価値観や生き方が多様化するなか、「ウェルビーイング経営」が注目を集めています。KPMGコンサルティング株式会社は、これまで社員の生産性向上に向けた取組み「LEAP」を推進してきましたが、より発展的な目標として「KPMGコンサルティングに携わる人々の幸せの実現」を掲げ、ウェルビーイング経営の実現に向け、ダイバーシティ推進や社会貢献参画を含めた施策展開を進めています。

ウェルビーイング経営の「今」と「これから」について、幸福学の第一人者である慶應義塾大学大学院の前野隆司教授と、KPMGコンサルティングで関連施策に取組む山下雅和(人材開発担当パートナー、LEAP推進室責任者)、新谷英子(Inclusion, Diversity & Equity推進室、ディレクター)、中山佳音(Sustainability & Citizenship室、シニアマネジャー)が議論しました。

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左から、KPMGコンサルティング 新谷 英子、山下 雅和、中山 佳音
慶應義塾大学大学院 教授 前野 隆司 氏

「ウェルビーイング」を経営戦略に活かす

山下:前野先生は、以前から「『社員が幸せ』な会社は、業績や成長率が高く、企業価値も高まっていく」というお考えを提唱されていました。これを経営戦略に取り入れ、「『社員の幸せ』実現」を経営目標に据えた「ウェルビーイング経営」が、この数年で急速にビジネスの世界に浸透してきているように感じます。

前野氏:まず「ウェルビーイング」という言葉の意味するところですが、概念の定義はさまざまありますが、WHO(World Health Organization:世界保健機構)では「肉体的、精神的、社会的に完全な良好状態」としています。これを経営戦略に活かす手法は、北米ではすでに広く浸透していますが、日本国内ではこの数年でやっと浸透し始めた段階と感じています。国内のさまざまな企業ごとに独自の取組みを進めているようですが、苦労している企業もあれば、うまくいっている企業もあるという印象です。

山下:苦労している企業、うまくいっている企業の違いはどのような点とお考えでしょうか?

前野氏:組織のトップが、「ウェルビーイング経営」の本質をしっかりと理解し、目的意識を持っているかどうかが重要だと感じます。本質を見誤ると、お題目だけになってしまいがちですし、企業の経営層がいかに自社に対して、「いい会社を創りたい」という強い目的意識を持って、それを社員一人ひとりにきちんと伝えるため毎日努力しているか、が違いとなって表れてくるのだと思います。制度や施策を導入してみても、そこに「魂」というか、「熱い想い」のようなものが込められていない限り、かたちだけのものになってしまうと思います。

慶應義塾大学大学院_前野教授

慶應義塾大学大学院 教授 前野 隆司 氏

多角的なアプローチでウェルビーイングを実現

前野氏:KPMGコンサルティングでは、これまでどのような取組みをされてきたのですか?

山下:当社では、社員の生産性向上に向けて「LEAP」という取組みを実施してきました。「プロフェッショナルとして、長期的に、生き生きと働ける職場」を目指し、トップオーナーシップのもとさまざまな施策に取り組んでいます。

残業削減はもとより、リモートワーク、サンクスポイント、服装自由化など、自身が最も高いパフォーマンスを発揮できる「働き方」を選択できるよう制度の拡充に取り組んできました。後ほど詳しくお話しますが、最近はより発展的に、「ウェルビーイングを実現できる職場」を目指した検討を進めています。これには、幅広い組織との連携が必要不可欠であり、実際に施策推進を担当する部署も複数にまたがっています。

中山: 「社会貢献」に関する領域を担当しているSustainability & Citizenship室(以下、S&C)は、私たちが経営のなかで大切にしている「社会共生」と「社会繁栄への貢献」の推進に取り組んでいます。本業のビジネスにおいて社会課題の解決を進めるとともに、社員一人ひとりにおいても、主体的・自発的にCSR活動に取り組めるような機会を創出していくことをミッションにしています。具体的には、協賛先である湘南ベルマーレ様と一緒に、地元の特別養護学校の生徒たちを招いたビーチクリーン活動や、NPO団体様へのプロボノ支援や寄付活動、社会福祉施設の見学などを実施してきました。

新谷:私の所属するInclusion, Diversity & Equity推進室(以下、IDE)では、多様性を尊重するインクルーシブな企業文化づくりを目指し、「女性活躍推進」「ワーキングペアレンツ」「LGBTQ+」などの社内ネットワークコミュニティを立ち上げ、関連するイベント等も開催しています。

