インドネシア市場参入検討のために知っておきたい政治史
「インドネシアの政治体制が抱えるビジネスを阻害する程の不安定性や脆弱性は、どのように形成されてきたのだろうか。」この疑問を明らかにし、インドネシア市場に参入する際の留意点を示します。歴史・政治史を紐解いた上で、市場への投資を進めるための政治的着眼点へ議論を展開します。
インドネシアの歴史・政治史を紐解いた上で、インドネシア市場への投資を進めるための政治的着眼点へ議論を展開します。
ハイライト
インドネシアは、世界16位かつASEAN最大のGDPを持つ経済大国である。人口は世界で4番目に大きく、2億6,000万人を超え、2020年には、国の中間・富裕層は1億4,100万人に達すると見込まれている。インドネシアはASEANの中心的存在であり、今後も世界経済を牽引することが期待される新興国の1つだ。近年、インドネシア政府は、国内における工業化を再促進するために、外資からの投資受け入れの拡大に向けた環境整備を進めている。しかし、インドネシア国内の政治的権力闘争により、投資に関する意思決定が覆される可能性はいまだに存在する。インドネシア市場に参入する際には、投資参入に係る最大の阻害要因として問題視されてきたインドネシア国内政治の脆弱性を理解することが必要となる。
ポイント
- これまでのインドネシアの歴史・不安定な政治体制が、インドネシアへの投資を阻害する要因に深く関連している。
- スカルノ政権およびスハルト政権時代に確立された、中央および地方の政治・資金ネットワークが、現在でもインドネシアの政界に影響を及ぼしている。
- インドネシア市場参入にあたっては、「閣僚交代」、「プロジェクト実施地域における政治的つながり」、「プロジェクトスケジュールにあわせた政治予測」という3つの政治的観点を持つことが推奨される。
はじめに
インドネシアでは、2014年から大統領に就任したジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)を中心に、汚職や脱税対策等の大改革が進められている。しかし、世界銀行によるビジネス環境ランキングでは、近隣諸国のマレーシアや、タイ、ベトナムと比較すると、インドネシアの評価はまだ低いのが現状である。インドネシアでは建設許可や税金の支払いに長いプロセスや時間を要し、それに伴う諸コストを、参入に係る課題の1つとして事業者が認識していることが推測される。こういった煩雑な諸手続きをはじめとする投資の阻害要因は、インドネシアの政治体制に深く関連していることが長く指摘されてきた。世界経済フォーラム(World Economic Forum)が2017年に世界の経営者向けに実施した調査では、インドネシアにおけるビジネス上の最大の課題として、汚職や官僚政治の非効率性、不安定な政治体制といった、政治にまつわる回答が半数以上を占めた。
インドネシア政治史
独立、スカルノ、そして共産化
インドネシアは、1600年代から3世紀以上に渡ってオランダによる支配を受け、植民地化という圧力の中でナショナリズムが醸成されてきた。1940年代の日本軍による解放や、第二次世界大戦後の国際的な脱植民地化・民族独立の機運の高まりにも後押しされ、このナショナリズムとオランダ由来の社会主義思想が融合し、初代大統領スカルノの主導のもと、1949年のハーグ円卓会議でインドネシアの独立が認められた。
しかし、スカルノは独立を機に共産主義への傾倒を過激化させた。反オランダを謳い高揚するナショナリズムを利用し、企業を占拠・没収して国有化を進め、経済のインドネシア化を加速。この過程において、多くの軍人がビジネスの管理者として導入され、現在でも、軍人やその家族がインドネシア系のコングロマリット企業や中央・地方政界で活躍している。このような地方ビジネスと中央政界とのつながりは、1960年代半ばまで続く長期スハルト政権を通じて既得権益として強靭化され、今日においても政界で影響力を維持しているのである。
冷戦からスハルト長期政権へ
