちづくりプランナー。田村 明 (Akira TAMURA) - 田村明記念・まちづくり研究会
※2 元東京大学名誉教授(行政学・地方自治論)大森 彌(おおもり わたる)- 全国町村会

町に活気をもたらした民の力

KPMG:民間の活用により、町にどのような変化がもたらされたのでしょうか。

片山町長:住民の協力を得てから、町は大きく変わりました。民間の方がやっていると、町外からボランティアの方や各種団体の方が支援に入ってくれます。行政の縛りがないと住民の活動がどんどん増えてきます。地域のお母さんたちが立ち上げた勉強会、図書の充実や環境への取組みといった活動など、多様な活動が広がっていきました。

かつて、アメリカのチャタヌーガは、全米一汚い町と言われていました。それが、住民自治により全米一きれいな町になり、住みたい町ナンバーワンになったといいます。行政主導ではなく、さまざまなことを地域に任せる「分権」により、住民が、自分たちの町をどうしたいかを考え、自分たちで行動を始めるようになりました。そして、その住民の活動が町全体に広がり、官民が一体となって町を変えたのです。

ある役割を誰が任されるかで町は変わります。私たちは、合意形成の過程を最も重視して、まちづくりを進めてきました。このことが現在も、ニセコ町の住民自治まちづくりの根幹に息づき、原動力となっているのです。

ニセコ町長との集合写真

(左から)島崎係長、片山町長、KPMG林、柿崎

本音が呼んだ共感

KPMG:民間の力の活用を提案したとき、役場の反応はどのようなものでしたか。

片山町長:当時の逢坂町長から、「自分たちのまちのことを、住民自身に、白紙段階から考えてもらおう」と提案があったときは、役場内では大きな議論になりました。もちろん、反対が大多数です。管理職で賛成した人は一人もいなかったように思います。

行政には、住民の多様な意見を取り入れるという発想はあまりないように思います。ある管理職から、「住民というのはエゴの塊で、住民の意見など聞き始めたら、話はまとまらないよ」と言われたことを、今でも覚えています。

私たちは、行政と住民が、同じ情報量を持って、対等な議論をすることを大切にしてきました。

ディベートでは、情報量の多い方が有利だと言われています。官と民にとってもそれは同じです。行政と住民では、持っている情報量に極めて大きな差があります。これでは対等な議論はできません。ですから、私たちは、行政が持っている情報は可能な限り全て住民に提供することにしてきました。

また、各種会合に参加する住民に対し、役場の職員から行政の課題や自分の意見をしっかり説明する、ということにも取り組んできました。これについては、賛否さまざまな議論がありましたが、自分の仕事を語れない、行政について自分の意見を述べることができない職員に、住民が税金を払うモチベーションは生まれないように思います。

こうした情報共有や議論の場として始まったのが「まちづくり町民講座」です。先程述べたように、当初、管理職会議では反対の声が大きく出されました。さまざまな「恐れ、憶測に基づく心配」でした。しかし、それは杞憂だったように思います。現在まで継続して開催されており、行政と住民が一緒になって課題解決に取り組み、今では政策形成における住民参加が当たり前となっています。全ての情報を出し、きちんと説明すれば、住民は状況を正しく理解し、一生懸命考えて非常に良いアイデアを出してくれるんです。

私だって一人の人間です。住民に説明するのを負担に感じることもある。批判や叱責は怖いし、住民の前に出れば、自分の不勉強が一瞬で露呈してしまうこともある。それでも、自分の言葉で語ることが大事だという信念がありました。

私たちは、住民に対して、噓偽りのない行政の事情と自分の本音をぶつけてきました。本音で話さなければ、真実は見えない、理解し合えない、何も変わらない。その姿勢が、住民の共感を呼んだのだと思います。

住民のアイデアから生まれた「ニセコルール※3」

KPMG:住民のアイデアが活かされた具体例を教えてください。

片山町長:ご存知のとおり、ニセコのパウダースノーは、今ではとても有名です。かつて、ニセコはスキー場外での雪崩事故が多かったため、スキー場のコースの外には立ち入り禁止エリアが設置されています。しかし、降ったばかりのふわふわのパウダースノーを見ると、どうしても新雪の上を滑りたいと思う人が多いのでしょう、ロープやネットをくぐって、コース外に立ち入り、雪崩に巻き込まれる人が後を絶ちませんでした。