この領域の一般的な呼称は「Diversity, Equity & Inclusion」を用いることが多いのですが、私たちは「Inclusion」を先に掲げています。これは、多様性ある社員一人ひとりが自分らしく活躍するためには、多様性を認め、お互いを尊重し受け入れるインクルーシブな組織カルチャーが重要と考えているからです。お互いを尊重し合える場を目指して「対話」の機会を重視しています。一緒に集まってお互いの話を聞くと発見がありますし、何より、人は自分の話を聞いてもらうと嬉しいものですしね。私たち、コンサルティング業の特色として、個人の技能を活かして働くことが多くなりがちなので、社員が孤立しないような環境づくりが大事だと思っています。

前野氏:多角度的なアプローチでの取組みが、すべてウェルビーイングにつながっていますね。企業としての本気が伝わってきます。私の研究室で行った研究結果に、多様な知り合いを持つ者は幸福度が高いという結果があります。これはまさに、ダイバーシティが幸福度に寄与することを表しています。多面的な取組みをさらに進めることが、幸福度向上につながると思いますよ。

「ウェルビーイング経営」の最前線_図表1

社員の心身が健康でないと、制度を充実させても十分な効果が得られない

山下:今後もさらにスピードをあげて取組みを進めていこうと考えていますが、留意すべき点などはあるでしょうか?

前野氏:どの会社にも言えることなのですが、拒否反応を示す人が一定数はいる、という点でしょうか。「幸福・幸せ」というフレーズに対して「気持ち悪い」と感じる人や、「ウェルビーイング」という概念・考え方に対して「また新しいものが入ってきた」と感じる人もいて、変化を拒む人というのは社内に一定数いるものです。この点では、みなさんの多角度的なアプローチは、とても効果的だと思います。ある切り口では、ピンと来なかったという人も別の切り口であれば、心に響いたという場合もあるはずです。

また、トップダウンで進めた結果、社長交代で方針が変わってしまう、というようなことも起こり得ます。トップのコミットメントは非常に重要なのですが、一方で、社内の多くの人を巻き込み、さまざまな部署と共創しながら、一貫性と継続性を維持できるよう取組みを進めるという姿勢も必要です。

山下:多角度的なアプローチという点では、社員の心身の健康維持を目的とした施策にも取り組んでおり、マインドフルネスを全社的なプログラムとして導入しています。

前野氏:マインドフルネスは「幸せ」「健康」を考えるうえで、有効な手法です。何かきっかけがあったのですか?

山下:これまで「働き方」に関するさまざまな施策に取り組んできましたが、いかに制度等を整備しても、そこで働く社員が心身ともに健康でなければ、十分な効果が得られないと感じたことです。コロナ禍を経て、その思いはさらに強くなりました。

前野氏:おっしゃるとおりですね。効果としては、どのような変化がありましたか?

新谷:離職率が大きく改善されました。長期的に活躍できる職場になりつつあるように感じています。

KPMG 山下

KPMGコンサルティング パートナー 山下雅和

リモート環境下では、帰属意識や一体感の醸成がウェルビーイングに影響

前野氏:IDEの領域でも、取組みを通じて実感している変化はありますか?

新谷:多様性を尊重する意識が確実に高まっていることを日々実感しています。わかりやすい指標としては女性管理職比率や男性育児休業取得率が増加しています。社内外のイベントへの参加者数も増加傾向にあり、みなさん活発に参画いただいています。

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左から、KPMGコンサルティング シニアマネジャー 中山 佳音、
ディレクター新谷 英子、慶應義塾大学大学院 教授 前野 隆司 氏

中山:私は、社員一人ひとりの仕事と職場への意識の変化を感じています。自宅やシェアオフィスなど、柔軟に働く場所を選べるので生産性に対する感度は高まったと思います。一方で、リモート環境下で1人黙々と仕事をし続けてしまう人もいて、やや心配しています。

前野氏:「自分は1人がいい」という方は、心身の不調という点ではリスクが高いと思います。他者とのつながりを実感できることも、ウェルビーイングにつながりますから、リモート環境下における一体感、帰属意識の醸成は重要な観点です。先ほどもお話があったように、コンサルティングのような業種は、単独での仕事が多いこともあり、幸福度が低くなりやすい傾向がありますが、リスクを把握したうえで効果的な取組みを実施できているのは素晴らしいと思います。非対面の環境での業務が多いと、社員の状態が把握しにくい部分もあると思いますが、何か取り組まれていることはありますか?

山下:毎年、KPMGでは各国の従業員満足度をモニタリングしています。今後はウェルビーイング(幸福度)もモニタリングできるようになればと考えていますが、何かいい手法はあるでしょうか?