1965年の9月30日事件で、スカルノから、当時、陸軍戦略予備軍司令官であったスハルトへと権力が移行し、スハルトが第2代大統領に就任した。共産化を強めるインドネシアに対して、米国が反共戦略の一環として介入を強め、スハルトは実権を握った直後に、それまで共産化志向だった政策を、一気に親米寄りへと方向転換させた。スハルトは、国家経済再建にあたり、米国で教育を受けた経済政策のブレーンであるテクノクラート(バークレー・マフィア)を重用。またこれと並行して、自身の家族や周辺軍人に経済的利益を還元する仕組みを作り、政権発足時から30年間にわたって、資源やインフラ開発事業を中心に、スハルトを頂点とする、中央省庁から地方までつながる政治・資金ネットワークを強固なものにした。
民主化・分権化導入の加速
1990年代に入ると、国軍内部の派閥間闘争により、スハルト政権は年々弱体化していく。1997年のアジア通貨危機直後には、30年以上続いたスハルト政権の腐敗や経済の非効率性に対する国内批判も高まり、1998年に政権が崩壊。これまでの中央集権体制の反省から、大統領権力の制限と権力分散を目的として、大統領直接選挙制が導入され民意を反映させる仕組みが確立された。また、IMFや世界銀行の支援のもと、国営企業の民営化や地方分権化に係る多くのプログラムが導入された。スハルト政権崩壊後から2014年まで、ハビビ、ワヒド、メガワティが順に大統領に就任した。しかし結局は、2000年代は、スハルト時代に一本化されていた既得権益や政治資金ネットワークが分散化し、この分散化された権力を有する個々人が、政治イデオロギーにかかわらず、個人的な利害関係に応じて、協調と対立を繰り返しながらインドネシアの中央政権を形作ってきたに過ぎないのである。
国民主権の高まりと進まぬ改革
近年では、テクノロジーの進化に伴い、クリーンな政治を求める民意がより公平かつ確実に反映されるようになり、改革派の政治家が国民からより多く選出されるようになってきた。この流れを受けて、2014年に庶民派リーダーのジョコ・ウィドド(ジョコウィ)が大統領に選出され現在に至る。しかし、現ジョコウィ政権も政権安定化のためには、他党との連立を維持する必要があり、その連立政権内に個々の既得権益ネットワークを支援基盤とする政治家を混在させなくてはならない。そのため、彼ら個人間または派閥間の権力闘争が、現インドネシア政権の改革遅れや不安定性、さらにはビジネスへの不信感につながっている。
インドネシア市場参入におけるポイント
インドネシアでは、政治的権力闘争が要因となって、ビジネスに係る方針、規制あるいは意思決定が急転する可能性が存在することは事実である。特に中央政権では、各政党の政策を超えた個人間のつながりや敵対関係が政権内の地位を変動させ、最終的にビジネスに影響を与える脆弱な政治体制になっている。そのため、インドネシア市場への参入にあたっては、以下の3つの政治的観点を持った上で、的確な現地ナビゲーター(政界に精通した案内人)を確保し、事業者および制パートナーを選定し、アプローチをかけることが推奨される。
まずは、直近の閣僚交代である。インドネシアでは、各省大臣よりも、調整大臣がより強い決定権限を有する。そのため、直近で調整大臣に格上げ・格下げされた人物や、省庁内の政治権力および派閥闘争を確認し、中央政界の主要ダイナミクスを把握することが推奨される。次に、自身のプロジェクトを実施する地域とのつながりである。スカルノおよびスハルト政権期には、多くの退役軍人が地方での資源開発ビジネスに携わり、現在でも彼らの家族がその財力を利用して、地方あるいは中央政界で活躍していることも多い。そのため、プロジェクトの中心地域における有力政治家やその家族が経営する地方関連企業のつながりや支持政党を、あらかじめ調査しておくことも推奨される。そして最後に、自身のプロジェクトをタイムライン化した上で、政治の変動を予測することである。主要選挙等の各政治イベントにおいて、地方および中央政界で有力者・意思決定者となりえる人物を調査し、時期を見てコンタクトを取ることも有効となる。