2023年5月、ウクライナのゼレンスキー大統領の電撃訪問など、注目を集めたG7サミットが広島で開催されました。そのアジェンダにも経済安全保障が取り上げられたように、いまや経済安全保障はサステナビリティと同様、各国政府における最重要課題の1つとなりました。企業における安全保障リスクは、従前より輸出管理や経済制裁対応のなかで検討されてきましたが、現在ではより広く捉えられ、重要物資のサプライチェーン戦略や中長期的な海外事業戦略など、事業戦略において検討する必要性が高まり、グローバルなサプライチェーンを有する企業を中心にその取組みが広がっています。
本稿では、日米の経済安全保障政策について、近時の動向を中心にその概要と影響を紹介するとともに、経済安全保障リスク対応の例として、シナリオ分析と体制検討の要点について解説します。
なお、本稿はKPMG Insight7月号所収の記事を、2回に分けて掲載するものです。全文のPDFは各回にリンクがありますが、目次からもそれぞれの回をご覧いただけます。
また、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りします。
目次
Part1
経済安全保障の意義と背景
日米の経済安全保障政策とその影響
1.日本の経済安全保障政策
2.米国の経済安全保障政策
3.経済安全保障リスクの視点
Part2
リスク管理に係る施策と体制整備
1.リスク評価と対応策の要点
2.リスク管理体制の整備
結びに
POINT 1:経済安全保障とサステナビリティ 米国の国家安全保障戦略にサステナビリティ視点が取り込まれるなど、経済安全保障と人権などのサステナビリティが関連付けて議論されている。企業においても、双方の動向を踏まえたリスク管理施策を講じることが望ましい。 POINT 2:貿易と人権 輸出管理と人権イニシアチブなど、貿易管理において人権侵害防止の視点を考慮したルール形成に向けた議論が広がっている。今後は、サプライチェーン上の人権デューディリジェンスを含む人権施策の重要性が一層高まることが予想される。 POINT 3:施策の基礎としてのリスク評価 関連リスクや対応事項が広汎かつ複雑になるなかで、自社のビジネスモデルに関連するリスク情報の収集・分析を施策の第一歩として進める企業が増加している。 POINT 4:サプライチェーンリスク リスク評価においては、特定国・地域への依存関係が大きく、代替性の乏しい重要物資のサプライチェーンを特定することがポイントとなる。 |
経済安全保障の意義と背景
近時の国際情勢の不安定化、サプライチェーンの特定国依存への懸念、先端技術の軍事利用などを背景に、各国政府において経済安全保障政策および関連法制の策定が進展しています。こうした各国政府の動向などを受けて、グローバルなサプライチェーンを有する多くの企業にとって、経済安全保障リスクへの対応は不可欠な経営リスクに位置付けられています。
「経済安全保障」とは、国家の主権や独立、国民の生命・財産などの国益を経済面から確保することを言います。具体的には、半導体やエネルギーなどの重要な物資・資源の確保、先端技術の開発・保護といった経済活動を通じて、安全保障上の脅威からの、国家・国民の保護を目指す取組みのことです。類似の概念として、「エコノミック・ステイトクラフト」が挙げられますが、これは国家戦略上の目標実現のために経済的手段を用いて自らの政治的意思の反映を求めるものであり、その手段として経済制裁、輸出管理、通商の停止・障壁の設定、援助などがあります。双方とも経済的な手段を通じた取組みである点で共通するものの、脅威からの安全に重点を置いた守りの側面が強い経済安全保障に対して、エコノミック・ステイトクラフトは(他者に対して)政治的な意思の反映を重視する点で、プロアクティブな側面が強い概念であると言えるでしょう※1。
日米の経済安全保障政策とその影響
1.日本の経済安全保障政策
日本の経済安全保障政策では、(1)戦略的自律性の向上、(2)戦略的不可欠性の向上、(3)国際秩序の維持・強化が重視され、これを支える推進体制の強化が図られています。(1)戦略的自律性とは、「わが国の国民生活及び社会経済活動の維持に不可欠な基盤を強靭化することにより、いかなる状況の下でも他国に過度に依存することなく、国民生活と正常な経済運営というわが国の安全保障の目的を実現すること」、(2)戦略的不可欠性とは、「国際社会全体の中で、わが国の存在が国際社会にとって不可欠であるような分野を戦略的に拡大することにより、わが国の長期的・持続的な繁栄及び国家安全保障を確保すること」とされています※2。
ここでは、その基礎的な法制度である経済安全保障推進法を説明するとともに、近時の動向として、先端半導体製造装置の輸出規制、G7サミットにおける経済安全保障に関する共同文書、人権施策への影響、セキュリティ・クリアランスについて紹介します。
経済安全保障推進法
経済安全保障政策の重要な法制度として、2022年5月、経済安全保障推進法が成立・公布されました(2年以内に段階的に施行。すでに一部施行)。同法では、(1)重要物資の安定的な供給の確保、(2)基幹インフラ役務の安定的な提供の確保、(3)先端的な重要技術の開発支援、(4)特許出願の非公開、この4つの制度の創設を趣旨としています。主に、(1)(2)が戦略的自律性に、(3)(4)が戦略的不可欠性に関する施策と見られます。特に、(2)基幹インフラ役務の安定的な提供の確保に関して、対象事業者とされる企業(に加えて、対象事業者に関連サービスを提供する企業)は、自社のバリューチェーン/サプライチェーンの見直しが必要となるケースが生じ得ることが想定されます(図表1参照)。