前野氏:従業員満足度とウェルビーイング(幸福度)は相関性が高いので、現状の取組みを活かした形がいいと思います。

他社の事例ですが、3ヵ月ごとのアンケートや、1日1回「今日の幸福度は?」という質問に答えてもらうといったものもあります。頻度も項目も企業によってさまざまです。ポイントとしては、自分はいま「幸せか?」「調子はどうか?」ということに、意識を向けて自覚できればいいわけです。

そのほかにも、メールの返信の速さ、読んでいる時の表情などを計測して、幸福度のモニタリングに活用しているケースもあります。日々の立ち振る舞いや表情にも幸福度は表れます。「調子は毎日ほぼ同じ」と思っている人もいるかもしれませんが、やっぱり人間ですから、嫌なことがあったら次の日の仕事に響くなど、自分では気づけないバイオリズムの変化があるものです。

「ウェルビーイング経営」のこれから

山下:ここからは、「ウェルビーイング経営」の今後について考えていきたいと思います。

中山:ウェルビーイングの大切な要素として、「利他性」「つながり」「感謝」がありますよね。社会貢献への積極性は世代間で差がある気がしています。若い世代は、学生時代からSDGsを勉強してきているので、社会貢献やSDGsに対して気負わず、生活に身近なことと捉えている印象です。

前野氏:人間の利他性は年齢とともに上がると言われているので、一概に「最近の若者はウェルビーイングや社会貢献に対する意識が高い」とも言い切れないかもしれません。ただ、関心領域は人によってそれぞれ異なるので、個人差はありますよね。そういったギャップを超えて「すべての人々のウェルビーイングを実現していこう」ということであれば、繰り返しにはなりますが、みなさんのような多角的なアプローチは有効な解決策となるはずです。

たとえば、最初は興味がなくても「会社が言っているからやってみようかな」と参加しているうちに大事だと気づいてくる、ということもありますよね。北米で「ウェルビーイング経営」が先んじて話題になった背景もこれと似ていて、「社員を幸せにしておくと、生産性と創造性が上がって離職率が下がる。そのうえ、収益も上がる!」という発想からです。「社員が本当に大切だからウェルビーイング経営に取り組む」という日本的な発想とはやや異なりますが、結果的に、大事なことに気づけるのであれば、それでいいのではないでしょうか。

山下:そうですね。社員のウェルビーイングに関連しますが、私たちは「働きがい」のさらなる向上も重要視しています。最近は、いわゆる「ホワイトすぎる職場」で張り合いも成長実感も持てない、という若手ビジネスパーソンの声もよく耳にしますね

前野氏:これは「ウェルビーイング経営」の誤解されやすいところです。「ウェルビーイング経営って『ゆるい経営』でしょ」と言われることがあるのですが、これはまったく違います。

端的に言えば、「楽すぎることは幸せではない」ということですね。私たち人間は、「少しきつい」と感じるぐらいの課題に挑戦し、頑張って成し遂げた時に達成感や充実感を得られるのです。みんなで「やったね!」と喜び合えることに、幸せを感じられるのです。

もちろん、ハードルが高すぎると挑戦しようという意欲がわかず、成功できないので達成感も得られませんが、楽に手が届くハードルでは退屈を感じてしまい、承認欲求も満たされません。むしろ、このように楽すぎる状態が続くと不満が募ってしまいます。

また、「やりがいを持って働きたい」という欲求はもちろん、仕事以外での充足感も求めている立体的な思考を持つ人も増えています。これに対応できるよう、企業側は、制度も人も文化も、どんどん新陳代謝を図っていく必要がありますね。

山下:我々は、課題を抱える企業の変革をお手伝いすることが生業ですから、今後はクライアント向けのサービスとして、「ウェルビーイング経営」をお手伝いする、というケースも出てきそうです。

前野氏:いいですね。KPMGコンサルティングのように、組織のトップが本気になって多角的なアプローチをとって効果も出ている企業であれば、社内で蓄積されたノウハウも多くあるかと思います。そのあたりもうまく使いながら、コンサルテーションできれば理想的ですね。

山下:お話をうかがい、改めて、社内で実践を続けて得られたナレッジを他の企業や社会に還元していきたいという思いを強くしました。本日はありがとうございました。

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左から、KPMGコンサルティング シニアマネジャー 中山 佳音、
ディレクター新谷 英子、慶應義塾大学大学院 教授 前野 隆司 氏、
KPMGコンサルティング パートナー 山下 雅和

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