ソニーから学んだ「差別化戦略」養うべきは知識ではなく智慧
ハーバード大学ビジネススクールのマイケル・ポーター教授は、ビジネスの3つの基本戦略を次のように提唱しています。
ソニーから学んだ「差別化戦略」養うべきは知識ではなく智慧 Forbes Japan Onlineに記事が掲載されました。
- コスト面で優位に立つ「コスト・リーダーシップ戦略」
- 特定の領域に特化する「集中戦略」
- ユニークな何かを創造する「差別化戦略」
このなかでも、他社との差別化を図ることで競争優位を実現する「差別化戦略」は、あらゆる事業を行う人々にとって大きなテーマだと思います。
それは、差別化によって商品やサービスの機能やデザイン、顧客体験の価値が消費者に認められ、価格が高くても購入してもらえるように市場においてブランドを醸成することで、競争優位性と高い参入障壁を形成することができるためです。
ソニー「ウォークマン」の成功
「差別化戦略」の成功例としてたびたび参照されるのが、私が新卒で入社したソニーです。ソニーの社員は、「人がやらないことをやる」という共通の価値観を有していて、「先取の精神」で常に既存のプロダクトカテゴリーの再定義や、新たな産業創造を目指していたように思います。そういった文化に長く触れられたのは私にとって大きな財産となっています。
そのソニーの「人がやらないことをやる」という価値観が結実した最たる例が、「ウォークマン」です。
ウォークマンは、1979年に1号機が開発され、海外でも爆発的な人気を博すようになった2号機は1981年に開発されました。競合他社は類似品を次々に市場に投入しましたが、ウォークマンのブランド力はすでに圧倒的であり、他に追随を許すことはなかったようです。
ソニーは、ウォークマンの開発を通じて、ユニークな何かを創造する「差別化戦略」に勝利したわけですが、当時カセットオーディオプレーヤーの常識であった、内蔵スピーカーと録音機能を取り払うという「非常識」によって新たな価値を創造し、人々のライフスタイルまでも変えるに至りました。
このように結果は素晴らしいものでしたが、ウォークマンの開発に反対する勢力も多くあったようです。当時のソニー社内では、主に発売までの期間が非常に短いという点と、録音機能がないという点で、多数の役職者がプロジェクトに難色を示していたようです。しかし、当時の会長であった盛田昭夫さんは、自身の進退をかけてプロジェクトを推進し、発売に漕ぎ着けました。
盛田さんは、カセットオーディオプレーヤー全盛の時代に、ウォークマンによって音楽と若者の繋がりを再定義し、新たな関係を創造するという信念によって社内をリードしたということです。
私はこの点にこそ差別化戦略そしてイノベーションの核心があり、多くの学びがあると考えています。そして、盛田さんの信念というのは「智慧」に支えられたものであったろうと想像しています。
データ→情報→知識→智慧への変容
「智慧」という言葉を辞書で引くと、「物事の理を悟り、適切に処理する能力。真理を見極める認識力」などとあります。私は特に「真理を見極める認識力」という点に共感しています。「智慧」とは、物事を適切に処理するだけでなく、物事の真理や根本を捉える能力であると理解しています。
ビジネスの世界では、「データ」の重要性が叫ばれて久しいわけですが、私はもう少し丁寧に見ていく必要があると考えています。まず、「データ」を分析すると、「情報」というある程度整理された形に変容します。いわば「情報」は整理された「データ」ということです。
「情報」は「データ」を大きさ順に並べたり、似た数値ごとにまとめたりしていますが、そこから法則や傾向などの関係性を見出し、ビジネスの判断材料として利用可能な状態にできると「知識」と呼ばれるものになります。「知識」は法則や関係性などで集約されていますので、人から人へ容易に伝達することが可能な状態になっています。
そして、人生における経験や学びから、「知識」を組み換えたり、一部の「知識」を捨てたり、時には新たな「知識」を加えるなど創造的な作業を経ることによって「智慧」が養われることになります。
