自然資本プロトコル公開草案の発行
自然環境を企業活動が依拠する重要な資本の一つとして捉える「自然資本」の考え方が注目されています。
自然環境を企業活動が依拠する重要な資本の一つとして捉える「自然資本」の考え方が注目されています。
自然資本は、地球上に形成される自然資源のストックであり、私たちはそこから生み出されるフローとして、水や農林水産資源、光合成による酸素供給、蜂による送粉などの「生態系サービス」や、鉱物、化石燃料、地熱や風力などのより地質学的プロセスによる「非生物的サービス」を享受しています)。
このように、自然資本は企業活動を含む社会全体の成立基盤といえる重要な要素ですが、従来、財務資本や製造資本と比較して適切に評価されてきませんでした。そのことが人類による自然資源の過剰利用や生態系破壊を許してしまったという認識に基づき、自然資本の価値を適切に評価し、経営に統合していくことが、企業経営の持続可能性や人々の生活の安定性向上につながると考えられるようになりました。
自然資本連合(Natural Capital Coalition)は、こうした認識を共有し、「自然資本を減耗させるのではなく、増強させる方向へシフトするために、企業活動による自然資本への影響評価手法を開発、試行する」ことを目的として2012年に発足した団体です(2014年に「ビジネスのためのTEEB連合」から改称)。以来、自然資本連合は企業向けの自然資本会計(Natural Capital Accounting)の世界共通の枠組みとして自然資本プロトコル(Natural Capital Protocol)の開発に取り組んできました。そのマイルストーンとして、2015年11月23日、自然資本プロトコルの公開草案(Draft for Consultation)および「食品飲料」「アパレル」のセクターガイドラインの公開草案が公表されました。
公開草案では、導入としてプロトコルの必要性、目的、4つの原則を示した上で、4つのステージ、10のステップで構成されるプロトコルの枠組みを示しています。さらに、各ステージおよびステップの詳細を解説しており、巻末にはさまざまな価値評価手法と適用の手引、用語集、参考文献が含まれます。本ニューズレターでは、この草案の導入部や、全体の枠組みについて2015年6月に公表された自然資本プロトコルの「枠組み草案」からの変更点を中心に概観します。
なぜプロトコルが必要か?
公開草案の導入部では、まず、このプロトコル発行の必要性について述べています。人間活動が地球上のさまざまな場所で環境問題を引き起こしており、それは地球が自己修復する速度を超え、さらに加速しているというWWFの研究報告書 を引用しています。公正で持続可能な社会を実現するためには、このような人間活動のあり方を変え、地球の再生能力の範囲内で生活していくことが求められます。中でも、企業には環境課題に対処する重要な役割と機会が与えられており、そのためには正しい意思決定を行うための適切な情報、ツール、マーケットシグナルが必要です。
しかし今日では、ビジネス上の意思決定にあたっては、財務的な価値が重視され、環境や社会的課題に関する価値評価を考慮に入れることは一般的とは言えません。また、原材料、エネルギー、労働力、土地、その他の財やサービスには市場価格がありますが、これには生産・加工・流通・消費・リサイクル・廃棄の過程で発生する社会・環境コストが反映されていないことが一般的です。また、市場価格には、例えば蜂による送粉のように無償で提供される生態系サービスの価値は考慮されていません。
先進的な企業は、様々なステークホルダーと協働しながら、自社が影響を与えたり依存したりしている自然資本の価値を測定し、その情報を財務的なデータと併せて活用することで、よりよい意思決定を行うことを始めています。しかし、自然資本の価値評価のツールは多様であり、どのような場合にどんなツールを用いるのが適切かを判断するのは困難です。自然資本プロトコルは、このような認識に基づき、あらゆる企業が自社の自然資本に対して与えている影響や依存度の測定・評価を支援するための標準化されたアプローチを示す目的で開発されました。
自然資本プロトコルの目的
プロトコルの目的は、企業と自然資本との関係性をより体系的に事業戦略や操業に組み込むことです。特に、自然資本の価値評価を行うことのメリットを十分には認識していない企業による取り組みを支援することを想定しています。そして最終的には、あらゆる企業が環境の衰退を食い止め、自然資本を再生することに寄与することがこのプロトコルの目的です。
プロトコルの用途としては、多様なものが考えられますが、中でもリスク管理、投資評価、新しい収入源の開拓などが挙げられます。プロトコルは、以下のことを支援するとされています。
- 自然資本と自社の事業の関係性を把握すること
- 自然資本の価値に関する情報を提供することを通じて、企業が直面する差し迫った状況における意思決定をよりよく導くこと
- 自社の状況に即した適切な測定評価方法を選択・適用すること