【図表1:経済安全保障推進法の概要】
名称 | 概要 | 主な関連企業など | 主な影響・対応事項例 |
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重要物資の安定供給 | 半導体などの特定重要物資の安定供給の確保を図るため、民間事業者への財政支援を行うとともに、調達先などを国が把握 |
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基幹インフラの安全確保 | 基幹インフラ14業種の特定社会基盤事業者において、特定重要設備を導入前に、事前届出を行い、サイバー攻撃などの危険について国が審査を実施 |
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先端技術の開発促進 | AIなどの特定重要技術の開発促進などのため、国による資金支援、官民伴走支援のための協議会などを設置 |
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機微技術に係る特許の非公開 | 安全保障上機微な発明の特許出願の流出を防止するため、一定の特許について非公開化 |
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出典:KPMG作成
基幹インフラ役務の安定的な提供の確保に関する制度とは、エネルギー・輸送・金融などの基幹インフラサービスの安全性・信頼性の確保のため、重要設備の導入・維持管理などの委託を国が事前審査する制度です。指定された基幹インフラサービス14業種に関して、対象事業者(特定社会基盤事業者)に重要設備(特定重要設備)の導入・維持管理などの委託に関する計画書を事前に届出をさせて、国による審査を受ける義務を課しています。審査においては、サイバー攻撃によるシステム障害や情報流出のリスクなどが検討され、審査の結果、リスク低減に必要な措置(設備の導入・維持管理の内容の変更・中止など)を勧告・命令される場合があります。
本制度に関して、2023年4月、「特定妨害行為の防止による特定社会基盤役務の安定的な提供の確保に関する基本指針」が閣議決定されましたが、対象設備などの詳細は主務省令で指定されます。対象事業者はその義務を履行するために、対象設備(設備・機器類、プログラムなど)、供給者・委託先などに関する届出事項の把握やデータマネジメント、リスク管理措置を実施し、場合によっては委託先などの見直しが必要となります(2023年6月、「経済安全保障法制に関する有識者会議」にて規制対象、届出事項等に関する検討状況を公表)。また、供給者・委託先においても取引継続のために、その対応協力が必要です。
先端半導体製造装置の輸出規制
経済産業省は2023年5月、外為法に基づく貨物等省令の改正を公布し、先端半導体製造装置など23品目を輸出管理の規制対象に加えました(2023年7月施行予定)。これにより、追加される23品目は友好国など42ヵ国・地域向けを除いて個別許可が必要になります。この規制強化は、米国が2022年10月、先端半導体(14~16ナノメートル以下のロジック半導体)などに必要な装置や技術の輸出を米商務省の許可制にするなど、規制強化を図っていることが背景にあると見られています。
G7サミットにおける経済安全保障に関する共同文書
2023年5月、G7広島サミットにおいて、経済安全保障は重要アジェンダとして取り上げられ、経済安全保障に関する共同文書が公表されました。そのなかで、日本の経済安全保障政策でも重視する、重要物資に関するサプライチェーンの強化や基幹インフラの安全性、重要・新興技術の流出防止などに向けた国際連携の強化が確認されました。同文書の内容が、今後、関連する経済連携枠組みの形成や各国の政策・規制にどのように反映されていくかを注視する必要があります※3。
<G7広島サミット・経済安全保障に関する共同文書の要点>
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人権施策への影響
日本では、欧州で策定が進む人権デューディリジェンスを義務付ける法制(ドイツのサプライチェーンデューディリジェンス法など)や、米国の貿易円滑化・貿易執行法のような人権侵害被疑物品の輸入規制が策定されていません。一方で、日本でも、人権デューディリジェンスを義務付ける法整備の議論や、デュアルユース製品・技術(民生と軍事の両目的に使用できる製品・技術)の人権侵害への利用防止を目的とした有志国連携枠組みの「輸出管理と人権イニシアチブ(ECHRI)」に参加するなどの動きは見られます。
また、ガイドラインレベルであるものの、2022年9月に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(日本政府)が、その企業実務を後押しするため、2023年4月に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」(経済産業省)が公表されました。このような動きのなか、今後、企業の輸出管理・通商においても、人権デューディリジェンスを含む人権侵害防止の取組み要請が強化されることが予想されます(ECHRIについては後述)。