雪崩に巻き込まれた人がいると、消防職員や警察等と共に、役場の職員も捜索に加わります。雪崩の捜索は、雪の上から長いゾンデ棒で雪を突いて探していくんです。肉体的にも精神的にも非常に辛い作業です。

この悲惨な雪崩事故をどうしたら防げるのか。雪崩事故防止に情熱を傾けていらっしゃる新谷暁生さんを中心に、「ニセコ雪崩ミーティング」を30年程前から始めました。スキー場の支配人やスキーパトロールといった関係者はもとより、雪氷学会の会長や弁護士、スキー愛好者など、多様なバックグラウンドを持つ方々が全国から来訪してくれて、住民とともに話し合いが重ねられました。さまざまな調査も行いました。こうした議論や調査によって誕生したのが、「ニセコルール」です。

「ニセコルール」は、禁止ばかりでは抑止できないという現実に向かい合いつつ、新雪・深雪のパウダースノーの上を滑りたいという、スキーヤーの想いを尊重し、大切にしたい、という皆の想いから生まれました。スキー場のコースに、コース外に出ることのできるゲートを設け、雪崩情報を発信するニセコ雪崩調査所が、各現場のスキーパトロールと協議の上、雪崩の危険度が高いと判断した時はゲートを閉じ、雪崩リスクが比較的少なく、安全を確保できると判断したときだけ、ゲートを開けるというアイデアです。これにより、スキーヤーは一定の条件下で新雪・深雪のパウダースノー上での滑走を楽しむことができるようになりました。

「ニセコルール」は、天気や現地の雪の状態を慎重に見計らって判断することで、スキーヤーの滑走を一律に禁止するのではなく、スキーヤーに一定の自由を与える仕組みとなっており、世界でも稀なルールです。ニセコルールを作ってから、ロープをくぐる人は大幅に減りました。

 

※3 ニセコルール | 観光・イベント | 北海道ニセコ町

役場の「見える化」と権力の払しょく

KPMG:民間の力を引き出すために、どのような工夫をしているのでしょうか。

片山町長:人は「わからないもの」に対して、推測で物事を考え、不信感を抱くことがあります。役場での取組みが密室で行われており、何をしているのかわからなければ、住民は不安になると思います。それなら、密室性を排除し、権力的な要素を無くした方が良いと考えてきました。

先程もお話した「まちづくり町民講座」は、住民と役場の管理職などがコミュニケーションを取り、役所の密室性を排除するための大変重要な場となっています。立上げ当初は月1回程度を目途にしていましたが、必要と判断したときや、要望があれば、何度でも開催しています。

毎回結論を出すことが求められているわけでなく、情報の共有のみで終わるときもありますが、そういう日常的な意見交換、何気ない会話にこそ、大きなヒントや重要な気づきが隠されていたりするものです。すでに220回を超えて実施されており、大きな成果を上げていると思っています。

また、「もっと知りたいことしの仕事」と題した予算説明書を町内全戸に配布しているほか、1冊1,000円で販売もしています。これには、町の仕事について何にいくらの税金が使われたのか、平易な表現で詳細に記載されています。この冊子を作ってから、町民からの要望・陳情は激減しました。除雪に何億円もかかっていたのか、ごみ処理に何千万円もかかるのか、役場はこんなことをやっているのか。こういうことが理解されると、一方的な苦情は減るのだなと思いました。

さらに、ニセコ町役場では、町長の決裁を要するものを大幅に減らしました。かつては、さまざまな団体の代表を町長が努め、町長はどこにでも呼ばれて代表や来賓として挨拶し、最終の意思決定をするのはいつも町長でした。これは、本来のあるべき姿ではないと私は思っています。町長は偉い存在ではない。上も下もない。職員には、自分の信念に基づき自由に考え、自分の意思決定に責任を持って行政に取り組んでほしい。「自ら考え行動すること、自由に発想し、発言することの大切さ」は、私がいつも職員に言っていることです。