- 環境影響のみならず、自社の成功を左右するような自然資本に対する重要な依存度を評価すること
また、プロトコルの利用を通じて一貫した価値評価が可能になることにより、エネルギー、水、廃棄物などの個別に管理される環境情報を関連付け、統合し、経営判断や長期的な戦略に資する情報に変換することができます。
自然資本プロトコルは報告のためのフレームワークではありません。影響と依存度の評価に関する標準的なプロセスを示してはいますが、その評価結果は状況依存的で外部公表に適さない場合もあるでしょう。しかし、いくつかの企業はこれらの結果を公表しており、このことが今後の自然資本の価値評価における技術革新を促すものと捉えられます。また、プロトコルが想定する利用者はサステナビリティ、環境、安全衛生、業務部門の管理者ですが、自然資本連合では今後、経営者向けの簡易ガイドなど、他の利用者層を想定した文書も開発する意向を示しています。
4つの原則
草案は、自然資本の評価の実施にあたっての原則として、「関連性、厳格性、再現可能性、整合性」の4つを提示しています。これらの原則は、CDSBフレームワーク、GHGプロトコル、GRIガイドライン、IIRCの統合報告フレームワークなどを参考にして起草されました。2015年6月に公表された自然資本プロトコルの「枠組み草案」では、「関連性、厳格性、信頼性、整合性」の4原則が示されていましたが、今回はこのうちの「信頼性」に代わり、より具体的に「再現可能性」という原則が示されています。
表1 自然資本の評価における4つの原則
関連性 | 適時に有効な意思決定を行うことを可能にするため、自社のビジネスやステークホルダーにとって最も重要で関連性の高い自然資本への影響や依存度を特定するべきである。 |
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厳格性 | 科学的・経済的観点を踏まえ、技術的に適切な情報やデータ、手法を用いて目的に適合した評価を行うべきである。 |
再現可能性 | 全ての前提、データ、注釈事項、手法は透明性が高く、追跡可能で、完全に文書化されており、再現可能であるべきである。これにより、必要に応じて将来的な検証や監査が可能となる。 |
整合性 | 評価に用いられるデータや手法、範囲はたがいに整合的なものであるべきである。どの範囲で評価を実施するかは、その評価の最終的な目的や用途による。 |
4つのステージと10のステップ
自然資本評価の結果を解釈し事業に適用する草案は、企業が自然資本の評価・管理を行う上での流れとして、枠組み、範囲、計測、評価・適用の4つのステージを示しており、4つのステージはさらに10のステップに細分化されています(表2)。それぞれのステップでは、自然資本の評価・管理を行う上で確認すべき「問い」が示されており、ステップを完了することによってその問いに答えることができるようになっています。また、ステップをたどるにあたり、仮想的なグローバル企業による事例を示し、企業の担当者が実際にプロトコルを適用するイメージを得やすくするための工夫がなされています。
表2 自然資本プロトコルフレームワーク
4つのステージ | 10のステップ |
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構想 自然資本評価を実施するメリットを概観する |
01 はじめに 主要な用語解説や、自然資本に関する機会・リスクの事例、ビジネスと自然資本の影響と依存関係のモデルなどを示す。このステップの成果は、自然資本とビジネスとの関係性や関連するリスク・機会に関する組織内部での理解を得ること、自然資本評価の初期構想を立てることなどである。 |
範囲 自然資本評価の具体的な目的を決定するために必要な検討事項を示す |
02 目的を決める 評価結果をどのように業務に適用するのか、どのような意思決定に資する情報を得ようとしているのかという検討から始め、評価結果の利用者や、参画を求めるべきステークホルダー、評価を行うことのメリットなどを確認する作業を通じて、自然資本評価実施の明確な目的を示すことができるようになることがこのステップの成果である。 |
03 範囲を決める このステップでは、評価の対象は会社全体か、プロジェクトか、製品レベルかを決定し、それに対応するバリューチェーンの範囲を決定する。また、価値評価の視点としてビジネスへの価値に注目するか、社会への価値を含む評価とするか、さらに、定性的・定量的・貨幣単位のいずれの評価とするか等の検討を行うのもこのステップである。 |
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04 影響/依存度の決定 自社の事業に関連して、評価の対象となる自然資本への影響や依存度を決定するため、典型的な影響/依存関係の事例や、重要性の有無を判断するための判断基準を示す。最終的に、事業と社会への重要度という2軸によるマテリアリティ評価を行い、優先順位付けされた影響/依存関係のリストを得ることがこのステップの成果となる。 |
