日本におけるオルタナティブ・データの活用
海外の資産運用業界において投資判断に活用されているオルタナティブ・データの活用に向けた論点について解説します。
海外の資産運用業界において投資判断に活用されているオルタナティブ・データの活用に向けた論点について解説します。
海外の資産運用業界では、衛星画像やPOSの売上情報、流動人口や細分化された気象情報などあらゆる情報がオルタナティブ・データとして投資判断に活用されています。一方、日本の資産運用業界では、こうしたオルタナティブ・データの活用は十分に進んでいません。その要因としては、保守的な投資判断、高いデータ購入費用、データ分析人材の不足など様々な理由が考えられます。日本においても大手金融機関では実証実験が行われつつありますが、具体的な成果が出るまでには時間を要すると考えられます。本稿では、オルタナティブ・データ活用に向けた論点について解説します。なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りいたします。
ポイント
- 日本の資産運用業界は、オルタナティブ・データ活用の面で海外に後れをとっている。
- オルタナティブ・データを用いた検証が進まないことで人材も育成できず、組織としてのノウハウも貯まっていかない。
- 情報銀行や公共機関が日本の資産運用業に積極的にデータを提供し、オルタナティブ・データの活用基盤を官民挙げて作ることが望まれる。
I.オルタナティブ・データとは
1. 資産運用におけるフィンテック
金融業界におけるフィンテックの活用は、決済、支出管理、送金など消費者に身近なところから始まってきましたが、最近は資産運用の分野においても活発化しています。フィンテックの中でも決済や送金などは利幅が小さく、これまでのところ広告宣伝費を賄うことすら難しいのが現状であり、決済手段として獲得した顧客接点を活かして運用商品やレンディングのビジネスを行うことが収益化のためには不可欠です。そのため、獲得した顧客に対して小口での資産運用を促し、今まで投資に無関心だった層を新たな顧客として開拓し、収益化に結び付けるといった事例が出始めています。このような消費者側のビジネスではUI/UXの改善が差別化のポイントになりますが、機関投資家側においては、運用成績の高度化をフィンテックの活用によって成し遂げることが必要となり、AIやRPAに注目が集まっています。同時にAIの進歩やシステム処理能力の向上により大量データを取り扱うことが可能になり、資産運用の世界でもより大量かつ多種多様なデータを活用することで、運用成績に大きな差が生まれるようになってきました。そのため、他社と運用成績において差をつけるためにはシステムの処理能力や分析能力だけでなく、分析の基礎となるデータそのものに大きな価値が見い出されるようになりました。
これまでも運用成績に差をつけるために誰よりも多くの情報を得ることが重要でしたが、経営者へのインタビューを行ったり、経営方針を分析したり、財務情報を統計的に処理するなど過去の経験や人手による作業が中心でした。それが、コンピューターによる予測モデルの構築と高速処理が一般的になってくると人手では扱えないような大量のデータを瞬時に分析することができるようになりました。また、これまでは手がつけられていなかった画像や文章など様々な情報を投資判断に使うことが運用成績に大きな影響を与えるようになってきました。今ではそういった様々なデータを資産運用会社向けに販売する会社も増えており、市場も年々大きくなってきています。
2. オルタナティブ・データの例
たとえば、人口衛星の撮影した画像から港に止まっている車の数を数えてその会社の今期の売上を決算発表よりも前に推定することができます。またPOSの売上情報を収集することで、毎日どんな商品がどのぐらい売れているのかを誰よりも早く知り、売上が上がっているメーカーを探し出すことができます。WEB上を流れるトラフィックデータを調べることでどんなサイトで売上が上がっているのかをつかむこともできます。SNSのテキスト情報をマイニングすることで人気の出そうなブランドを早期につかんでメーカーの業績予想に役立てるなども行われています。こういった分析は各企業の決算の公表前に精緻な予測をするために使われており、株式の売買をタイミングよく行うといったことに使われています。今まで人海戦術で集めて、分析していた情報をシステムで処理できる形の、データとして収集と加工を行い、今まで対応できなかったスピード感で大量かつ粒度の細かい情報を処理しています。