セキュリティ・クリアランス
日本でも、セキュリティ・クリアランス制度の導入に関する議論が進んでいます。セキュリティ・クリアランス制度とは、国家における情報保全措置の一環として、政府が保有する安全保障上重要な情報として指定された情報にアクセスする必要がある者に対して政府による調査を実施し、当該者の信頼性を確認したうえでアクセスを認める制度のことです(内閣官房「中間論点整理」)。米国、英国などでは導入されており、次世代技術の国際共同開発の機会を拡充することなどを理由に、その必要性が議論されています。
2023年6月、制度導入に関する中間論点整理が公表され、その指定対象の範囲について、経済制裁に関する情報、サイバー攻撃への防御策、宇宙・サイバー分野などでの国際共同開発に関する情報が挙げられました。制度が導入された場合、情報保全を適切に実施するための体制整備などの負担が生じ得るため、その動向を注視する必要があります。
2.米国の経済安全保障政策
米国の現政権の政策では、インド太平洋地域の重視や、国内労働者の保護と通商政策の連携を重視する前政権の方針を踏襲しつつも、サステナビリティに関する広範なテーマをも安全保障上の問題として捉え、同盟国・友好国などとの協調を通じて解決を図ろうとする姿勢が見られます。
2022年10月に公表された国家安全保障戦略では、軍事面だけでなく、基幹インフラの保護、重要物資のサプライチェーン、気候変動・エネルギー問題、食料不安、人権など、広範な分野を安全保障上の重要課題として挙げています。また、民主主義の強化を強調する一方、たとえ民主的ではない国であっても、ルールに基づく国際秩序を支持する国であれば協力していく旨が示唆されている点も注目されます※4。
以下、関連政策のうち、輸出・投資などに関する規制強化、重要物資のサプライチェーン政策、輸出管理と人権イニシアチブについて紹介します。
輸出・投資などに関する規制強化
輸出規制・取引規制の代表例としては、米国輸出管理規則(EAR:Export Administration Regulations)と米国OFAC(Office of Foreign Assets Control:財務省外国資産管理室)規制が挙げられます。EARは米国原産品目などの対象品目の再輸出(米国外から第三国への輸出)について米国商務省の許可を要求するなどの制限を、OFAC規制は米国内外においてSDNリスト(Specially Designated Nationals and Blocked Persons List)の掲載者との取引禁止などを定めるもので、域外適用に注意が必要となります。
近年、米国は対中輸出規制の強化を継続しており、2022年10月、EARの改正により、AI技術に利用する先端半導体やその製造装置、スーパーコンピュータの対中輸出規制を大幅に強化しました。これにより、米国などの半導体メーカーが中国向けの輸出を縮小するなどの動きが見られます。また2018年には、新興技術(AIなど14分野)、基盤技術(半導体製造装置など)の輸出規制に関する輸出管理改革法(ECRA)が成立しています。
対米投資においては、米国ではCFIUS(対米外国投資委員会)による審査を通じて、安全保障上懸念のある対米投資を制限しています。近時、外国投資リスク審査現代化法(FIRRMA)およびその下位規則によって、CFIUSの審査対象となる取引の範囲が大幅に拡大されました(外国企業などによる重要技術・インフラ、機微な個人データに関する事業投資、不動産取得など)。企業は、投資案件の審査基準・プロセスがこれに対応したものかを確認し、必要に応じて見直す必要があります。
重要物資のサプライチェーン政策
2022年2月、米国は国内製造業の活性化と重要製品のサプライチェーン強化に向けた計画を発表、「CHIPSおよび科学法」(2022年8月成立)などを通じて、半導体などの重要物資のサプライチェーンについて国内回帰や友好国での形成を後押しする政策を打ち出しました。
また、米国主導のもと、IPEF(インド太平洋経済枠組み)では、(1)貿易、(2)サプライチェーン、(3)クリーン経済、(4)公正な経済の4つの柱について交渉目標が設定され、インド太平洋地域での連携を強化する政策が議論されています。2023年5月には、その柱の1つである、重要物資のサプライチェーンの強化に関する協定が合意されています。関連物資のサプライチェーンを有する企業は、その具体的なルール形成の動向を注視する必要があります。
<サプライチェーンに関する協定の要点>
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輸出管理と人権イニシアチブ
米国は2023年3月、「輸出管理と人権イニシアチブ(ECHRI)」に関する行動規範を、日本を含む有志国とともに策定しました(Export Controls and Human Rights Initiative Code of Conduct Released at the Summit for Democracy - United States Department of State)。ECHRIは米国主催の第1回民主主義サミット(2021年12月開催)で提案された、有志国間の連携枠組みです。軍事用・民生用のデュアルユース製品・技術の人権侵害への利用防止を目的とし、日本を含む24ヵ国が参加しています。