我々自治体職員のミッションは、公共課題を解決し、安心して住むことができる社会を創ることです。しかし、官だけではできないこと、官が不得意とすることがたくさんある。官と民それぞれが相互に助け合い、お互いができることをやれば、課題の早期解決に繋がるだけでなく、より良い社会をつくることができるんです。

民間の知恵を取り入れた環境への取組み

KPMG:環境への取組みでも、官民が協力しているのですね。

山本副町長:もちろんです。一般社団法人クラブ・ヴォーバンや、旭化成ホームズ等から何人もの専門家に来ていただき、意見を聞き、話し合いを重ねながら進めています。役所にはいろいろなノウハウが蓄積しているだろう、と言う人がいますが、ノウハウなんてあまりないですよ。役人は、自分が取り組んできたことには非常に詳しいんです。でも、環境やエネルギーといった新しい分野について、全体を俯瞰的に見てアドバイスする人がいない。だから、私たちは民間の知恵を活用しなければならないし、そうしなければ良いものは絶対にできません。

エネルギーは、必要なものに必要なだけ

KPMG:ニセコ町が環境への取組みで最も重視していることはなんですか。

山本副町長:環境への取組みは、汎用性を持たせられるという特徴があります。例えば、エネルギー消費量の削減は脱炭素にも、密接に関係します。私たちは、こういった汎用性の活用を、常に念頭に置いています。また、エネルギー効率を考えるよりも、第一にエネルギーを使わないこと、次に、エネルギーの内部循環という点を重視しています。

石油由来エネルギーの消費は、ニセコ町の資産が、最終的に原油産出国に流出することを意味しています。寒さが厳しいニセコ町では、暖房費を筆頭に、年間約22億円をエネルギーに使っていますが、石油由来のエネルギーを使っていれば、これだけのお金が、町外に流出しているということなんですよね。これを防ぐためには、石油由来エネルギーをはじめとする外部から得たエネルギーを使い続けることを止め、エネルギーの内部循環システムを構築し、資源や資産を内部に留めなければなりません。穴の開いたバケツの水を止めるためには、穴をふさぐのと同じ考え方です。

「株式会社ニセコまち」が取り組んでいる住居は、その象徴的な例です。ニセコまちの住居は、非常に優れた断熱性と、気密性を備えています。とても丁寧な施工が外気を遮り、熱を内部に留める構造となっています。日本の住居設備は、オーバースペックであることが多いんです。冷暖房設備は、一番寒い日や一番暑い日を想定した強力なもの、大きなものを入れておけばいい、大は小を兼ねるという考え方です。

でも、それは本当に必要でしょうか。世界に先駆けて持続可能なまちづくりを行っている、ドイツ・フライブルク市の「ヴォーバン住宅地」を模範とし、日本国内で脱炭素社会に対応した「持続可能なまちづくり」をめざすクラブ・ヴォーバンは、ドイツ式の考え方を教えてくれました。まず、家の断熱・気密性能を高める。これにより、冷暖房などの機器はエネルギー消費の小さいものを選択することができる。最後に、この機器を動かす再生可能エネルギーを何にするかを検討・選択する。

ニセコ町役場庁舎も、この考えに基づき建設されており、エネルギーの一部にコジェネレーションを採用しています。

私たちのこの取組の成果は、すぐには見えません。20年後、30年後に成果が出る計画で進めています。ニセコまちの住居は、イニシャルコストは少し高い。しかし、非常に丁寧に作られており、強靭で、高断熱が結露による劣化を防ぎ、極寒地でも100年住める家です。安い家を作り、エネルギーを使い続け、数十年で建て替えることは、ただ消費を繰り返すだけで、サステナブルではない。私たちは、長期的な視点を持って、本当の意味でのサステナブルなものは何かを考えて追求しています。それがニセコ町の環境施策に結びついているのです。

創造的摩擦を起こせ

KPMG:住民自治が根付く、ニセコ町の住民の気質のようなものはあるのでしょうか。

片山町長:ニセコ町の住民は、見知らぬものを受け入れることに対する警戒心が強くなく、外のものや新しいものを受け入れる気質は昔からあるように思います。ニセコ町役場には現在約100人の職員がいますが、実は、その7割がニセコ町外からの移住者です。外からでないと見えないものがありますし、内にこもっているだけではイノベーションは生まれません。良いものは受け入れて、変化を恐れない。そういった地盤はあるのかもしれません。