II. オルタナティブ・データの活用
1. オルタナティブ・データの収集
今までもこのようなデータは存在していましたが、活用はあくまで個人の経験と勘を補助的に支えるもので、人が目で見て頭で都度考えながら人間の経験と勘に頼った投資判断を補助するような位置づけでした。しかし、クオンツ運用やHFT(High Frequency Trading)といったシステムの高速自動処理が一般化してくると、より大きなコンピューティングパワーをかけてデータを処理することが当たり前になってくると同時に、運用成績で他社と差別化するためには、他社が持っていないような独自のデータを集めていくことに時間とコストをかけるようになってきました。各社が似たようなデータで大量の資産の運用を同じようなロジックで行ったことで、2007年には「クオンツ危機」と呼ばれるようなかえって運用成績が低下してしまうような事態も起こるようになりました。リスク回避のためには、他社の持っていないようなデータソースから多様な分析を行うことが求められるようになり、運用会社の負荷が高まってきました。そうすると代わりに大量の情報を収集・加工してシステムで分析できる形のデータとして供給してくれるデータプロバイダ―といった企業も現れました。結果としてオルタナティブ・データを購入するためのコストはどんどん上がってしまい、大手データプロバイダ―のOpimas社の発表資料では、オルタナティブ・データの市場規模は毎年20%以上の増加と見込まれています。
2. オルタナティブ・データの条件
では具体的に、どのような情報がオルタナティブ・データとして使えるのでしょうか? これについては、世の中に存在するすべての情報が投資判断に使えるデータにもなり得る、といっても過言ではないでしょう。ただし、誰もが知っているような情報では、オルタナティブ・データであるとはいえません。なぜならオルタナティブ・データはアルファを生み出すことを期待されていて、世間に使い方が知られた瞬間に有益な情報ではなくなってしまうからです。有償か無償かは別にして、何がオルタナティブ・データとして使えるのかということについては、各社のノウハウとして秘密裏にされるのが普通であり、簡単に知ることはできません。逆に言えば、既に誰もが資産運用に活用しているデータの方が価値が分かっているために高値で取り引きされていて、まだ活用方法が知られていない情報が無料でも手に入れることができるといったケースもあり得るのです。その情報がデータとして価値を生むということが分かった瞬間から、重要なデータとして高値で取り引きされるようになるということも考えられます。
3. 日本のオルタナティブ・データ活用
ではこのオルタナティブ・データの活用について、日本の資産運用業界ではどの程度進んでいるのでしょうか? 筆者が様々なお客様と会話させていただいた中では、日本ではオルタナティブ・データはまだ活用できているとはいい難い状況です。一部の金融機関で実証実験が行われていますが、海外に比べると大きく出遅れていると言わざるを得ません。
日本でオルタナティブ・データの活用が進まない理由としては、以下のような仮説が考えられます。
(1) オルタナティブ・データを購入するための予算が獲得できていない
データの購入であっても費用対効果を明確にしない限り購入しにくい環境です。しかし、個別の運用商品に紐づけてデータを購入しても確実にリターンが得られるとは限らないため、稟議承認を得るには時間がかかります。一旦は研究開発費用で購入することになるため、実証実験を繰り返して実績を積み上げる段階にいると思われます。しかしデータを購入するだけでは効果を立証しづらく、結果的に継続的に購入することができていないと思われます。
(2) データ分析のための人材が不足している
オルタナティブ・データの活用にはデータ・サイエンティストが必須ですが、投資運用に詳しいデータ・サイエンティスト自体の数が圧倒的に不足しています。データ分析やシステム系人材というと、既に実績のある金融工学理論に基づいた数式を作り上げるか、システム部門へ配属されて基幹システムの構築に携わるかのどちらかという選択しかありませんでした。データ・サイエンティストのように新しい情報を探し出してそれを分析できる形に加工し、新たな知見を得てビジネスに繋げていくという非常に幅広いスキルが求められる人材を育成する仕組みができていません。
(3) インフラ環境の整備が遅れている