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計測と価値評価 自然資本に対する影響や依存を計測し、その価値を評価する |
05 計測と評価の準備 事業による自然資本への影響(Business Impacts)、事業の自然資本への依存(Business Dependencies)、事業による自然資本への影響を通じた社会への影響(Societal impacts)の3つの「ルート」から、評価に最も関連のあるものを1つ以上選択し、それぞれの「ルート」に沿った価値の計測・評価を行う上で必要な事項を整理する。 |
06 影響と依存度の計測/推定 このステップでは、影響をもたらす要因(impact driver)と依存度(dependencies)を測定/推定するための適切な手法を選択する。草案はそのために必要となるテンプレート、指標の例、推定方法の事例(便益移転、LCA、環境産業連関分析法、マスバランス等)を示す。 |
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07 自然資本の状態やトレンドに関する変化量の計測/推定 自社の事業活動の影響により自然資本にもたらされる変化を計測/推定するための方法を選択し、適用する。この時、事業活動以外の外部要因が自然資本の状態やトレンドに影響を与えることを理解し、適切な調節を行うことが求められる。ステップ06で測定/推定した、自社の活動により自然資本に影響をもたらす要因(impact driver)と依存度(dependencies)は、自然資本の状態やトレンドに関する変化量と密接な関係を持つことがある。例えば、ステップ06で自然資本に影響をもたらす要因として自社のGHG排出量(t-CO2換算)を指標として決定した場合、自然資本の変化量は大気中のCO2濃度の変化量や温暖化への寄与度などとして把握される。 |
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08 影響/依存度の価値評価 このステップでは、主要な価値評価手法の中から自社が実施する評価にふさわしい手法を選択する。価値評価手法の選択にあたっては、ステップ05で特定した3つの「ルート」毎に一般的に適用される手法(定性的評価・定量的評価・貨幣価値評価)を一覧表で示している。 |
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適用 自然資本評価の結果を解釈し事業に適用する また、将来的な評価につなげる |
09 結果の解釈と利用 自然資本の価値評価は、多くの場合、推定値が用いられるため、その結果の解釈にあたっては、前提条件や変数を変えてみることにより評価結果がどのように変化するかを確認する感度分析を行う。特に便益移転の手法を用いた場合には、感度分析を行ってその信頼性を確認する必要がある。また、4つの原則に示された「再現可能性」を確保するために、評価のプロセスや結果の正当性を確認・立証する必要がある。具体的には、内部・外部のレビューを実施する。草案は、このレビューにあたり検討すべき事項として、主要な前提条件やデータの不確実性などのポイントをリスト化して示している。 |
10 組み込み ステップ09までの評価の実践により発見された強み/弱みを検討し、自然資本の評価を通じてどのようなビジネス上のメリット(コスト削減、リスク回避、機会拡大、ブランド価値向上、社会的評価や従業員満足度向上等)がもたらされたのか、また、意思決定に役立ったのかなどを、費用対効果の観点で評価する。草案はこの手順のほか、評価結果を外部に開示する際に検討すべきポイントや、将来的に評価対象を拡大する場合の確認事項、評価結果をビジネスに活用する方向性などを示している。 |
今後の見通し
自然資本連合は、プロトコルおよびセクターガイドラインの公開草案に対するパブリック・コメントを2016年2月26日まで募集しています。すでに50のパイロット企業による試行を実施しており、そこでの経験や168の連合メンバー組織からの意見、専門家レビューを踏まえ、プロトコル第1版は2016年7月に公開される見込みです。
WBCSDやGRI、IIRC、欧州連合等の国際機関、研究機関、NGO等の関与のもと、国際的に合意可能な枠組みとして開発が進められている自然資本プロトコルは、将来的に環境外部コスト評価の世界標準と位置付けられることも予想されます。
多くの日本企業はグローバルなサプライチェーンを通じて自然資本とのかかわり持っています。このテーマに対する日本企業の関心の度合いはこれまでそれほど高くありませんでしたが、これまで見えていなかった自然資本への影響や依存の度合いを可視化し、将来の自然資本の減耗に伴うリスクを管理するためのツールとして広く利用されるようになる可能性もありますので、自然資本プロトコルに関する動きには今後も注視する必要があります。