言い換えれば、多くの成功や失敗、人生の中で見聞きしてきたこと、そして人との交わりのなかで芽生えた感情など、あらゆるレベルの経験や学びから物事を判断し、新たな価値を創造することが「智慧」であると考えています。
私は長らくビデオゲーム産業にいましたが、差別化やイノベーションという意味において、「智慧」は非常に重要な要素であったと思います。新たなゲームコンテンツを実現する仕組みや仕掛けを提案したり、新世代のゲームプラットフォームを構築したりしてきた歴史のなかでは、チームのメンバーとまさに「智慧」を振り絞り、新たな価値を生み出すために成功と失敗を繰り返すことの連続でした。そして、その経験がまた、いまの私の「智慧」となっています。
ワイン醸造の歴史は「智慧」の集積
「智慧」はテクノロジーやビジネスの世界だけでなく、あらゆる領域に存在します。私が好きなワインの世界でも「智慧」は大いに生かされています。
ワインは、紀元前6000年代のジョージアが発祥地の1つとして知られていますが、最初から葡萄の実を発酵させるとアルコールが醸成されて、保存できる飲み物になるということがわかっていたわけではなかったので、多くの試行錯誤があったに違いありません。
例えば、「葡萄の木がある」というのは、現実世界の観察から得られる「データ」であると考えることができます。そして勇気ある最初の1人が葡萄の実を食べて、食べられるということが判ったことが「情報」に相当します。
次に、ある人が、猿酒のような果実が自然に醗酵してできた天然醸造酒を発見し、醗酵という現象を知り、醗酵させたもの飲食して酔う体験をする。これによって、アルコール飲料をつくる法則や原理が「知識」として人間に蓄えられます。ここまでで、ワインの基本的な作り方と「知識」を得ることができました。
そして、基本的なワイン醸造の「知識」に加えて、人々は美味しいワインを求めて、探求を続けてきました。現在の5大シャトーに代表されるような、世界中の銘醸と言われる多くのワインでは、どういった品種の葡萄を、どのような土地で育て、どういう酵母や樽を使い、どの位の期間醸造するかなど、膨大な時間と数えきれない試行錯誤の結果として、世界レベルの銘醸ワインをつくるための「知識」を蓄えています。
また、ワイン醸造は、予測できない天候の影響を考慮しつつ、土壌そして酵母のような微生物の働きを巧みに制御し、造り手の熱意と「智慧」によって営まれるものです。天候不順で葡萄の糖度が上がらない年、害虫や病気により葡萄が被害に遭う年など、人間が制御できない困難を克服し、素晴らしいワインに仕上げるつくり手の人たちには心から感服します。
これもワイン8000年の歴史の中で育まれ、脈々と受け継がれた「知識」と、つくり手の「智慧」によるものなのでしょう。
「智慧」はコピーされることがない
ワインの醸造主やソニー元会長の盛田昭夫さんの「智慧」は、簡単にコピーできるものではありません。一方、「知識」のように、法則化され原理が明確なものはコピーされやすいものです。つまり、ビジネスやテクノロジーの分野においても、「知識」はコピーされる可能性が高いと言うことです。
これまでも多くのコピーを私たちは目撃してきました。そしてさらに、デジタルエコノミーの世界では、「知識」はデジタル化され、瞬時にコピーされます。
しかし、「智慧」は、経験から物事の真理や根本を捉える能力ですので、後に模倣されることはあっても、即座にコピーされることはありません。また、「智慧」は、デジタルエコノミーの時代においてもAIなどが模倣することのできない、人間がその能力を発揮できる重要な領域です。
皆さんにもぜひ、それぞれの分野で「智慧」を養い、盛田昭夫さんのように差別化戦略やイノベーションをリードし、ワインのつくり手のようにあらゆる状況に柔軟に対応できるレジリエンスを、身につけていただきたいと考えています。
※この記事は、「2020年11月26日掲載 Forbes JAPAN Online」に掲載されたものです。この記事の掲載については、Forbes Japanの許諾を得ています。無断での複写・転載は禁じます。