山本副町長:逢坂さんは、外の情報や異質な情報も交えて、ゼロからものごとを作っていくことが大事だと考えていました。摩擦を起こすような人を外部から呼び、議論を活発化しないと、新しいものは生まれないと。片山町長が「創造的摩擦を起こせ」と言いますが、町の中がざわざわしていないと、新しい活力は生まれない。イノベーションというものは、異質なものを恐れず、異質なものから摩擦を得て揉まなければ起きないのだと思います。

古いものはやがて去り、新しいものが来る。人も社会もそれを繰り返して生きてきました。自治体も町も生き物です。私たち生き物は、常に新鮮な食物を食べ、排泄し、運動し続けて初めて健康な体を維持することができます。それと同じで、町の規模や暮らしを維持するためには、新たな人や仕組みを取り入れたり、捨てるものがあったり、新しいものを作るために活動する。そうやって時代の変化に反応し続ける代謝が必要なんです。

ニセコは昔からの観光地であることもあり、住民には外の人を割と自由に受け入れる風土があると思います。もちろん、摩擦が生じることはありますが、色々な人がいて、多様性に富んでいます。それが、ニセコ町の強みのひとつでもあると思っています。

地域の自治力が、持続可能なまちを作る

KPMG:最後に、片山町長から読者に伝えたい思いはありますか。

片山町長:戦後の右肩上がりの経済成長のなか、「行政サービス」という言葉が生まれました。社会課題の解決は全部行政がやればいいという風潮が広まる一方で、相互扶助という地域の力が失われていきました。昔は、道端の草刈りなどは地域の自治会が担っていました。年に数回、みんなで草を刈ってその後一杯やる。困っている人がいたら近所の人が助け合う。そういった地域の自治力を奪い取り、行政は肥大化してきたのです。

私はそこに危機感を持っています。1ヵ所だけに権力が集中するような社会は持続するでしょうか?孤独死というのはまさにこういった社会の限界を示す例ではないかと思います。なんでもかんでも全てのことを行政がやるのではなく、権力や役割を分散し、地域がやることは地域がやる。そういう多様性に満ちた分散社会でないと、これからの社会は、持続しないように感じています。

「権力の分散」は、リスクの分散でもあり、危機管理対策でもあります。「分散」の実現のためには、まちづくりを担う「自立した」多様なセクターが必要です。こうしたことからニセコ町では、「リゾート観光協会」を日本で初めて株式会社化しました。また、森林づくりを担う「株式会社ニセコ雪森考舎」、SDGsを推進し、環境に良い住まいを提供する「株式会社ニセコまち」を作るなど、民営による多様なセクターがまちづくりを担っています。

自由で風通しの良いイノベーディブな社会をどう作るか。それには、官民の「強い連携」ではなく、「緩やかな連携」が良いのです。官民の連携が緩やかであれば、町民が参加することができます。町民が意思決定に参加することで、多様な意見や価値観が加わり、行政と住民が共に学習していくことができます。そしてそれが、イノベーティブな社会に繋がっていくのだと思っています。

お問合せ

ニセコ町町長

片山 健也 ニセコ町町長

1953年ニセコ町生まれ。ニセコ町役場にて、町農村総合整備計画・同モデル事業計画書の作成、町観光リゾート計画作成、町環境基本計画の作成、ニセコスクェア整備事業計画(現ニセコビュープラザ)の作成、町一般廃棄物最終処分場の建設、第4次町総合計画作成、町情報公開条例・個人情報保護条例案の作成、町行政改革大綱案の作成、町景観条例案の作成、合併特例法・地方自治法改正の国への提言書作成、まちづくり基本条例作成チームに参加などを経て、2009年より町長に就任。

山本 契太 ニセコ町副町長

まちづくり基本条例の策定やニセコリゾート観光協会の設立などを歴任。SDGs街区については、2018年ニセコ町SDGs未来都市選定時から担当課長として構想に従事し、2020年より副町長に就任。

執筆者

KPMGジャパン ガバメント・パブリックセクター
あずさ監査法人
マネジャー 柿崎 恵

監修者

KPMGジャパン ガバメント・パブリックセクター
あずさ監査法人
ディレクター 林 哲也