上記行動規範は、非拘束的なものであるものの、参加国にデュアルユース製品・技術の人権侵害への利用防止に向けたルール・取組みの推進や企業などにおける人権デューディリジェンスの促進を求めています。輸出管理・通商の側面においても人権デューディリジェンスを含む人権尊重に向けた取組みの要請が高まることが想定されます。
<ECHRI行動規範の要点>
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3.経済安全保障リスクの視点
前述のような経済安全保障政策・関連規制は、企業の貿易、投資、サプライチェーン施策など、さまざまな面で影響を及ぼし、その対応範囲は従来からイメージされる安全保障リスクよりも広範囲に及びます。特に、サプライチェーン・事業戦略に直結するリスクや人権などのサステナビリティリスクは重要な経営課題となり得ます。「対象となる重要物資のサプライチェーンを有するか」、「対象となる基幹インフラ事業者やその供給者に該当し得るか」、「規制対象品目を輸出しているか」、「政府調達に伴う調達基準の順守の適用対象となり得るか」などについて、自社のビジネスモデルと照らして整理をし、自社に影響を及ぼし得る経済安全保障リスクの特定と、リスク対応の主管部門・連携部門を整理・認識共有を図ることが大切です(図表2参照)。
なお、リスク管理に係る施策と体制整備についてはPart2で紹介します。
【図表2:経済安全保障リスクの整理例】
視点 | 日本・関連法制度例 | 米国・関連法制度例 | 企業への影響例 | 関連部門例 |
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安全保障貿易・経済制裁 |
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輸出管理規制の改正・リスト更新への対応 |
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投資規制 |
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各国における投資規制対応 |
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情報セキュリティ |
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各事業プロセスにおける情報漏洩・セキュリティリスクへの対応 |
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セキュリティ・クリアランス | (特定秘密保護法) |
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対象となる機密情報へのアクセス制限への対応 |
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人権 | (責任あるサプライチェーンなどにおける人権尊重のためのガイドライン) |
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自社およびサプライチェーン上の人権侵害防止 |
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サプライチェーン強靭化 |
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重要物資の安定供給確保に係る補助政策の活用 |
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基幹インフラの安定 |
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基幹インフラ事業者における重要設備の導入審査への対応 |
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技術開発 |
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先端技術の開発における国による支援の活用 |
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特許の一部非公開 |
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安全保障上機微な発明に関する公開制限への対応 |
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出典:KPMG作成
※1 『米中の経済安全保障戦略 新興技術をめぐる新たな競争』(序章「エコノミック・ステイトクラフトと国際社会」)(2021年、鈴木 一人ほか著、芙蓉書房出版)
※2 「提言『経済安全保障戦略策定』に向けて」(2020年12月)自由民主党政務調査会
※3 「経済的強靭性及び経済安全性保障に関するG7首脳声明」(2023年5月20日)外務省
※4 「NATIONAL SECURITY STRATEGY 」(2022年10月)THE WHITE HOUSE
執筆者
KPMGコンサルティング
シニアマネジャー 新堀 光城