データを購入し、人材をそろえても、購入した大量のデータを蓄積したり、分析・加工のためのソフトウェアライセンスをそろえたり、処理するハードウェア環境を準備するなどのインフラ基盤が必要です。データ・サイエンティストやクオンツアナリストは各部門で個別に採用されているため、必要なインフラの稟議も個別に上申されますが、このような大規模なインフラを各部門が個別に準備することは難しいと思われます。すべてを個々の投資運用部門が単独で準備するものではなく、データ・サイエンティストを集めた部門を組成し、人材もインフラも集中投資する必要があります。
(4) 成功した事例を参考にすることができない
海外の事例を基に新たな取組みを検討したいと考えても、どのようなデータを活用して高いリターンを上げたのかを開示している企業はほとんどありません。クオンツ運用を行っている運用会社にとっては重要なビジネスのノウハウであり、事例として世の中に出回ることは既にアルファを生み出すことに繋がらないからです。
(5) オルタナティブ・データが高額のため試行錯誤が進まない
企業としてのノウハウを付けるために様々なデータを購入してテストする必要がありますが、オルタナティブ・データが高価なためたくさんの種類を買って試すことができていません。効果が出る出ないにかかわらず、多くのデータを購入して試してみて、意味が無いデータは何なのかも学習する必要があります。
(6) コンプライアンスへの不安
購入したデータが法的に問題がないのか、出所がどこなのか、継続的に購入できるのか、など様々な懸念が考えられます。懸念事項を1つずつつぶしていく作業を行うと情報の鮮度が失われてしまう可能性があります。
III. 情報銀行の可能性
1. 情報の価値化
そのような状況の一方で、情報を売ることでビジネスを行うという日本独自のコンセプトである「情報銀行」がビジネスとして成功しているという話はあまり聞きません。情報を高く買ってもらうためのユースケースが不足しており、せいぜい顧客属性を使ってデジタルマーケティングの精度を上げるか、与信情報に活用してレンディングの審査の効率化を図るといったものではないでしょうか?
前述したように、資産運用業界においては多種多様なデータが高額で取引されているため、情報銀行で取り扱っているデータをオルタナティブ・データとしてのユースケースを確立し、資産運用業界に販売してくことで、情報の価値が飛躍的に高まるものと思われます。
情報銀行の側からすれば、既にデータが高額で取引されている市場ができ上がっているため、投資運用に役立つことを説明するための実証実験を始めるなどの施策を行うことで、新たな販路が開けることも考えられます。
2. 「スマートシティ」の情報をオルタナティブ・データへ
以上のことから、日本ではオルタナティブ・データの活用実績がなかなか積みあがらず、結果としてデータも流通せず、人材育成もされず、資産運用全体の高度化が進まないという状況に陥ってしまっています。考えられる解決策としては、先ほどの情報銀行の活用や、公共機関から資産運用業界に対して、都市のデータが自由に活用できる基盤を提供することもひとつのアイデアだと思います。
昨今では、新型コロナウイルスによってどこの企業が影響を受けるのかを、交通機関の稼働率、ホテルの予約状況など様々なところからデータを集めて分析を行っています。社会全体に散りばめられた情報は、すべてオルタナティブ・データとして投資判断の基準になる可能性があります。
資産運用業向けのデータ活用を促すためには、「スマートシティ」で取り扱われている都市の情報などはうってつけであると言えます。
IV. おわりに
現在、日本のオルタナティブ・データを購入しているのは主に海外の機関投資家と言われています。日本の機関投資家が海外勢を上回るリターンを得るためには、オルタナティブ・データの活用が必須です。そのためには、インフラや人材を含めたオルタナティブ・データの活用基盤を構築する必要があります。今こそ、官民を問わず資産運用業界での様々なプレイヤーが連携を図り、国家戦略としてオルタナティブ・データ活用の流れを作っていく必要があると感じています。
参考文献:
「Use of Alternative Data for Asset Management Firms in Japan through Tokyo Data Highway March2020」(一般社団法人 国際資産運用推進センター推進機構)
執筆者
KPMGジャパン
フィンテック・イノベーション部
部長 東海林 正賢